第145話 謁見・2

 翌日――


 皇帝ヴィクターとの謁見のため、クオン、ナイア、イレーヌの三人は、首都バルドルの中心にある皇城を訪れた。


「うわ~……さすがにちょっと緊張してきたかも」


 いつもの服装ブリオーではなく、質素なドレスに身を包んだナイアが、荘厳華麗な城内を見回しながら独りごちる。

 いつもの服装ではないのはクオンも同じで、その身は、動きやすさを重視した着衣の代わりに、七至徒用の正装であるカソックに似た黒色の儀礼服を纏っていた。勿論、左腕を吊る三角巾はそのままに。

 ナイアの車椅子を押すイレーヌただ一人だけが、いつもと同じメイド服に身を包んでいた。


 クオンが先導する形で城内を進み、謁見の間に通じる大扉の前に辿り着く。

 すでに話が通っているのか、謁見の間を護る二人の衛兵がクオンを認めると、ゆっくりと大扉を開き、中に入るよう促した。


 謁見の間に足を踏み入れた途端、ナイアは息を呑み、イレーヌは思わずといった風情で足を止める。

 護衛の兵士が一人もいない謁見の間の奥。

 階段と呼ぶにはあまりにも緩やかな段差の最上にて玉座に座す、皇帝――ヴィクター・ウル・レヴァンシエルの〝圧〟に二人して気圧されてしまったのだ。


(まぁ、陛下と初めて会った人は、グランデル老とかでない限りは大体こうなりますよね)


 などと心の中で独りごちるクオンも、掌中に滲む汗を抑えられなかった。

 謁見するのはこれで三度目になるが、ヴィクターの〝圧〟を楽々受け流せるほどの余裕は、まだクオンにはない。

 今回は初めて、シエットが同席していない形での謁見になるから、なおさらに。


 そんな内心を〝仮面〟に隠したクオンは、いまだヴィクターの〝圧〟に気圧されているナイアとイレーヌの前に出て、仰々しく跪拝きはいした。


「七至徒第七位クオン・スカーレット、並びに〝妹〟のナイア・スカーレット、ミレイナ・ネイティアルことイレーヌ・バーンスタインの三名。陛下のご用命により馳せ参じました。あ、〝妹〟は見てのとおり自由の利かない体なので、が高いのはひらにご容赦くださいねぇ」


 皇帝への敬意など申し訳程度にしか感じない言い回しに、ナイアもイレーヌも呆気にとられる中、ヴィクターはどこか楽しげな笑みを浮かべながらも応じる。


「頭の高さなどどうでもよい。そんなものをいちいち気にしていたら、グランデルやマティウスの相手などしていられんからな」

「確かにそうですねぇ」

「ゆえに、堅苦しいのはここまでだ。貴様もさっさと頭を高くするがいい」

「それじゃ、お言葉に甘えて」


 立ち上がり、いまだ謁見の間の入口付近から動けないでいるナイアとイレーヌに向かって、ちょいちょいと手招きする。

 イレーヌは我に返ったように、ナイアが乗る車椅子をクオンの隣まで押していく。

 ハンドルから手を離し、クオンと挟み込む形でナイアの隣に立つと、両手でスカートの裾を軽く持ち上げ、恭しくヴィクターに一礼した。


「ご機嫌麗しゅうございます、皇帝陛下。重ねての紹介になりますが、ワタクシはイレーヌ・バーンスタイン。ネイティアル一族を捨て、今はクオン様とナイア様にお仕えする端女はしためでございます」


