第143話 家族

 ショートヘアの黒髪と緋眼が特徴的な双子の姉妹――クオンとナイア、空色の髪と群青色の瞳をしたメイド――イレーヌの三人は、山を下りてからすぐにギュルヴィの町の病院へ向かった。


 イレーヌの実の弟であり、七至徒第六位でもあるナウールに斬られて重傷を負わされたナイアは入院することとなり、そのナウールとの戦闘で左腕を骨折したクオンも、どうせだからと〝ナイア〟と同じ病室のお世話になることにした。

 細かい傷は多いものの大きな傷は一つもなかったイレーヌは、いつもの無機質無表情で「仲間は外れは嫌です」と駄々をこね、クオンとナイアの世話をさせてほしいと病院の関係者を説得。

 クオンが皇帝直属の部隊――帝国内おいても、それ以外の情報は開示されていない――である《終末を招く者フィンブルヴェート》の幹部ということもあってイレーヌの駄々は通り、結果、三人仲良く同じ病室に泊まり込むこととなった。


 そうしてようやく落ち着いたところで、ナイアとイレーヌはヨハンたちを匿った件についてクオンに話し、


 クオンは、自分とヨハンとの間にあったことの全てを、二人に話した。


 ヨハンに恋してしまったことを。

 任務に従い、ヨハンの故郷を滅ぼしてしまったことを。

 その結果、ヨハンにどうしようもないほどに憎まれてしまったことを。

 それでもなお、自分がヨハンを愛していることを。


 そして、


 ヨハンを生かすために、ヨハンの覚悟を固めたことを。


「そんなことがあったんだ……」


 ヘッドボードに背を預ける形でベッドに座していたナイアが、哀げな顔で呟く。

 その表情のせいか、その身に纏う病衣の下では、ザックリと斬られた胴を含めてそこかしこに包帯を巻かれたり綿紗ガーゼを貼られたりと痛々しい有り様になっているせいか、どこか儚げな雰囲気を醸し出していた。


 ナイアのベッドの傍で椅子に腰掛けているクオンも、病衣を着ている点や、体のそこかしこに包帯を巻かれたり綿紗ガーゼを貼られたりしている点は同じだが、折れた左腕を三角巾で吊っているせいで視覚的にはナイア以上に痛々しい有り様になっている。


 ただ一人イレーヌだけが、いったいどこで調達してきたのか、ナウールとの戦いでボロボロになったメイド服の代わりに新品のメイド服を身に纏い、ベッドの傍で元気に直立していた。


「つらいよね。お姉ちゃん」


 全てを聞いた上で心の底から心配してくれる〝妹〟に、クオンは弱々しい笑みを返す。


「あまり優しい言葉をかけないでください。……泣いてしまいそうになるから」


 その言葉に嘘はなかった。

 今この部屋には自分も含め、家族である〝妹〟と、家族に等しい〝お姉さん〟の三人しかいない。

 ゆえに今は〝素〟の状態になっているため、狂気の〝仮面〟をかぶっている時に比べて格段に〝妹〟の優しさが胸に染みていた。

 それこそ、言葉どおりに泣いてしまいそうになるほどに。


「泣いてしまいそうになる、ですか」


 今の今まで黙って話を聞いていたイレーヌが、ポツリと呟く。


「そういえばワタクシ、クオン様が泣いているところを見たことがありません。ですのでナイア様、クオン様にじゃんじゃん優しい言葉をかけて差し上げてください」

「うん! 任せて!」

「……今、凄い勢いで涙が引っ込んでいったんですけど」

「ガーン」


 例によって感情の欠片も感じさせない声音で言うものだから、さしものクオンも苦笑を隠しきれなかった。

 そして、苦笑それ以外にも隠しきれないものがもう一つ。

 無機質無感情に珍妙なことを口走るイレーヌが、あまりにもいつもどおりすぎることへの安堵も、隠しきれていなかった。


 イレーヌが何と言おうが、クオンが、彼女の実の弟であるナウールをこの手で殺したのは事実。

 正直〝仮面〟の有無に関係なく、罪悪感を覚えずにはいられない。これは願望に近い想像だが、イレーヌはあえていつもどおりに振る舞うことで、「〝弟〟のことは気にしないでください」と言ってくれている気がしてならなかった。


「それにしても、お姉ちゃんが誰かに恋しちゃうなんてね~」


 ニヤニヤ笑いながら、ナイア。

 改めてはっきりと指摘されたクオンの頬が、みるみる赤くなっていく。

〝仮面〟を被っていれば、わざとらしく恥ずかしがって誤魔化していたところだが、〝素〟のクオンにそんな芸当ができるわけもなく、顔を真っ赤にして狼狽えることしかできなかった。


