第216話 死力の果てに

「来ます! ヨハン!」


 クオンは叫びながらも、光剣と闇剣あんけんを手に突っ込んでくるヴィクターに、自らも突っ込んでいく。


 互いの刃が届く間合いに到達するまでの刹那、クオンは思考する。

 ヴィクターが、光の剣と闇の剣――両方を具象させた理由について。


 聖属性が澱魔エレメントを筆頭とした生なき者に、闇属性が人間を筆頭とした生なる者に絶大な効果を発揮することは、クオンもっている。

 だが、今の自分が聖属性の澱魔エレメントである以上、同じ属性の攻撃が他の澱魔エレメントと同じように絶大な効果を発揮するとは思えない。

 そのことを鑑みれば、光の剣と闇の剣を別々に具象するよりも、闇の剣を二本具象させた方が戦術的には正しいと断言できる。


(ということは、闇の剣には、光の剣のような遠距離から直接的に攻撃する手段はないと見て間違いないですね。けれど闇の剣には、遠距離攻撃ができないデメリットを補って余りある特性がある。そしてその特性は――)


 ――魔力を喰らうこと。


 そう確信しながらも、闇剣を持つ左腕目がけて、逆手に持った右の光刃を弧を描くようにして振るう。

 当然のように反応したヴィクターが闇剣で光刃を受け止めて――喰らった。


「……っ!?」


 予想をはるかに上回る暴食ぶりに、戦闘中にもかかわらずクオンは悲鳴を漏らしそうになる。

 ヴィクターに指摘されたとおり、今のクオンは化粧――狂気の〝仮面〟を被っておらず、ありのままのクオン・スカーレットとして、ヨハンと一緒に戦っている。

 悲鳴を漏らしそうになったのも、それゆえだった。


「クオン!」


 ヨハンは叫びながらも、残っている光球をヴィクターに向かって三つまとめて飛ばし、それと入れ替わるようにしてクオンは飛び下がる。


「〝パージ〟!」

 

 続けて、詠唱を省略した派生魔法を唱え、ヴィクターに肉薄した光球を自爆させるも、轟速で振るわれた闇剣が刹那に三つ全てを喰らい尽くし、不発に終わってしまう。


「大丈夫か?」


 心配の声を上げてしまったことを今さらながら複雑に思っているのか、ヨハンは、こちらに突っ込んでくるヴィクターに視線を固定したまま、先よりも感情を殺した声音で訊ねてくる。


「大丈夫です」


 澱魔エレメントらしく喰われた右手を再生しながらも、目配せ一つでクオンは右に、ヨハンは左に散開。

 クオンは具象させた鞭刃で、ヨハンは〝ウィルオウィスプ〟を再発動しながらもの銃撃で、挟撃を仕掛ける。


 ヴィクターは鞭刃を闇剣で喰らい、弾丸を光剣で斬り散らすと、やはりというべきか、近接戦においてはこの場で最も劣るヨハンを狙いを定め、地を駆ける。

 その行動を読んでいたクオンは、鞭刃を光刃に変じさせ、機動力の差を突いて背後からヴィクターを強襲する。が、読んでいたのは向こうも同じだったらしく、振り向きざまに放った闇剣の横薙ぎを、クオンはすんでところで身を沈めてかわした。


 結果的に、闇剣を攻撃に使わせることに成功した。

 ここぞとばかりに、クオンは反撃に転じようとするも、


「!」


 続けざまに振るわれた光剣の斬り上げを、またしてもクオンはすんでのところで横に飛んでかわした。

 だが、ヴィクターの猛攻はそれだけでは終わらず、クオンの足が地面に着く前に、闇剣で刺突を繰り出そうとする。


 まずい――と思いながらも、一か八か両の光刃を交差させて、刺突を受け止めようとしたその時、


「!」


 ヨハンが横合いから、こめかみを狙って発砲してきたため、ヴィクターは刺突を中断し、上体をわずかに仰け反らせることで銃撃を回避。

 結果、クオンは事なきを得る。


(また、ヨハンに守ってもらえた……!)