 さすがというべきかどうかは微妙なところだが、イレーヌの言動は、つい先程までヴィクターの〝圧〟に気圧されていたとは思えないほどに無機質だった。

 皇族に対する礼儀としてはいささか以上に問題があるが、当のヴィクターが愉快げに笑みを深めているので、おそらく問題はないはずとクオンは自分に言い聞かせる。


「一族を捨てた、か。理由を聞かせてもらおうか」

「人を殺すことよりも、人に尽くすことに喜びを覚えた。ただそれだけのことでございます」

「その相手が敬愛に値する者たちならば、なおさらに――といったところか」

「……仰るとおりです。皇帝陛下」


 心奥を見透かすようなヴィクターの物言いに驚いているのか、表情こそ微塵も揺らいではいないものの、微妙な沈黙を挟んでからの返事になってしまう。

 そんなやり取りを見て、やはり陛下は恐いお人だとクオンは心の中で再認識する。


「そして貴様が、クオンの双子の〝妹〟というわけか」


 いきなり矛先を向けられたからか、〝圧〟に気圧されたせいもあってすっかり緊張していたナイアが「は、はいっ!」と、声を裏返らせた。


「ふっ。あの〝姉〟とメイドの後だと、見慣れた反応も新鮮に映るな」

「そう褒めないでください、陛下。照れちゃいますから」

「などと、即座に助け船を出すあたり、貴様にとって〝妹〟がどれほど大切な存在であるのかが窺い知れるな。クオンよ」


 なんとなく、今の言葉に言い知れぬ悪寒を覚えたクオンは口ごもる。

 シエットの忠告どおり「あくまでも、そう悪いことにはならない」というだけで、風向きが良くなることは決してあり得ないと確信させられるような、そんな悪寒だった。


「して、ナウールの件だが。シエットからも聞いていると思うが、ナウールが捜し求めていた〝姉〟が、同じ七至徒が雇っていたメイドだと気づかなかったことは、情報を司る《終末を招く者フィンブルヴェート》としては失態もいいところだ。まあ、可能性も否定できんが、それならそれで愉快というもの。それに、本当に〝奴〟の仕業ならば痕跡が残っているなどということはあり得ん。調べるだけ無駄だろうな」


 どうやらヴィクターも、ナイアと同様、シエットが情報操作していた可能性を疑っているようだ。

 もっとも、それもまた一興とでも思っているのか、そのことについてシエットを問いただすつもりはないようだが。


「さらに言えば、おのが〝愛〟に狂ったナウールは、このおれの言葉さえもろくに届かん。ナウールの〝愛〟を捧げる相手が貴様のメイドであり、貴様の〝妹〟を巻き込んだ事態になった以上、七至徒の席が一つ空くのは必定というもの。罰を与えるにしても、其方そちらの要望を聞き入れるくらいの寛容は見せねばなるまい」

「それじゃぁ陛下……」


 ヴィクターは、クオンに向かって一つ頷き、


「貴様のメイドがナウールの抜けた穴を埋めるという申し出、呑んでやろう」


 その言葉に喜ぶかけたのも束の間、ヴィクターはクオンの心胆を凍えさせる言葉をつぐ。


「但し、貴様の〝妹〟――ナイアも一緒にだ」

「待ってくださいっ!!」


 思わず、クオンは声を荒げる。


「〝妹〟は下半身が不随になったせいで《終末を招く者フィンブルヴェート》の構成員になれず、処分までされかけたんですよっ!! それなのに今さら《終末を招く者フィンブルヴェート》に入れとは、いったいどういう了見ですかっ!!」


〝仮面〟などかなぐり捨て、皇帝に向かって怒気をぶつける。

 事と次第によっては、武装媒体ミーディアムを抜くことも厭わないと言わんばかりに。


 あからさまな不敬に対してヴィクターの頬に浮かんだのは、やはりというべきか、楽しげな笑みだった。


「シエットから聞いていたが、〝妹〟の存在が貴様にとって生きる理由そのものだという話は本当のようだな」

「……はい。ですから、いくら陛下といえども、〝妹〟に危害を加えるというのであれば容赦はしません」

「お、お姉ちゃん……っ」


 ナイアがこちらの服の裾を引っ張ってきたので、クオンは一つ息をつき、怒気を鎮めてから「何です?」と問う。


「あたしたちの申し出が、イレーヌさんがナウールさんを殺した責任をとるために《終末を招く者フィンブルヴェート》に入るって話だったから、そう思い込んじゃうのも無理ないけど、陛下は一言もあたしたちに《終末を招く者フィンブルヴェート》に入れとは言ってないよ」


