第54話 敗走

 人間離れした機動力に物を言わせ、テストよりもはるかに早く戦場へ戻ったクオンは、偶然、ヨハンとカルセルがグラムの騎士たちに保護される瞬間を目撃する。

 味方と敵が入り乱れる戦場の最中さなかを縫うようにして駆け抜けていた時に、遠目から垣間見ることができたのだ。


 ヨハンがジスファーと戦い、勝利したことは状況だけで把握することができた。

 味方であり、死んでよかったと思えるような人間でもなかったジスファーが戦死したことは喜べるような話ではないが、それでも、ヨハンがジスファーに殺されるという最悪の事態を免れたことについては、安堵せずにはいられなかった。

 ヨハンがカルセルと再会できたことも含めて、安堵せずにはいられなかった。


 これにより、1パーセントの希望に繋ぐことができた。

 ヨハンが七至徒第三位ジスファーを打倒した以上、説得のチャンスはおそらく一度きり。

 それも、帝国上層部がヨハン排除の判断を下す前に試みなければならない。

 気が遠くなりそうなほどに、分の悪い賭けだった。

 望みがあるだけマシだと、自分に言い聞かせるしかないほどに。


 並みの騎士や兵士では視認すらできない速度で走りながら、クオンは小さくかぶりを振る。


(今、考えることじゃないですね。今は、一刻も早く将軍さんのところに向かわないと)


 ここでアルトランまで討たれるようなことになったら、帝国上層部はますますヨハンを危険視するのは間違いない。

 下手をすると皇帝陛下自ら、ヨハンを殺せと命令してくるかもしれない。

 そうなってしまったら、1パーセントの希望すらも吹き消えてしまう。


 そもそも、ジスファーの戦死は、クオンがヨハンを見逃したことが原因になっている。

 七至徒という〝ナイア〟を護る盾を維持するためにも、これ以上の失態を重ねるわけにはいかない。


(ヨハンの魔法でかき乱され、ジスファーさんが戦死したことで生じた味方の混乱は、収まる気配すらない。将軍さんは、指揮が執れない状況に陥っていると見て、まず間違いないでしょう……!)


 不意に、敵陣の方から「ジスファー討ち取ったり!! ジスファー討ち取ったり!!」と叫ぶ声が聞こえてくる。

 ジスファーの戦死を利用して騎士団みかたを鼓舞し、帝国軍てきの戦意を削ぐために叫び回っているのは明らかだった。


(本当に、急がないと……!)


 加速度的に悪化する状況に、さしものクオンも冷汗を浮かべながら、アルトランのもとを目指して戦場を駆け抜けた。



 ◇ ◇ ◇



「ジスファー討ち取ったり!! ジスファー討ち取ったり!!」


 敵陣から聞こえてくる忌々しい叫び声に、アルトランは歯噛みする。

 戦死の報を聞くまでもなく、アルトランはジスファーが死んだことを把握していた。

 戦場のどこにいようとも感じる、ジスファー特有の圧倒的な存在感が、はたと感じなくなったのだ。


 同時に、ジスファーを討ち取ったであろうヨハン・ヴァルナスも無事では済んでいないことを、アルトランは把握していた。

 先程まで断続的に続いていた、遠目からでもわかるほどに強大な魔法が、はたと見なくなったのだ。


(ジスファー……)


 戦場をにしている以上、いつかはこんな日が来ることを覚悟していた。

 だから今はジスファーの死に嘆くことなく、哀しむことなく、将軍としての責務を全うする……つもりだった。

 ジスファーの死に動揺している味方を鼓舞してやる……つもりだった。

 ジスファーの死を無駄にしないために味方を指揮してやる……つもりだった。


 しかしそれは、目の前にいる忌々しい男が許さなかった。


「どうした? 剣筋が鈍ってるぞ、アルトラン」


 精緻極まる剣技で襲い来る、グラム騎士団長ストレイトス・ユアン・ベイルが。


 アルトランは歯噛みしながらも、その手に持った大剣媒体クレイモアで、斜め上方から襲い来る長剣媒体ソードを受け止める。


「この場に私を釘付けにし、指揮を封じるのが貴様の狙いだったか、ストレイトス!」

「これまでの戦いで、あんたのところの軍は局地的には指揮を執れる者はいても、あんたの代わりに戦場全体の指揮を執れる者は見かけなかったからな。逆にこちらは、優秀な副騎士団長ブレーンがいるおかげで遠慮なく指揮を丸投げすることができる。その差を突かせてもらったよ」