 思わず、心の中で喜色の声を上げてしまう。


 相手はグランデルに勝るとも劣らぬ怪物。

 一瞬の気の緩みが命取りになるとわかっていても、どうしても、ヨハンに心配してもらえたり守ってもらえたりしている今の状況が、嬉しくて嬉しくて仕方なかった。


 だけど、だからこそ強く思う。


 ヨハンのために、皇帝陛下を倒さなければならないと。


〝妹〟が死んだことで、帝国に与する理由はなくなった。

 ヨハンに殺されたことで、それで全てが許されたなんて思ってはいないけど、少なくとも、こうして隣に立って戦うことは許してもらえた。

 だから気兼ねなく陛下に刃を向けられる――などと思えるほど、今や完全に〝仮面〟を脱ぎ捨てたクオンにはできそうになかった。


 わたしが人としてどうしようもないほどに狂っているせいか、陛下に恩義を感じたことは一度もない。

 けれど、わたしが人としてどうしようもないほどに狂っているとはいっても、こうして陛下に刃を向けることがどれほどの不実であるのかは、さすがに理解している。


 でも、それでも、わたしは陛下に刃を向けることを選択した。

 だって、〝妹〟と〝お姉さん〟はおろか、自分の命すらもなくした今のわたしには、ヨハン以外には何も残っていないから。

 ヨハンには生きていてほしいから。

 だから、陛下に刃を向ける。

 ヨハンが陛下と戦うことを望んだ以上、陛下を倒さないことにはヨハンが生き残る道はないから。

 それこそが、わたしをこの世界に繋ぎ止めている、唯一の未練だから。


(けど、まさかヨハンと二人がかりでも押されるなんて……!)


 ヴィクターの闇剣は体捌きのみでなんとかかわしながら、光剣は両の手に持った光刃でなんとか受け流しながら、心の中で呻く。

 そのヴィクターと同等のグランデルを相手に、かろうじてながらもテストが独力で勝利を収めたことが、心底信じられなかった。


 そこで、ふと気づく。


(そういえば、わたしは知ってて、陛下は知らないんですよね。グランデル老の死を……)


 これも因果の為せるわざなのか。

 ヨハンに殺され、魂となって〈魂が巡る地ビフレスト〉の空を漂っていた時、クオンは偶然テストとグランデルが倒れている場所を通りがかった。

 その際にグランデルの死を知り、テストも死にかけているのはでないかと思って無駄だと思いながらも必死に呼びかけ、さらに偶然通りかかったガイ・イリードの呼びかけも加わったことで、テストは目を覚ましてくれた。


 ガイが背負っていたカルセルが死んでいたように見えて、ありもしない心臓が鷲掴みにされるような痛みを覚えるも、なぜか魂がこれ以上この場に留まることを許してくれなかったせいで、カルセルの安否を確認することはできなかった。

 こうなってしまった以上、死んでいたように見えたのは、ただの見間違いであることを祈るしかない。

 余計な心配をかけさせないためにも、この件はまかり間違ってもヨハンに話してはいけない。


 逆に、陛下はどうだろうか?

 世界を手中に収めた後、グランデル老と死合をする約束をしている陛下が、グランデル老の死を知ったら?


