第147話 蘇りし者

「あの瑞々しい感触……お次は是非とも直接まさぐりたいわね~」


 そう言ってルナリアは、先程クオンの尻を撫でた指先を一舐めする。

 そんな彼女の前を行くマティウスは、半顔だけを振り返らせ、


「色ボケしとらんで、さっさとついてこい。色ボケ娘」

「その言い回しも大概に雑よね~」


 などと言い合いながらも、皇城からマティウス直轄の第一研究所へ移動する。


 研究所の地下へ降り、無数に存在するマティウスの研究室の出入り口となっている、巨大な魔法陣が描かれた広間を通り抜け。


 ナイアのような少女にはおよそ見せられない、生きたまま腑分けられた挙句瓶詰めにされた人間たちが保管された部屋を通り抜け。


 床に無数に描かれた、魔法陣の内側に閉じ込められた魂にも似た濛気もうきたちが、聞くだけで気が狂いそうになるほどにおぞましい絶叫をあげる部屋を通り抜け。


 ここに来るまでに通り抜けてきた部屋に比べたら拍子抜けするほどに平凡な、机や本棚が設置されているだけの何の変哲もない書斎に辿り着いたところで、二人はようやく足を止めた。


「して、〝触媒〟は?」

「ちゃんと持って来たわよ」


 そう言って、懐から取り出した〝触媒〟をマティウスに渡す。


「でも、ヨハンちゃんをいじめた時は〝触媒〟なんて使ってなかったのに、どうして今回は必要なのよ~?」

「あの時は、特定の人物を狙って澱魔エレメントを召喚したわけじゃないからのう。実験の確度を上げるためにも〝触媒〟は必要なんじゃよ。それより、本当にこれがあやつの〝触媒〟なのか?」


 ルナリアが渡した〝触媒〟は、犬の首輪だった。


「言ったでしょ。を七至徒候補に取り立てたのは、本当に犬の真似をしたからだって」

「だからといって、わざわざ犬の首輪をくれてやるとは……貴様は貴様で大概じゃな」

「そういうこと、〝翁〟にだけは言われたくないわ~」


 この場にクオンがいれば「どっちもどっちですよ」とツッコむこと請け合いなやり取りを交わしたところで、マティウスは部屋の奥にある、意図してスペースを空けた床に首輪を置く。

 続けて白衣の下から白亜チョークを取り出し、首輪を中心に魔法陣を描き始めた。


「……いや……違う……ここは……こうじゃな……」


 実験という言うだけあって、さしものマティウスも迷うことなくというわけにはいかないらしく、時には白亜を走らせていた手を止め、時には一度描いた部分を掌で擦り消しながら、時間をかけて描いていく。


 そして――


「まあ、こんな感じでええじゃろ」


 完成した魔法陣を満足げに見下ろしながら、すっかり短くなった白亜を床に投げ捨てた。


「後は、ヨハンちゃんをいじめた時と同じように、私の因果をもとに召喚するだけね~」

「そのとおりじゃが、先程からいじめたいじめたと人聞きの悪い。我輩はただ、ヨハンと語らい、我輩の成果を見てもらっただけじゃ」

「あれだけのことをして、全く自覚がないから本当にタチが悪いわね~」


 と、イヤミたっぷりに言う前にはもう会話を打ち切っていたマティウスが、ルナリアのことを無視して魔法陣に魔力を注入し、呪文の詠唱を開始する。


「業が紡ぎし因果よ、絡み、もつれた果てに墜ちた底無き深淵にて、己が罪を顕現せよ――〝カルマリティオーダー〟」


 直後、魔法陣が紫光しこうを放ち始める。

 紫光は魔法陣の中心にある首輪へと収束していき……突然、鮮烈なまでの輝きを爆発させた。

 反応しきれなかったマティウスの視界が紫光に染まり、すんでのところで反応したルナリアが薄目を開けながらも片掌で左目を守る中、紫色の輝きが少しずつ薄らいでいく。


 ほどなくして。


 紫光の消失とともに雷属性の人型澱魔エレメントが一体、魔法陣の上に姿を現した。


 その身はおろか、纏っている《終末を招く者フィンブルヴェート》構成員用の外套までもが紫電で構成された、切れ長の眼をした痩せぎすの男――ラガル・ゴースティン。

 コークス王国へ向かったきり消息不明となった、ルナリアが推薦した七至徒候補だった。


 雷属性の澱魔エレメントとなって蘇ったラガルが、無表情のまま微動だにしない様子を見て、マティウスは眉をひそめる。


「〝カルマリティオーダー〟自体は上手くいったはずじゃが……ふむ。色ボケ娘。此奴に何か話しかけてみい」

「反応するかもしれないってわけね。でも、話しかけるよりも、もっと面白い方法があるわよ~」


 婀娜あだっぽく笑うと、ルナリアは悠然とラガルに近づき、耳元に顔を近づけると、


「ふぅ~~」


 あろうことか、ラガルの耳に息を吹きかけた。

 直後、ラガルが「ひゃぅッ!?」と生娘じみた悲鳴を上げながら、その場で飛び跳ねる。


「あ、あねさんッ!? な、なんでッ!? つうか俺様は確か……そうだ……あの野郎……あの野郎にぃぃ……!」


 憎しみがこもった物言いとは裏腹に、ガタガタを震えながら自身の体を掻き抱き……二〇秒ほど経過したところで、自分の体が雷属性の澱魔エレメントに変わっていることにようやく気づく。


