第217話 全てが終わり、
胴を斜十字に斬り裂かれたヴィクターは、よろめきながらも後ずさった末、片膝を突く。
それでもなお倒れようとする体を支えるように、光剣を地面に突き立てた。
「まさか、どちらも止まらなかったとはな」
その言葉は、左腕を千切り飛ばされたヨハンと、愛しい人の腕が千切れ飛ぶ様を目の当たりにしたクオン――二人に向けて言った言葉だった。
「はぁ……はぁ……当然だ……」
肩で息をしながら、決然と言い放つヨハンとは対照的に、
「……ぅ……っ……」
生身だったならば間違いなく涙に流していたであろうクオンは、表情を悲痛に歪めながらも、聖属性の力を応用することで掌を高熱化し、腕が千切れ飛んだヨハンの傷口を必死に灼き切っていた。
その激痛は腕を千切り飛ばされた瞬間をも超えていたが、これ以上クオンに心配をかけたくない一心で、できるかぎり平然なフリをした。
「……ッ」
いよいよ断刃を維持する力すらなくなったのか、地面に突き立てた光剣が、刎ね飛ばされた左手がいまだ握り続けていた闇剣が、崩れるようにして消滅する。
ヴィクターは絶対に地には伏さんと言わんばかりに、右手を地面につき、気力だけで己を支えた。
それどころか、
「なッ!?」
「!?」
ヨハンとクオンが驚愕するのをよそに、ヴィクターは立ち上がった。
半ば反射的に二人は身構えるも、
「案ずるな。さすがに
ヘルモーズ帝国の皇帝としての矜持か、地面に血溜まりができるほどの出血をしてなお、声音には苦悶の欠片も滲んでいなかった。
この場にいる全員が与り知らぬ話だが、苦悶を感じさせない物言いといい、負けを認める言葉といい、今のヴィクターは奇しくもグランデルの
一歩、また一歩と後退しながら、ヴィクターは言葉をつぐ。
「個人的には褒美の一つや二つくれてやるのも
〝島〟の
「当然、
ヨハンはヴィクターの言わんとしていることを察して駆け出そうとするも、その時にはもう全てが遅かった。
ヴィクターは倒れるようにして、背中から闇色の空に落ちていった。
「冥府から見届けさせてもらうぞ。我が帝国と、貴様ら〝世界〟の戦いの行く末をな」
その言葉を最後に、ヴィクターの体の内から
クオンに寄り添ってもらいながらも〝島〟の縁に駆け寄り、爆発の余韻が残った空間を見下ろしながら、ヨハンは思う。
あるいは、自爆に僕たちを巻き込まなかったことが、
「……ヨハン。すみません」
ヴィクターが逝った空間を見下ろしながら、クオンは謝る。
続く言葉がわかっていたヨハンは、わざとらしくため息をついてから彼女が言わんとしていることを言い当てた。
「皇帝に黙祷を捧げたい――そう言いたいんだろう?」
「……すみません」
こちらの心中を
人の心情を
ヨハンにとってヴィクターは、言ってしまえば復讐の元凶となった人物。
そんな相手に黙祷など捧げてほしくないというのが本音だが、クオンにとってヴィクターは主君であり、それゆえに何かしらの恩義があったのかもしれない。
そのことを思うと、どうしても、彼女に拒絶の言葉を返すことができなかった。
黙祷を捧げるクオンをしばし見守っていたが、
「……!」
唐突に目眩を覚え、倒れそうになる。
「ヨハン!」
気配だけでこちらの異常に気づいたのか、クオンが黙祷を切り上げて体を支えてくれた。
いくら傷口を灼いたとはいっても、腕一本千切れた際に流れた血の量は決して少なくない。
その前にも、クオンとの戦いで左脇腹を貫かれ、かなりの量の血を失っている。
いずれも、意識を失った方がマシだと思えるほどの激痛を訴えてきているのは言に及ばない。
正直もう、立っているだけでやっとの状態だった。
「大丈夫……じゃないですよね……」
罪悪感に押し潰されそうな顔をしながら、クオンは言う。
左脇腹の傷も含め、クオンがヨハンにつけた傷は決して浅くない。
しかしそれを言ったら、クオンを殺してしまったヨハンは、罪悪感という点においては彼女の比ではない。
だから、
「お互い様……ということにしておいてくれ」
「……はい」
