第144話 忠告

 二週間後――


 無理をしなければという条件つきではあるが、もういつ退院してもいい程度にはナイアの傷が治った頃。

 シエットからの返事の封書が、クオンたちのもとに届く。

 封書そこに記されていたのは、クオン、イレーヌ、ナイアの三人は可及的速やかに首都バルドルに戻れという〝命令〟だった。


「確か、七至徒であるクオン様に〝命令〟できるのは、皇帝陛下ただお一人のみでしたよね?」


 退院のため荷物をまとめながら訊ねてくるイレーヌに、いまだ三角巾で腕を吊っているクオンは緊張した面持ちで首肯を返す。


 皇帝陛下自らが直々に、わたしと、イレーヌさんと、バルドルに戻れと言っている。

 ナウールの件において、クオンとイレーヌは勿論、ナイアも当事者の一人なのでばれても不思議はないと言いたいところだが、


(わたしたちにバルドルに戻るようわざわざ〝命令〟したということは、陛下がわたしたち三人を引見するつもりでいるのは明らか。だからこそ、嫌な予感がしますね)


 イレーヌが引見されるのは理解できる。

 ナウールの実の姉であり、そのナウールをこの手で殺したことになっている以上、陛下がこの目で直接どのような人物なのか確かめたいと思うのは、当然の話だから。


 しかし、ナイアまでわざわざ引見する理由はないはずだ。

 なぜなら、いくら魔法の才に長けているとは言っても、ナイアは下半身不随の、ただの少女にすぎない。

 イレーヌのような実力者とは違い、万が一はおろか億が一すらも七至徒ナウールを倒せるほどの〝力〟がないことは明白。

 わざわざ皇帝陛下が引見する必要があるとは思えない。


 あるいは、新米七至徒が大事にしている〝妹〟の顔を見てやるのも一興などと考えている可能性はないとは言い切れないが、七至徒ナウール殺しが絡んでいる以上、このタイミングで戯れで喚ばれるとは考えにくい。


 何か理由があるはず。

 だが、異常なまでの洞察力と演繹えんえき力を誇るクオンでも、皇帝陛下が何を考え何を思っているのかは、毛先ほども見通すことができなかった。


「これこそ、なるようにならせてみるしかないんじゃない? お姉ちゃん」


 ニシシと笑う〝妹〟に、クオンは微笑を返す。

 

「そうですね。こうなったら、なるようにならせてやりましょう」

「といった具合に、お二人も仰っているということは『なるようにならせてみせる』というワタクシの言い回しは、やはりおかしくな――」

「それはないですよ」「それはないよ」


 語尾を除き、クオンとナイアの声が綺麗に重なる。


「そうですか」


 と、無機質無表情で返してはいるものの、イレーヌとの付き合いが深いクオンとナイアは、彼女が少しションボリしていることには気づいていた。

 気づいていたから、二人してつい笑ってしまう。


 それからクオンたちは退院の手続きを済ませると、手配した馬車に乗って首都バルドルを目指した。

 ナイアとイレーヌの山小屋ロッジがあるポイント24とバルドルの距離は、馬で一~二日。

 ギュルヴィの町は、ポイント24から山を三つ越えたところにあり、馬車だとその山々を迂回していく必要があるため、クオンたちがバルドルに到着したのは出発から三日の時が過ぎてからのことだった。


 馬車を降りた三人は、ひとまず行政区画内の政府高官用居住区にある、自分たちの家を目指すことにする。

 家がある通りまで来たところで、


「これはこれは」


 こちらの帰りを待っていたのか、それとも帰ってきたという報告を受けたのか。

 家の前に立っている白髪白眼の男を認めた瞬間、クオンは〝仮面〟のみを浮かべた。


 政府高官用の居住区には似つかわしくない、フード付きの外套を身に纏ったその男は、七至徒第二位にして、クオンを七至徒に推挙した、


「シエットさん、もしかしてわたしのことを出迎えるの、クセになってません?」

「どうやら、さえずる余裕くらいはあるようだな」


 シエットは三角巾に吊られたクオンの左腕を見やりながら、表情を変えることなく鼻を鳴らす。


「あのナウールを相手に、腕一本で済んだのは僥倖だったな」

「しれっと、わたしを試すような真似なんかしなくていいですよぉ。報告書にも書いたとおり、わたしはナウールさんと戦いはしましたが、あくまでもナイアを護るためで反撃は一切してませんからぁ」