「そして、あわよくば私の首をも取ろうという魂胆か!」

「おっしゃるとおりだ!」


 ストレイトスは大剣媒体クレイモアり合わせていた長剣媒体ソードを横に滑らせ、アルトランの利き手――右手とは反対側の脇腹を斬り裂きにかかる。


「舐めるな……!」


 即応したアルトランは、横滑りの斬撃を大剣媒体クレイモアで上から押し潰し、すぐさま跳ね上げて、ストレイトスを斜に斬り断とうとする。が、その時にはもう攻撃を諦めていたストレイトスは、飛び下がって斬撃をかわしていた。


 ストレイトスの剣技は、敵でありながらも手本にしたくなるほどに洗練されているが、戦い方に関しては、酒でも入っているのかと疑いたくなるほどに、のらりくらりとしている。

 その組み合わせがあまりにもアンバランスすぎるせいで、勝負に出たくても出られない。

 無理に出ようとしても、今みたいにかわされ、仕切り直されてしまう。

 ここでストレイトスを討てば、今からでも形勢を逆転させることができるが、ストレイトスもそれは百も承知している。

 自ら敵陣に突っ込むような〝無茶〟はしても、討たれるような〝無理〟は決してしてこない。

 アルトランを、軍の指揮はおろか戦況の把握すらままならない状況に陥れ、それを維持することだけに注力している。

 ストレイトスが引き連れてきた騎士たちもまた無理に勝負を急ごうとはせず、騎士団長が一騎打ちに専念できるよう、こちらの精兵の足止めに徹している。


 、アルトランは戦況を読み取ることができた。

 ストレイトスが無理に勝負を急がないのは、そうしなくても勝てるという証左に他ならない。

 押されているのは、間違いなく帝国掃討軍こちらだ!


「考え事をしてる場合か?」


 思考を巡らせている間、ストレイトスからは一度も視線を切っていないのに、気がつけば彼奴きゃつが眼前まで迫っていた。

 ほんのわずかに注意が散漫になっただけで〝これ〟だから、


(つくづく厄介な男だ……!)


 目の前のストレイトスに集中したくても、考えるべきことが多すぎて集中しきれず、どうしても防戦を強いられてしまう。


(せめて、伝達兵の一人でも戻ってきてくれれば……!)


 心の底からそう願うも、どうやらストレイトスは戦況を伝達する兵士を優先的に潰しているらしく、一騎打ちが始まって以降、ただの一人として伝達兵が戻ってくることはなかった。


(私の直感では、この戦いは撤退せざるを得ないところまで追い詰められている。だが、それはあくまでも直感にすぎない。撤退の命令を下す根拠には――ぐぅッ!)


