2 sucked

2-1

 母が一人で子を育てている時、やっぱり父親の存在が我が子には必要なのだろうかと思い悩むことは往々にしてある。

 

 ありみつも最初はそうだった。

 とはいえ、息子への愛情は深かった。父親がいないなら、自分が二人分の愛情を注いでやればいい。きっとこの子はいい子に育つだろう。光代は、自分の数少ない宝物である我が子の成長を楽しみにしていた。


 しかし光代の息子は、なかなか立てるようにならなかった。産婦人科で時間を共にした主婦仲間からは「まあそれは個人差だから」と最低限の励ましを受けるが、心は休まらない。

 小児科医師の言うことも、主婦仲間の励ましと大差なかった。お医者さんが言うならそうなのだろう。光代は辛抱することにした。


 立つより前に、息子は簡単な言葉を話すようになった。「ママ」と光代のことを呼ぶ。「パパ」という言葉を認識するのは、いつ頃になるのだろうか。光代は仕事に精を出し、息子にますます目をかける。なるべく栄養のあるものを食べさせたし、できる範囲での運動にも取り組んだ。


 結局光代の息子が一人で歩けるようになるまで、三年と二ヶ月が経過した。光代は息子を簡素な保育園に入学させたが、周囲の園児に比べて息子の体が一回り小さいという事実を改めて突きつけられた。


 息子が小学生になるだった時分、光代は再びあらゆる医療機関を周り始めた。

「確かに体の発達が明らかに遅いですね……」と皆一様に首を傾げたが、はっきりとした答えを提示した医師は一人も現れない。光代の実直さは徐々に擦り減っていった。


 ある帰り道、息子がふと疑問を口にした。

「ママ、なんでこんなに病院行かなきゃいけないの?」

「それは……」

 光代は言葉に詰まった。息子は身体の成長こそ著しく遅いが、知能面に問題はない。

「ぼくが大きくならないから?」

 今まで家庭内で取り沙汰すことのなかった核心を息子に突かれた光代は、小さな体を抱きしめてやることしかできなかった。


 光代が息子を産んでから十一年が経過した頃、しお一郎いちろうという精神科医が光代の相談によく乗っていた。

 塩見は息子を、その見た目に囚われることなく十歳の少年として接してくれていたため、光代はいくらか気持ちが救われた。


 他方、塩見は光代の息子が身体的成長で遅れをとっている原因を突き止めようと必死だった。光代はその姿勢を始めの頃こそ心強く思ったが、日が経つにつれて罪悪感が募っていった。


 塩見と出会って一年が経とうとしていたその日も、光代は一人で塩見と正対していた。

「そうだ、光代さん。私、アメリカ人の神経学者に話を聞くことになったんです。息子さんのこと、聞けたら色々聞いてみますよ」

 塩見は笑顔だが、目に光を宿していない。光代にはそう感じられた。


「先生、もういいです」

「え?」

「息子のこと……気にかけてくださるのは、ありがたいですけど」


 光代は体を震わせて俯き、塩見はそれをただ見守っていた。

「……わかりました」


 病気なら、どれだけよかっただろう。

 同情は集まる。しかし、協力は得られない。他に例がないので無理もない。

 親や親戚ともすっかり距離ができている。


 光代の孤独を癒やせるのは息子しかいない。

 しかし孤独になった原因が息子であることも、やりきれない事実ではあった。


 息子は身体の成長こそ著しく遅いが、知能面に問題はない。


 息子を産んで十二年が経ったある日。

 光代が目を覚ますと、ワタルは姿を消していた。


 


 

 

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