第99話 混迷、極まる

 王城にたどり着いたテストは、そこで奇妙な光景を目の当たりにすることになる。


 とうとう王城の敷地内まで攻め込んだ味方も、必死になって王城を守る敵も、まるで〝そこ〟から逃げるようにして戦っているのだ。

 当人たちは〝そこ〟から逃げている自覚もないまま、ただ無意識の内に〝そこ〟から離れるようにして戦っているのだ。

 


 テストは全力で気配を殺し、味方にも敵にも気づかれることなく、〝そこ〟――王城奥にある外庭に足を踏み入れる。

 瞬間、全身の血が逆流するような感覚に襲われる。


 殺意でも敵意でもない、ただただ忌避感を覚える〝意〟。

 その〝意〟に晒された人間の多くは忌避感に抗えず、知らず知らずの内に逃げ出してしまう、ある種結界にも似た役割を果たす魔人の〝技〟だった。

 もっともにとっては、〝技〟と呼ぶにも値しない、児戯に等しい代物なのかもしれないが。


 人払いをしたくなるような〝糧〟でも見つけたのか、それとは別に、そうしなければならない理由でもあったのか。

 兎にも角にも、この好機を逃す手はない。


 テストは、微塵の躊躇もなく魔人の領域に踏み込んでいく。

 その目的は、皇弟ユーリッドを討つためではなかった。

 野盗に襲われて両親を失ったテストにとって唯一の家族であり、剣の師匠でもあったゼクウ。

 その仇を討つために、テストは、王城奥の外庭を目指して駆け抜けた。



 ◇ ◇ ◇



 ヨハンは老爺を前に、身じろぎ一つとれないでいた。


 この老爺が、自分とガイの武装媒体ミーディアムを受け止めた理由。

 それについては、ヨハンは、その優れた魔力感知力をもって理解していた。

 理解していたから、余計に信じられなかった。

 老爺が体内を巡る魔力を右掌のに集中させ、寸分の狂いもなくガイの大剣クレイ媒体モアを受け止めたことを。

 ヨハンが放った魔力の弾丸を、左人差し指のに魔力を集中させ、ガイと同じく寸分の狂いもなしに受け止めたことを。

 弾丸はともかく、豪快極まるガイの一閃を、押せば転びそうな小さな体で受け止めたにもかかわらず、微動だにすらしなかったことを。


 ヘルモーズ帝国の皇族に連なる血筋は、武装媒体ミーディアムなしで魔力を顕現する力を持っているという話は聞いたことがある。

 だが、体内の魔力の流れを自在に操り、集中させることで、武装媒体ミーディアムを超える硬度を肉体に付与するなどという話は見たことも聞いたこともなかった。


 だからこそ、否応なしに気づいてしまう。

 老爺の小さな体の内に秘められた〝力〟が、人の域はおろか人外の域をも超えていることを。


 老爺の〝力〟に気づいたのは自分だけではなく、理性が吹き飛ぶほどの怒りを露わにしていたガイさえも、脂汗を浮かべながら、身じろぎ一つとることなく硬直していた。


(何なんだ、この老人は!?)


 そんなヨハンの心中を見透かしたかのように、の声が外庭に響く。


「七至徒第一位グランデル・ホーエンフェルト。その歳になってなお強くなることしか頭にない、《終末を招く者フィンブルヴェート》きっての狂人だ」


 そう言いながら現れたのは、王衣に身を包んだ金髪銀眼の男。

 気品すら漂う出で立ちから、この男が皇弟ユーリッド・ロニ・レヴァンシエルであることを、誰何すいかするまでもなくヨハンは理解する。


「いやはや、強くなることしか頭にないとは随分な言い草ですなぁ。ユーリッド君」


 などと、おどけるグランデルを睨みながら、ヨハンは心の中で呻く。


(この老人が、グランデルか……!)


 七至徒第一位の存在については、テストから聞かされている。テストの師匠の仇である以上、相当な実力者だろうということは見当がついていた。だがその実物は、相当な実力者という表現ではまるで足りないほどの魔人だった。


(テストはこんな化け物を仇にしているのか……!?)