 思い立つや否や、クオンはギリギリの攻防を続けながらも、今のこの時だけは〝仮面〟を被り、ヴィクターにを仕掛ける。


「そういえば陛下、その剣……グランデル老のための、とっておきって言ってましたよねぇ?」


 まさしくその闇剣とっておきの斬撃を紙一重でかわしながら、クオンは続ける。


「そのグランデル老が、負けて死んだと言ったらどうします?」


 刹那よりも短い一瞬、ヴィクターの動きが止まる。

 その隙を突いて、闇剣を握る左手首を右刃で刎ね飛ばそうとするも、


「つくづく生娘だな、貴様は」


 そんな言葉とともに振り上げた闇剣によって、逆にこちらの右手首を刎ね飛ばされてしまう。


「グランデルを倒した者と死合う。ただそれだけの話よ」


 そして悟る。

 刹那未満とはいえヴィクターが動きを止めたのは、こちらの隙を誘う〝釣り〟であったことを。


 クオンといえども、左手一本ではヴィクターの攻撃は凌げない。

 剣の間合いから離れるためにも、右手を再生させる時間を稼ぐためにも、クオンはヨハンを信じて一も二もなく飛び下がった。

 即応したヴィクターが光剣を振り上げて剣閃を放つも、信じたとおりにヨハンが光球を盾にしてくれたおかげで、なんとか危機を脱することができた。


 人の心情をかいするのが苦手な自分が、あろうことか皇帝を相手に心理的揺さぶりを試みた迂闊さを反省しながらも、追撃を警戒して身構える。

 しかしなぜか、ヴィクターは間合いを詰めることはおろか、剣閃による追撃も仕掛けてこなかったので、引き続き身構えながらもヨハンのもとに合流した。


 二人が隣り合うのを待っていたかのように、ヴィクターは言う。


「このままでは埒が明かんな」


 それは、クオンは勿論、ヨハンも思っていたことだった。

 もっとも二人の場合、埒が明かないどころか、このままではジリ貧になることを危惧していたが。


「ゆえに、で終わらせるとしよう」


 直後、ヴィクターの左手に握られた闇剣が、惨烈さんれつなまでの闇を放ち始める。

 光剣と同様、己が魔力を込めることで闇剣の力を最大限に引き出したのだ。


(光の剣は単純に威力が強化されましたが、闇の剣の場合はいったい何が強化され――……)


 不意に目眩のようなものを覚え、ふらつきそうになったところを踏み止まる。


「クオン?」


 と心配してくるヨハンを尻目に、闇剣の何が強化されたのかを理解したクオンは、焦燥を吐き出すように言った。


「ヨハン、気をつけてください。今のの剣は、


 今の自分が、魔力の塊に等しい澱魔エレメントだからこそ得た確信だった。

 クオンの確信を聞いて、ヨハンは目を見開きながらもその手に握っていた短銃媒体ピストルに視線を落とす。


「……そうみたいだな。こうしている間にもう、短銃媒体ピストルの弾倉に込めていたはずの弾丸が全て消滅している」


 短銃媒体ピストルの弾丸一発に必要な魔力は、長剣媒体ソードを筆頭にした光刃の三倍の魔力が必要とされている。

 その弾丸が、ものの数秒の間に喰われてしまった事実に、ヨハンも、指摘したクオンも戦慄する。


 すぐにでも距離をとらなければ――同じ事を考えていたクオンとヨハンは、無言で頷き合い、ヴィクターから距離をとろうとするも、


「先に忠告しておくが、おれから離れれば魔力を喰われずに済むなどとは考えないことだ。この〝島〟くらいの大きさなら、端と端に離れていようが余裕で喰える」


 こちらの思考を先読みしたかのような忠告に、二人揃って踏み止まった。

 他の者が相手ならばブラフの可能性を考慮するが、今クオンたちが相手をしているのは傲岸不遜の権化と言っても過言ではない男。

 そんなつまらない駆け引きを仕掛けてくるような人間ではないことくらい、考えるまでもなくわかることだった。


 ゆえに、で決めるしかない。

 決められなかった場合は、クオンもヨハンも魔力を喰らい尽くされ、ヴィクターの言葉どおりに終わらされてしまう。

 

 だが、


(問題は、わたしたちに決め手がないことですね)


 これまでの戦いで、クオンも、ヨハンも、ヴィクターを倒すためにあらゆる手を尽くした。

 けれど、どれもヴィクターには届かず、渡り合うだけで精いっぱいという有り様だった。


(何か手は……)


