第96話 復讐鬼

 ようやく、だった。


 ようやく、この時を迎えることができた。


 クオンという怪物に対抗できるだけの戦術を練り、最低限渡り合えるだけの〝武〟を身につけ、ようやくこの時を……復讐の時を迎えることができた。


(後は〝奴〟を殺すだけ……!)


 城壁の上に立ち、目算二〇〇メートル先の空中回廊に立つクオンを睨みつける。

 怒気と殺気が入り混じった視線を、クオンは真っ向から受け止め、みを浮かべた。


「あまり見つめないでくださいよ、ヨハン。なんだか照れちゃいます」


 無視してさっさと戦いを再開したいところだったが、誘い込むまでもなく自分にとって有利な環境で相対できた状況を堅守したかったヨハンは、その〝楔〟を打ち込むために、今は我慢してクオンに応じることにする。


「相変わらず、反吐が出そうな戯れ言だな」

「そこはほら、ちょっとだけ我慢して付き合ってくださいよ。折角、あつらえたように邪魔者がいないんですから」


 確かに、誂えたように邪魔者がとヨハンは思う。


 見張りまでもが戦いに駆り出されたのか、城壁の上には一人の兵士もいなかった。そのおかげでヨハンは、たいした労もなく壁上に飛び移ることができ、空中回廊にいるクオンを見つけることができた。


 第二尖塔と第四尖塔の間にある空中回廊では、王城に侵入した手練れの騎士たちが帝国兵を相手に激闘を繰り広げているが、第一尖塔と第二尖塔を繋ぐ空中回廊は別世界のような静謐さを保っており、人の姿も、クオンとガイ以外は見受けられない。

 もっとも、落下防止のために設けられた壁によって視界を遮られているだけで、クオンたちの足元には濃厚な死の気配が漂っているが。

 唯一邪魔者となり得るガイは、怪我をしているのか、両腕を垂れ下げたままクオンを睨んでいるだけで動く気配はなかった。


(いや……動く気配がないというよりも、動こうとする自分を抑えつけているように〝視〟えるな)


 怒りと悔しさと悲しさが入り混じったガイの表情を〝視〟て、そう確信する。

 そして、ガイがそんな表情をしている理由は一つしかない。

 カイが殺されてしまったのだ。

 クオンの手によって。


 睨んだまま動けないでいるのは怪我のせいもあるだろうが、それ以上に、クオンに勝てないという確信と無力感が、ここでクオンに挑んでも無駄死にするだけだという現実が、ガイの体を雁字搦めに縛り付けているせいだとヨハンは断定する。

 まさしく自分も、クオンによって経験させられたことだから。


(本当に、この女はどこまでも……!)


 仲間と呼べるほど親しかったわけではないが、それでもカイの死は、ヨハンの復讐の炎をさらに燃え上がらせるには充分な出来事だった。


 視線をガイからクオンに戻し、吐き捨てるように言う。


「お前の戯れ言に付き合ったところで、どうせまた《終末を招く者フィンブルヴェート》に入れとかほざくだけだろう? いい加減諦めろ。僕の答えは未来永劫変わらない」

「でしょうね」


 意外すぎるクオンの返答に、ヨハンは思わず眉をひそめてしまう。


「安心してください。もう《終末を招く者フィンブルヴェート》の一員になってくれだなんて言いませんから。ただ、これだけは言っておきたかったんです……」


 クオンのみが狂気に彩られた瞬間、彼女の内から殺気にも似た凶気が噴き上がる。ガイはおろか、ヨハンでさえも、後ずさりかけるほどの禍々しさだった。


「あなたの復讐は、わたしの手で終わらせます。勿論、〝これ〟には付き合ってくれますよね? ヨハン」


 その言葉に、ヨハンも嗤う。

 クオンの凶気が乗り移ったような禍々しさで。

 だが、心は凶気に充ち満ちていても、あくまでも冷静な理性が〝楔〟を打ち込むならここだと的確に判断を下す。


「当然だ。存分に付き合ってやる。


 あえて、吐き気を催すような言葉を吐く。

〝奴〟が僕に執着していることを利用し、という〝楔〟を確実に打ち込むために。


「誰も僕たちの間には入らせない……ですか」


 クオンのみが、少しだけ嬉しそうに、少しだけ哀しそうに揺らめく。

 ヨハンは努めてそれに気づかないフリをしながら、右掌を夜天にかざし、


「〝ブラウンハウンド〟」


 話は終わりだと言わんばかりに、詠唱を省略した改編魔法を発動。

 右手を振り下ろし、クオン目がけて五つの岩弾ブラウンハウンドを発射した。



 ◇ ◇ ◇



 岩弾の群れが、クオンに迫る。


(どうやらこれは、〝ブラウンショット〟の改編魔法のようですね)


