最終話 いつまでも、どこまでも

 ヘルモーズ帝国の首都バルドル。

 その郊外にある墓地を、ヨハンはテストと二人で訪れていた。


 生前クオンが手配を済ませていたのか、墓地にはすでにナイアとイレーヌの墓が建てられていたため、墓地の管理者に頼んで、クオンの墓はナイアたちの墓の隣に建ててもらうことにした。


 世界連合軍との大戦によって大勢の帝国兵が死んだ影響もあるが、そもそも一朝一夕で墓が建つわけもないので、ヨハンとテストは二週間ほどバルドルに留まり、クオンの墓が出来上がるのを待つことにした。

 その間、バルドルに駐留していた世界連合軍の手伝いをしたり、敗戦を知った帝国の民の様子をこの目で確かめるために、広大極まるバルドルを見て回ったりしていたため、体感的には短い二週間だった。



 そして――



「お願いします」


 ヨハンは、遺品として回収していたクオンの軽刃媒体ブレードを、墓地の管理者である老爺に渡す。

 老爺はからの棺に軽刃媒体ブレードを納めると、蓋をしてクオンの名前が刻まれた墓の下に埋葬した。

 埋葬と祈りを済ませると、老爺は一礼してからヨハンたちの前から去っていった。


 ヨハンとテストは摘んできた花を、クオン、ナイア、イレーヌ――全員の墓に供え、黙祷を捧げる。


 ヨハンを瞑目しながら、ただひたすらに祈った。


 どうか安らかに。


 そして願わくば、三人一緒にいられますように。


 無心に、それだけを祈った。


 時間も忘れて祈り続け……ゆっくりと瞼を上げる。

 どうやらテストの方が先に黙祷を終えていたらしく、ヨハンが瞼を上げるとすぐに声をかけてきた。


「終わったのかい?」

「……ああ」


 ……然う。


 終わった。


 僕の復讐が。


 その事実を前に湧いてくる感情は、仇を討ったことへの喜びでもなければ、仇を討っても死んだ人間は生き返らないという虚しさでもない。

 

 仇を討ったことを喜ぶには、僕はあまりにも彼女を愛しすぎていた。


 仇を討ったことを虚しく思うには、僕はあまりにも多くの人と繋がりすぎていた。


 だから、


 ただ、終わった――その言葉だけしか湧いてこなかった。


「行こう、テスト」

「もう、いいのかい?」

「別れの挨拶自体は、彼女が前に充分できたから」

「……そうか」


 こちらから少し視線を外しながらも、テストはその一言だけで済ませてくれた。

 お互いの復讐を終えて以降、テストが、ヨハンとクオンの間に何があったのかについて、ヨハンの復讐の結末について訊ねてきたことは一度もなかった。


〝視〟る力に秀でているがゆえに、みだりに他人の心に踏み込むような真似は決してしない彼女らしいと思う一方で、気になっているくせに全く訊ねようとしないのは、少々いじらしいともヨハンは思う。


 クオンの最期については、少なくとも今は、誰にも話すつもりはない。

 けれど、クオンとあったらしいテストにはせめてこれくらいはと思い、彼女の最期の言葉を伝えることにした。


「それに、クオンは最期にこう言っていたからな。『いつか、また』……と」

「……そうか」


 テストは先程全く同じ一言を返す。

 先程よりも、わずかに震えた声音で。


「『いつか、また』……か。そんな風に言えたなら……彼女は……きっと……」


 テストの双眸からポロポロと涙が零れるのが見えて、さしものヨハンも狼狽してしまう。

 グラムの騎士として男で在り続ける必要があったことも手伝ってか、こうもはっきりとテストが落涙しているところを見たのは、ヨハンも初めてだった。


「……すまない……大丈夫……すぐに収まるから……すまない……」


 なぜか何度も謝られてしまい、かえって肩身の狭さのようなものを覚えるヨハンを尻目に、テストは何度も何度も涙を拭う。

 目の周りが真っ赤になるほどにまで拭ったところで、ようやく涙が止まったテストは「これだけは聞かせてくれ」と前置きしてから、こう訊ねてきた。


「クオンは最期、幸せそうにしてたかい?」


 おそらくは「いつか、また」という、クオンの最期の言葉を聞いたからこその問いだろう。

 どこか「そうであってほしい」という願望も入り混じったテストの問いに、ヨハンはわざとらしいため息をついてから迂遠に答えた。


「人の気も知らない程度にはな」

「……そうか……そうか」


 またしても先程と全く同じ言葉を繰り返しながらも、嬉しげに、寂しげに、淡く微笑む。


(もしかしたら、テストはクオンと……)


