第55話 療養

 気がつけば、見慣れない天井を見上げていた。

 それだけでヨハンは、今自分がベッドの上に寝かされていることを把握する。

 そして、決戦に勝利した後、味方の勝鬨かちどきを聞いてからの記憶がないことから、そこで自分が気を失ってしまったことをも把握する。


(緊張の糸が切れた途端といったところか。我ながら情けないな)


 心の中で嘆息した後、身じろぎすることで体の状態を確認する。

 骨折した肋と左腕は、包帯よりも丈夫な帯に巻かれ、固定されていた。

 その他諸々の怪我も、どうやら適切な処置が施されているようだ。


 上体を起こすくらいはできそうだ――そう思ったヨハンは、右手をベッドについて体を起こすも、やはりというべきか、全身に痛みが走り顔をしかめてしまう。

 直後、


「ヨハン……!」


 すぐ横から声が聞こえ、顔を向けると、ベッド傍の椅子から今まさに立ち上がろうとしているテストの姿が目に止まる。

 テストはその手に持っていた本を取り落とし、立ち上がった勢いをそのままに、ヨハンに抱きつ――くかと思いきや、前のめりになった体勢で急停止し、「コホン」とわざとらしく咳払いをしてから、本を拾って腰を椅子に戻した。


「おはよう。いや、どちらかと言えば『こんばんは』かな。お寝坊さん」


 窓から差し込んでくる夕陽よりも赤い顔をしながら、やけに気取った言い回しでテストは言う。

 先程抱きつこうとしていたように見えたのは気のせいか?――と思っていたヨハンの疑念を、かえって晴らしてしまっていることにも気づかずに。


(それだけ心配させてしまったということか。僕はいったい何時間……いや、何日眠っていたんだ?)


 兎にも角にも、先程の一幕や火照った顔色については触れてやらないのが人情だと思い、そこから遠ざかるためにも、今抱いた疑問をそのままテストにぶつけた。


「僕はどれくらい眠っていた?」

「二日半といったところだね」

「……そんなに眠ったのは、生まれて初めてだな」


 驚きよりも、呆れの方が大きかった。


「他の騎士から聞いたけど、ジスファーと一騎打ちをして、死闘の末に討ち取ったんだろう? たぶんそのせいで、精根尽き果ててしまったんだと思うよ」


 確かにそのとおりかもしれないと、ヨハンは思う。


 ジスファーとの戦いは、まさしく死闘だった。

 自分一人の力だけでは、勝つことはおろか、生き残ることはできなかったと断言できるほどの死闘だった。

 それを思うと、二日半眠っていたことは、むしろ短いという気さえしてくる。

 実際、目を覚ましてからずっと体は鉛のように重いままだ。

 怪我どうこう以前に、いまだ体力が回復しきっていないのは明白だった。


「君の方こそ、怪我は大丈夫なのか?」


 今さらながらと思いつつも、テストに訊ねる。

 テストもまた、首筋に包帯が巻かれていたり、頬や手の甲に綿紗ガーゼが貼られていたりと、体のそこかしこに治療が施された痕が残っていた。

 着ている服も騎士服ではなく、適当に見繕ったと思われる麻服を身に纏っていた。


「全てかすり傷さ。自分で処置できる程度のね」


 女であることを隠すために自分で処置せざるを得なかった――と言った方が正しいことはヨハンもテストも承知しているが、だからこそ、二人はあえて口に出すような真似はしなかった。


