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 校内に男の死体が遺棄されたというショッキングなニュースから四日間、高鳥不二学園は中学・高校含めて全学年で休校となった。その間に中学校と高校のそれぞれで保護者に対する説明会が行われていたようだが、「現在調査中です」のオンパレードであったらしく、保護者たちの溜飲を下げることはできなかったという。それどころか、業を煮やした保護者の「もしかして、あなた方教師の中に犯人がいるんじゃないんですか?」という偏見にも似た発言によって場は混沌を極めたというのだから、少し気の毒になった。学校側からすればこんな事態に巻き込まれる覚えは、おそらく全く無いのだ。


 事件から一週間経った今日、授業が再開された。特に高校生は大学受験を控えていることもあり、当該の教師陣は慌てるか苛つくか、いずれにしてもソワソワしていたが、我らが中学二年C組の担任・福原ふくはらはいつも通りだった。或いは、教師は毅然としていた方がいいだろうという彼なりの信念なのかもしれないが、この人の場合生徒に興味が無いだけだと思う。そうして特に日常が変わり映えすることもなく、帰りのホームルームを迎えた。

「今日から授業が再開しましたけど、まだ犯人も捕まってませんからね。用事の無い人は速やかに帰ってくださいよー。あと、なるべく集団で固まってた方がいいですからね」


 不気味な殺人事件が起こった割には、生徒が慄いている様子はあまり無い。実感が無いのか、被害者が学校とは無関係の人間であることも影響しているかもしれない。死んだ男を一応気の毒には思っても、誰にとっても他人事なのかもしれない。……まあでも、第一発見者は別だろうな。一年生の女子だったそうだけど、間違いなくトラウマになってしまうだろう。


「じゃあクラス長、何かありますか?」

「はい」

 クラス長・久永ひさながしょうが粛々と起立する。福原が喋っている時は話を聞いている生徒と聞いていない生徒が半々くらいの割合だった気がするが、久永にスポットライトが当たる時、教室は自然と良い意味での緊張感に包まれる。


「えー、例の事件の犯人は未だ捕まっておらず、不安に思っている人もいると思います。みんなに気をつけてほしいのは、悪質なデマに惑わされないでほしいということです。『犯人は何組のアイツじゃないか』『何先生が怪しい』そういう確証の無い噂を拡散してはいけません。個人名までは挙げられてないものの、ネット上にも既にあることないこと書かれているようです。くれぐれもそこに加担することの無いように、お願いします」


 一点の曇りも無い、真摯なメッセージ。何をやらせてもこなしてしまう人間というのは世界に一定数いるもので、このクラスでは久永がそうだろう。

 文武両道のこの男は、クラス長とこの学校の生徒会長を兼ねている。他のクラスメイトから聞いた話では、いつも教室に一番乗りして勉強をしており、二番目に入ってきた生徒に対して早朝とは思えない爽やかな笑顔で「おはよう」と挨拶するという。この〈久永スマイル〉を独り占めしようとする女子が続出するから、女子の遅刻率はかなり低いのだとか。


 こういう立派な人なら、救えたんだろうか?


 自分の行動を省みる時、どうしても「誰もが信頼を置くあの人なら、一挙手一投足に注目が集まる識者なら、ああいう時どう動くんだろう?」と考えてしまう。架空のスーパーマンと自分を比較しても仕方が無いのはわかっている。その上で、どうにも己を信用しきれなくなるのはわかっているのに、困っている人を放っておけない。そのくせ助け方がぎこちなくなって結局傷つけてしまう。昔からそうだった。


「誰だろうな、犯人。早く捕まってほしいよなあ。なあ?」

 後ろの席のクラスメイトの言葉が聞こえる。いつも問いかけなのか独り言なのか微妙なトーンで発言する嫌いがあるため基本的に反応はしないのだが、この時は言葉が出た。

「そうだね」

 その対話に続きは無く、ホームルームもいつの間にか終わりを迎えていた。



 見慣れないスーツ姿の男が二人、校内をうろついていた。刑事だろうか。そのうちの一人、おそらく先輩と思われる男は強面で圧力があった。

 立派な大人。果てしなく遠い存在。そう思った瞬間、もう一人の後輩らしい刑事と一瞬目が合った気がしたので、慌てて視線を外した。

 ただ、その男が見ていた対象は、どうやら別のものだったらしい。男の視線の先には学校の案内図があった。これを見ていたのか。

「何ボーッとしてんだよ、行くぞ」

「すいません」

 二人の刑事らしき男は、せかせかと曲がり角の向こうへ消えていった。

 それはそうだ。俺に目を向ける人間のほうが珍しい。


 刑事と思しき二人組を見送った後、小粒な後悔の念を抱いた。あの二人に頼ったほうが良かっただろうか?しかし信じてもらえるはずがない。


 あの死体は、俺に対する警告なんです。


 そう告げたところで、世迷言だと一蹴されるだけだろう。確たる証拠は無いし、そもそも何をどこから説明すればいいものかわからない。


ゆうろう

 暗闇で引きこもっている人間を日常に還すような、そんな呑気な声がした。振り返ると案の定、向坂さきさかなおがヘラヘラと立っている。

「何突っ立ってんだよ、帰ろうぜ」

「ん、帰ろう帰ろう」



 夏休みは明けた。しかしまだ、夏は終わってくれない。一歩学校を出ると、干上がったアスファルトが倦怠感を喚起してくる。

「あ、スティックセニョールに水あげないといけないな」

「お前また変な葉っぱ育ててんのかよ」

「葉っぱって言うな」

「俺この前女子に『勇太郎くんがヤバい草育ててるって本当?』って聞かれたんだぞ」


 不毛な会話。無駄な時間。

 このまま何も起きなければ、普通の中学生としてこれからも生きていけるだろうか。

 そもそも死体遺棄事件が自分への当てつけという推測はただの思い込みで、治安の悪い土地柄が定期的に作り出す膿のひとつにすぎないのか。そうであるならそれに越したことはない。


 暑さも手伝って心拍数が上がる。勇太郎は一旦、冷房の効いた電車に乗り込んでいるであろう十数分後の自分に思考を投げることにした。

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