まだ少し納得できないように、それでいてどこか救われたように、クオンは短い返事をかえした。
そこから先は、沈黙が続くばかりだった。
クオンを聖属性の
ゆえにクオンはいずれ、消えてしまう。
おまけにクオンは、ヴィクターにヨハンを殺されたくないという未練のもとに蘇った。
その未練がなくなってしまった以上、クオンはいつ消えてもおかしくない。
クオンに消えてほしくない――そう思う自分がいる一方で、そんなことを思ってしまう自分が許せない自分がいる。
結局、最後の最後まで矛盾した想いを抱えている自分に、自嘲を覚えずにはいられなかった。
自分を嘲ってなお、クオンを愛したいという想いも、クオンを許せないという想いも、改める気にはなれなかった。
「ヨハン」
名前を呼ばれ、我に返る。
振り向くと、クオンは、哀しさと、嬉しさと、寂しさと、喜ばしさが、
「このままだと、言いたいことも言えずにお別れになっちゃいそうですから、言いますね」
そんな前置きをしてから、クオンは意を決したように言葉をつぐ。
「ヨハン。どうか幸せになってください」
クオンの言わんとしていることがわからず、一瞬眉をひそめてしまうも、
「幸せになって、ちゃんとおじいちゃんになるまで生きてください」
微笑みに混じっていた、寂しさという感情が強まるのが〝視〟えた瞬間、彼女の言わんとしていることが理解できた。
「それが、君の望みなのか?」
クオンは、コクリと首肯を返す。
「さすがにヨハンも、もう復讐する相手なんていないでしょう?」
「いない……が、まだ帝国そのものが残っている。復讐は終わっても、戦いはまだ終わっていない」
「それはわかってます。だから、ちゃんと帝国にも勝って、戦いが終わったら、ヨハンには幸せに生きてほしいんです」
「言いたいことはわかったが……いくら皇帝をこの手で殺したとはいっても、帝国は君の故郷だろう? それなのに、帝国の負けを望むようなことを口走るのは、正直どうかと思うが」
「今さらですよ。だって、わたしは――」
一転、クオンは楽しげに、イタズラっぽい笑みを浮かべた。
「――本当にひどい
クオンを
そんなヨハンを見て、クオンはクスクスと笑った。
「あっ、でも、幸せになってくださいとは言いましたけど、テストさん以外の人とくっつくのは、わたしは許しませんからね」
ここでまさかテストの名前が出てくるとは思わなかったヨハンは、
彼女が女性だと知ってたのか!?――と、声に出しそうになるも、よくよく考えたらクオンの〝妹〟であるナイアと、そのメイドであるイレーヌは、テストが女であることを知っていたことを思い出し、出かけた言葉をどうにか嚥下する。
代わりに、別の疑問を投げかけることにした。
「テストと、知り合いだったのか?」
「はい。女同士、ちょっと色々ありまして」
意味深な物言いと、イタズラっぽい笑みが深まるのを見て、「色々」について訊ねたところで、まともな答えは返ってこないことをヨハンは悟る。
「……先に断っておくが、僕とテストは君が思っているような関係ではない」
「知ってますよぉ。わたしが言っているのは、これからの話ですから」
そんな風に言われたら言われたで、少し釈然としないものを覚える。
まるで、男としての甲斐性がないと言われているような気がしたから。
「と・に・か・く、くっつくならテストさんと。いいですね?」
どうしてテストにこだわる?――と聞いたところで、結局「色々あった」で誤魔化される予感しかしなかったヨハンは、諦めたようにため息をついてから答えた。
「この先どうなるかなんて皆目見当もつかないが、心には留めておく」
「……まぁ、いいでしょう。今のところはそれで」
クオンは少し釈然としない顔をしながらも、こちらの真似をするように、諦めたようにため息をつく。
そして、楽しいお喋りはここまでと言わんばかりに、虚空に浮かぶ漆黒の円――〝門〟に視線を移した。
「ヨハンは、この〈
ヴィクターは〝門〟を利用して、天上や冥府に逝った魂をも人工
ヴィクターが死んだとはいっても、帝国という国の強大さを考えると、その野望を引き継ぐ人間がいると見て然るべきだ。