「しかし、かすり傷とはいえ、君がそこまでの手傷を負わされるとはな。相手はやはり、山の中で君が気配を察知した〝敵〟なのか?」


 山中でテストと別れた後、最短最速で山頂を目指したため、彼女が誰とどのような戦いを繰り広げたのか、ヨハンは知らない。


 テストの表情に逡巡が浮かぶも、やがて諦めたようにため息をつき、ヨハンを瞠目せしめる名前を口にした。


「クオン・スカーレットだよ」

「クオンだと!?」


 思わず身を乗り出しかけるも、全身に痛みが駆け巡り、思わず動きを止めてしまう。

 ヨハンは頭を冷やすように一つ息をつき、


「クオンは、どうなった?」


 努めて平静に、されど無意識の内に直接的な表現を避け、テストに訊ねた。


「痛み分けに終わったからね。どうもなってないよ。負わせた手傷も、ボクと似たり寄ったりさ」


 わざとらしく、テストは肩をすくめる。

 クオンとの間には何もなかったことを必要以上に強調しているように見えるのは、自分の考えすぎだろうとヨハンは思う。


「やはりクオンは、君から見ても強いのか?」

「強いね。キミには悪いと思ったけど、殺す気で戦ってなお決着をつけることができず………………逃げられてしまった」


 痛み分けに終わったことがことが悔しかったのか、最後の言葉を口に出すのに、妙に長い沈黙が挟まっていた。


「仮に……だけど、もしボクがクオンを殺していたら、キミは怒ってたかい?」

「怒りはしない。だが、自分の手で仇がとりたかったとは思うだろうな」


 そう答えておきながら、ヨハンは自分の言葉に自信が持てなかった。

 実際にそうなってしまった場合、自分がどういった感情を露わにするのか正直見当もつかなかった。


 そんなヨハンの心中を察したのか、


「……そうか……」


 と、応じるテストの声音は、どこか曖昧だった。


 不意に、部屋の扉を控えめにノックする音が聞こえてくる。

 ヨハンが「どうぞ」と促すと、


「目が覚めたのヨハン!?」


 驚きを表すように、けたたましく扉を開けながら、カルセルが中に入ってくる。

 そんな彼が病衣のようなものを身に纏っているのを見て、今さらながら自分も同じ病衣ものを着ていることにヨハンは気づく。


 カルセルは床を軋ませながらベッドに駆け寄り、マジマジとヨハンをめ回した後、安堵の吐息をついた。


「どうやら、思ったよりも元気そうだね」

「そっちこそな」


 互いに皮肉めいた強がりを言い、苦笑する。

 ヨハンは言わずもがな、カルセルも両腕と右の脇腹に決して軽くない傷を負っている。

 頭に〝思ったよりも〟を付けても、お互いに決して元気とは言えない有り様だということは、二人とも重々に承知していた。


「なんというか、キミたちは本当に仲が良いな」

「子供の頃からの付き合いだからね」

「そういうことだ」


 即答するカルセルとヨハンに、テストはなんとも言えない表情を浮かべる。

 その表情を見て、カルセルは何かに気づいたように片眉を上げ、


「男所帯だと〝そっち〟の趣味に走る人間がいるという話は聞いたことがあるけど……駄目だよ、テストくん。ヨハンには〝そっち〟の趣味はないから。というか、君のような美男子が〝そっち〟の趣味に走ったらシャレにならないから」

「何の話だっ!?」


 真顔で忠告するカルセルに、テストは素っ頓狂な声をあげる。

 カルセルの言葉の意味がまるでわからなかったヨハンは、ただただ首を傾げるばかりだった。


 テストはわざとらしく「コホン」と咳払いをすると、あからさますぎるほどあからさまに話題を変える。


「ところでヨハン。今の状況について確認しなくてもいいのかい?」

「そうだな……そろそろ聞かせてもらうとしよう。まずは、僕たちが今いる場所について教えてくれないか?」

「モニア平原から程近いところにある町の病院だよ。先の決戦で重い怪我を負った人は、だいたいお世話になってる。まあ、ボクがここにいるのは怪我の治療というよりも、キミの護衛のためという意味合いが強いけどね」

