第218話 その後

 ヘイムダル島が半球状の〝何か〟に覆われてから、三日の時が過ぎた頃だった。

 突然〝何か〟が砕け散り、外からは一人として確認できなかった、島に上陸していた世界連合軍と、帝国軍の兵士たちが一斉に姿を現した。


 島内にいた者たちは、突然現世に戻ったことに動揺するも、世界連合軍、帝国軍ともにその隙を突かれることを恐れたのか、すぐに戦闘を再開した。

 異常極まる状況の中、冷静に世界連合軍こちらの形勢が不利であることを、帝国軍側がいやに動揺しているのを〝視〟て取ったストレイトスは、ここが勝負どころだと判断し、ヘイムダル島を包囲していた艦船に乗る全ての兵士に、島にいる味方の援護に向かうよう命令した。

 結果、帝国軍副将リゼルタの必死の指揮も虚しく、帝国軍は本土への敗走を余儀なくされたのであった。


 ヘイムダル島を世界連合軍の新たな拠点として占領した後にわかったことだが、どうやら皇帝ヴィクターは、ヨハンの手で討たれたという話だった。

 皇帝の死体がどこにも見当たらないことから、リゼルタが皇帝討ち死には敵の虚報だと断じ、抗戦を続けたが、皇帝の姿がどこにも見当たらないことに帝国兵たちの間で動揺が拡がり、士気の低下を招いた。

 残存兵力に劣る世界連合軍が、帝国軍を敗走に追いやることができたのも、その影響によるところが大きかった。


 なお、ヨハンが皇帝を討ったという話になっているのは、彼が自分で討ったと言っているのではなく、彼一人だけが皇帝が死んだことを知っていること、現実に皇帝の姿がどこにも見当たらないことから、そういう流れになってしまったがゆえのことだった。

 もっとも、そんな流れになってなお、当人は頑なに「僕が討ったわけではない」と否定しているが。


 そしてそのヨハンの話によると、ヘイムダル島が半球状の〝何か〟に覆われている間、島は〈魂が巡る地ビフレスト〉と〝重なっていた〟とのことだった。

 さらに、島内にいた者たちに〝重なっていた〟のはどのくらいの期間だったのかと訊ね、各々の答えを集計したところ、概ね丸一日という結論に達した。

 それは、島外にいたストレイトスたちが〝何か〟が砕け散るのを待った時間の三分の一に過ぎず、ルナリアの証言どおり、〝何か〟の外と内とでは時間の流れに違いがあったことの証左でもあった。


 最後に、ヨハンは言った。

 ヘイムダル島と〈魂が巡る地ビフレスト〉が〝重なった〟ことによって生じる影響は、と。

 おそらくはもうこれ以上、帝国が超常的な現象を起こすことはないだろうとも。


 ヘイムダル島でしっかりと態勢を立て直した世界連合軍は、本土に攻め入る前に降伏を促す書簡を帝国の首都バルドルに送った。

 これを受けて帝国は、皇弟ユーリッド・ロニ・レヴァンシエルの名のもとに降伏勧告を受け入れた。


 こうして世界連合軍はヘルモーズ帝国に勝利し、帝国は国土の七割を接収されることとなった。



 その二週間後――



「見事にしてやられましたね」


 世界連合軍の旗船。

 その船室に監禁していたはずのルナリアの姿がどこにも見当たらないことに、ヴァーリ連合第一二王子ルドマンは軽く頭を抱える。


「まあ、いくら七至徒といえども、今さらこの状況で事を起こしたところで、やれることはたかが知れてますからね。鳥籠の鳥が逃げたくらいの認識で構わないでしょう」


 他人事のように言うストレイトスに、ルドマンは懐疑的な視線を向けた。


「本当にそうでしょうか? 皇帝の仇討ちくらいのことは、考えてもおかしくないとは思いますが」

「これは私が〝視〟たところの話になりますが、復讐なんてするガラじゃないですよ、彼女は。帝国が負けちゃったし、もう監禁されるのも飽きたから、女の子のいるところにでも行~こおうっと――とか言って、好き勝手に生きる手合いですからね」


 いやに具体的な言い回しをするストレイトスに、ルドマンはますます懐疑的な視線を向けるも、断言した相手が世界連合軍を勝利に導いた総大将だったせいか、もうこれ以上ルナリアについてとやかく言うような真似はしなかった。


