2-5

 シャーリーのゴミ捨て場に急遽仕掛けた二台の小型カメラは男の顔をしっかり捉えていた。

 やくざ者という雰囲気でもなければ、浮浪者のような不潔さも見受けられない。どこにでもいるような中年のサラリーマン風の男はしかし、一通りゴミをあさり死体が無いことを確認すると、特に悔しがる様子などは見せずにその場から去っていった。


「どうです?バッチリ撮れてるでしょ」

 PCに出力した映像をワタルと野呂に見せて鼻高々の護摩所は、回転椅子で短い足を組んでいる。野呂が首を縦に振った。

「死体を処理しに来たのはこの男で間違いないだろうな。どうする、ワタル?挨拶しに行くか?」

「いや、ここはもう少し慎重に行こう。情報戦で有利に立ってるのは俺たちだ」


 ワタルは立ち上がり、ディスプレイ上の中年男を見下ろした。

「問題はコイツが、例の三人組が消えたことをどう考えているかだ。血眼で探すのか、トカゲの尻尾と割り切って放置するか」

 言いながら、後者の可能性が高いだろうとワタルは勘繰った。三人組のリーダー・丸刈りのテツが口にしていた「また別の奴らが殺しに来る」という文言が思い出される。

 陽気に椅子を回していた護摩所が動きを止めた。

「えっ、その捕まえた三人って今どうしてるの?」

「宮村院長様が持ち帰ったよ。今頃手術台の上かもな」

「それって……ヒィッ!」


「それより、オッサンの言う通りだったな。こっちの連絡通りゴミ捨て場に様子を見に来たってことは、あの写真を見て、罠である可能性よりも丸刈りが仕事を全うしたという可能性を信じた訳だ。でなきゃわざわざ出向いてこない。下手に絞殺を装わなくて正解だった」

 野呂は返事をするでもなく、カウンターへ向かった。午後五時を告げる防災行政無線チャイムが聞こえてくる。


「さて、そろそろ開店準備だ。急に呼び出して悪かったな、護摩所くん」

「全然いいよ。ハァー、あと三か月もすれば僕も飲酒が許されるのに」

「散々犯罪に手貸してるのにそこは気にするのか?」

 ワタルの指摘に、護摩所は眉を曲げた。

「長生きはしたいからね」


 長生き。

 ワタルの意識には潜んでいない、関係のない境地だった。


「その体型で言われても説得力ないよ」

 ワタルが羨望を隠してそう言い返すと、護摩所は「バレた?」とでも言いたげに肩をすくめた。



 スロウで野呂に仕事を依頼するには、ちょっとした手順を踏む必要がある。

 注文の際に『マスカットのサングリアはありますか?』と尋ねると、野呂は『ありません』と返す。それに対して『もう一度考えます』と返すと、会計後、裏面に特定の日時が書かれたレシートが手渡される。メモされた日時にスロウを訪れると、晴れて仕事を依頼できるという段取りだ。


 当然日々を平和に暮らす善良な市民がこの一連の流れを知るはずもなく、必要もないし、常連客も例外ではない。そのためこのオーダーが入るのは月一回程度だ。ワタルにしてみれば、QOLを向上させるためにはもう少し仕事の依頼が受注できるのが理想的だが、流石にそこまで血生臭い世間でもないだろう。

 静かに酒を嗜みたい人間が集まるスロウに新規の客はあまり現れない。ゆえに、見慣れない顔の訪問に出くわすとワタルは心中で身構える。ワタルがスロウに転がり込んだのは六年前。店を手伝う日と手伝わない日がまちまちとはいえ、常連客か数回目の訪問となるリピーターか、一見の客かの区別はつく。目当ての客である確率が高いのは初めてスロウを訪れた客だ。



 ただ、その夜スロウを訪れたのはワタルにとって見慣れた顔がほとんどだった。

 午後一一時に軋むドアを開けたのは、先日ワタルとすれ違った老人の名取。枯草色のサマージャケットを良くも悪くも着こなしている。


 カウンター席に着いた名取の第一声に、ワタルは耳を疑った。


「マスカットのサングリアはあるかい?」


 ワタルは野呂の眉間に微動を認めた。店員二人、心の内は同じだろう。間もなく古希を迎えるこの常連客は、この店で果実酒など注文したことがない。更に言えば、サングリアがメニューに含まれていないことは承知しているはずだ。

 裏メニューが所望されること自体は驚きではない。ただワタルには、野呂からそれを引き出す合言葉を名取が知っていたというのが意外に思えた。

 その後も名取と野呂は決められたフォーマットに従って対話を演じた。名取は引き続き強い酒を幾らか飲み、一筆添えられたレシートを握って午後一二時には店を出た。


 最後の客が退店した午前二時過ぎ、野呂はこぼした。

「名取のジイさん、昼の俺に何の用だろうな」


 見当もつかない。刹那、ワタルは決して小さくない不安が爪の先まで体を這う感覚に陥ったが、記憶をしてみてもその感覚が何に起因するものなのかがわからなかった。

 



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