「僕の護衛?」


 と、眉根を寄せるヨハンに、カルセルは「やれやれ」と呆れたようにため息をつく。


「ヨハン、あの戦いで自分がどれだけの活躍をしたのか自覚ないだろ? 《終末をフィンブル招く者ヴェート》はおろか、帝国そのものに目をつけられてもおかしくないくらいの大活躍だったから、オイラの方でも気をつけておいてくれってストレイトスさんに言われたよ。なにせ今のヨハンは、身動きのとれるような状態じゃないからね」


 確かに、今《終末を招く者フィンブルヴェート》に狙われたら一溜まりもないと思ったヨハンは、ただ頷いて返すことしかできなかった。


「ちなみに、怪我の程度が軽い人や怪我をしていない人はストレイトスさんに率いられて、カウロウ泊領地の隣にあるシリウス伯領地に移動している」

「シリウス伯の領地は、帝国の侵攻をもろに受けていたはずだが……さすがに連戦は無理があるんじゃないか?」


 ヨハンの疑問に、テストは「そこは大丈夫」と答え、


「ボクたちがアルトラン率いる掃討軍と戦っていた時、シリウス伯の軍も領地に侵攻していた帝国軍と戦っていたらしくてね。形勢は地の利を活かしたシリウス伯軍が有利だったこともあって、掃討軍が撤退した際に一緒に撤退していったよ。それに、ストレイトスさんの狙いは騎士団をシリウス伯領地に駐留させることで、撤退する帝国軍に〝睨み〟を利かせることだから追撃戦になることもないしね」

「そうか。……《グラム騎士団》は、これからどう動くつもりなんだ?」

「その辺りのことはまだ聞かされていないからボクの予想になるけど、たぶん〝待ち〟に徹すると思う」

「〝待ち〟に徹するって……それ、せっかくの勢いを殺すことになると思うんだけど」


 カルセルの言葉に同意するように、ヨハンは頷く。


「決戦に勝った勢いを利用して一気呵成に攻めなければ、帝国軍てきに態勢を立て直す時間を与えることになるぞ」

「態勢を立て直さなければならないのは《グラム騎士団こちら》も同じさ。それに、あの決戦には勝てたと言っても、依然として総兵力は帝国軍むこうの方が圧倒的に上。勢いに任せて攻めるだけじゃ、返り討ちに遭うだけだよ」

「だから〝待つ〟と?」


 釈然としていないヨハンに、テストは少しだけ得意げな笑みを浮かべ、応じる。


「うん。そうだよ。、ね」


 その言葉を聞いて、ようやくヨハンとカルセルは、テストの言う〝待つ〟の意味を理解する。


 復活した《グラム騎士団》が帝国軍を返り討ちにしたという報が王国中に広まれば、それを聞いた血気盛んな若者たちが同志として集まり、帝国を恐れて日和見に徹していた地方領主たちが、翻意して騎士団に協力してくれる可能性が出てくる。

 練度はともかく純粋に数だけを集めるならば、今が最大の好機。

 如何ともしがたい兵力差を埋めるという意味では、確かにテストの言うとおり〝待ち〟に徹するのが最善だと二人は得心する。


「なるほどな。そう考えると確かに――……」


 突然強烈な睡魔に襲われ、ヨハンの上体が傾ぐ。


「大丈夫かい、ヨハン!?」

「大丈夫、ヨハン!?」


 慌て声を重ねるテストとカルセルに、ヨハンは朦朧とする意識を必死に繋ぎ止めながら応じた。


「大丈夫だ……ただ……どうやら僕は……あれだけ眠ったというのに……まだ眠り足りない……らしい……」


 テストとカルセルは顔を見合わせると、


「そういうことなら、今はゆっくりと休むといい」

「お腹が空いたら、ちゃんと言いなよ。丸二日寝てたってことは、丸二日何も食べてないってことだからね」


 カルセルの言葉に思わず苦笑しながらも、ヨハンは体を寝かせ、目を閉じる。

 そこからはもう、あっという間だった。

 睡魔への抵抗をやめた途端、ヨハンの意識は秒と経たずに深い眠りの底に沈んでいった。

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