「ところで、英雄殿はどちらに?」


 ルドマンの揶揄やゆ抜きの呼称に、ストレイトスは苦笑を浮かべる。


「ヨハンくんならテストくんと一緒に、の墓を建てに行きましたよ。というかその呼び方、本人は心底嫌がってましたよ」

「当人は否定していますが、状況からしてヨハン殿がの皇帝を討ち果たしたのは明白。それに、ヘイムダル島と〈魂が巡る地ビフレスト〉が〝重なった〟状況を元に戻したのもヨハン殿の力によるもの。英雄という呼称以外に、彼を表現できる言葉はありませんよ」


 淡々と断言するルドマンに、ストレイトスはここにいないヨハンに代わってため息をつく。


「ヨハンくんを担ぎ上げることで、あわよくばさらに王位に近づこうとか考えてませんよね?」


 今回ルドマンは世界連合軍を主導したことにより、ヴァーリ連合王国内において、王位継承権第一二位という立場を超えた地盤を固めることに成功した。

 それゆえの質問だった。


「さすがに、そこまでは考えていませんよ。ただ、〝種〟を撒いておいても損はないと考えているだけです」


 事もなげに言うルドマンに、ストレイトスはヨハンに代わってではなく、自らの意思でため息をついた。

 やはりこの方は持ち前のしたたかさゆえに、ヴァーリ国王に最前線に立つことを許されたのだと確信しながら。


 そうこうしている内に、こちらに駆け寄ってきたルドマンの従者が慇懃いんぎんに告げる。


「殿下。そろそろ向かわれた方がよろしいかと」

「そうですね。……ストレイトス殿。ルナリアの件も含めて、後のことはお願いします」

「はい。ルドマン殿下こそ、お気をつけて」


 その言葉は社交辞令ではなく、真実ルドマンを心配して言ったものだった。


 ルドマンはこれから帝国本土に赴き、和平に向けて皇弟ユーリッドと会談することになっている。

 あの怜悧な皇弟が、会談の場でルドマン暗殺などという短慮に走るとは思えないが、それはあくまでも推測であって絶対にないとは言い切れない。


 まだ噂の域だが、降伏を承服していない一部の帝国軍将兵が、反撃の機会を虎視眈々と狙っているという話もある。

 その噂が影響してか、ルドマンもユーリッドも互いに軍の人間は同席させない方向で会談を組んだため、護衛としてストレイトスが同席することもできない。

 こうなってしまった以上、何も起きないことを祈るしかない。


「私の心配はいりませんよ。殺されたところで、帝国を完膚なきまでに叩き潰す口実を得られるだけですから」

「ルドマン殿下。さすがに私でも、その冗談を笑うのは難しいですよ」


 さしもの、ストレイトスも呆れた声音で言ってしまう。

 従者の顔が、これ以上ないほどに引きつっているのが〝視〟えている分、余計に。


「とにかく、私の心配はいりません。帝国がこの状況で下手を打ったり、〝下〟の者の暴走も抑えられないような愚鈍な国であったならば、世界連合軍を組織するまでもなく、ヴァーリ連合の力だけで潰すことができたでしょうから」