 いくらテストでも勝てるわけがない――そう思った直後、



「グランデル・ホーエンフェルトッ!!」



 男とも女ともとれる怒声が、外庭に響き渡る。

 まさかと思い、身じろぎ一つとれない体の代わりに視線だけを声が聞こえた方角に向けると、そこには、中性的な美貌にかつてないほどの怒り滲ませた、テストの姿があった。

 その時、視界の外にいるクオンが動揺する気配を感じたような気がしたが、今のヨハンに、テストから目を離す余裕はなかった。


「師匠の仇っ!! 今ここで討たせてもらうっ!!」


 テストは地を蹴り、刹那にも満たぬ間にグランデルに肉薄する。

 続けて、グランデルの細首目がけて、長剣媒体ソードが神速の軌跡を描く。


 だが、


「はてさて」


 長剣媒体ソードは、グランデルには届かなかった。


「仇ですか。すみませんが、心当たりがありすぎて誰のことを言っているのか、とんとわかりませんなぁ」


 グランデルが、首筋まで迫っていた光刃を、親指と人差し指で摘まみ止めていたがゆえに。

 テストは顔に出かけた驚愕を怒りで上塗りし、グランデルに向かって声を張り上げる。


「一年前っ!! ジンクリット公国でオマエが殺したっ!! 〝閃神せんじん〟ゼクウだッ!! 忘れたとは言わせないぞっ!!」


〝閃神〟の二つ名とゼクウの名前を聞いて、グランデルが得心した表情を浮かべたその時。


 グランデルの気がほんのわずかでも緩んだ瞬間を狙い澄ましたように、王城二階から二人の騎士――ハインツとヨーゼフが外庭に飛び降りてくる。

 着地位置は一人佇むユーリッドの近く。

 彼らの足ならば、三足もあれば届く距離だった。


「ここで討たせてもらうッ!!」

「覚悟ぉおおおぉぉぉぉおおぉッ!!」


 ハインツたちは地を蹴り、瞬く間にユーリッドに肉薄する。


 一方ユーリッドは、狼狽一つ見せることなく、


「やめておけ」


 斬りかかろうとするハインツたちに向かって、淡々と忠告した。


「貴様たち程度では、グランデルを出し抜くことはできん」


 直後、


「失礼」

「っ!?」


 グランデルは長剣媒体ソードの光刃を摘まんだままテストを持ち上げ、ハインツたちに目がけてぶん投げる。

 その矮躯わいくからは想像もできない怪力だった。


「く……っ」


 飛矢を超える速度で投げ飛ばされたテストは、ハインツたちとの衝突を避けるべく、どうにかして身を翻そうとする。

 衝突を避けようとしていたのはハインツたちも同じで、すぐさま後ろに飛ぶも、


「どうやら、はもう伸び代がないようですなぁ」


 飛んだ先には、いつの間にか回り込んでいたグランデルの姿が。

 ハインツもヨーゼフもいまだ空中。

 グランデルを攻撃をかわす術は、ない。


「ですので、今ここで小生の〝糧〟になっていただくとしましょう」


 手刀一閃。

 首が宙を舞った。


 死を覚悟していたせいか、ヨーゼフは着地に失敗し、地を転げながらも即座に起き上がる。


「なぜだッ!? なぜハインツだけを殺したッ!?」

「彼には小生の〝糧〟になるだけの強さがあり、貴方にはなかった。ただそれだけの話ですよ」


 人好きのする笑みを浮かべながら、余人には理解できないことを口走る。

 その狂気を前に、ヨーゼフは、ヨハンとガイと同様身じろぎ一つもとれなくなってしまう。


「何が〝糧〟だっ!!」


 投げ飛ばされ、城壁の手前で着地したテストが、怒号をあげながらグランデルに突貫する。

 勢いをそのままに刺突を繰り出すも、グランデルはそれを人差し指一本で容易く受け止めた。


「そう言ってオマエは、ゼクウおじいちゃんを殺したっ!!」


 テストは長剣媒体ソードを引くや否や、神速の連撃をもってグランデルを攻め立てる。


「そんな下らない理由でっ!!」


 グランデルはその悉くを、人差し指一本で容易く捌いていく。

 神速程度では遅すぎると言わんばかりに。


「おじいちゃんをっ!!」


 それは、テスト自身は勿論、彼女の強さを知るヨハンにとっても悪夢のような光景だった。


「ゼクウ殿が得意とする、神速の剣。その若さでここまで練り上げるとは、見事なものですなぁ」


 易々とテストの連撃を捌きながら、グランデルはぬけぬけと言う。その言葉の内容が内容だったからか、テストは思わずといった風情で飛び下がった。


「……どうやら、思い出したようだな」


 怒気に満ちた目で睨むテストに、グランデルは人好きのする笑みで応じる。


「ええ。この七〇年の間、ゼクウ殿ほど大きな〝糧〟となった方は、片手で数えるほどしかいませんから」


〝糧〟という言葉に、テストは憎々しげに歯噛みするも、


「しかし、あの時のが一年かそこらでここまで成長するとは……あの時に見逃した甲斐もあったというものですなぁ」


 続けて出てきた言葉に、先とは別の意味で歯噛みしてしまう。


(あの老人、空気を読めないのか読む気がないのか……!)