 全力で思考を巡らせる中、ヨハンのもとに戻ってきた光球を視界の端に捉える。

 いったいそこにどれだけの魔力が込められているのか、闇剣に魔力を喰われているにもかかわらず、いまだ光球はその形を保っていた。


 こうして見ると、この光球は自分と同じかもしれないとクオンは思う。

 ヨハンの魔法によって生み出された光球は、言ってしまえばヨハンの魔力の塊。

 ゆえに、ヨハンの魔法によって聖属性の澱魔エレメントとして蘇った自分と同じだと――


(……ぁ……)


 ふと、気づく。

 むしろ、どうして今まで気づかなかったのだろうと思う。


「……ヨハン。?」


 その質問だけで全てを察してくれた愛しい人ヨハンは、少し目を見開いてから「ああ」と短く答えた。



 ◇ ◇ ◇



 ヴィクターは、ヨハンとクオンが二、三言葉を交わした後、二人揃って決然とした視線をこちらに向けてくるのを見て、確信する。


「どうやら、最後の一手が決まったようだな」


 その言葉に対し、


「〝ウィルオウィスプ〟!」


 ヨハンは、これが答えだと言わんばかりに六つの光球を具象する。


 クオンは、両の手の中にあった光刃を鮮やかに輝かせ始める。

 こちらの断刃をヒントに、可能な限り光刃に魔力を込めることで、簡単には闇剣に喰われないようにする腹積もりのようだ。


 二人揃って、己が武器を誇示することで返答をかえしてくるヨハンとクオンを見て、ヴィクターはつくづく思う。


(なんとも仲睦まじいではないか。クオンはともかく、ヨハンは仇として帝国本土にまで追ってきた相手だというのに)


 思わず浮かびかけた苦笑を噛み殺す。

 今までの戦いにおいて、クオンにしろヨハンにしろ、互いが互いを守るという点では一貫していた。

 ヨハンの方は何やらそのことに複雑な感情を抱いているようだが、だからといってクオンを守ることに手を抜くような真似は一切しなかった。


 その互いが互いを大切に想う心のおかげで、二人はこうしてヴィクターと渡り合えているわけだが、戦況が膠着しつつある原因もまた、その心ゆえのことだった。


(だからこそ時間制限を設けたわけだが……さて、どうくる?)


 ヴィクターの頬に凄絶な笑みが浮かんだ刹那、


 六つの光球とともに、クオンがこちらに目がけて突っ込んでくる。


 今までと同じ――などとは、露ほども思っていない。

 ここまでおれを愉しませてくれた相手が、事ここに及んで凡手を打ってくるわけがない。


 一瞬にも満たない思考を巡らせている内に、間合いに入ってきたクオンが両の刃で斬りかかってくる。

 ヴィクターはそれを闇剣一本で受け止めるも、可能な限り魔力を込めているせいもあってか、触れた瞬間に喰らい尽くすことはできなかった。

 その結果を見届けるよりも早くに、腰から両断すべく光剣で横薙ぎを繰り出す。

 やはりというべきか、クオンを守るために、六つ全てを密集させた光球が盾となって間に割り込んでくる。


 ここまでは先程までと同じ。

 となると、ヨハンの働きこそが、こちらを仕留める最後の一手となるはず――そう思いながらも、ヨハンの姿を視界の端で捉え……瞠目する。


 ヨハンの口の動き、そこから発せられる声が、と思っていた魔名を紡ぐものだったから。

 なぜならその魔法は、〝パージ〟と呼ばれる、光球を自爆させる魔法。

 クオンが光球の傍にいる状況では、絶対に使わないはずの魔法だった。


 このままではクオンも爆発に巻き込まれる。

 ゆえに、これはただのフェイク。

 だがもし本当に、クオンごとおれを爆破するつもりでいるならば――もはや回避は間に合わないと判断したヴィクターは、横薙ぎを強引に中断して、自身と光球の間に光剣を無理矢理割り込ませる。