 一理あると思ったストレイトスは「確かに」と、首肯を返した。


「それでは、私はこれで」


 そう言って廊下を歩き去っていくルドマンに、ストレイトスは頭を下げる。

 ルドマンの姿が見えなくなり、頭を上げたところで、


「で、ルナリアが消えたの、実際のところどうなんすか?」


 廊下の角から姿を現したガイが、そんなことを訊ねながらもこちらに歩み寄ってくる。

 晴れて《グラム騎士団》に戻ってきたガイは、騎士団の象徴たる真白い騎士服を身に纏っていた。


「盗み聞きとは感心しないな、ガイくん」

「たまたま通りかかったら、ちょっと気になる話が聞こえてきたもんで、つい」


 悪びれずに言うガイに、ストレイトスは「やれやれ」と、わざとらしくかぶりを振る。


「ルナリアくんに関しては、彼女が逃げる気マンマンでいるところを見なかったことにしただけだ」

「それ、単に見逃したってことじゃないっすか?」

「それは少し違うぞ、ガイくん。俺が見逃したのは彼女が逃げる気マンマンでいたことであって、彼女が逃げる瞬間を見逃したわけではない」

「屁理屈にしてもひどくないっすか、それ」

「そう言うな。あの見た目と言動からは想像もつかないだろうが、あれで彼女、だいぶ情に厚いタイプのようだからな」


 その言葉だけで得心したのか、ガイは乱雑に頭を掻いてから、こちらが言わんとしていたことを言い当てる。


「要は、戻って来ないことを承知した上で、ルナリアが主君と仲間を弔いに行くのを許したってことっすか」


 そして、言い当てられたからこそ、ストレイトスは見えない目を丸くした。


「本当に、〝視〟違えるほどに成長したな。ガイくん」

「なに年寄りみてぇに、しみじみ言ってんすか」

「しみじみ言いたくもなるさ。しかし、そうだな……このまま順調に成長してくれるなら、次の騎士団長にガイくんを推すのも、悪くないかもしれんな」

「マジっすかッ!?」


 思わずといった風情で喜色の声を上げるガイに、ストレイトスは底意地の悪い笑みを向ける。


「だがまあ、その言葉遣いをどうにかしないことには、騎士団長への道は遠そうだがな」

「んぐ……ッ」


 と、ガイは口ごもる。


「善処はするっす――……します」


 続けて出てきた言葉もこのザマだから、騎士団長への道は本当に遠そうだとストレイトスは思う。


「ところで、君は二人について行かなくてよかったのか?」

「何のことっ……ですか?」


 露骨なまでにすっとぼけた上に、慣れない敬語を使おうとしておかしな発音になってしまっているせいで、こらえきれなくなったストレイトスはとうとう噴き出してしまう。


「言葉遣いについては追々でいい。いきなり無理して直す必要はない。でないと、面白すぎて話が進まんからな」


 からからと笑うストレイトスの言葉どおり、言葉遣いを無理に直そうとしたせいで珍妙な言い回しになっている自覚があるのか、ガイは羞恥と屈辱でプルプル震えるだけで反論は一つも返さなかった。


「あと、すっとぼけるにしても、もう少し自然にやれるようにしないとな。騎士団長ともなると、腹芸を求められる場面も少なくない。特に、副騎士団長を相手にする時とかな」

「それ、ラムダスの旦那の耳に入ったら軽く一時間は説教されるっすよ」


 開き直って言葉遣いを戻すガイに、常時開き直りっぱなしのストレイトスは、ほくそ笑みながら肩をすくめる。

 つくづく、副騎士団長の苦労がしのばれる。


「……さっきの二人について行く云々の話っすけど、ストレイトスの旦那なら皆まで言わなくてもわかってるだろうから言うっすけど、クオンはカイの仇だ。その仇の墓をこさえに行くなんざ、願い下げもいいところっすよ」


 然う。

 ヨハンとテストは今、クオンの墓を建てるために帝国首都バルドルに赴いていた。


 確かに、カイを殺されたガイにとっては願い下げな話だが、同じくクオンを仇としていたヨハンが彼女の墓を建てようとしていることについては、ガイは文句をつける素振りすら見せることはなかった。


 おそらくは、ヨハンとクオンの間にある事情を多少なりとも知っているか、あるいは察しているからだろうと、ストレイトスは思う。

 同時に、こうしてガイが人の心の機微を汲んでいる事実に、改めて彼の成長を感じる。


「まぁ、クオンはともかく、は世話になった相手っすからね。そっちに関しちゃ、そのうち墓参りくらいはするつもりっす」

「そうかそうか。ガイくんもすっかり立派になって……お父さんは嬉しいよ」

「誰がお父さんっすか」


 ジットリとした視線を向けるガイを無視して、ストレイトスは何の気なしに話題を変える。


「しかし、テストくんがヨハンくんについて行ったのは、もう隠す気もないのか、それとも逆に自分の想いを認めていないからなのか」

「魔法士の野郎は左腕がねぇから、その護衛のためについて行っただけっすよ。それにテストは、クオンとの間に色々あったみたいっすからね」


 いやに早口に反論するガイを〝視〟て、ストレイトスは秒で察する。


「どうやら、女性の口説き方についても指南する必要がありそうだな」

「はぁッ!? 何の話っすかッ!?」


 素っ頓狂な声を上げるガイをよそに、ストレイトスは再びからからと笑った。

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