第53話 絶体絶命

 ジスファーが背中から地面に倒れ、動かなくなったことを確認した後、いよいよ体力の限界を迎えたヨハンはその場にへたり込む。

 依然として顔色は紫がかっており、どれだけ空気を吸い込んでも呼吸は一向に楽にならない。

 勝利の余韻など、あるはずもなかった。


 戦場の最中さなかにあってなお周囲がしんと静まりかえっていることが気になり、視線を巡らせる。

 ヨハンを遠巻きしていた帝国兵の誰も彼もが、悪い夢でも見たかのように、目を見開いたまま硬直していた。

 ヨハンを囲う円の一角に騎士服の集団が混じっているのが見え、味方がここまで攻め上っていたことを今さらながら把握する。

 もっともその味方も、帝国兵たちと同じように目を開いたまま硬直し、驚愕を露わにしていた。


 しばしの静寂を経て、ようやく事態を飲み込めた味方が大歓声をあげる。

 続けて、ようやく悪夢ではないことに気づいた敵が大叫喚をあげた。


「何をボサッとしているッ!! あの男を殺せッ!! そして敵の手に渡る前にジスファー殿の遺体を回収するのだッ!!」


 この陣の指揮官と思しき帝国兵が、怒号混じりに命令を飛ばす。

 大歓声と大叫喚のせいで、命令が聞こえたのは指揮官の周囲にいた者たちだけだったが、それでも優に一〇〇を超える帝国兵がヨハン目がけて突撃を開始する。

 

(まずい……!)


 魔力を使い果たし、短銃媒体ピストルの弾丸も撃ち放った今、ヨハンに帝国兵を迎え撃つ武器は残っていない。

 死闘によって体力を使い果たし、魔力の枯渇によって呼吸もままならなくなった今、帝国兵から逃げる力も残っていない。


(復讐を果たす前に、死ぬわけにはいかない……!)


 それでもヨハンは気力だけで立ち上がり、迫り来る帝国兵から逃げようとした。


 少なくともこの場から離れれば、敵はジスファーの遺体を回収するために、確実に足を止める。

 あの巨体だ。相応の人数を割かなければ持ち上げることすらままならないだろう――などと、希望的観測と呼ぶにはあまりにも絶望的な気休めを自分に言い聞かせる。

 少しでも、己を奮い立たせるために。

 少しでも、生き延びる可能性を上げるために。


 まともに動かない体を引きずり、歩くような速度で逃げるヨハンに、長剣媒体ソードを、尖槍媒体スピアを、戦斧媒体アックスを携えた帝国兵が、目を血走らせながら迫ってくる。

 その中で二人、足の速い帝国兵が我先にとヨハンに肉薄してくる。

 さすがのヨハンも覚悟を決めた、その時、


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 横合いから突貫してきた恰幅の良いグラムの騎士が、大木を切り倒すように戦斧媒アックを振り抜き、ヨハンに迫っていた二人をまとめて腰から両断した。


 突貫の勢いを殺しきれず、地を転げながらも立ち上がった騎士は、


(カルセル!)