「ならば本当に、イレーヌがナウールを殺したと?」

「はぁい、そのとおりです」


 嗤って答えながらも、〝仮面〟の下では、イレーヌにナウール殺しの罪を押しつけることに罪悪感を抱いていた。

 汚れ役を引き受けることには慣れていても、誰かに汚れ役を代わってもらうことは、おそらく一生慣れることはないだろうとクオンは思う。


「イレーヌの実力は私も知っている。我々七至徒と渡り合えるだけの〝力〟があることも認めよう。だが、あくまでもだ。〝翁〟あたりならともかく、ナウールを相手に勝ちを拾えるほどではない」

「だから信じられない……そう仰りたいのですね、シエット様」


 ここぞとばかりに会話に割って入ってきたイレーヌに、シエットは首肯を返す。


「模擬戦ならともかく、ナウールが得手とする合いにおいてはな」

「ワタクシと〝弟〟の戦いが、殺し合いではなかったとしたらどうです?」


 イレーヌの言葉の意味を吟味しているのか、シエットは数瞬の沈黙を挟んでから「聞かせてもらおうか」と、続きを話すよう促した。


「シエット様ならばご存じかと思いますが、〝弟〟にとって人を殺すことは、人を愛することと同義。その相手が家族ともなれば、それこそたっぷりと〝愛〟を注ごうとするのは必然です。ゆえに〝弟〟は、〝殺し〟に至るまでの過程をたっぷりと愉しむために、ワタクシとの戦いを可能な限り長引かせようとしていました。驕り抜きに断言させていただきますが、いくら相手が七至徒といえども、相手に後れをとるほどワタクシは弱くありません」

「ゆえに、ナウールの抜けた穴を埋めることができると?」

「はい。実力的には〝弟〟に劣ることは認めますが、戦闘という一点を除いたあらゆる分野においては、〝弟〟よりもはるかに有能だと自負しております」

「そうか……


 シエットの言葉に、クオンは思わず目を丸くしてしまう。


「シエットさん。『それでいい』とは、どう意味です?」

「言葉どおりだ。今のような調子でいけば、明日の陛下との謁見も乗り切ることができるだろう」

ですか。わたしたちの出迎えに来てくれたのは、それを伝えるためだったってわけですね」

「半分正解といったところだな。伝えることはまだ他にもある」


 そう言って、シエットは一呼吸挟んでから言葉をついだ。


「おそらくは奴の言う〝愛〟に起因しているのだろうが、ナウールは姉捜しに《終末フィンを招く者ブルヴェート》の情報網を利用するような真似は一切しなかった。ゆえに陛下も、他の七使徒も、ナウールの捜していた〝姉〟が、貴様の雇っていたメイドであったことは誰一人として関知していない」

「その顔ぶれだと、わたしがメイドさんを雇っていること自体、知っている人は少なそうですねぇ」

「いたとしても、ルナリアくらいだろうな」


 シエットの推測に、クオンは心底嫌そうな顔をする。〝仮面〟のクオンにとって、性的な意味でこちらにただならぬ興味を持っている第四位ルナリアは数少ない天敵だった。

 そんなクオンの反応を右から左に流しながら、シエットは話を続ける。


「貴様のように、七至徒候補になった時点で下働きを雇うのは特段珍しい話ではない。ゆえに、陛下にしろ、他の七使徒にしろ、わざわざ下働きそこに興味を持つことはなかったということだ」

