第141話 拒絶
旅装に身を包む銀髪碧眼の魔法士――ヨハンは、水の
その身はおろか、生前着ていた旅装さえも水でできた少女の背中を見つめながら、ただただ漫然と。
もう何が何だかわからなかった。
この数十分の間に起きたこと全てが、全く理解できなかった。
……いや。
理解できないわけではない。
その気になれば全てを理解することができる。
けれど、頭が、心が、理解することを拒んでいた。
ヨハンにとって拠り所であり、希望であり、存在意義でもあった魔法は、《
ミドガルド大陸で魔法の使用を禁止させる理由となった、世界の
魔法によって殺された人間には〝
それはつまり、
そしてその〝徴〟は、どうやら死してすぐの亡骸にもつけることができるらしく、ヨハンが弔いのつもりで亡骸を
七至徒第五位――マティウスが人工的に
ヨハンがクオンへの復讐を誓って以降、魔法の力で為したこと全てが、無駄を通り越して害悪でしかなかった事実に吐き気を覚える。
マティウスが言っていたことは全てデタラメだと己に言い聞かせようにも、マティウスの魔法によって〝みんな〟を
何よりヨハンの魔法士しての知性が、マティウスの言葉が嘘ではないことを否応なしに理解していた。
理解していたから、理解を拒んだ。
理解していたから、何も考えられなかった。何も考えたくなかった。
「さすがに、こんだけ離れりゃ充分だろ」
先頭を走っていた、騎士服に似た衣装を身に纏う橙髪蒼眼の青年――ガイが、ゆっくりと足を緩めながら皆に言う。
「そうだね。どうやら向こうは、ボクたちを追う気はなかったみたいだし」
思考を放棄していても、今やすっかり身に染みついた状況把握の習慣が無意識の内にヨハンの首を動かし、周囲の様子を確かめさせる。
巡らせた視界に映ったのは木々の群れだった。
何も考えずに漫然と走っていたせいで規模のほどは全く把握できていないが、どうやらここは森の中らしい。
そこまで確認したところで、ようやく回り始めた頭が、森に逃げ込んだのは先頭を走っていたガイの判断だろうと何とはなしに推測する。
そしてそのまま
質量すら感じるほどに重い沈黙が、皆の肩にのしかかる。
話すべきことは山ほどあるのに、ヨハンにかける言葉が見つからないのか、テストはおろかガイさえも押し黙っていた。
そんな中、空気を読んだレティアが、おずおずと会話の口火を切りにかかる。
「え~っと……まずは、わたしの自己紹介から始めちゃってもいいスか? ヨハンさんはともかく、テストさんとはちょっと顔見知りって程度だし、そこのお兄さんとは完全に初対面だし」
テストは反応らしい反応を示さないヨハンを痛ましげに見やった後、そこのお兄さんことガイに視線を送る。
ぶっきらぼうな首肯が返ってきたところで、テストは三人を代表してレティアに応じた。
「そうだね。お願いできるかい?」
レティアは「勿論ッス!」と、水でできた胸をトンと叩く。
その瞬間、テストとガイは揃って瞠目した。
「おい、テスト。今の音はさすがにおかしくねぇか?」
ガイの言葉に、テストはぎこちない首肯を返す。
そこから発せられた音は紛うことなく人間のそれだった。
まかり間違っても、水を叩いた音には聞こえなかった。
ガイの言うとおり、確かにそれはおかしい話だった。
そして、だからこそテストが返した首肯はぎこちないものになってしまった。
このまま今の話を掘り下げることは、レティアが
年端もいかない彼女にはつらい話になるので、できることなら避けたい話題だった。かと思いきや、
「んん?」
当のレティアが胸を叩いた音を疑問に思ったらしく、今度は手を打ち鳴らし始める。
パチン――と、またしても人間のそれと変わらない音が飛び出し、レティアは可愛らしい眉をひそめながら「んむむ?」と唸った。
「わたしの体、おかしくないッスか?」
むしろおかしいところしかないわけだが、さすがに、そのことを指摘するような真似はテストもガイもしなかった。
「すっごい今さらッスけど、ヨハンさんの手とか普通に握れてたし……ヨハンさんっヨハンさんっ」
名前を呼びながら、ボンヤリと突っ立ているヨハンの肩をペシペシと叩く。
ここまで無遠慮な接し方をされては無反応というわけにはいかず、ヨハンはのろのろと首を曲げ、レティアに顔を向けた。
すると彼女はニッカリと笑い、
「これだけいっぱい触ったのに、ヨハンさんの肩全然濡れてないッスよ! 凄くないッスか!」
「……ああ。そうだな」
ヨハンが返した言葉は、ひどく