 ストレイトスが繰り出した矢のような刺突が、アルトランの右肩に突き刺さる。

 利き肩をやられたアルトランはたまらず距離をとろうとするも、この好機を見逃すストレイトスではなく、一息に間合いを詰め――


「!?」


 アルトランはおろか、ストレイトスさえも見えない目を見開かせる。

 どこからともなく現れたクオン・スカーレットが、疾風もくやと思わせる速さで二人の間に割って入ってきたのだ。


 クオンはすでに光刃を具象させていた二本の軽刃媒体ブレードで、ストレイトスの首筋を裂きにかかる。

 ストレイトスは即座に身を反らし、左右から迫る二本の軽刃媒体ブレードをかわした。

 体勢を崩したと判断したクオンは、追撃をかけるべく前に出ようとするも、


「あらよっと」


 ストレイトスは身を反らした体勢のまま、怖気を振るうほどに鋭い切り上げを放ち、すんでのところで反応したクオンは踏み止まって難を逃れる。

 さらに、身を反らした勢いと切り上げの〝振り〟を利用して後ろ走りし、クオンからたっぷりと距離をとったところで立ち止まった。


 クオンは婀娜あだっぽいみを浮かべ、ストレイトスに訊ねる。


「あなたが、グラムの騎士団長さんですかぁ?」

「そういう君は、クオン・スカーレットくんか?」


 応じるストレイトスもまた、悪童っぽい笑みを浮かべる。

 アルトランの目には、狐と狸が腹の探り合いをしているようにしか見えなかった。


「その斬り傷……やはり、テストくんは君に足止めされていたというわけか」


 ストレイトスの言葉を聞き、アルトランは今さらながら、クオンの軍服のそこかしこに血が滲んでいることに気づく。

 どうやらクオンは、彼女自身が《グラム騎士団》の鬼札ジョーカーの一人として挙げた、テストと呼ばれる騎士と戦っていたようだ。


「足止めされたのは、わたしの方ですよぉ。まぁ、なんとか仕留めることができましたけどね」

「息を吐くように嘘をつくとは、とんでもないお嬢さんだな」

「いえいえ、嘘はついてないですよぉ」

「ああ、そうかい。なら信じてあげるとしよう。うわー、テストくんがころされたー」


 露骨なまでの棒読みで嘆くストレイトスに、クオンは小さくため息をつく。


「騎士団長さんの慌てふためくところが見たかったのに、完全に嘘だってバレちゃってますねぇ」


 そして、みを深めながら、確信を持った声音で訊ねた。


「もしかして騎士団長さん、目が見えない代わりに、耳がと~っても良かったりします? それこそ、


 ほんの一瞬、ストレイトスが口ごもり、アルトランは二重の意味で驚く。

 ほんの一瞬とはいえ、今、確かに、ストレイトスは動揺を露わにした。

 そしてその動揺は、彼奴が心音を聞いただけで嘘を見破ることができるというクオンの言葉が、当たっていることを意味していた。

 どちらも、アルトランにとっては驚愕に値する出来事だった。


「やれやれ、完全に確信しちまってるよ」

「やれやれと言いたいのは、こちらの方ですよぉ。心臓の音を聞いただけで、嘘だけじゃなくて、そんなことまでわかるなんて」

「とか言いながら、気持ち悪いくらい心音が〝普通〟になっているが、もしかして狙ってやってるのか?」

「ふふふ、どうでしょう?」

「……本当に、やれやれだな。話に聞いていた以上に、厄介なお嬢さんのようだ」


 ストレイトスといえども、どうやらクオンが相手では分が悪いらしい。

 お手上げだとでも言いたいのか、ストレイトスは長剣媒体ソードを持たない手をひらひらと上げていた。


 散々ストレイトスに煮え湯を飲まされたアルトランは、少しだけ溜飲を下げながらもクオンに訊ねる。


「見た限りでいい。クオン嬢。戦況を教えてくれ」


 クオンはストレイトスに視線を固定したまま、先よりも気持ち真剣な声音で応じた。


「圧倒的にこちらが押し込まれてますね。先陣はほぼ潰滅。数の優位はなくなったと思った方がよさそうです」

「数の優位はなくなった、か。どうりで彼奴が、私の足止めに徹するわけだ」


 忌々しげにストレイトスを睨みつける、アルトラン。

 睨まれた当人は、どこ吹く風と言わんばかりに肩をすくめていた。


「正直、ここで騎士団長さんを討つ以外に逆転の手はなさそうな感じですけど……どうします? わたしと将軍さんの二人がかりなら、充分可能ですよ?」

「やめておけ。彼奴のことだ。間違いなく罠を用意している」

「いやいや、突出した〝武〟は策も罠も凌駕する。やってみるのも悪くはないと思うぞ?」


 他人事のように、ストレイトスが口を挟んでくる。

 露骨な挑発に閉口するアルトランをよそに、クオンはニンマリと嗤う。


「挑発しているように見せかけて、実はやられたら困るな~とか思ってたりします?」

「さて、それはどうだろうな?」


 ストレイトスもまたニンマリと笑って応じ、しばし二人の間に沈黙が下りる。

 剣の達人同士が互いに動かぬまま牽制を繰り広げるように、曲者同士が無言のまま牽制を繰り広げているような、そんな風情だった。


 ほどなくして、今度はクオンの方が、お手上げだと言わんばかりにため息をつく。


「将軍さんの言うとおり、騎士団長さんを無理に討とうとするのはやめといた方がよさそうですね。罠の有無くらいは探り出せるかな~って思ったんですけど……ここまで腹の底が見えない人は初めてですよ」


