3-3

 穏やかとは決して言えない治安の状態にもかかわらず、高鳥警察署が抱える警察官の人数はあまり多くない。

 強盗や殺人など重大事件の勃発に際しては所轄警察署に捜査本部が立てられるが、社会に対して著しく影響が及ぶような凶悪犯罪と認められた場合、迅速な事件解決を図るため特別捜査本部が配備される。


「嫌な予感がするな」と口癖のように住吉にこぼしていた井口の懸念が確信に変わったのは、鑑識員・本木亜澄に呼び出されたタイミングだった。


「名取さんの遺体から、これが」

 そう淡々と紹介する亜澄の手元から、井口は目を背けたくなった。目に優しいとされる明るい藍色が嫌に毒々しい。

「アレだろ、ほら。何だっけか、ドーラン?」

「リンドウです」

「名取さん……」

 住吉に憐憫の視線を向けられた井口はしかし、こんなことに動じている場合ではないとばかりに胸を張り、咳払いをした。高鳥署の規模から考えて、連続殺人事件が発生しようものならまず間違いなく特別捜査本部が立つ。


 そして見立て通りその夜、強行犯係の刑事は井口を筆頭に倉川係長の連絡を受けて特別捜査本部による捜査会議に招集された。井口と住吉は早速、高鳥署で最も多くの人数を収容できる第一会議室に足を運んだ。

 九月十日に発生した高鳥不二学園中学棟での死体遺棄事件、九月十九日に発生した名取均の自宅での殺人事件。これらが連続殺人である線が濃厚となった。その結果、高鳥署の刑事はほぼ総動員されると言ってもいい。ほとんどは寝ずの番になるだろう。


 それだけでなく、警視庁本部から捜査一課の刑事が派遣されることになる。井口の顔はいつになく険しいものとなっているが、原因はそこにある。

「聞くところによれば、下平って刑事がこっちに来るらしい。警察学校で俺と同期だったんだよ」

「へえ。仲良かったんですか?」


 スマホから目を離さずに対応した住吉だったが、沈黙が生まれたため、つい井口の方を見た。神妙な面持ちとはこのことかと住吉は思った。その表情だけで、下平刑事とのただならぬ関係性を察するには充分である。それでも井口は我に返り、重い口を開いた。

「嫌いとまではいかねえけど……アイツは特に凶悪な犯罪者に対しては、何かに取り憑かれたように義憤を剥き出しにするんだよ。それこそ殺す勢いだ。今はエリート扱いされてるみたいだが、なんだか不気味な怖さがある奴だと昔から思ってる」

「まあでも、優秀な人が来てくれるなら心強いですね」

 会話はそこで打ち止めとなった。井口は、シリアスな会話を嫌う住吉の勝手さに、この時は救われたような気がした。


 通常なら連続殺人事件など御免だと言いたくなるところだが、今回の場合、全く糸口の掴めなかった二つの難事件が繋がるかもしれないということで、捜査に新たな展開が生まれればと捜査員の鼻息も荒い。何しろ凶器も見つかっておらず、容疑者すら当てが無い状況だ。指揮官より一足先に臨席した倉川係長の顔にも血色の良さが戻っているのが窺える。

 と、井口の前列の席に、皺一つないチャコールグレーのスーツを着た男が座る。隣に連れの女性刑事が座った。男は暑さからかスーツを脱ぎ、折り畳んで隣の椅子に掛けた。ネイビーのシャツ。井口には見覚えがあった。角度の関係で見えなかったが、おそらくそこに黒のネクタイを合わせているはずだ。警察官は基本的にスーツを与えられるが、この男のようにしょうしゃな人間は自前で衣装をこしらえる。

「久しぶりだな、下平」

 名前を呼ばれたその男は、振り返ることなく手元の資料を一瞥し、ため息をついた。

「無くならないね、犯罪ってのは」

「そりゃあな」

「さっさとカタつけるぞ、井口」

 言葉に反して、その後ろ姿は井口には虚ろに見えた。ある種の諦観と言えるかもしれない。

「お前、白髪増えたか?」

「薄くなるよりマシだろ」

 井口はそっと、自らの頭皮を撫でた。


 やがて、警視庁捜査一課長以下この度の特別捜査本部の指揮官がずらりと、捜査員の正面に並ぶ長机に沿って着席した。

 会議室に八○名ほどの捜査員が集まっていることを確認し、の高鳥署署長が捜査会議の開始を宣言する。


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