2-3

 ニラジがキャスターの耳障りな音と共にラックに乗せて運んできたのは、幅がマンホール程もある大きな鍋だった。舌にダメージを与えることしか考えていないような趣味の悪い激辛メニューを出す店というのは稀にあるが、今コンロの上で煮立っている鍋はその比ではない。これを料理と呼ぶのは料理に失礼だろう。

 野呂はこんな時でもほぼ真顔だが、声が少々はしゃいでいる。ワタルは少し背筋が寒くなった。

「サンキュー、ニラジ。最高だよ」

「野呂サンも悪いねェ」


 丸刈りの男は、気絶している残りの二人と同様に椅子に座らされ、何故かニラジがバックヤードに所持していた手錠を着けられ、腰と脚を縄で椅子にくくり付けられている。その眼前には、活火山の火口のような代物がカセットコンロに載せられ、移動机の上で暴れていた。この場合味や彩り、栄養バランスなどが問われているはずも無いので、おそらく辛味以外の風味が削ぎ落とされた香辛料しか入っていない。


「なんでカレー屋に手錠があるんだよ」

「オレの故郷ではアタリマエだぞ。アソコに比べたらこの国なんてオアシスだね」

「うーん、火弱いな」

 野呂がコンロの火力を最大まで上げる。それを一種の合図と解釈し、ワタルは話を切り出した。


「じゃあいくつか質問していくから。真面目に答えなかったら……それに顔突っ込んでもらうからね」


 ようやく主導権を握ったことに安堵する一方、ワタルには少なからず不安もあった。目の前にいる男の口から一体何が語られるのか。

 この三人は以前真柴アーバンネストから高鳥へ帰る途中に奇襲をかけてきたあの三人に間違いなかった。あのあと、宮村が何らかの方法で三人に接触し、この行きつけの薄暗いカレー屋の存在を知らせたのだろう。


「それじゃ、肝心なところから聞いていこうか。俺をどうするつもりだった?」

「……殺せと言われた。なるべく首を絞めて殺してくれって」

「首?なんでだよ」

「俺は知らないよ。上の都合だろ」

 絞殺に拘る動機は見えないが、自らが抹殺されようとしていることはワタルにとって想定内だった。

「穏やかじゃないね。で、誰に言われたんだ?」

「そ、それは……」


 ワタルは気持ちよく髪が刈り揃えられた後頭部を鷲掴みにし、湧き立つ火鍋に近づける。

「待ってくれ!おい!」

「待って何も無かったらこっちも容赦はしないからな」

 丸刈りの男の首を持ち上げる。現れた顔を汚らしく湿らせているのが蒸気か汗か、それとも涙なのかもはや判然としない。


「誰の指示なのか、俺たちにも分からないんだよ」

「なんだと?」


 ワタルは再び掌に力を込める。

「待て、本当なんだ!」

「じゃあ何だ、お前らは名前も知らない上司から俺を殺せと言われてその通りにしたってのか」

「いや、違う!そういうことじゃない」

 体勢を直したワタルが重い靴音を鳴らし、カウンターに寄りかかって事の成り行きを静観していた野呂は腕を組み直した。


「俺たちに指示を出した奴もまた、その上からの指示で動いてるんだよ。伝言ゲームみたいなモンだ」

「じゃあ、俺を殺すよう指示を出した大元が誰かは分からない、ってことか?」

「そうだ」

 睫毛が飛散しそうな程必死にまばたきを繰り返す丸刈りの男は、身体中の毛穴から淀みなく汗を滲ませている。

「こういう仕事をするのは初めてか?」

「運び屋とかそういうのは何度かあったが、殺しは初めてだよ」


 そうだろうな、とワタルは直感していた。閑古鳥の鳴くシャーリーだから良かったものの、いくら高鳥の街とはいえ飲食店でガサ入れ同然の派手な突入を敢行するのは、どのような文脈においても得策ではないだろう。大元の首謀者からすればこの三人はトカゲの尻尾に過ぎないため足がつく心配は無いのだろうが、かといって今回のように本来の目的が果たせなくなるのであれば本末転倒だ。


「だから俺たちを絞っても何も出ねえし、また別の奴がアンタを殺しに来るはずだ」

「そうだな。もっと慣れた奴を寄越すべきだった」

 丸刈りは苦虫を噛み潰しこそすれ、ワタルに何かを言い返すことは無かった。


「絞っても何も出ないと言ったが、それを決めるのはこっちだよ。お前が嘘をついていないってのは何となくわかるが、無条件に信用するつもりもない」


 丸刈りの後頭部から手を離したワタルはそのまま背後に回り、拘束した身体を改める。薄手の上着の内ポケットから、汗で俄かに湿気たプリペイドのスマートフォンを押収。手錠に動きを封じられた指紋を使って、無理矢理ロックを解除した。