 そう言って、クオンは肩をすくめた。


 いよいよ覚悟が固まったアルトランは忸怩じくじに耐えながらも、血を吐き出さんばかりの勢いで全軍に命令を告げる。


「全軍撤退ッ!! 殿しんがりの指揮は私が執るッ!! 一兵卒に至るまで、ここで無駄に死ぬことは許さんと伝えろッ!!」


 直後、アルトランの後方で撤退の鐘が鳴る。

 戦況ゆえか、撤退命令に異を唱える者は一人もいなかった。


 兵士たちが退いていく中、アルトランは挑発するようにストレイトスに言う。


「追ってくるというのなら相手になるが?」

「逃げるくせに偉そうに――と言いたいところだが、やめとくよ。深追いすると、騎兵の相手をするハメになるからな」


 やはり乗ってはこないか――と、内心舌打ちする。


《グラム騎士団》にとって、モニア平原を離れることは、そこに設置された拒馬きょばを放棄することを意味している。

 深追いしようものなら、実質温存されていたも同然の騎兵を相手にしなければならないことに、ストレイトスは抜け目なく気づいていた。


「追ってきてくれれば、痛み分けくらいには持ち込む自信があったのだがな」

「だろうな。疲弊した軍で騎兵の相手なんぞやってられないから、帰れ帰れ」


 犬でも追い払うように、ストレイトスは「しっしっ」と手を振る。

 たとえ向こうにその気はなくとも、背中を見せて撤退する愚を犯すアルトランではなく、クオンとともに敵陣に視線を向けたまま、ゆっくりと後退していく。


 やがてストレイトスを含めた騎士たちの姿が見えなくなり、安全圏にたどり着いたところで、味方陣の後方に控えさせていた馬に跨がり、生き残った兵士が全員撤退したことを確認してからアルトランは馬を走らせた。

 ストレイトスに殺された愛馬のことが脳裏をよぎるも、今は悼んでいる暇はないと自分に言い聞かせ、殿しんがりについて《グラム騎士団》の動向に目を光らせる。

 やはりというべきか、《グラム騎士団》がこちらを追ってくることはなかった。

 代わりに追ってきた勝鬨かちどきの声が、忌々しいほどに耳の奥まで響いた。


 追撃はない――そう確信したところで、アルトランは隣を走るクオンに視線を向ける。

 人間離れした機動力を有しているとはいっても、それはあくまでもごく短距離の話で、さすがの彼女も長距離の移動には馬の世話になっていた。


「何か、私に話があるようだな」

「……はい」


 初めて見せる神妙な面持ちで、クオンは応じる。

 ジスファーの死を悼んでいるのか、それともヨハン・ヴァルナスが完全に帝国の敵に回ったことで意気を消沈させているのか、いつものクオン――と言えるほど、面識を深めていないことはさておき――とは、どこか様子が違っていた。


 そして、その様子を見ただけで、クオンの言う〝話〟が何であるのかを察したアルトランは、思わず微笑を零してしまう。


「やはり、若いな」

「……はい?」


 先程と同じ返事を疑問符付きで返され、アルトランは笑みを深める。


「クオン嬢。君は、ジスファーが戦死したのは自分のせいだと思っている。違うか?」


 クオンは諦めたようにため息をつき、三度目の「はい」を返した。


「君がヨハン・ヴァルナスを見逃さなければ、確かに、ジスファーは死なずに済んだのかもしれない。だが、

「……どういう意味です?」

「言葉どおりの意味だ。ジスファーが死んだ原因は、君がヨハン・ヴァルナスを見逃したからなどというものではない。相手が強かった――ただそれだけの理由があれば充分なのだ。ゆえに、どのような因果が絡もうが、そんなことは私やジスファーのような〝人種〟には全く関係ないのだよ」


 敗戦の将とは思えぬほどに凄絶な笑みを浮かべる、アルトラン。

 蹄の音に紛れ、クオンが息を呑む音が聞こえた。


「戦いとは、清も濁も含め、その人間が持ちうる全てを以て臨むもの。まさしくその全てを以て戦い、敗れたジスファーはさぞかし満足したことだろう。賭けてもいいが、回収されたジスファーの亡骸は、間違いなく笑った顔をしているぞ」

「……ジスファーさんが満足していたとしても……将軍さんは、それでいいんですか?」

「良くはないな」


 即答するアルトランに、クオンは目を丸くする。


「残された側としては正直たまったものではないが、私もそういう〝人種〟だからな。ジスファーの死に様にツベコベ言うのは野暮だということは心得ている」

「野暮、ですか」

「そうだ。そして、ジスファーの死を『わたしのせいだ』と言っている君は、野暮の極みだな」

「……全く理解できる気がしないんですけど」

「だから私は『やはり若いな』と言ったのだ」


 露骨に不服そうな顔をするクオンに、アルトランはからからと笑う。


(あぁ、そうだ。そうだな。どうせお前は一人で勝手に満足して、笑って逝ったに決まっている。我々の哀悼さえも笑い飛ばして)


 ならば、弔ってやろう。

 王都奪還を目論む《グラム騎士団》と、今日の決戦以上に苛烈な戦いを演じ、派手に弔ってやろう。

 ジスファーが、ここで死んだことを後悔するほど苛酷な戦いを演じ、盛大に弔ってやろう。


(天上で見ているがいい、ジスファー! コークス王国での戦いがこれからが佳境だということを、この私が見せつけてくれるわ!)

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