 岩の砲弾を一発だけ飛ばす魔法――〝ブラウンショット〟。

 それを改編して五つ同時に岩弾を具象し、さらには追尾する特性まで付与したのが〝ブラウンハウンド〟だとクオンは推測する。


(思えば、ヨハンの改編魔法を実際にこの目で見るのは初めてですね)


 不思議な感慨を覚えながらも、クオンは左手に持った軽刃媒体ブレードで、全ての岩弾を斬り払った。が、


いかずちよ、く走りて敵を穿て――〝サジタリウムレヴィン〟」


 その隙に、ヨハンが雷属性魔法を詠唱。

 掌から放たれた紫電の矢が、落雷の如く夜闇を引き裂いていく。

 雷を見てからかわすのはクオンといえども不可能だが、詠唱に耳を傾けることで何の魔法をどういうタイミングで発動するのかを、かざしている掌の向きからどこに狙いをつけているのかを、事前にることができる。

 掌をかざす必要がない魔法でも、周囲に気を張っていればその予兆を察知することができる。


 ゆえに、どんな魔法だろうがクオンにとって回避そのものはそう難しいことではなく、一歩後ろに下がることで易々と紫電の矢サジタリウムレヴィンをかわしてみせた。


(とはいえ、さすがにこの距離を保たれるのはまずいですね)


 自分は、この距離から攻撃を仕掛ける手段を持ち合わせていない。

 空中回廊ここに留まっていても、ただ一方的にヨハンの魔法攻撃に晒されるだけだ。

 そんなこちらの思考を読み取るように、ヨハンが再び〝ブラウンハウンド〟と〝サジタリウムレヴィン〟で攻撃を仕掛けてくる。


(だからといって、城壁に飛び移って接近を試みたところで、入れ替わるようにして空中回廊に逃げられるのがオチですね。足場がじゃ、翠風シルフィーロンドを使ってるヨハンの方が機動力が上でしょうし)


 思案しながら〝ブラウンハウンド〟を斬り払い、〝サジタリウムレヴィン〟をかわす。


(ここはわたしが追うのではなく、ヨハンに追わせる方向でいきましょう。場所を変えて味方がいなくなれば広範囲魔法を使われるかもしれませんが、一方的に攻撃されるだけの今の状況よりははるかにマシですしね)


 方針が決まったところで、ヨハンの味方――ガイを一瞥する。

 ガイは、憎悪と無力感がぜになった目でこちらを睨んでくるだけで、戦いに介入しようという気配は感じられなかった。


 おそらく、ヨハンが現れたことで頭が冷えたのだろう。

 感情に任せて挑んだところで、無駄死にという形で弟の仇を討つ機会を自ら潰してしまうことに気づき、どうにか、かろうじて、歯を食いしばって、踏み止まっていた。


(……今の彼は、まともに戦える状態じゃない。放っておいても問題はないでしょう)


 そう判断したクオンは空中回廊から飛び降り、そのすぐ下にある天守キープの屋根に着地する。

 ガイに弾き飛ばされた軽刃媒体ブレードの片割れが、この辺りに落ちているはずなので視線を巡らせてみるも、屋根の傾斜に弾かれて下まで落ちてしまったのか見つけることはできなかった。

 

 そうこうしている内にヨハンが空中回廊に飛び移ってきたので、軽刃媒体ブレードの回収は諦め、屋根の上を走って第一尖塔の裏へ移動する。ほぼ同時に、ヨハンが〝ブラウンハウンド〟と唱える声がかすかに耳朶に触れた。


(先程から〝ブラウンハウンドそれ〟ばかり。追尾性能があるからという理由もあるでしょうが、それ以上にヨハンが、王城を極力傷つけたくないと思っているのは明白。だったら、城内に誘い込めば……)