 友人に近い関係にあったのかもしれない――ふと、そんなことを思う。

 それならば、クオンの〝あの発言〟も腑に落ちると考え……ヨハンは疲れたように眉間を摘まんだ。

 さすがに、状況で〝あの発言〟について考えたくはない。


 そんな思いもあってか、ヨハンはさっさときびすを返し、


「もういい加減行こう、テスト」

「え? あ……ああ」


 さしものテストも、どうしてヨハンがクオンたちの前からさっさと立ち去ろうとしているのかは〝視〟えなかったらしく、足早に去っていくヨハンの背中を、困惑しながらも追いかけた。


「ところで、ヨハン。これからどうするんだい?」


 隣に並んだところで、そんな質問を投げかけてくる。

 ひとまずは、ストレイトスさんのところに戻る――と、答えるつもりだったが、彼女がもう少し先の〝これから〟について訊いているように〝視〟えたので、答えを変えることにする。


「できれば、帝国の情勢が落ち着くところまで見届けたい。だからもうしばらくは、ストレイトスさんの手伝いをするつもりだ」

「……その後は?」


 わずかな沈黙を挟んでから、なぜか、どこか、意を決した様子で訊ねてくる。

 それが意味するところを特段考えなかったヨハンは、懐から短銃媒体ピストルを取り出し、


「まずはコークス王国に戻り、ミーミルにいるレティアに短銃媒体こいつを返すつもりだ。それからブリック公国に戻って、皆に帝国を打ち倒したことを報告して、カルセルを弔った後は……」


 知らず、言葉が途切れてしまう。


 カルセルの最期については、ガイから聞いている。

 自分ごとシエットを殺すことを他ならぬカルセルが望んだ以上、ヨハンも、そのことについてガイにとやかく言うつもりはない。

 そもそもガイが、仲間の死を利用してまで敵を討つなどということを、自ら進んでやるような人間ではないことは、ヨハンも知っている。


 ただ……


 友が死んだ哀しみは、どうしようもなかった。


 クオンの死は、最後の最期で再会の約束をしたこともあって引きずらずに済んでいるが、カルセルの死は、クオンと違って最期の瞬間に立ち合っていないせいもあってか、いまだに引きずっていた。

 けれど、いつまでもこんなザマでは、それこそカルセルに心配されてしまいそうなので、


「……カルセルを弔った後は、ブリック公国の再興に尽力したいと思っている」


 彼へのメッセージという意味も込めて、〝これから〟の行き着く先であり、の始まりとなる答えを、テストに返した。


「国の再興か。完膚なきまでに故国くにを滅ぼされてしまったボクからしたら、羨ましい話だね」


 テストの故国であるジンクリット公国は、帝国の国崩しによって滅んだという話はヨハンも聞いている。

 国の中枢である公都を失いながらも、今もなお町や村単位で秩序を保ち続けている――この情報はルドマンが教えてくれた――ブリック公国とは違い、ジンクリット公国はもはや再興の目すら残されていない。

 そのことを失念していたヨハンは、歩きながらもテストに向かって頭を下げた。


「すまない。少し無神経だった」

「謝られるほどのことでもないよ。だから――……」


 と言いかけたところで、なぜかテストは言葉を切り、急に我に返ったようにハッとしてから、しどろもどろ言葉をつぐ。


「で、でも……そうだね……キミが本当に悪いと思ってるなら……」


 そしてなぜか、注視しなければわからない程度に頬を紅潮させながら、訥々とこんなことを提案してくる。


「ヨハン……キミに〝シルフェンワルツ〟用の派生魔法パージを創ってもらうという話になった時……埋め合わせをさせてもらうって、ボクが言ったことを覚えているかい? あの時、キミは必要ないって言ったけど……それじゃあボクの気が済まないから……その……ゼクウおじいちゃんへの報告が終わったら……キ、キミの……て、手伝いをしに行っても……いい……かな……?」