兄のラスパーを、同じ村で育ったスレットとトムソンが殺された挙句、レティア自身も殺されてしまったというのに、彼女が心配していることは
そんな生前と変わらないレティアに、ヨハンは安堵にも似た感情を抱きながらも、そんな彼女を死なせてしまった挙句、
それを顔に出すほどの生気が残っていなかったことだけが、今のヨハンにとっては救いだった。
そんなヨハンの様子を〝視〟て、やはり今はそっとしておいた方がいいと判断したのか、テストは、ヨハンから引き離すようにレティアに話しかける。
「レティア。ちょっとボクの手を握ってみてくれないかい?」
それは、触れても濡れない水の体の感触を直接確かめるために言った言葉だったが、
「いいッスけど……なんか、
言葉どおり照れくさそうにする、レティア。
〝生身〟ならば、顔が赤くなっていることが容易に想像できる照れっぷりだった。
そんな彼女を前に、テストは気まずそうに頬を掻く。
レティアは、テストがグラムの騎士であることを知っている。
テストのことを迷うことなく男扱いしていることから、《グラム騎士団》に女は入団できないという不文律についても、まず間違いなく知っていることだろう。
今はもう《グラム騎士団》から離れてしまっている上に、この中でレティアだけがボクが女であることを知らないのは、それはそれで具合が悪い――そう思ったテストは、正直に自分の性別を教えることにした。
「グラムの騎士だから男だと思うのは無理もないけど……違うんだ、レティア。ボクは騎士団に入るために男のフリをしていただけで、本当はキミと同じ女なんだ」
「………………………………へ?」
ひどく長い沈黙を経て、ひどく間の抜けた声がレティアの口から漏れる。
「ちょ、ちょ、ちょっとズルくないッスか、それっ!? ていうかわたしも、男の子に変装してストウロ村に行ってたら、もしかしてチャンスがあったってことッスかっ!?」
素人同然のレティアでは、性別どうこう以前に実力が足りなくて騎士団には入られないのは確実だが、さすがに今ここでそのことを指摘できるほど、テストの神経は太くなかった。
レティアを前にタジタジになっているテストをよそに、
「もう自己紹介もへったくれもねぇな、こりゃ」
と、ガイがため息まじりに独りごちた直後のことだった。
漫然と呆然と立ち尽くしていたヨハンが、背後から近づいてくる魔力の群れを感知したのは。
ヨハンよりも一瞬遅れて、剣士にあるまじき魔力感知力を有するテストが、彼女よりもさらに遅れて、最近魔力感知の特訓をしているガイが魔力の群れに反応する中、ヨハンは懐から
レティアの口から「あっ」と、どこか嬉しそうな声が漏れるのをよそに、ヨハンは魔力の群れを感知した方角を凝視した。
ほどなくして現れたのは、岩の鳥に、水の犬に、炎の猪……ミドガルド大陸においては特段珍しくもない、
ちょうどいい相手だ――と、ヨハンは思った。
現実から逃避する相手として。
心の奥底にわだかまる、やり場のない感情をぶつける相手として。
動物型のみで構成された
まずは引き金を絞り、岩の鳥を筆頭とした飛行タイプの
続けて、範囲内にいる全ての敵を岩槍で串刺しにする地属性魔法――アルバセメタリーの呪文の詠唱を開始。
「汝を貫きしは、絶死の墓標――」
そのまま魔名を唱えようとした瞬間、
「――ッ!?」
胃の底から言いようのない嫌悪感が込み上げてきたのも束の間、ヨハンの口から
「ヨハンさんっ!?」
レティアが素っ頓狂な声を上げるのをよそに、すでに
ヨハンのことが心配だったテストは
胃の中にあった物を全て吐き切り、それでも足りないとばかりに胃液をも吐きながら、ヨハンは愕然とする。
(まさか……僕は……)
そこから先は、心の中でさえも言葉をつぐことができなかった。
なぜならそれは、ヨハンにとっては絶望以外の何ものでもない言葉だったから。
(違う……絶対に違う……!)
そう自分に言い聞かせるも、延々と込み上げてくる嫌悪感が、
(僕は……僕は……)
魔法を発動する直前に吐いてしまった時点で、わかりきっていたことだった。
でも、それでも、受け入れられるわけがなかった。
拒絶しているのだ。
ヨハンの心が、体が、魂が、魔法の使用を拒絶しているのだ。
(あり得ない……そんなこと、絶対にあり得ない……!)
受け入れられない現実すらも吐き出すように、ヨハンは胃液が尽きるまでただひたすらに吐き続けた……。
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