第142話 澱魔の少女
ガイが全ての
「ヨハン……大丈夫かい?」
「……大丈夫だ」
そんな返答とは裏腹に、自分の状態が「大丈夫」からは程遠いことを、ヨハン自身が誰よりも理解していた。
それでもなお「大丈夫だ」と返したのは、テストは勿論、すぐそばにいるレティアにも余計な心配をかけさせたくなかったからに他ならなかった。
「そんなザマで何が大丈夫だってんだよ」
こちらに戻ってきたガイが、
「今のてめぇのツラ、死人みてぇになってんぞ」
そう指摘され、思わず自嘲めいた笑みを浮かべてしまう。
そんな顔になっていても不思議ではない――そう思ってしまったがゆえに漏れた自嘲だった。
同時に、つい先程まで思考を放棄していた自分が、今は当たり前のように頭を回し、当たり前のように受け答えができていることを、今さらながら自覚する。
どうやら、体が、心が、魂が、魔法の使用を拒絶したという事実は、ヨハンにとっては思考の放棄すら許さないほどに衝撃的なものだったようだ。
当然、今のヨハンが一応ながらも会話が成立できる状態にあることは、ガイも気づいており、
「またいつ腑抜けるかわかったもんじゃねぇから、今の内に聞いとく。魔法士……てめぇ、
あまりにも遠慮がなさすぎる問いに、テストは「ガイ!」と窘めようとするも、
「いい、テスト。今はガイくらい無神経な人間を相手にしている方が、気が楽だからな」
「はんッ。減らず口を叩く余裕があるってことは、答える気力もあるってことでいいんだな?」
「……ああ」
絞り出すように肯定したものの、すぐには答えを返すことが――いや、
そんな苦渋が顔に出ていたのか、レティアがガイに向かってこんなことを訊ねる。
「あの……それ、絶対に今答えなきゃいけないような話ッスか?」
「さっきも言ったが、今のこいつはいつ腑抜けるかわかったもんじゃねぇ。だから、まともに話ができる内に答えてもらわねぇと、こっちが困る」
「でも、どうせ質問するならもう少し遠慮というものがあった方がいいと、わたしは思うんスよ。……え~と……」
レティアの顔がみるみる困ったものに変わっていくのを見て、ガイは毒気を抜かれたようにため息をつく。
「ガイ・イリードだ。一応付け加えておくと、おれもテストと同じグラムの騎士だ」
「騎士さんだったんスかっ!? そんなに口が悪いのにっ!?」
「おまえの方こそ遠慮ってもんがねぇな、おい!?」
いつでも話に割っては入れるよう気構えていたテストが、思わずといった風情で噴き出す。
瞬く間に空気が緩んだおかげか、ヨハンもほんの少しだけ心が軽くなった心地になる。
「……ガイ」
ヨハンは可能な限り語気を強めて、ガイを呼ぶ。
問いに答える決心がついたことが顔に出ていたのか、今度はレティアも口を挟もうとはしなかった。
とはいえ、さすがにはっきりと明言できるほどの決心はついておらず、迂遠な言い回しでヨハンは答える。
「どうやら僕の中で、魔法に対する認識が
「はんッ。何がおれと同じだ。おれは確かに魔法が嫌いだが、ゲロ吐くほどの嫌悪感は持っちゃいねぇよ」
珍しくヨハンのことを気遣うようなことを口走ってしまったせいか、バツが悪そうにそっぽを向く。
そんなガイにテストは苦笑を浮かべるも、すぐに表情を引き締め直し、真剣に、真摯に、先のヨハンを思わせるほどに迂遠な言い回しで訊ねた。
「ヨハン。キミが魔法に嫌悪感を抱くようになったのは、やはり魔法が世界の
苦しげに苦々しげに首肯を返すヨハンに、テストは痛ましげな表情を浮かべるも、だからこそ心を鬼にしなければならないと思ったのか、すぐさま質問を重ねる。
「なら、聖属性魔法に関してはどうなんだい?」
「それは……」
テストの言うとおり、魔法に嫌悪感を抱くようになってしまった理由は、魔法によって世界の理を歪めることを識ってしまったせい――つまりは、自分の魔法のせいで《
その理屈に照らし合わせれば、世界の理を歪めることはないとマティウスが明言した聖属性魔法ならば、心も、体も、魂も、拒絶しないかもしれない。
そこまで考えが及んでなお、ヨハンは「大丈夫だ」「使える」などと前向きな返事をかえすことができなかった。
理屈如きで左右されるほど、今のヨハンが魔法に対して抱く忌避と嫌悪は、軽いものではない。
ブリック公国の〝みんな〟は、《
だから、ヨハンがこうも徹底的に自分を責める必要はどこにもない。が、他ならぬヨハン自身が、それを良しとしなかった。
マティウスの魔法によって火葬した〝みんな〟が
「……すまない。少し、考えさせてくれ」