 声を発する余裕もないヨハンが、心の中で友の名を叫ぶ。


 カルセルに遅れて、十数人のグラムの騎士が、後続の帝国兵の群れに突っ込み、乱戦を形成していく。

 魔法士としてのヨハンを歓迎するかどうかはともかく、敵軍に大打撃を与えた功労者を見殺しにしようなどと考える騎士は、この場には一人もいなかった。


 カルセルは今にも倒れそうなヨハンに駆け寄り、戦斧媒体アックスを持たない左手側の肩を貸す。


「味方の陣まで逃げるよ! ヨハン!」

「すま……な……」

「無理に喋らなくていいから!」


 ヨハンは首肯だけを返すと、カルセルの肩を借りて歩き出した。というより、ほとんどカルセルに引きずってもらっているような有り様だった。


 見た目どおりの膂力と、ブリック公国軍トップクラスの瞬発力を誇る脚力により、カルセルは苦もなくヨハンを引きずっていく。

 それを見て、指揮官の命令が聞こえていなかった帝国兵も、いよいよヨハンを狩りに動き始める。

 どうやらジスファーは帝国兵たちに慕われていたらしく、ヨハンに向かってくる者の多くが「仇を討ってやる」と言わんばかりに目を血走らせていた。


 増援として駆けつけてきたグラムの騎士たちが、ヨハンとカルセルを護るように帝国兵たちの前に立ち塞がる。

 その間にカルセルはこの場から離れるも、


穿弓媒体アロー隊!! 放て!!」


 グラムの騎士たちから離れた瞬間を見計らったように、敵陣の奥から放物線を描いて飛んできた魔力の矢が、次々と降り注いでくる。

 穿弓媒体アロー隊の練度は個人差が激しく、しっかりとこちらを狙えた矢は五本にも満たなかった。


「これくらいなら……!」


 カルセルはヨハンに左肩を貸したまま、戦斧媒体アックスを振るって自分たちに当たる矢だけを弾き飛ばす。

 敵の練度にも助けられたおかげで第一斉射はなんとか凌げたが、次もうまく凌げるとは限らない。

 カルセルは急いで逃げようとするも、号令とともに穿弓媒体アロー隊が放った第二斉射が、慈悲も容赦もなく撃ち放たれた。


 今度は第一斉射の倍以上――一〇本を超える矢が、狙いを違えることなく二人に降り注いでくる。

 片手だけでは凌ぎきれないと判断したカルセルは、


「ごめん、ヨハン!」


 地面に転がすような勢いでヨハンから肩を離し、両手で戦斧媒体アックスを握って矢の雨を迎え撃つ。


「うおおおおおおおおおおおッ!」


 己を奮い立たせるように叫びながら戦斧媒体アックスを振るい、次々と矢を弾き飛ばしていくも、


「……ッッ!」


 矢の一本が、利き腕――右前腕に刺さり、カルセルの動きが一瞬止まる。

 さらに、後続の二本が左二の腕と右脇腹に突き刺さり、痛みのあまり戦斧媒体アックスを取り落としてしまう。


「カ……セ……ッ」


 ヨハンはカルセルの名を叫ぼうとするも、呼吸に喘いでいるせいで上手く発声できず、引きつるような悲鳴だけが漏れる。


(僕を置いて逃げろッ!! 君一人なら逃げられるはずだッ!!)


 心の中の叫びは当然声にはならず、苦しげな喘鳴だけが喉の奥から吐き出された。


「放てッ!!」


 絶望の号令が、二人の耳朶を打つ。

 第三斉射が迫る中、カルセルは激痛に表情を歪めながらもこちらに振り返り、微笑を浮かべる。


「オイラはもう……絶対に逃げないから……」


 双眸に覚悟の光を宿したのも束の間、前に向き直り、ヨハンを守るように両手を拡げて降り注いでくる矢の雨を睨みつけた。


(よせ……やめろ……)


 声も出せず、地面に這いつくばったまま動くこともできず……ヨハンの心を、絶望が蝕んでいく。


(これ以上僕は何も失いたくない……そのためだけに戦ったのに……また僕は護れないのか……!?)


 身を挺してヨハンを庇うカルセルに、無数の矢が迫ってくる。


(やめろ……やめてくれええええええええええええええええッ!!)