 そして、


「〝パージ〟!」


 決定的な言葉が紡がれた瞬間、膨れ上がるようにして光球が爆発。


 光剣を間に割り込ませたことで、多少なりとも威力が減衰した爆発がヴィクターを呑み込み。


 眼前にいたクオンも呑み込まれ、双刃を受け止めていた闇剣から彼女の圧力が消え失せた。


 いまだ膨れ上がり続ける爆発をまともにくらいながらも、ヴィクターは仰け反ることなく、瞬時に冷静に自身のダメージを確認する。

 光剣を盾にしたおかげで爆発の威力は多少ながらも抑えることができたが、結果として光剣を握っていた右手は間近で爆発を受けてしまった。

 動かすことはできるものの、剣捌きに支障が出るのは避けられないだろう。

 全身のほとんどが爆発の熱によって今もなお火傷を負い続けているが、それだけ。

 全体的なダメージは軽微――と、ヴィクターは断ずる。


 爆発が収束し始める中、クオンの気配を探ろうとするも、爆発と同じ聖属性でできた身体を有しているせいか掴めず。

 だが、もろに爆発に巻き込まれた以上、無事で済んでいるとは思えない。


(……いや)


 ふと、思い至る。

 同じ聖属性ならば、あるいは、クオンは爆発の只中にいても無事で済――


「……ほう?」


 左手首を襲った灼けるような痛みに、ヴィクターは思わず片眉を上げる。


 然う。

 刎ね飛ばされたのだ。

 闇剣を握る左手を。

 


 やはりクオンは、爆発パージの直撃を受けてなお無傷だった。

 その結果については想定内だったが、そこに思い至るのが半瞬遅れてしまったせいで左手を失ってしまったのは想定外だった。


 だからこそ、


 ヴィクター・ウル・レヴァンシエルは笑った。


「面白い!」



 ◇ ◇ ◇



 次の瞬間、ヴィクターがとった行動にヨハンは瞠目する。


 殴り飛ばしたのだ。

 手首から上がなくなった左手で、クオンを殴り飛ばしたのだ。


 まさか拳のない拳打を繰り出してくるとは思わなかったのか、防御もできずに殴り飛ばされたクオンが地面を転げながらも起き上がる。

 その間にも、ヨハンはにヴィクターに突撃した。


 聖属性の澱魔エレメントである今のクオンは、ヨハンの魔力によって蘇ったことにより、ウィルオウィスプと同質の存在になっている。

 ゆえに、その派生魔法である〝パージ〟の直撃を受けても、術者であるヨハンと同様、クオンは無傷で済んでいるのだ。


〝パージ〟でクオンごと爆破したように見せかけることで、ヴィクターの意表を突き、闇剣を握る左手を潰すことが、最後の一手の第一段階。

 そこから一気に畳みかけることが第二段階になるわけだが、まさかの失った左手による拳打でクオンが殴り飛ばされたことで、多少とはいえヴィクターに体勢を立て直すことを許してしまった。が、それでも、打ち合わせどおりにヨハンは突撃した。

 遺品のつもりで回収した、クオンの軽刃媒体ブレードを握り締めて。


 ヴィクターの手から離れてなお健在の闇剣が、いまだ魔力を喰らい続けている現状において、装填した端から弾丸を喰われる短銃媒体ピストルは役に立たない。

 魔法は、光球がない今においては呪文の詠唱が必要なものしか使えず、唱えている間にヴィクターが完全に体勢を立て直すのは目に見えている。

 だが、軽刃媒体ブレードならば、魔力を込め続けることで、闇剣に喰らわれながらも光刃を維持できる上に、近づいて斬るだけなのでヴィクターがこれ以上体勢を立て直す前に攻撃を仕掛けることができる。

