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 ニッチな都市伝説マニアであれば、〈ディレイド〉という単語に反応を見せる。それは、年月を経てもなかなか見た目が変わらない、歳をとらない人間。若々しい芸能人などに当てはまる「あの人、変わらないよね」などとというレベルの話ではなく、そもそも身体的な成長のペースが明らかに遅い。例えば、成人を迎えても身体的にはどう見ても子供のまま、といった具合である。そしてその場合、知能は一般的な二十歳と変わらない。差し詰め、頭脳は大人という訳だ。


 あの日公園で見たのミオリは、明らかに少女の姿をしていた。よく似た別人ということなら話は早いが、弥生のことを「しーちゃん」と呼ぶ人間は限られている。こうなってくると、自身が都市伝説マニアであるという事実を差し引いても、弥生はこの件に首を突っ込まなければならないような気がしていた。


 ミオリは確かにあの時、怯えていた。

 

 幼くして両親を亡くした飾磨弥生は、三歳頃から奥多摩の児童養護施設に入所していた。それ以前の記憶はほとんど無いので、実質的には故郷のようなものになる(弥生に里帰りをするつもりはさらさら無いが)。

 今思えば、快適な暮らしとは言い難かった。ふとしたきっかけさえで暴れ出してしまう子や、自分を守るために嘘ばかりつく子が大勢いるという環境に置かれていたので無理もない。当時はそれが普通だと認識していたので特に抵抗をしたことは無かった。無知であることの数少ないメリットだったかもしれない。ただ、裏を返せばそれは悲しい慣れにすぎない。今でもあそこの子供達が夢に出て、私に悪さをすることがある。深層に刻まれた傷というものは、通り魔のように現れては心を蝕んでいく。

 そして、小学校に通うようになってから、否応無く気づかされる事柄というものが増えてくる。ほとんどの子供には両親や家族がいて、一緒に暮らしていること。それ以外の他人とは一緒に暮らしていないこと。何より、そういう環境で育ってきた人間は、自分や施設の子よりもなんだか生き生きとしているように見えた。


 当然、施設で暮らす人間に対しての誹りは少なからずあった。ただ、それが苦しかったというよりは、家庭に対する憧れと、それに伴う疎外感に苛まれていた、と言ったほうが正確かもしれない。友達のような存在がいなかった訳ではないが、心を許したことは無かった。


 ちょうどそんな頃施設にやって来たのがミオリだ。小規模な施設だったので人数が少なく、同年代の女子がいなかった弥生にとってはまさに天の配剤といえた。彼女は花が好きだったので、よく花について教えてもらった。花の名前なんてそれまで知らなかったが、ちゃんと種類ごとに名前がある。当たり前のことだけど、それすら知らなかった私にとっては新鮮な出来事だったのだ。


 こんな会話をした覚えがある。


「お花は、見てるだけで楽しいから好きなんだ」

「そう? でも、枯れちゃうじゃん」と弥生が返すと、

「そうだね。でも、枯れなきゃ花じゃないでしょ。枯れるところまでぜんぶ、私は好きなの」

 当時は彼女の言っていることがよくわからなかったが、今になって思えば、小学生の発言にしては大人びている。清楚でしっかりした子だとは思っていたが、反面、どうしてこんな可愛らしくて頭の良い子が施設へ来なければならなかったのか、子供ながらに不思議に思っていた。後に、ミオリは両親が共に亡くなってしまって、家族がいないんだと打ち明けてくれた。弥生は、当時無邪気にも「私と一緒だね!」と喜んだようことを覚えているが、あの時点でおそらく九歳ほどだった少女が、あそこまで達観しているものだろうか。そう言われたミオリは、どんな気持ちだったのだろう。


 ただ、もしミオリがディレイドだったとしたら……あの聡明さに説明がつく。この憶測が事実であるなら、残酷な話だ。


 たった一つのシンプルなハンディキャップ。その特質が、普通の人生を歩むことを困難にするのは間違いない。想像もつかないような、色々な困難に見舞われるはずだ。

 

 弥生は事あるごとに、ミオリを見かけた公園を今でも訪れている。いないことはわかっている。そこに行くことで、あの少女との再会が現実のものであったということを思い起こして、安堵感にほだされたいだけなのかもしれない。それでも一方で、彼女が子供の姿をしていたという非現実的な光景を目にした自分を信じきれないでいる。確信が日毎に薄れ、本当はあれは夢だったのではないかと思ってしまうことさえある。


 一枚だけ残っていたミオリの写真を引っ張り出して、これまでに何度か聞き込みをした。向日葵をバックにしているので夏の写真だろう。麦わら帽子を被ったミオリは快活に、それでいて淑やかに笑っている。気にかかることが無いといえば嘘になる。探さないほうがいいのかもしれない。ただ、昔の友達と会って話したい。今もその思いだけは揺らいでいなかった。

 ミオリのことを知っている人に会えたことは無い。そして、「知らない」と言われれば言われるほど、無性に心苦しくなって、四、五人に話を聞いたところでいつも聞き込みをやめてしまう。そんなことを繰り返している。彼女がこの世に存在することを、自分以外に誰も知らないのではないか? そんな思いが募るばかりだった。


 ダメだ。

 こんなんじゃダメだな。私の傷なんかいくらでも増えていいけど、ミオリがあの可憐な笑顔を浮かべられていないのだとしたら、それは不公平だ。


 そうして今日も、弥生は彼女を探しに歩く。

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