今の〝門〟がクオンの言うとおり開いている状態ならば、確かになんとかする必要がある。
ただ一つ気になるのが、
「〝門〟を閉める方法、知っているのか?」
半ば予想していたことだが、クオンはゆっくりとかぶりを振った。
「ですが、
「そんなことをしたら、最悪そのまま天上か冥府に逝くことになるぞ」
いつの間にか、クオンの言葉を遮ってまでそんなことを口走る自分に気づき、ハッとする。
クオンは心配してもらえたことを喜ぶように微笑みながらも、自嘲まじりに言った。
「やっぱりヨハンは、優しすぎるくらいに優しいですね」
「……そんなことは、ない」
「そんなことはありますよ。現にわたしのこと、心配してくれてますし。それに……わたしがどう足掻いても天上には逝けないこと、わかってますよね?」
ますます自嘲的に言うクオンを前に、口ごもってしまう。
クオンは、人を殺しすぎた。
あまりにも……そう、あまりにも、人を殺しすぎた。
そんな人間が天上に逝ける道理など、あるはずもない。
だけど、
「それを言ったら僕も同じだ。僕だって、間違っても天上には逝けない程度には大勢の人間を殺している」
その言葉に、クオンは一瞬意外そうな顔をして……すぐに愛おしげな笑みを浮かべた。
「ほらやっぱり。ヨハンは優しすぎるくらいに優しいじゃないですか」
嬉しそうに言われたせいもあってか、今度は否定の言葉を返すことができなかった。
「とにかく、〝門〟はわたしがどうにかします。だからヨハンは……」
「何度も言わなくてもわかっている。現世と〈
言いながら、ヴィクターとの戦いによって所々削れられた、〝島〟の中央に描かれた魔法陣を見やる。
「僕の方はヒントが残っている。これでどうにかできないようでは、父上の子としては名折れもいいところだ」
「ですね」
クオンは
〝門〟の方に向かって。
これで、全てが終わる。
然う。全てが。
その事実に哀しみや寂しさを抱くよりも先に、彼女は本当にそれでいいのかという疑念が、心の底から湧き上がった。
湧き上がったから、気がつけば、彼女の背中にこんな言葉を投げかけていた。
「クオン……最後に、僕に何かしてほしいこととかは……ないか?」
思わずといった風情でクオンは立ち止まり、こちらに振り返る。
表情にはなぜか驚きと哀しみが入り混じっていたが、すぐに嬉しげな、本当に嬉しげな笑みに変わり、わざとらしく悩む素振りを見せながら言う。
「してほしいことですか。そうですねぇ……キス――」
その言葉に、一瞬体を硬直させてしまう。
そんな反応を楽しむように、クオンはニマニマ笑いながら続ける。
「――は、もうしちゃいましたし、こんな体じゃ有り難みも少ないですから……」
ねだるように、クオンは浅く拡げた両手を前に差し出した。
「ギュっと抱き締めてください」
「……それも、その体だと有り難みが少ないんじゃないか?」
「それはそれ。これはこれです」
ニッコリとクオンは笑う。
君がそれでいいならと、ヨハンはクオンに歩み寄り、背中に両手を回し、ギュっと抱き締める。
クオンも、同じように背中を回して抱き返してくれた。
「ヨハン、知ってます?」
「何を?」
「わたし、ヨハンにこうされるの、すっごく恥ずかしかったんですよ」
「知ってる」
「でも、ヨハンにこうされるの、すっごく大好きだったんですよ」
「それも知ってる」
「ヨハン……」
背中に回っていたクオンの手が、離れる。
ヨハンもまた名残惜しげに彼女の背中に回していた手を離し、ゆっくりと体も離す。
クオンは別れの哀しみを振り払うように、笑顔を浮かべながらこう言った。
「いつか、また」
その言葉は、ヨハンがこの戦いに赴く前に、テスト、カルセル、ガイの三人と交わしたものと同種の言葉だった。
そのことに奇妙な縁と、喜びにも似た感情を覚えたヨハンは、全く同じ言葉を彼女に返した。
「ああ。いつか、また」
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