第146話 既視感

 謁見の間を辞したクオン、ナイア、イレーヌの三人は、揃って安堵の吐息をついてから、城外を目指して大廊下を歩き出す。


「はぁ~……緊張した~……」


 ヘナヘナと車椅子の背もたれに寄りかかりながら、ナイアは情けない声を上げる。

 そんな彼女の乗る車椅子を押しながら、イレーヌは同意したように頷いた。


「さすがは、この帝国を治める御方と言うべきでしょうか。あらゆる意味で他国の王とは一線を画していましたね」


 その言葉に引っかかりを覚えたクオンは、


「イレーヌさんって、他の国の王様に会ったことがあるんですか?」

「いえ、全くありませんが」


 それがなにか?――と言わんばかりの口振りに、クオンは苦笑する。

 どうやらこのメイドは、ただの想像でヴィクターが他国の王と一線を画していると断定しているようだ。

 とはいえ、そう断定したくなる気持ちはクオンも理解できるが。


「それよりお姉ちゃん、大丈夫?」


〝妹〟の言わんとしていることを察したクオンは、先とは違う意味で苦笑しながらも応じた。


「大丈夫ですよ、ナイア。ヨハンに討伐隊が送られたという話は確かに心配ですけど、ヨハンならこれくらい乗り越えてくれると信じてますから」

「あっ、それってつまり~」


 ナイアがニヤニヤ笑いを向けてくる。

 そこかしこに人が行き交う城内ゆえに明言は避けているが、それでも、双子の〝姉〟であるクオンには〝妹〟の言わんとしていることが手に取るようにわかっていた。


(「愛だね。愛」って、言いたそうな顔をしてますね)


〝素〟の状態ならばため息の一つ二つつくところだが、城内ゆえに今はしっかりと〝仮面〟を被っているため、


「何でしょうねぇ」


 と、笑みともみともとれる表情を浮かべながら煙に巻いた。


 聞いた話によると、帝国軍指南役であるオルト・イングレイは一線を退いてなお、その実力は皇帝ヴィクターをして、いつでも将軍として戻ってきても構わぬと言わしめるほど。

 兵を率いた経験においては、帝国随一と言っても過言ではないとのことだった。

 その老兵――否、老将が手勢の兵士たちとともに七至徒候補を率い、ヨハンたちの討伐に向かったと聞いて、何の心配もないと言えば嘘になる。


(でも、ヨハンとテストさんなら何とか乗り越えてくれるはず。それよりも今気になるのは……)


 噂をすればと言うべきか。

 道行く先にまさしく〝気になる〟人物がこちらに近づいてきていることに気づき、クオンは〝仮面〟の下で嘆息した。

 その人物とは、


「あらあらあら? あらあらあら~」


 七至徒第四位――ルナリア・シャンリー。

 ゆったりとした着衣に身を包んだ桃色髪の美女は、クオンたちを認めるや否や嬉しげに艶めかしげに声を上げた。


「話には訊いてたけど〝妹〟ちゃん、本当にクオンちゃんとソックリなのね~。そ~れ~に~、こっちのメイドちゃんもすっごい美人ちゃんで……いや~ん、私困っちゃう~」


 両手で頬を押さえながらクネクネと身悶えるルナリアを見て、ナイアにしては珍しく引き気味に訊ねてくる。


「お姉ちゃん……あの人は?」

「七至徒第四位のルナリアさんです。……ナイア。あの人にだけは、絶対にお近づきになっちゃいけませんからね」

「ナイアちゃんにお近づきになっちゃいけないなんて……あ~ん、クオンちゃんのいじわる~」


 嬌声じみた声を上げるルナリアに、ナイアはいよいよ顔を引きつらせた。


「なんか、陛下とは違った意味で強烈な人だね」


 クオンがルナリアと初めて出会った時に抱いた印象と全く同じものを抱く〝妹〟に、クオンは今日何度目になるかもわからない苦笑を浮かべた。

 自分の時と同じように、皇帝ヴィクターとの初めての謁見の後にルナリアと出くわすのは、一体どういう因果なのかとも思いながら。


 兎にも角にもこのルナリアこそが、クオンの〝気になる〟ことを知っている人物なので、〝仮面〟の下で気を引き締め直してから訊ねた。


「ルナリアさん。〝翁〟は、ヨハンと会ったんですか?」


 さすがに空気を読んだのか、ルナリアは真面目な表情で「ええ」と答える。


人の多いこんな場所で話せるような内容じゃないから詳しくは言えないけど、〝翁〟と話したせいでヨハンちゃん、ちょっと危うい感じになっちゃったかもしれないわね」

「危うい……って?」


 内容が内容だから、ナイアがおずおずと話に入ってくる。


「同じ魔法士だから断言できるけど、ヨハンちゃんってば根っからの魔法士なのよね。だけど、〝翁〟と話したせいで魔法に嫌悪感を持っちゃったかもしれないの。ヨハンちゃんにとって、魔法の存在がアイデンティティってレベルで大事だった場合は……」