「それはつまり……イレーヌさんがナウールさんの実の〝お姉さん〟だったことに気づけなかったことは、《終末を招く者フィンブルヴェート》全体の失態だとシエットさんは言いたいわけですね?」

「今の話だけで、もうそこまで見抜いたか」


 呆れたように吐息をついた後、「そのとおりだ」と肯定する。


「さらに言えば、ナウールの死が奴自身の狂気が招いた結果であり、奴の方からわざわざイレーヌのもとへ向かったことは紛れもない事実。ゆえに陛下も今回の件に関しては、多少なりとも貴様に同情している。謁見の際に下手を打たなければ、そう悪いことにはならないだろう。……だが」


 シエットは踵を返し、こちらに背を向けると、


「今回の件で、陛下の駒である七至徒の一人を死なせてしまったこともまた事実。だということを、肝に銘じておくことだな」


 それだけ言い残し、振り返ることなくクオンたちの前から立ち去っていった。

 シエットの背中が見えなくなったところで、〝仮面〟を緩めたクオンは困ったような顔をしながらも、人を見る目が図抜けている〝妹〟に訊ねる。


「えっと……要するにシエットさんは、明日の謁見の話だけじゃなくて、忠告もしに来てくれたってことでいいんですよね?」

「いいと思うよ。たぶんだけどシエットさん、イレーヌさんがナウールさんの〝お姉さん〟だってことには前から気づいてたっぽいし」


 まさかすぎる言葉に、クオンは思わず「はい?」と間の抜けた声を漏らしてしまう。


「イレーヌさんの話だと、ナウールさんが七至徒になったのは五年前。そして、お姉ちゃんがイレーヌさんを雇ったのが四年前。ということは、ナウールさんは割と近くにいるはずのイレーヌさんを捜し出すのに四年もかかったことになる。いくら《終末フィンを招く者ブルヴェート》の情報網を使わなかったとはいっても、それってさすがにおかしいと思わない?」

「まさか……ナイアはこう言いたいのですか? シエットさんは、わたしがイレーヌさんを雇った時点で、彼女がナウールさんの〝お姉さん〟である可能性に気づき、ナウールさんにバレないよう情報を操作していたと?」

「あくまでも推測だけどね。ま~、単純にナウールさんが人捜しがヘタだったって線もあるけど」


 言いながら、イレーヌを見やる。

 それだけで察したイレーヌは、ナイアの遠回しな質問に淡々と答えた。


「ネイティアル一族を頼る顧客クライアントの中には、行方をくらませた標的を見つ出した上で殺してほしいと依頼してくる方も少なくありません。一族史上最強の凶手と謳われた〝弟〟に限って、人捜しが苦手などということはあり得ません。もっとも、ワタクシほど得意というわけでもありませんが」


 だから〝弟〟はワタクシを見つけるのに何年もかかった――と言わんばかりの物言いに、クオンとナイアは揃って苦笑する。


(仮にナイアの推測が当たっていたとしても、シエットさんを味方と見るのは、やはり少々危険だと言わざるを得ませんね)


 シエットは、七至徒の中では最も任務に忠実な人間だ。

 仮に任務の内容が、自らが取り立てた七至徒クオンを殺せというものであったとしても、彼は微塵の躊躇もなく任務を遂行するだろう。

 

 だが、そういう特殊な仮定が絡まない限りは、シエットがクオンたちの敵に回ることはまずない。

 あまり気を許しすぎるわけにはいかないが、クオンたちにとってシエットが、帝国内において最も頼りになる人間であることに違いはない。


(結局のところ、今までどおりというだけの話ですね)


 クオンにとって間違いなく味方だと言える人間は、ナイアとイレーヌの二人だけ。

 けれど、それとは別にシエットの忠告を素直に受け取ることにしたクオンは、明日の謁見を乗り切るためにも、今一度気を引き締め直した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る