第97話 チェックメイト
王都壁上で、テストの
「ちぃ……ッ」
アルトランは舌打ちを漏らしながら、脇腹に迫る
テストの神速の剣を前に、アルトランは防戦を強いられていた。
ストレイトスにやられた右肩の傷が、まだ完治していないという理由もある。
全体の指揮を第一軍団長に任せたとはいっても、〝下〟――地上の戦況がどうなっているのか気になって、目の前の
だが、こちらが押されている最大の要因は、
(強い……! ストレイトスと比べても遜色ないほどに……!)
かつて経験したことがない速度の斬撃を受け止めながら、アルトランは心の中で呻いた。
クオンからの報告により、テストの実力が七至徒に匹敵することは知っていた。
それでもなお、今目の前にいる、少女のような美貌を持つ
しかし、だからといって今ここで自分がやられるわけにはいかない。今ここで自分が敗北してしまったら、軍そのものの敗北に大きく近づくことになる。
そうなってしまった場合の〝備え〟をしているとはいっても、絶対に避けなければならない事態であることに違いはない。
今はこの難敵を退けることに集中する――決断したアルトランは、首筋に迫る斬撃を受け止めると、
「ぬぉおおおおおおおおおおッ!!」
「く……っ」
その圧力を前に、テストはたまらず飛び下がる。
「ふぅ……さすがに強いね」
一つ息をつき、
ほんのわずかながらも声音が乱れているところを聞くに、呼吸を整えるために話しかけてきたのは明白だった。
けれど、
「それは、こちらの台詞だ」
息が上がりつつあったのはアルトランも同じなので、あえて話に乗ることにする。
「強いといえば、《グラム騎士団》の精強さにはいつも舌を巻かされる。策に嵌めて士気も兵力も削ったというのに、〝下〟の戦況は確実にこちらが押されている」
テストと戦っている間、アルトランに〝下〟の戦況を確認する余裕はなかった。が、初めは壁の外側から聞こえていた戦闘音が、徐々に壁の内側に移動し、ついには王城の方角から聞こえてくるようになっていったことから、アルトランは〝下〟の戦況をある程度把握していた。
そして、〝下〟の戦況が
「減らされた兵力はどうにもならなかったけど、どこかの誰かさんが泥をかぶってくれたおかげで、士気はむしろ上がったくらいだからね」
「それはまた、迷惑なことをしてくれる誰かさんもいたものだな」
そう言いながら、アルトランは両手で
これから刺突を放つ――そう宣言するように。
「ここで勝負を決める気かい? 将軍」
「そのつもりだ。第一軍団長はよくやってくれているが、どうにも、私自身が指揮を執らねば巻き返せない状況になりつつあるのでな」
「ボクがそれを、許すと思っているのかい?」
「思っていないから、こうして勝負に出ようとしているわけだよ」
「なるほどね」
得心しながら、テストは
二人の周囲を、静寂が満たしていく。
息苦しさすら覚えるほどに、空気が張り詰めていく。
刹那、
「つぇえええええええええええいッ!!」
地を蹴り、引き絞った両腕を解放してアルトランは突進の刺突を繰り出した。
眉間目がけて
その斬撃の〝起こり〟を察知したアルトランは、
(かかった!)
前に突き出していた
〝起こり〟を察知し、テストが斬撃を繰り出す前に仕掛けることで剣速差を補った渾身の一撃。
膂力はこちらが上なので、この一撃が決まれば、テストの手から
(とった!)