「確かに、それはちょっと危ういかも」


 苦い顔で同意する〝妹〟以上に、クオンは〝仮面〟の下でこれ以上ないほどに苦々しい思いをしていた。


 ヨハンのことを愛しているからこそ、知っている。

 ヨハンにとって魔法とは、ルナリアの言うとおり、まさしく彼にとってのアイデンティティであることを。

 それゆえにヨハンが魔法に嫌悪感を抱くことは、ちょっとどころでは済まないほどに危うい話であることも、クオンは知っている。

 そしてクオン自身、国崩しと同時に行なわれた〝実験〟に関与していたため、魔法で殺された人間の魂には〝しるし〟がつけられ、澱魔エレメントに変質する可能性が飛躍的に上がることも知っている。

 知っているからこそ、〝翁〟がヨハンに〝実験〟について事細かに説明し、彼の大好きな魔法に嫌悪感を抱かせるほどにまで追い込んだことは、容易に想像することができた。


 逆に、魔法が嫌いになったヨハンがどれほど傷つくのは、全くと言っていいほど想像がつかなかった。

 そんな状態のヨハンに討伐隊が送られるとなると……先程までは乗り越えてくれると信じていたはずなのに、今はもう心配で心配でたまらなくなっている。

 今すぐにでも、ヨハンのもとに駆けつけたいと思うほどに。


(ですが……次に会う時は、ヨハンと決着をつける時……。それに、後方とはいえナイアが〝世界〟との戦いに参加することになった以上、軽々けいけいにこの子のそばを離れるわけには……)


 そんな考えが〝仮面〟の隙間から漏れ出ていたのか、はたまたただの偶然か。

 ルナリアが、こちらの身を案じるように訊ねてくる。


「それはそうと、そっちはそっちで大変だったみたいね」


 あのルナリアが人に気を遣うような真似をしたことに内心面食らいながらも、クオンは曖昧に首肯を返した。


「私も大凡おおよその話は聞いたけど……クオンちゃん。ナウールちゃんが死んじゃったことで後ろめたさを覚えているなら、それ、ぜ~んぜん気にすることなんてないからね? ナウールちゃんってばあんな性格だから、死んだことで怒る人とか哀しむ人とか、ぜ~んぜんいないんだもの」


 おどけるように肩をすくめると、ほんのわずかに、どこかやりきれないような微笑を浮かべながら言葉をつぐ。


「だからま、私くらいよ。ナウールちゃんのために、ちょっとだけ哀しんであげようだなんて考える物好きは」


 この言葉にはさしものクオンも、〝仮面〟を被ってなお苦い顔になってしまう。

 それを見てルナリアが髪に隠れていない左目をパチクリさせると、突然ケラケラと笑い出した。


「や~ね~。そんなしんみりしなくていいわよ。同い年のよしみってだけの話だから」

「とはいえ、〝弟〟のために哀しんでいただいているのは事実です」


 ナウールの話題ゆえか、タイミングを見計らったようにイレーヌが話に入ってくる。


「曲がりなりにも〝姉〟として御礼を、この手でクオン様とルナリア様の同僚を殺めた謝罪を、述べさせていただきます」


 深々と頭を下げるイレーヌに、ルナリアは苦笑する。


「イレーヌちゃん……で合ってるわよね? 何度も言うけど、そんなしんみりする必要もないし、お礼も謝罪も必要ないから。本当にただ同い年の同僚ってだけで、たいした付き合いもなかったしね」