 ヨハンも同じように歯噛みしながら、視線をガイとヨーゼフに巡らせる。

 幸運なことに、二人ともグランデルの言葉の意味を完全には理解できていない様子だった。


 このまま話を流せば有耶無耶うやむやにできるかもしれないとヨハンは思うも、テストの双眸に覚悟にも光が宿るのを見て、思わず表情に悲痛を滲ませてしまう。

 すぐ傍にいるクオンも、わずかながらも同じ悲痛を表情に滲ませているが、ヨハンがそれに気づくことはなかった。


 そんな二人の悲痛を知ってか知らずか、テストは自分が女であることを決然と肯定する。


「……そうだ。オマエが見逃した、おじいちゃんの死体に縋りついてただ泣くことしかできなかった小娘が、このボク……テスト・アローニだ」


 嘘偽りのないテスト・アローニがオマエを斬る――そんな気迫に満ちた言葉だった。事情を知らないガイとヨーゼフが吃驚する中、グランデルは笑みを深めながら応じる。


「良い気迫ですなぁ。今ここで〝糧〟にするのはもったいないですが、応えてあげるのもまた一興――」


「グランデル」


 文字どおり水を差してきたユーリッドに、グランデルは興ざめしたような視線を向ける。


「どうなされたのですか?」


 その言葉に、グランデルは深々とため息をつく。


「間の悪さは相変わらずですなぁ。


 と、言った直後のことだった。



 ドクン――



 魂の底に響く鼓動が、空間に、世界に、刻まれる。

 この現象を知っていたヨハンとガイが瞠目し、話だけは聞いていたテストが苦々しい表情を浮かべ、何も知らないヨーゼフが狼狽する中、



 ドクン――



 二度目の鼓動。

 その時にグランデルがこちらを、ヨハンとクオンを繋ぐ鋼糸を見て――普通は見えるような距離ではないが、この魔人ならば見えているのだろう――難しい顔をしているのを、ヨハンは見逃さなかった。



 ドクン――



 三度目の鼓動。

 それが聞こえた瞬間、視界に映る世界が崩れ、色褪せていく。

 

(まさか、また〈狭間の世界〉に落とされ――)


 唐突に視界が暗転し、浮遊感が体を包む。

 意識が遠のいていくのは、ミーミル村では経験しなかった感覚だった。

 そのせいか、なんとなく、落ちる場所は〈狭間の世界〉ではないと、ヨハンは意識が完全に途絶える直前に、根拠もなく確信した。



 ◇ ◇ ◇



 ――起きて。


 誰かが、僕を呼ぶ声が聞こえた。


 ――起きてください。


 女の、声だった。


 ――聞きたいことがあるんです。


 聞き覚えのある、声だった。


 ――だから、お願いだから、起きてください。


 う、この声は……


 ――お願いだから。



(〝あの女〟の声だッ!!)



 既視感を覚えながらもヨハンは上体を跳ね起こし、右手に短銃媒体ピストルの感触があることを確認してから念じて弾丸を込め、〝あの女〟――クオン・スカーレットに向かって銃口を向け――


「きゃっ!?」


 予想だにしなかった悲鳴が耳朶に触れ、ヨハンは引き金にかけていた指を止める。銃口の向こうにいるクオンは尻餅をついたまま、目を、こちらに向けていた。


(……どういうことだ?)


 クオンの様子がおかしいことを訝しがりながらも、それとなく視線を周囲に巡らせ……絶句する。

 周囲の景色が、予想とは大きく異なって――否、常識とは大きく異なっていた。


「なんだ……ここは……」


 闇色の空に浮かぶ、大小無数の大地。その向こうに見える、川のように流れ、動き回る、星に酷似した幾億幾兆の輝き。

 足元に視線を落とすと、大地が青白い光を宿し、脈打つように明滅している様子が見て取れた。


 あまりにも常識外れな世界に圧倒されていると、クオンが、なぜか背筋を伸ばしながら改まった口調で訊ねてくる。


「一つ、聞いてもいいですか?」


 あの忌々しいみも浮かべていなければ、欠片ほどの狂気も感じられなかったせいか、


「なんだ?」


 ヨハンはつい、話を促してしまう。

 するとクオンは嬉しそうにを浮かべ、この常識外れな世界よりもはるかに信じられないことを、言いにくそうに訊ねてきた。


「あの……変な質問ですみませんけど……?」


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第4章終了。次章公開は五月くらいを予定しとりマース。前後する場合は近況ノートで告知しマース。

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