 と考えるも、クオンはすぐさまかぶりを振り、諦め混じりに〝ブラウンハウンド〟を斬り払って、ヨハンから逃げるように屋根の上を駆けていく。



『当然だ。存分に付き合ってやる。これは僕とお前だけの戦い。誰も僕たちの間には入らせない』



 戦いを始める前、ヨハンはそう言っていた。

 屋内戦の方が自分にとって有利だからといって、大勢の帝国兵が守りについている城内に戦場を移せば、邪魔が入るのは必至。

 それは、ヨハンは勿論、クオン自身も望むところではない。


 そこまで考えたところで、はたと気づく。

 自分の心理が、ヨハンに誘導されていることを。


(僕とお前だけの戦いだの、誰も僕たちの間には入らせないだの、ヌアークにいた頃に言われたら嬉しい言葉だったから、つい素直に受け止めてしまいましたけど……よくよく考えたら、ヨハンらしくない言い回しでしたね)


 そこまでわかっていてなお、誘導に乗る以外に選択肢はなかった。

 ヨハンが〝クギ〟を刺してきたからなおさら強く意識させられたというだけで、もともとクオンは、ヨハンとの戦いに邪魔が入るのは初めから避けるつもりでいた。


(皇帝陛下直々に確殺命令が下された以上、帝国兵も《終末を招く者フィンブルヴェート》も、ヨハンを発見し次第殺しにかかってきますからね。彼らが近くにいては、ヨハンの命を救うことなんてできません)


 何から何まで、状況はクオンに不利に働いている。

 あるいは、こういう状況だからこそ、ヨハンはここで決着を付けようとしているのかもしれない。


 復讐を果たすために。


 わたしを、殺すために。


(でも、わたしを殺させてあげるわけにはいきません。ヨハンを殺させるわけにもいきません)


 ヨハンが追ってくる気配を背中で感じながら、クオンは天守の屋根を飛び降り、その下に拡がる主館パレスの屋根に着地する。


「慈悲の雨よ、降り注げ――〝ブルーレイン〟」


 天守の屋根の上から、ヨハンは魔法を発動し、クオンを中心に局所的な雨が主館の屋根に降り始める。

 この時点でヨハンの狙いに気づいたクオンは、屋根を蹴り砕き、その身を雨で濡らしながらも全速力で疾駆する。


「紫電よ、踊り狂え――〝ボルトエクレール〟」


 そして予想どおり、ヨハンは雷属性魔法を発動する。

 だが、その頃にはもうクオンは人間離れした機動力をもって慈悲の雨ブルーレインの範囲外まで脱しており、ヨハンが掌から放射した紫電は、誰もいなくなった雨の中で虚しく踊り狂った。


 全速力を維持したまま、クオンは直近にあった第七尖塔に突っ込み、外壁のわずかな凹凸を足場に尖塔を駆け上がっていく。

 天守の屋根と同じ高さまで駆け上がると、外壁を蹴り、ヨハン目がけて突貫した。


 この距離と速度なら魔名を唱える前に肉薄できる――というクオンの見立てを、ヨハンは、懐から取り出した短銃媒体ピストルで裏切る。

 相対距離が五メートルを切ったところで、ヨハンは背後に高々と飛び下がりながら、二度引き金を絞る。

 クオンは常人離れした反応で、迫り来る魔力の弾丸を軽刃媒体ブレードで弾き、着地。

 中空にいるヨハンを追うべく、屋根を蹴ろうとしたその時、


「〝グリーンガスト〟」


 ヨハンが左掌を横にかざしながら、風属性魔法を発動。

 従来ならば、掌を向けた相手を突風で吹き飛ばす魔法のはずが、ヨハンが使った〝グリーンガスト〟はあろうことか術者を吹き飛ばし、その風力をもってしゅんに、ヨハンの体を空中回廊まで運んでいった。


(これも改編魔法ですか……!)


 クオンは屋根を蹴ろうとした脚を踏み止まらせながら、内心舌を巻く。

 魔法研究員である〝ナイア〟の傍にいたおかげで、それなり以上に魔法の造詣に深いからこそよくわかる。

 魔法を改編する知識と技術は勿論のこと、その使い方に至るまで、ヨハンが紛うことなく天才魔法士であることを。

 それとは別に、ヌアークが陥落する以前のヨハンとは比べものにならないほどに、〝武〟の力を身につけていることを。


(今までヨハンと相対していた時は、わたしにとって有利な状況だったこともあって圧倒できていましたが……今回は、相当厳しい戦いになりそうですね)