 などと言いながらも、ルナリアは頬をいやらしく歪ませる。


「でも~。そうね~。どうしてもっていうなら~。イレーヌちゃん、私とエ――」

「ダメです」


 イレーヌに向かって、というかナイアの前でそんな言葉は言わせないとばかりに、クオンは嗤顔えがおで拒絶する。


「あ~ん、クオンちゃんのいじわる~」


 またしても嬌声じみた声を上げるルナリアだったが、



「いつまで経っても来んと思ったら、こんなところで油を売っておったか。色ボケ娘」



 背後から、いやに精力的な老爺の声が聞こえてきた途端、その美貌を露骨なまでに嫌そうに歪めた。


 ルナリアを色ボケ娘呼ばわりしたのは、白髪混じりの金髪と、声音に負けず劣らず精力的な輝きを宿した碧眼をした、白衣を纏った筋骨隆々の老爺。

 七至徒第五位にして、〝翁〟の呼び名で知られている帝国の魔法研究の第一人者――マティウス・マキナスだった。


「〝翁〟っ!」


 マティウスのもとで聖属性と闇属性の研究をしているナイアが、彼に向かって元気にブンブンと手を振る。

 そこでようやくクオンたちの存在に気づいたのか、マティウスは片眉を上げながら訊ねた。


「娘っ子に小娘っ子に知らん娘っ子が、こんなところで何しとるんじゃ?」

「〝翁〟~。雑にも程がある呼び方はやめなさいよ~。聞いてるこっちが混乱するわ」

「我輩は混乱せん。それでええじゃろ」

ひっとつもよくないわよ~」


 ガックリと肩を落とすルナリアを尻目に、マティウスはマイペースに話を戻す。


「で、貴様らはこんなところで何しとるんじゃ?」

「いや~……初めての謁見というものを体験してきたところでして」


 ポリポリと頭を掻きながら答える、ナイア。

 そんな彼女の服装がいつもと違って質素なドレスだったり、クオンが七至徒用の正装をしているのを見て、マティウスは「なるほどのう」と得心する。


「あ、そういえばあたし、陛下に――って、ここで言っちゃまずいか……えと……来たるべき戦いの際は、人工澱魔エレメントの局地的な指揮をとれって言われたんだけど、今は聖、闇属性の研究を休止して、人工澱魔そっちの研究を手伝った方がいいかな?」


 何の気なしに訊ねるナイアをよそに、クオンはみを浮かべながらも、全く嗤ってない目でマティウスを睨みつける。


 人工澱魔エレメントの研究に深入りすることは、マティウスのに踏み込むことと同義。

 人工澱魔エレメントの〝実験〟に関与していたクオンは当然その悍ましさも知っており、だからこそ、目だけでマティウスに訴え――否、脅しているのだ。


〝妹〟の前で余計なことを言ったらどうなるか、わかってますよね?――と。


「い、いや……指揮するだけなら研究過程なんぞ知らんでも可能じゃから、貴様は引き続き聖属性と闇属性の魔法を研究しとればよい」


 クオンから目を逸らしながら、マティウス。

〝死んだ婆さん〟のせいか、どうにもマティウスは女性に嗤いながら怒られたり迫られたりするのが苦手なようだ。


 さらに言うと、マティウスの深淵に関わる研究にナイアを深入りさせない件に関しては、彼自身がと称しているシエットからも釘を刺されている。

 絵に描いたように傍若無人なマティウスといえども、この件に関してはを貫き通すことはできなかった。


 そんな微妙な空気を察したルナリアが、ポンと手を打ち鳴らす。


「ところで〝翁〟。いつまでも、こんなところで油を売ってていいのかしら~?」

「貴様がそれを言うか、色ボケ娘。……行くぞ」


 マティウスは「ふん」と鼻を鳴らし、挨拶一つ残すことなくクオンたちの横を抜け、そのまま立ち去っていった。

 こんな感じでいいかしら?――とばかりにウィンクしてくるルナリアに、クオンはため息をついてから目礼する。


 恩を感じるほどではないが、状況的にナイアとマティウスを必要以上に接触させたくはなかったので、ルナリアの誘導がクオンにとってありがたいものであったことは否定できない。などと、思ってしまったせいか。

 クオンは、その後に起きる惨事セクハラに対する反応が致命的なまでに遅れてしまう。


「~~~~っ!」


 マティウスを追って歩き出したルナリアに、すれ違い様に尻を撫でられたクオンは、漏れそうになった悲鳴を噛み殺す。

 帝国一の魔法士にして超一流の暗殺者でもあるルナリアが、完璧なまでに〝意〟を消した上に、骨折して使えない左手側から撫でてきたため、さしものクオンも惨事セクハラを回避することができなかった。


〝仮面〟のクオンにしては珍しい羞恥の赤を頬にたたえながら、ルナリアを睨みつける。

 初対面以来の〝戦果〟に酔っているのか、ルナリアから返ってきたのは婀娜あだっぽくも恍惚な笑顔だった。


 やがて、ルナリアとマティウスの姿が見えなくなったところで一つ息をつき、まだ少し頬に朱を残しながらも、〝妹〟と〝お姉さん〟に忠告する。


「ああいう人だから、本っ当に気をつけてくださいね。二人とも」

「わ、わかった」


 と、若干顔を引きつらせながら答えるナイアの後ろで、イレーヌはいつもどおりの無表情で首肯した。


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