「いや、ボクの方こそすまない。少々無神経だった」
「おまえが無神経だったら、この野郎に名指しで無神経な人間扱いされたおれはどうなるんだよ?」
「それって、神経がないどころか、逆にめっちゃ神経太いってことにならないッスか?」
「……マジで遠慮ってもんがねぇな、おまえ」
遠慮と同じくらいに悪意がないレティアの言葉に、ガイは軽く頭を抱える。
女であることが発覚して以降のテストに対する態度といい、ナイアと接していた時の態度といい、やはりガイは異性に対して何かと甘い傾向にあるようだとヨハンは思う。
そんなどうでもいいことに思考が及ぶ程度には、心が持ち直してきていることを自覚しながら。
「つうか、また
そんなガイの提案に従い、四人はこの場から離れることにする。気を利かせてくれたのか、テストとガイがこちらとの距離を空ける形で前を行く中、
「見て見てヨハンさん! わたしの手からジャンジャン水が出るッスよ! 口をゆすぐなら今ッスよ!」
ほらほらっ――と迫ってくるレティアに気圧されるように、ヨハンは言われたとおりに口をすすぐ。
素直に彼女の厚意――と言っていいのかは微妙なところだが――に甘えたのは、多少なりとも心が持ち直したことで、
ヨハンが口内をすすぎ終えたところで、レティアは三つの水玉を創り出し、歩みを止めることなく器用に
「この体ってほんと不思議ッスよね~。わかんないことだらけのはずなのに、力の使い方とかはなんとなくわかっちゃうっていうか」
邪気のない言葉だったからこそ、ヨハンの胸を抉るには充分すぎる言葉だった。
なぜなら彼女がこんな体に――
「すまない。あの時、僕が村を離れなければ……」
「そ、そんな! アレはヨハンさんのせいじゃ――ひゃあっ!?」
前を歩いていたテストとガイが悲鳴に反応して即座に振り返るも、水に濡れた地面と「たはは……」と誤魔化すように笑うレティアを見ただけで全てを察し、二人して何事もなかったかのように視線を前に戻した。
レティアもまた視線をこちらに戻したところで、地面に落ちた水玉が飛び散ったことでヨハンの
「ごごごごめんなさい、ヨハンさん!」
こちらが謝っていたはずなのに逆に謝られている状況に、さしものヨハンも苦笑を隠せなかった。
「これくらいなら、すぐに乾く。だから気にしなくていい」
「でも……」
心底申し訳なさそうにしていたレティアだったが、何か思いついたように「あっ」と声を上げると、ニンマリと笑いながらこんなことを言ってくる。
「じゃあ、お言葉に甘えて気にしないことにするッス。だからヨハンさんも、わたしがこんな体になっちゃったことは気にしない方向でよろしくッス」
「そういうわけにはいかな――」
「そういうわけにはいっちゃっていいんスよ。
そう言って、屈託のない笑みを浮かべる。
言葉以上に雄弁に「嬉しい」という感情が伝わってくる笑みを。
「それにヨハンさんが、今もこうして帝国と戦ってるってことは……〝あの時〟、わたしたちの仇を討ってくれたってことでいいんスよね?」
〝あの時〟とは言うまでもなく、ストウロ村で《
ゆえに、どうしても顔に苦みが滲んでしまうも、レティアに余計な心配をかけさせないためにも、できるだけ気丈に「ああ」と返した。
「こんなこと言っちゃうと悪い子だって思われるかもしれないスけど、仇を討ってもらえたことも、どっちかって言うと嬉しいんスよね。ラスパー兄ちゃんを殺して、村をメチャクチャにしたラガルって人、グラムの騎士さんでも敵わないくらいに強くて、笑いながら人を殺すようなひどい人だったから……」
自分で言ったとおり、そんな風に考えるのは「悪い子」だと思っているのか、誤魔化すように笑いながら言葉をつぐ。
「まあ、〝あの時〟『
自ら誤魔化したいことを増やしてしまったレティアは、申し訳なさそうに笑みを深めた。
無自覚に、ほんの少しだけ、ヨハンの心を救ったことにも気づかずに。
ヨハンがラガルを殺したことは、言ってしまえば、レティアたちを殺されたことへの復讐だった。
復讐に身を委ねているからこそ、その行為について賛美も否定もするつもりはない。
だが、それでも、自分が行なった復讐が
もっともヨハンは、復讐の果てに救われたいなどと思うこと自体が
「けど、一番嬉しかったのは、ヨハンさんがわたしの
先程
気づいたのはその時だろうな――などと思いながらも、懐から
「あっ! 別に返してほしいとか、そういう話じゃないッスからね!? 今のわたしじゃ