 それでも、やるしかない。

 ヨハンの命を救うには、この手でヨハンを斃すしかないのだから。

 四肢を砕き、喉を潰し、再起不能に陥らせ、死よりもつらい罰を与えたと帝国に思い込ませなければならないのだから。

 それしかもう、ヨハンが生き残る道は残っていないのだから……。



 ◇ ◇ ◇



「クソ! クソッ! クソッ!!」


 ヨハンとクオンがいなくなった空中回廊で、ガイは一人悪態をついていた。

 そうやって怒りを吐き出すことで自分を誤魔化さないと、カイの死という現実に耐えられる気がしなかった。


 いや、そもそも、ガイはいまだカイの死という現実を受け入れていなかった。

 受け入れていないから、血溜まりの中に倒れ伏すカイを見下ろす以上のことができなかった。


 その一方で、何百という帝国兵を斬り殺した経験が、カイが間違いなく死んでいることを確信させていた。

 確信させていたから、生死の確認という真っ先にやって然るべき行動をとることができなかった。


 弟の死を受け入れていないくせに、弟の死を確信している矛盾。

 それが己の弱さに起因していることを無意識とはいえ自覚しているものだから、今のガイに、悪態をついて現実逃避する以外にやれることはなかった。


 もっとも状況は、いつまでも現実逃避を許すほど優しくはないが。


「ガイッ!!」


 第二尖塔側から、男の声が聞こえてくる。

 声の主がハインツであることに気づくのにそれなり以上の時間を要してから、ガイはゆっくりと、力のない視線でハインツと、彼と二人一組になっていた騎士――ヨーゼフを見やった。


 こちらまでやってきたハインツたちは、ガイを見て口を開きかけ――カイの亡骸を見てすぐにつぐむ。

 ややあって、ハインツは、


「両腕、大丈夫なのか?」

「……あぁ……。かすり傷だ……」


 覇気のない声で、ガイは応じる。

 どう見てもかすり傷ではない両腕から、血を滴らせながら。


「そうか……。他の連中と合流できたおかげで、俺たち二人だけがこっちに来ることができた。このままユーリッドを討ちに行くつもりだが……ガイはどうする?」


 ガイはカイの亡骸を一瞥した後、投げやりな物言いで答えた。


「ちょっと休んだら俺も行く……。だから……先に行ってろ……」

「……わかった」


 ハインツはやるせなさげに首肯を返すと、ヨーゼフとともに走り出し……第一尖塔にたどり着く少し手前で足を止めた。


「カイのこと、せめてもう少しマシなところで寝かせてやれよ」


 選びに選び抜いた言葉を最後に、ハインツたちは第一尖塔に突入していった。


「……確かに、いつまでも血溜まりの中に寝かせてたら……カイが目ぇ覚ました後に、すげぇイヤミ言われそうだな……」


 弟の死を確信しながらも、弟の死を受け入れようとしない心が、自然と、当たり前のように、矛盾に満ちた言葉を吐き出させる。

 のろのろとカイの亡骸に近づき、片膝をついて両手で抱き起こそうとするも、


「……ッ……」


 クオンに刺し貫かれた両前腕が激痛を訴え、手が止まってしまう。


「……はんッ。たかだか腕を刺されたくらいで、なんてザマだ……」


 自嘲めいた笑みを浮かべると、今度は歯を食いしばって激痛をこらえながらカイを抱き起こし……とうとう、弟の死と向き合うことになってしまう。


 裂かれた喉。


 そこから噴き出した血で濡れた顔。


 わずかに開いた光のない瞳。


 それら全てが、残酷なまでに訴えてくる。

 拒絶しようのない訴えを前に、ガイは否応なしに実感してしまう。

 弟が、カイ・イリードが死んだという現実を。


「なんで……」


 澎湃ほうはいと溢れ出した涙が、カイの頬についていた血の赤を薄くする。


「なんで……おれの方が生き残っちまってんだよ……」


 その理由は、ガイ自身もわかっていた。


 クオンが自分とカイに向かって軽刃媒体ブレードを投擲した後、自分に比べてカイの方が体勢が崩れていた。

 だからあの女は、状況的に殺しやすいカイから先に殺した。

 それだけが理由だった。


「クソ……クソォオオォオォォオオォッ!! 殺してやるッ!! あの女ッ!! 絶対に殺してやるッ!!」


 慟哭じみた怒号を吐き散らすと、カイの亡骸を血溜まりから離れた床の上に寝かせ、近くに落ちていた、すでに光刃が消失していた自身の大剣媒体クレイモアを、両手で力一杯に握り締める。

 それによって両腕が激甚な痛みを訴えてくるも、心をく激甚な怒りが痛覚さえも灼き尽くしていたため、最早ガイが痛みを感じることはなかった。


 この夜新たに生まれた復讐鬼は、己が使命を投げ捨て、クオンを求めて空中回廊を飛び降りた。

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