 慟哭にも似た悲鳴が、心の内に響き渡り、


 矢の雨はカルセルに降り注ぎ、



 硬質の絶叫とともに、その全てが四方八方に弾き飛ばされた。



 ヨハンも、カルセルも、予想だにしなかった結末に呆けた顔をしてしまう。

 カルセルの眼前には、グラムの騎士が一人佇んでいた。

 その騎士がその手に持った大剣媒体クレイモアで、矢の雨を全て弾き飛ばしたのだ。


 騎士は、矢の雨が飛んでくる方角に堂々と背を向け、こちらに振り返る。

 蒼玉の瞳が似つかわしくないほどに猛々しい目つきをした、橙髪の騎士だった。


「新入りの……カルセルだったか。身を挺して仲間をかばうたぁ、良い根性してんじゃねぇか」


 騎士は、目つきに負けず劣らず猛々しい笑みを浮かべながらカルセルを褒めた後、胡乱な視線をヨハンに投げかける。


「まあ、こいつが仲間と呼べるかどうかは正直微妙なところだけどな」


 歯に衣着せない物言いに、ヨハンもカルセルも黙ってしまう。

 絶体絶命の危機を救ってもらった分、なおさら何も言い返せなかった。


「ガイ、意地の悪いことを言うのはやめてあげなよ」


 ガイと呼ばれた騎士の背後からもう一人、別の騎士がこちらに歩み寄ってくる。

 細剣媒体レイピアを手にした、騎士服の白を返り血の赤で染めた騎士だった。

 そしてその容貌は、ガイと全くの相似。

 髪の色も、当然のように橙に彩られていた。

 ただ一点。ガイとは対照的に、浮かべている表情は蒼玉の瞳がよく似合うほどに穏やかだった。


「そこの彼、ストレイトスさんが味方だって言ってたじゃないか。だから、彼はぼくたちの仲間だよ」

「カイ……おまえの方が余程意地悪なこと言ってねぇか?」


 死地のど真ん中で、堂々と談笑するガイとカイ。

 さすがにそれはまずいんじゃないかと思ったカルセルが、二人の会話に口を挟む。

 

「そ、それより! また穿弓媒体アロー部隊が攻撃を仕掛けてくる前に早くここから――」

「ああ、大丈夫だよ。穿弓媒体アロー部隊と、ついでに短銃媒体ピストル部隊も、ぼくが皆殺しにしておいたから」


 事もなげに、カイは言う。

 確かに、いつまで経っても、四度目の矢の雨が降ってくることはなかった。


「さすが、イリード兄弟……」


 感心したように、カルセルは呟く。


「お世辞はいいから早く行きなよ。ここらの雑魚は、ぼくとガイで片づけておくから」

「そういうこった。そのヨハンとかいうのは言わずもがな、カルセル、お前だって大概に重傷だからな。つうか、人一人抱えていけんのかよ?」


 カルセルは、両腕と脇腹を魔力の矢で貫かれている。

 魔力の矢は突き刺さってから数秒後に消失するようにできているため、実矢よりも失血死する危険性が格段に高くなっている。

 カルセルもまた、紛うことなく重傷。

 だが、それでもカルセルははっきりと「大丈夫」と返し、


「内臓はやられてないみたいだし、両腕も痛みを我慢すればなんとか動かせる。ヨハンに肩を貸して歩くくらいのことはできるさ」

「上等。だったらおれらは、おまえらが悠々と陣に戻れるよう暴れるだけ暴れてやるよ」


 直後、ガイとカイは散開して帝国兵の群れに突っ込んでいく。

 続けて、帝国兵の断末魔と血飛沫が空高く舞い上がった。


 イリード兄弟の厚意に報いるためにも、すぐさまカルセルは倒れていたヨハンを起こし、肩を貸して歩き出す。

 今のやり取りの間にほんの少しだけ呼吸と体力が回復したヨハンは、カルセルとともに歩を進めていく。


 イリード兄弟の活躍のおかげか、帝国兵がこちらに近づいてくることはおろか、遠距離から攻撃されることもなくなり、心境的にも状況的にも余裕ができたところでヨハンはカルセルに訊ねる。


「さっきの……二人……は……?」

「イリード兄弟だよ。見てのとおりの双子で、《グラム騎士団》の中でも五本の指に入る実力者さ。見たところだけど、たぶん二人とも、レグロよりも強いと思う」


 さすがに、ストレイトスさんとテストくんには及ばないらしいけど――と、内容が内容だからか、カルセルは小声で付け加えた。

 

 テストとストレイトスは別格にしろ、それでも、レグロ以上の手練れがまだ二人もいたことにヨハンは内心驚く。

 やはり、《グラム騎士団》に身を寄せたのは間違いではなかったと思えるほどに。


 そうこうしている内に、ここまで攻め上がってきた味方の第二陣と合流でき、ヨハンとカルセルは九死に一生を得たのであった。

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