「いや~。お姉ちゃんに先越されちゃったな~。悔しいな~」


 棒読み気味の煽りがかえって余計に羞恥心を刺激され、いよいよ耳まで真っ赤になってしまう。


「そ、それはですね……ナイア」


 と言いながらも、クオン自身いったい何が「それはですね」なのか、さっぱりわからなかった。


「恋する乙女なクオン様も大変可愛らしいと、ワタクシは思いますよ」

「わたくしも、大変可愛らしいと思いますよ」


 無表情とニヤニヤ笑いを同時に向けられたクオンは「もう……」と力のない吐息を漏らしながら、赤くなった顔を隠すように片掌で頭を抱えた。が、次の瞬間、この病室に近づいてくる、明らかに常人のそれとは異なる気配を察知し、一つ息をついてから〝仮面〟を被る。

 途端、顔を染めていた赤が、潮が引くようにみるみる消えていった。


「……イレーヌさん」

「はい。存じております」

「何が?」


 と、一人小首を傾げていたナイアだったが、すぐにくだんの気配に気づき「あっ」と小さく声を上げる。

 それからほどなくして、入口の扉を二度ノックする音がこだまする。

 クオンが「どうぞぉ」と応じるとゆっくりと扉が開き、商人風の男が部屋に入ってくる。

 見る者が見ればわかる、それゆえに〝上〟は目指せないとハッキリと断言できる、《終末を招く者フィンブルヴェート》の木っ端の構成員だった。

 おそらくは、七至徒四人がこの町ギュルヴィへ向かったことを受けて、状況確認のために遣わされた者だろうとクオンは推測する。


「捜しましたよ。クオン様」


 どこか震えた声音で、構成員は言う。

 その反応だけで大凡おおよそのことを察したクオンは、構成員が言葉をつぐ前に用件を言い当てた。


「ナウールさんの件ですね」

「そ、そのとおりです……」


 予想どおりと言うべきか、狙いどおりと言うべきか。

 この構成員はこちらに来る前に、クオンたちがあえて残してきたナウールの死体を目撃したらしく、声音は先以上に震えていた。


「ま、まさかとは思いますが……クオン様がナウール様を……?」


 直接的な言い回しを避けながらも、構成員が訊ねてくる。

 クオンは内心の葛藤を〝仮面〟で隠しながら、イレーヌに視線を送った。

 空色髪のメイドは目礼することで承知の意を示すと、いつもどおり淡々と、されど真実と嘘を交えながら構成員に伝える。


「〝弟〟を殺したのはクオン様ではありません。このワタクシ、です」

「……は? 〝弟〟? ネイティアル?」


 突然かつ衝撃的なイレーヌの言葉に理解が追いつかないのか、構成員が呆けた顔で呆けた声を漏らす。

 そこからさらに畳みかけるように、クオンは三角巾の中から封書を取り出し、構成員に渡した。


 封書には、ナウールが〝愛〟のためにイレーヌのみならず、一緒にいたナイアを襲ったこと。

 クオンが駆けつけ、ナイアを護りながらナウールの説得を試みるも失敗に終わったこと。

 その際に、クオンが左腕を折られたこと。

 邪魔者がいなくなったところで、イレーヌとナウールの一騎打ちになったこと。

 先の戦闘でクオンが取り落としたナイフを使って、イレーヌがナウールの心臓を刺し貫いて決着したこと。

 そして、クオンと同じ七至徒を殺した責任をとるためにイレーヌが《終末を招く者フィンブルヴェート》入りを志願していることなど……ナウール殺しについての嘘の経緯が、不自然にならない程度に事細かに書き記されていた。


首都バルドルに戻ったら、この封書を七至徒第二位シエットさんに渡しておいてください。詳しい話は全て封書そこに書いておきましたので」

「〝弟〟の遺体の扱いにつきましては、アナタ方にお任せします」

「は、はい……わかりました……」


 構成員は生返事をかえすと、封書を懐に仕舞ってから一礼し、部屋から去っていった。

 気配が完全に遠ざかったところで、ナイアが深々と息を吐く。


「本当にこれで大丈夫なの? お姉ちゃん」

「大丈夫……とは、さすがに言えませんね。シエットさんはともかく、この件で皇帝陛下がどのような判断を下すのかは、全く想像がつきませんから」


 不安を隠しきれない姉妹に、イレーヌは淡々と断言する。


「大丈夫ですよ。クオン様。ナイア様。このワタクシが、なるようにならせてみせますから」

「……全然大丈夫に聞こえないのは、気のせいかな?」

「そもそも『なるようにならせてみせます』という言い回し自体、ちょっとおかしくないですか?」

「そうでしょうか?」


 ナイア、クオン、イレーヌの順で、疑問を口にすると同時に小首を傾げていく。

 それがなんだかおかしくて、クオンとナイアは揃って小さく噴き出した。


 決して良い状況だとは言えないけれど。

 束の間だとわかっていても。

 わたしの傍には、〝妹〟が、〝お姉さん〟がいる。

 そのことが、ただただ心強くて、ただただ楽しくて、ただただ幸せだと思うクオンだった。

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