 どうして手伝ってくれる?――などと、空気を読まない問い返しは、さすがにしなかった。

 代わりに、クオンの〝あの発言〟を思い出してしまう。



『と・に・か・く、くっつくならテストさんと。いいですね?』



 あの時は、どうしてクオンがあんなことを言ってきたのかまるで理解できなかったが、今は否応なしに理解できてしまった。

 女同士、ちょっと色々ありまして――とクオンは言っていたが、さすがにこれは色々ありすぎだろうとヨハンは思う。


(本当にひどい女性ひとだな。君は)


 心の中でクオンに文句を言いながら、心の中で嘆息する。


 僕がまだ、君のことを忘れられないとわかった上で、


 テストが僕に感情を抱いていることをわかった上で、


〝あんな発言〟をする。


 心の底から、本当に、ひどい女性ひとだと思う。


 けれど、だからこそ、まだしばらくは忘れられそうにない。


(けれど、だからといってそれが、を突き放す理由にはならない)


 そう思ったヨハンは、一つ息をついてからテストに向かってこう答えた。


「そういうことなら――――…………」



























































































 瞼を上げると、真っ青な空が視界いっぱいに拡がっていた。

 妙に記憶が曖昧で、どうしてわたしはこんなところに寝ているのだろうと思いながらも身を起こす。

 どうやらわたしは草原の真っ只中で寝ていたらしく、周囲を見回しても、青と緑以外の色彩を見つけることはできなかった。


 天上にしては殺風景だけれど、冥府にしては穏やかすぎる空間――と思ったところで疑問に思う。

 なぜ今わたしは、天上や冥府といった言葉が頭をよぎったのだろうと。



「お姉ちゃん」



「●●●様」



 背後から、わたしを呼ぶ声が聞こえてくる。

 わたしとソックリな女の子の声と、笑っちゃうくらいに抑揚のない大人の女性の声。

〝妹〟と〝お姉さん〟が呼んでいるとわかったわたしは、先程周囲を見回した時は人の影なんて一つも見当たらなかったことを綺麗さっぱり忘れて、すぐさま振り返る。


 いつものブリオー姿の〝妹〟と、いつものメイド服姿の〝お姉さん〟がのを見て、わたしは心を弾ませながらも駆け寄り、


「えいっ」


 両手で思い切り、二人を抱き締めた。

 なぜか、もう二度と離さないと強く強く思いながら。


「も~う、お姉ちゃん苦しいよ~」

「そうでしょうか? ワタクシはもっと強くされても構わないくらいですが」


 元気な二人の声を聞いていると、なんだか泣けちゃうくらいに嬉しくなったので、〝妹〟の抗議は無視し、〝お姉さん〟の要望に従って、二人をギュ~っと抱き締めた。


 さすがに本当にもう二度離さないというわけにはいかないので、心ゆくまで抱き締めてから二人から離れる。


「も~う、本当に苦しかったんだからね。お姉ちゃん」

「ふふふ、ごめんなさい」

「それより、●●●様。○○○様。そろそろ出発した方がよろしいかと」

「出発って、どこにいくんです?」


 訊ねると、〝お姉さん〟は表情一つ変えないまま小首を傾げた。

 そんなわたしと〝お姉さん〟のやり取りを見て、〝妹〟は「ちっちっちっ」と人差し指を左右に振る。


「『どこに』じゃなくて『どこにでも』……だよ」


〝妹〟の言葉が、不思議なほどストンと肺腑に落ちた。


 そうだ。


 今のわたしたちは、どこにでも行ける。


 どこにでも、三人で一緒に行ける。


 そのことが嬉しくて、たまらないほど嬉しくて、つい笑みを零してしまう。


「そうですね……いきましょうか。三人一緒に」



 いつまでも――



 どこまでも――




 Fin

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