「な、なんだこりゃぁああぁあぁぁぁああぁあッ!?」


 大声を上げるラガルを、ルナリアはクスクスと笑いながら指差した。


「ね。面白い子でしょ?」

「ふん。どうでもええわい」


 ラガルの大声に顔をしかめていたマティウスは、言葉どおり心底どうでもよさそうに吐き捨てる。


「あ、あ、あ、姐さんッ!! な、なんで俺様、澱魔エレメントになってんすかッ!?」


 下手くそな敬語を使っている割には「俺様」呼びは崩さないラガルに、ルナリアは噴き出しそうになりながらも答える。


「ちょっと今、〝翁〟の人工澱魔エレメントの研究に付き合っててね~。ラガルちゃんが適任って話だったから、澱魔エレメントとして蘇らせてもらうことにしたの」

「うぉおおおぉおぉおおぉッ!! 姐さんがわざわざ俺様のためにッ!! 一生ついていきますッ!! 姐さんッ!!」


 弱者に対してはとことん外道なくせに、強者に対してはとことん媚びへつらうラガルの忠犬っぷりに加えて、すでに一度死んでいるくせに「一生ついていきますッ!!」などと叫ばれたことがツボに嵌まってしまったルナリアは、とうとう噴き出してしまう。


「……っ……。ほんとラガルちゃんは、面白い子ね~」


 と言いながら、何の躊躇もなく、雷の肉体を有するラガルの頭をよしよしと撫でる。

 ラガルがだらしなく鼻の下を伸ばし、幸せそうな顔をする中、ルナリアはマティウスに言う。


「〝翁〟~。やっぱり触った感触、人間の体を触った時とほとんど変わらない感じよ~」

「水の小娘っ子の時と同じというわけか。うむうむ、実に興味深い」


 マティウスに好奇の視線を向けられたラガルは、顔を引きつらせながら一歩後ずさる。


「あ、姐さん……〝翁〟の研究で蘇ったってことは……アレっすか? これから俺様、実験台にされるってことっすか?」

「そのとおりよ~」


 笑顔で即答するルナリアに、ラガルは靴を舐めんばかりの低姿勢で彼女の脚に縋りついた。


「かかかか勘弁してくださいッ!! 〝翁〟の実験台にされるなんて、廃人街道まっしぐらじゃないすかッ!!」

「あらあら、ラガルちゃん。あなたはもう人間じゃなくて澱魔エレメントなんだから、実験で受ける苦痛なんて一つもないわよ~。だから、廃人になる心配なんてしなくていいわよ~」


 水の小娘っ子レティアがマティウスの実験台としていじくり回されることには断固として拒否したくせに、ラガルに対しては血も涙もない言いようなのはさておき。


「それに今のままじゃラガルちゃん、またすぐ〈魂が巡る地ビフレスト〉に逆戻りになっちゃうわよ? 人工澱魔エレメントがこっちの世界に定着する方法、まだ全然確立できていないもの」

「そいつはつまり折角蘇ったのにまた死ぬってことっすかッ!? それも嫌っすッ!!」

「だったら、大人しく〝翁〟の実験台になりなさい。それを乗り越えて、ちゃんとこの世界に定着できたら、ラガルちゃんのためにご褒美を用意してあげるから」

「ご褒美ッ!? まさか……踏んでもらえるんすかッ!?」


 弱者に対しては嗜虐的なラガルにしては予想外かつ、ろくでもない性癖を暴露しながら嬉しそうな声を上げる。


「それもしてあげてもいいけど~、ラガルちゃん……どうせ蘇ったのなら、今よりもちょびっとだけ出世したいと思わない?」

「まさか俺様、七至徒にッ!?」

「あ、それは無理よ~。ラガルちゃん、七至徒を名乗るには全然実力が足りないもの」


 きっぱり無理だと言われ、ラガルは肩を落とすも、


「でも安心して~。七至徒ほどじゃないけど、七至徒候補よりは間違いなく立場は上になるから~」


 続く言葉を聞いた途端、落としたばかりの肩を即座に上げた。


「一口に人工澱魔エレメントと言っても、ラガルちゃんとは違ってそのほとんどが自我を持ち合わせていないわ。で、陛下は来たるべき戦いに備えて、自我のない人工澱魔エレメントを率いる人材を探してるの。私はね、ラガルちゃんにもその役目を担ってもらおうかな~って考えてるの」

「どうせなら、全体の指揮をやってくれても構わんぞ」

「〝翁〟~。さすがにそれは無理よ~。陛下が〝翁〟に任せた全体の指揮には、人工澱魔エレメントの制御も含まれてるし、そもそも鹿の人工澱魔エレメントに同時に命令を送るなんて、私でもできる気がしないもの」


 露骨に舌打ちを漏らす、マティウス。

 その表情が、態度が、「めんどくさいからやりたくない」という感情をこれでもかと表していた。


「と・に・か・く。〝翁〟の研究が終わって、ラガルちゃんがちゃんとこっちの世界に定着できたら、私から陛下に具申してあげるわ。ラガルちゃんを、人工澱魔エレメントを率いる将軍の一人にしてくださいって」


 将軍という言葉は、ラガルをその気にさせるために使った言葉だが、


澱魔エレメントの将軍か……悪くねぇ響きだな」


 どうやら気に入ってくれたらしく、彼の頬には野心に満ちた笑みが浮かんでいた。


「姐さんッ! 俺様、姐さんに踏まれるためにも、澱魔エレメントの将軍になるためにも、がんばって実験台になるっすッ!!」

「ふふ。ラガルちゃんは本当にいい子ね~」


 笑顔で褒めながらも、ルナリアは目にも止まらぬ速さでラガルの足を払い、床に這いつくばらせると、無様に晒した背中をグリグリと踏みつけてあげた。


「おほぉッ!!」


 と、嬌声を上げるラガルを見て、さしものマティウスも、動く生ゴミにでも出くわしたかのように、不快げに眉をひそめる。

 マティウスの中で、ラガルの呼び名が「変態小僧」に決定した瞬間だった。

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