さしものレティアも最後の言葉は照れくさかったのか、「まあ、元を辿れば、わたしの物じゃないんスけどね」と、言い訳がましい言葉を付け加えた。
しかし、こう何度も嬉しい嬉しいと言われると、まともな精神状態とは言い難い今のヨハンでも、こそばゆいものを覚えてしまう。
レティアが水の
レティア・ベルという少女が良くも悪くも思ったことをそのまま口に出す性分で、嬉しいという言葉に嘘がないことがわかっている分、余計に。
その恩返しというわけではないけれど。
本当は真っ先に伝えるべきだった、彼女にとって最も嬉しいであろう報告をしようとヨハンは決心する。
「レティア」
改まった言い方になってしまったせいか、レティアは微妙に気後れしたように「な、なんスか?」と返してくる。
「君の
不意に、レティアは立ち止まる。
そんな彼女に合わせて、ヨハンも足を止める。
「はは……こんな体じゃなかったら、絶対泣いてたとこッスね……」
その言葉どおり、レティアは今にも泣き崩れそうな、感極まった表情をしていた。
「ヨハンさんが取り戻してくれたんスか?」
「いや。ミーミルを取り戻したのは、ガイを含めたグラムの騎士だ。僕はその手伝いをしただけにすぎない」
「じゃあ、取り戻したのはヨハンさんッスね」
どこかイタズラっぽく、レティアは笑う。
彼女がそう言うならそれでいい――つい、そんなことを考えてしまいたくなる笑顔だった。
「二人とも! 立ち止まってたらガイに置いてかれるよ!」
こちらの足が止まっていることに気づいたテストが、声を掛けてくる。
彼女の隣にいたガイは「さすがに置いていかねぇよ」と言わんばかりに眉根を寄せていた。
レティアは二人に手を振って返すと、ヨハンの背後に回り、
「ほらほら行くッスよ。ヨハンさん」
背中を押しながら歩き出した。
ヨハンが、決して強いとは言えない圧力に逆らうことなく歩き出す中、レティアは心底嬉しげに言う。
「ありがとう。ヨハンさん」
ミーミルのことを言っていることに気づいたヨハンは、
「だから、僕は取り戻す手伝いをしただけだと言っているだろう」
とは言いながらも、レティアと再会して初めて、己を嘲るものでもなければ、頭に「苦」がつくものでもない、
◇ ◇ ◇
ヨハンたちが歩き出すのを確認してから、テストとガイは視線を前に戻し、先程までしていた話を再開する。
「じゃあレティアは、おまえと魔法士しか生き残らなかったっつうストウロ村で……」
「……ああ。《
とはいえ、ストウロ村で住人と《グラム騎士団》の同志になるはずだった人たちが
女であることを隠していたせいもあって、騎士団内における友人、知人の
だが、それでも、自分自身が殺された挙句に
そして、ともに行動することになった以上、ガイにだけ何も話さないというわけにはいかない。
ストウロ村での出来事をヨハンとレティアに話させるのはあまりにも酷なので、
「ボクが知っていることは、こんなところだね。まあ、詳しく知っていたとしても、これ以上踏み込んだことは話さなかっただろうけど」
「そこまで根掘り葉掘り聞く気はねぇよ。気が滅入るだけだしな」
その言葉は、ガイ自身に向けられたものというよりも、すでに気が滅入っているこちらに向けて言ったものであることを〝視〟て取ったテストは、微苦笑を浮かべる。
「つうか、これから先どう動く? いくら七至徒がてめぇの勝手で動く連中ばかりっ
三人とは、ほんの数十分前に出会った三人の七至徒――マティウス、ルナリア、ナウールを指した言葉だった。
さらに付け加えると、ナウールの話が本当ならば他にももう一人、七至徒がこの地に来ていることになる。
いくら七至徒といえども、誰一人として〝上〟――帝国上層部に報告していないと考えるのは、楽観を通り越して愚かというものだ。
「それ以前に、七至徒の半数近くが一つ所に集まった時点で、帝国上層部はその場所で『何かあった』と考えるはず。そこにボクたちがいるとは思ってなかったとしても、相応の人員が送り込まれると考えた方が無難だろう」
「つうことは、やっぱ今は、この辺りからは離れて身を隠すしかねぇってことか」
「ああ。……
目的地からどんどん遠ざかっていく現実に、二人して歯噛みしてしまう。
「今は割り切るしかないよ。ガイ」
「……だな」
復讐のために帝国にやってきたにもかかわらず、逃げ回ることしかできないことを悔しく思っているせいか。
いつの間にか二人の足取りは、ひどく重苦しいものになってしまっていた。
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