「!?」
本来あるべきはずの
決まったはずの一撃が空振ってしまったことに動揺しかけるも、アルトランは強靱な精神力で一瞬の内に心を鎮めた。
だが、その一瞬の動揺を見逃すほど、目の前にいる少年騎士は甘くなかった。
「ぐは……ッ」
隙とは呼べない一瞬を狙い澄ました神速の一閃が、アルトランの胴を
ギリギリのところで飛び下がって致命傷は避けたが、あくまでも死なずに済んだというだけで傷は深い。勝敗は決したと言っても、過言ではないほどに。
アルトランはよろめきながら後ずさり、地に刺した
「まさか、打ち払われる直前に
それが、
そして、アルトランの
「これも、どこかの誰かさんのおかげといったところかな。まあ、その誰かさんほど上手くはできなかったけど」
アルトランは苦笑を浮かべ、
「どうやら君の周りには、有能な誰かさんが大勢いるよう――ぐふッ、げほッ」
苦しげに血を吐き出した。
そんなアルトランを、テストは憐れみも侮りもせずに油断なく
「チェックメイトだよ、将軍」
その直後、アルトランの背後から複数の足音が聞こえてくる。
いよいよ壁上を制圧した騎士たちが、テストの加勢にやって来た音だった。
テストが、壁が崩落した側を背にしているため、アルトランは今、敵に挟み撃ちにされた形になってしまっていた。
「チェックメイトか……」
確かに、
認めたからこそ、ここで果てる覚悟を決めた。
「さて、それはどうかな」
斬られた胴から血を滴らせながら、天を
加勢に来た騎士たちが身構える中、テストただ一人だけが訝しげな表情を浮かべていた。
それを見てアルトランは、
(勘もいい、か。私の最後の相手なのだ。そうでなくてはジスファーに顔向けできない)
ジスファーのことを思い浮かべたせいか、漏れかけた苦笑を噛み殺す。
いくつも想定していた最悪の事態に備え、帝国兵ではなく《
その合図によって、行なわれることは三つ。
一つは、アルトランが有する全権を委譲する旨と、撤退を視野に入れて戦えという
一つは、《
最後の一つは、魔法の力をもって、アルトランもろとも周囲の敵と建築物を破壊し尽くすこと。
それら三つの悪足掻きのために、王都のそこかしこに身を潜めさせていた《
「!? まずい! みんな離れろ!!」
いよいよこちらの意図に気づいたテストが声を張り上げ、遅れて、構成員たちが一斉に魔法を発動する。
岩弾が、火球が、水砲が、風刃が、氷矢が、雷撃が、アルトランたちがいる壁上に殺到した。
(結局……私の方は、ジスファーが羨ましがるほどの戦いはできなかったな)
将軍という立場にいるせいもあるが、戦いの行方を見届けないまま死ぬのは……無念だった。
自分の最後にふさわしい強者とは戦えたが、ジスファーのように笑って逝ける気はしなかった。
だが、未練はなかった。
いつ死んでもおかしくない身なので、妻は娶っていない。
親兄弟はいるが、もう一〇年近く顔を合わせていないせいもあって、残して逝くことに気兼ねするものは何もない。
ただ……未練というほどではないが、七至徒の少女のことだけが、少しだけ気がかりだった。
もし自分が妻を娶っていたら、今頃彼女くらいの子供がいたのかもしれないと、ほんの少しだけ思ったこともあった。
そんな少女が、死と隣り合わせの世界に身を置いていることに、思うところがないと言えば嘘になる。
少女の強さも弱さも目の当たりにしている分、余計に。
そんなことに思いを馳せている内に、魔法の激流がアルトランを呑み込んでいく。テストに気づかれたせいで敵を巻き込むことはできなかったが、今自分が立っている外壁はきっちりと壊してくれていたので良しとする。
ここさえ派手に崩れてくれれば、自分の生死を曖昧にする材料が出来上がる。
意識を保てたのは、そこまでだった。
魔法の激流に呑まれたアルトランの体は引き千切られるように消し飛び、申し訳程度に残った肉片は、もろとも破壊され、瓦礫と化した外壁とともに地上へ落ちていった……。
◇ ◇ ◇
「やられた……!」
テストは、魔法攻撃によって崩れた壁上の
アルトランを殺した魔法士たち――おそらく《
「やられた……というのは?」
テストのおかげで命拾いした、加勢に来た騎士の一人がおずおずと訊ねてくる。
「アルトラン将軍は、自分の体を跡形もなく消し飛ばさせることで、自分の生死を
「し、しかし、アルトランが死ぬところを見た人間は、敵味方問わずいるはず」
「戦場で、目の前の敵以外に目を向けられる人間が、いったい何人いると思う? 仮にいたとしても、《
「そ、それでも、アルトランを討ち取ったことを言いふらせば、味方を鼓舞し、敵を混乱させることくらいは――」
「言いふらしたとして、将軍の死体が残っていないことは、どう説明するつもりなんだい? ボクたち騎士が使っている
いよいよ反論できる材料がなくなったのか、騎士は口ごもる。
アルトランの死体が消し飛んだ以上、こちらが将軍を討ったという証拠はない。
証拠がないから、《
この一週間の戦いで、アルトランは状況に応じて王都内を移動し、指揮を執っていたため、帝国兵たちには「将軍の姿が見当たらないのは、別の場所で指揮を執っているからだ」と伝えるだけで、しばらくは誤魔化せる。
自分の死すら想定していた人間が、自分が死んだ後のことを託す人間を用意していないとは思えない。
だから、指揮系統の乱れは期待できない。
アルトランの死体が消し飛んだことで、敵に対しても味方に対しても、彼の死を――悪い言い方なのは重々承知だが――有効に活用することできない状況に陥っていた。
「とにかく、アルトラン将軍については伝達兵を使って、ストレイトスさんに報せておいてくれ」
「テ、テストは、これからどうするつもりだ?」
「ボクは――」
言いながら、視線を王城に向ける。
「――当初の予定どおり、王城組の手助けに行く。アルトラン将軍の死を有耶無耶されようとも、ユーリッドさえ討てばこちらの勝ちだからね」
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