 通話履歴を照会すると、直近に〈080-××××-×××× 携帯電話 13:12〉とある。

「一時間前に電話が来てるな。業務連絡ってところか?」

「……」

「トップオブトップが誰なのかは知らなくても、直属の上司とは連絡を取るはずだ。お前らの目付役はこいつか?」

 さすがにこのまま黙って帰してもらえると思ってはいなかっただろうが、丸刈りの男は俯きこめかみ辺りを怒張させている。

「それは……」


 野呂が腰を上げて二人に近寄り、ワタルと並んで丸刈りの男を挟む態勢をとる。そのまま事実確認に取りかかった。

「もし仮に俺たちを殺すのに成功していたら、死体はどうするつもりだったんだ?」

「殺したら死体はこっちでなんとかするから連絡しろ。そう言われてた」

 野呂は穏やかな相好で首肯した。

「よし。じゃあワタル、電話してやるか」

「分かったよ」

「え!?」

 動揺する男をよそに、ワタルからスマホを受け取った野呂が件の番号に発信する。

「ちゃんと俺の真似して話せよ」

 野呂がスマホを丸刈りの男に向けると、黒を基調とした発信画面を通してもなお蒼白くなっているのがわかる、体液と絶望に塗れた顔が映り込んだ。


『テツか。終わったのか?』

「えっと……」

 テツと呼ばれた丸刈りの男は、野呂が発するかろうじて声と呼べるような呼吸音に耳をそば立てた。

「はい。その……梅乃堀の地下に〈シャーリー〉という……寂れたカレー屋があるんですが、その……裏手にあるゴミ捨て場に、とりあえず……死体を、隠しました」

『そうか。指示通り絞殺したんだよな?』

「えっとですね……」


 丸刈りのテツは困った子犬のように野呂に目を向ける。暫しの間野呂は考えを巡らせていたが、やがて口を開いた。テツがその動きを再現する。

「それが……抵抗に遭ってしまったので、このままではまずいと思ったので……思わず殴って、殺してしまいました」

 電話の相手は、一呼吸置いているようだった。


『……まあいい、よくやった。一応遺体の写真を送ってくれ。すぐそっちに向かうから、それまでそこにいて見張りをしていろ』

「はい、わかりました」

『それとな、ウチの人間が一人殺されて派手にニュースにもなってる。お前らもせいぜい気をつけてくれよ。こっちは全部かばいきれる訳じゃないんだ』

「気をつけます」


 通話が終わると同時に、溺れかけていたかのように丸刈りのテツの呼吸が再び荒くなった。


「オッサン、よかったのか?」

 どちらかというと咄嗟に出た言葉であったため補足が必要だったかもしれないとワタルは自省したが、野呂はその意図を汲んだようだ。

「まず死体を写真に収めさせることで仕事の経過を知ろうとしてるんだろう。あれだけ絞殺に拘ってたのは比較的後処理に手間がかからないだけじゃなく、写真の索状痕が本物かどうかを正確に見分けられるノウハウがあちらさんにはあるってことかもしれない。逆に言えば、それ以外の方法で殺しが行われたかどうかを見分けられないんじゃないかと思ってな」

「なるほど。殺し方に関わらずそこが見抜けるなら、最初から殺し方を否定する必要はない……この三人だけじゃなくて上層部も、殺しのプロとかではないのかもな」

「ニラジ、ここ見張っとけ」



 ゴミの山に埋もれて死体に成り済ましたワタルが撮影を終え、色温度を加工した写真を送信して戻ってくると、気絶していた残りの二人が目を覚まし状況を理解したのか、青ざめているところだった。黒シャツの巨漢が口を開く。

「テツさん……」

「フッ、見ての通りだ。終わりだな」

「なに浸ってんだよ。話は終わってないぞ」


 野呂がささやかな余韻への逃避を許さない。

「殺されて派手にニュースになった人間ってのは誰だ?」


 丸刈りのテツはこれまでが嘘のようにすらすらとまくし立て始めた。

「俺もソイツのことは詳しく知ってる訳じゃねえが、ほら、中学校で男の死体が見つかったってニュースがあっただろ。あれがそうなんじゃないかって言われてる」

「なぜ殺された?」

「いや、それは知らないんだ」

 少し顔に血の気が戻ってきたその男の言葉に虚飾はないだろう。いずれにせよ、この情報が何を意味するのか判断するにはまだ材料が少ない。


 頃合いを見計らったか、屈強なスーツ姿の偉丈夫が五人シャーリーに入店する。それは勿論客などではなく宮村の従者に他ならない。ワタルはその詳細な肩書きを知らないし、知りたいとも思っていなかった。

 先頭の男が拘束された三人を一瞥し、ワタルと野呂に向き直る。

「あとは我々が」


「死にはしないと思うぞ。多分な」

 丸刈りのテツにそう言い残した野呂と共に、ワタルはシャーリーを後にした。何しろ、電話の相手がここに来る前に急いで次の準備をしなければならない。




 

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