〝妹〟の指摘に、クオンは「はい?」と間の抜けた声を漏らしてしまう。

 イレーヌもそのことには気づいていたのか、いつもの無表情のまま、しれっとこちらから視線を外していた。


 一人勝手に張り詰めさせていた空気が急速に萎んでいく中、ヴィクターはこらえきれんとばかりに「くっくっくっ」と喉を鳴らす。


「やはり、どれほど化粧を厚くしようが生娘は生娘だな。普段はこのおれに対しても一切隙を見せんというのに、〝妹〟が絡んだ途端にこんなザマになるとはな」


 クオンは羞恥の熱を頬に感じるも、無理矢理〝仮面〟を被り直してどうにかこうにか抑え込む。


「それ、生娘とかあんまり関係なくないですかぁ」


 などと言って、醜態を晒したことを誤魔化してみたが、ヴィクターがより楽しげに喉を鳴らす結果に終わってしまう。

 正直、穴があったら今すぐにでも入りたい。


「しかし皇帝陛下。そうなると、いったいどうような形で、ワタクシとナイア様にナウールの穴を埋めさせるおつもりですか?」

「まだ下々しもじもには伝えていないが、そう遠くないうちに、我が帝国は〝世界〟と戦うことになる」


〝世界〟という言葉に、さしものイレーヌもわずかに目を見開かせる。

 いずれそういう日が来ることを予測していたのか、ナイアはわずかに眉根を寄せるだけで、驚いている様子は見受けられなかった。


「その戦いでおれは、マティウスの人工澱魔エレメントを戦線に投入するつもりでいる。全体の澱魔エレメントの指揮は当然マティウスにやらせるが、それとは別に要所要所での細かい指揮は別の人間にやってもらわねばならん」

「その役目をナイア様に?」

「そうだ。澱魔エレメントを指揮するとなると、魔法に対する造詣は勿論、マティウスの研究に対する造詣も深くなければ務まらんからな。その点、ナイアは打ってつけというわけだ。ああ、先に断っておくが、指揮しろといっても兵士たちの指揮とは違って矢面に立つ必要はない。もとより、足の動かぬ小娘にそこまで求めるつもりはないからな」


 後半の言葉は、クオンに向かって言った言葉だった。


「ですが、たとえ後方でも、戦場に立つ以上は命の危険は避けら――……っ」


 反論の途中で、クオンは気づく。

 こそが、ナイアを戦場に立たせるもう一つの理由であることに。


「……そういうことですか。陛下」

「さすがに察しがいいな。貴様の考えているとおりが、貴様のメイドが七至徒ナウールを殺した罪に対する、への罰だ」

「……謹んで、承ります」


 そう返す以外に、選択肢はなかった。

 ナイアが戦場に立つことは受け入れがたいが、それでも、七至徒ナウールを殺した罰という意味では、処分としては相当に甘い。

 あの皇帝からこれ以上の譲歩を引き出そうと考えるのは、贅沢を通り越して傲慢というもの。最悪、不興を買う恐れすらある。

 ゆえに、謹んで処分を受け入れる以外に選択肢はなかった。


「話は以上だ」


 と言ったそばから、ヴィクターは「いや」と翻し、クオンに言う。


「〝あの件〟について貴様に話しておかないのは、さすがにフェアではないな」

「〝あの件〟って何です?」


 どこか不穏なものを感じるクオンをよそに、ヴィクターはますます楽しげな笑みを浮かべながらも言葉をつぐ。


「帝国軍指南役を務めるオルトに、七至徒候補を含めた手勢とともに、ヨハン、テスト、ガイを討伐するよう命じた。今は〝妹〟のそばにいるか、それともオルトたちを出し抜いてヨハンを潰しに行くか……止めはせんから好きな方を選ぶがいい」

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