3-2


「災難だったな、ワタル。話は大体わかった」

 そう言って相変わらずカウンターに憮然と佇む野呂は、名取の死を聞いても表情を崩しはしなかったのだろうか。


「どうしてあの人は殺されたんだ……?」

「単に俺らに対する当て付けか、本人に理由があって殺されたのか……その両方かもな」

 あくまで野呂は冷静だった。ワタルは五十歳になるが、ここまでの強心臓は持ち合わせていないと改めて思う。


「関係ない訳よな。俺らが狙われてるのと」

「申し訳ないことをしたよ、本当にな。だが悔やんでも仕方ない。死んじまった人間はもう戻ってこないんだ」

「そうだけどさ……」

「俺たちはいつも受け身なんだよな。だからこういう時、虚しさだけが残っちまう」


 表情を崩さない野呂に同調しきれない、そんなやり場のない感情の置き場を探るように、ワタルはリュックに手をかけ、トイレタンクから回収したスマホを取り出した。

「これが名取のスマホならいいけど」

「ん?ああ、そうか。名取と最後に連絡取ったの、俺だからな。助かった」

「結局、電話には出なかったんだよな?」

「ああ、だがメールが来た」

「えっ」


 メールだと?ワタルは心中で身を乗り出した。名取は物言わず天に召されたのだとばかり思っていたが、アクションを起こしていたとなると話は変わってくる。


「回りくどいジジイだよ」

 ワタルは野呂が差し出したスマホの画面を覗き込んだ。


==========

Z86-237

2004.4.25-p6

2015.6.3-p7

==========


「これは?」

「下の二行はわかるだろ。日付とページだ」

「日付とページがセットってことは、新聞記事か何かか?」

「ああ」

 それらが判明したところで、どこの新聞なのかがわからなければ意味はない。となると、一行目の文字列は?

 ワタルはその時、名取の前職を思い浮かべた。


「そういうことか」



 東京メトロ千代田線・国会議事堂前駅の簡素な出口から、野呂は顔を出した。幅の広さの割には閑散とした道路を横目に歩を進める。

 行政の中枢たる地に身を置くのは野呂にとっては不思議な感覚で、普段と違うスーツ姿も相まって自然と背筋が伸びる。国会議事堂の裏通りに駐在する警備員は、野呂が裏稼業に手を染める人間だとは夢にも思わないだろう。


 死の間際に名取が寄越したメッセージは、国立国会図書館に所属されている資料の請求記号であり、アルファベットと数字によって膨大な数の蔵書を分類・管理するものだ。メールに記載のあった〈Z86-237〉がそれである。

 図書館を初めて利用する野呂は受付で利用登録を済ませ、早速請求記号の示す通り、新聞資料室に入場した。利用登録は十八歳以上でなければ行えないため、そう認識してもらえるかどうかが不透明なワタルは双方合意のもとスロウで留守番となった。


 請求記号〈Z86-237〉が示すのは、南米・サラベス共和国で刊行されている日刊紙だった。名取が指定した日付とページの紙資料を調達すると、所定の手続きを経て印刷を済ませた。

 流石の野呂もスペイン語(サラベスの公用語)はからっきし駄目だが、高校時代の同期が仕事のためスペインに三年間在住していたことに思い当たる。ネットで翻訳できないことはないだろうが、現地で生きた言葉に触れた人間をフィルターとして媒介した方が確実に名取の意図に近づけるだろう。



「ってことで、記事の内容は今翻訳してもらってる。もう少し待ってくれ。持つべきものは友だな」

『そっか』

「いや、友達って感じでもねえな。向こうが東京来た時に会ったりする程度か」

『なんかいいね、そういうの』


 電話口のワタルの声が、その儚い形相を野呂に想像させた。

 野呂はワタルと知り合って六年になるが、それでも時に、ワタルが少年の姿をした四十九歳のディレイドだということを忘れて〈普通の人間〉としての一般的な価値観を共有していると思ってしまう瞬間が確かにあった。


 ワタルに旧友などいない。それどころか、時間の

流れを共有できる人間が一人もいないのだ。それが何よりの、〈普通〉との障壁である。

 

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