 それゆえの選択だった。


 クオンも、起き上がってすぐに地を蹴り、ヨハンと同じようにヴィクターに突撃していた。

 彼我の機動力差を考慮しても、光刃の届く間合いに踏み込むタイミングはほぼ同時。


 あとは、刃を届かせる――それが最後の一手の第三段階。


 光剣を握るヴィクターの右手は、〝パージ〟の爆発を間近で受けたことで、無惨なほどに焼けただれている。

 普通ならば反撃できる力など残っていないと考える場面だが、この皇帝を相手にそんな甘い考えを抱くのは自殺にも等しいことを、ヨハンもクオンも嫌というほどに理解していた。


 問題はヴィクターの反撃が、ヨハンを狙うのか、クオンを狙うのか、それとも両方か――その一点のみ。


 追いついてきたクオンが右隣に並び、ほぼ同時に、二人はヴィクターの間合いに踏み込む。


 極限の集中力が時間の流れを緩やかにする中、ヨハンは〝視〟る。


 ヴィクターが、こちらの心臓目がけて刺突を放ってくる瞬間を。


 時間の流れが緩やかになってなお、初動を視認できなかった轟速の刺突。


 この一手が、こちらを攻撃すると同時に、ものであることを、ヨハンは瞬時に〝視〟抜く。


 クオンが澱魔エレメントとして蘇ることができたのは、僕を皇帝に殺されたくないという未練があってのこと。


 だから、ここで僕が殺されてしまったら、クオンの刃は間違いなく止まる。


 僕が殺される様を見てそのまま皇帝に刃を振るえるほど、クオンの心は強くできていない。


 だけど、時間の流れが緩やかに見えるほどに集中力が研ぎ済まれてなお、僕程度の〝武〟では、皇帝の刺突をかわしながら刃を振るうなんて芸当は不可能。


 完全に回避に徹すれば、ギリギリながらもかわすことができるかもしれないが。


 その場合、刺突がこちらの左胸――心臓を狙っているせいもあって、かわし切るにはクオンのいる右側に飛ぶ必要がある。


 そんなことをすればクオンとぶつかり、僕自らが皇帝に届かせる刃を潰すことになる。


 それなら、


(信じてるぞ、クオン――)


 心臓さえやられなければいい――そう思いながらも、ヨハンは突撃の勢いを微塵も緩めることなく、少しだけ体を右に傾ける。


 その程度で、皇帝の刺突を完璧にかわせるとは思っていない。


 事実、心臓を貫かれることは免れたものの、光剣の切っ先はヨハンの左腕の付け根を完全に捉えていた。


(――を見ても、止まらないことを!)


 刺突をくらってなお、ヨハンは体を前に進め、軽刃媒体ブレードの届く間合いに無理矢理足を踏み入れる。


 さらに、クオンとの戦いで掴んだ体内の魔力操作を応用して、左腕に行き渡っている魔力の流れを弱めることで、あえて光剣に対する抵抗力を減衰させる。


 その結果、



 ヨハンの左腕が、肩口から千切れ飛んだ。



 気が狂いそうなほどの激痛に耐えながら、ヨハンは心の中で叫ぶ。


(だから、君も僕を信じてくれッ!!)


 心の叫びを軽刃媒体ブレードに乗せ、ヴィクターの胴に目がけてはすの斬り上げを放ち、


(この程度でッ!! 僕が死なないことをッ!!)


 刺突直後の隙を突く形で、左腰から右肩にかけて胴を斬り裂いていく。


 この程度ではまだ、皇帝の命には届かないという手応えとともに。


 だから……だから!


(僕に構わず皇帝を斬ってくれッ!!)



 ――わかりました……!!



 聞き分けの良い言葉とは裏腹の涙声が聞こえた。ような気がした。


 その声を契機に、緩やかだった時間の流れが元に戻っていく中、


「――――――――――ッ!!」


 クオンは声にならない叫びを上げながら光刃をはすに振り下ろし、左肩から右腰にかけてヴィクターの胴を深々と斬り裂いた。

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