第52話 ひび割れた仮面

 同刻――


 山中にて、人知れず繰り広げられていたテストとクオンの死闘も、いよいよ終わりに向かおうとしていた。


 両の手に握られた二本の軽刃媒体ブレードが霞んで見えたのも束の間、凶気を振り撒くようにして繰り出された幾十の剣閃がテストに殺到する。

 手数の差を剣速でカバーしたテストは、その悉くを止め、払い、凌ぎきってみせる。


 交わされた剣撃はすでに千を超えているが、そのうち両者の体に届いたのは十と少し。その全てがかすり傷程度で済んでいるため、お互い体捌きも剣捌きもほとんど鈍っていない。

 二人とも、傍目からは体のそこかしこに血を滲ませているように見えるが、出血量そのものは軽微。

 実力は完全に伯仲しており、互いが互いに決め手に欠いた状況になっていた。


 そんな状況に焦ることなく、クオンが執拗なまでの連撃で攻め立ててくる。

 連撃の最中さなかに生じるわずかな〝〟を見出したテストは、右手から迫る軽刃媒体ブレードを打ち払うと同時に、跳ね上げるように長剣媒体ソードを切り返し、クオンの胴を裂きにかかる。

 

 クオンは右刃で切り返しを受け止めるも、片手のみの自分に対し、テストは両手で長剣媒体ソードを握っていたため、力で押し込まれると判断。

 長剣媒体ソードを受け流しつつも半歩後ろに下がり、切り返しを凌いだ。

 直後、


「……!」


 半歩下がらせた足元の地面がわずかに崩れ、体勢も崩れる。

 二人が足場にしている地面は、傾斜の厳しさも含めて劣悪を極めていた。

 その地面が、いよいよクオンに牙を剥いた――頭の片隅でそんなことを思いながら、テストはここぞとばかりに追撃をかけようとするも、


(違う……!)


 罠と〝視〟たテストは追撃を中断し、強引に体を後ろに反らす。

 転瞬、クオンの右刃が、体勢を崩したばかりとは思えないほどの鋭さでテストの眼前をはすに斬り裂いた。

 やはり罠だった――と思う間もなく、左刃から放たれた刺突がテストの心臓に迫る。

 強引に斬撃をかわしたことで逆に体勢を崩されたテストは、ギリギリのところで長剣媒体ソードを振るい、刺突を打ち払うも、


「!?」


 切っ先が騎士服に届いていたらしく、打ち払われたことで形だけは刺突から斬撃に変化した左刃が、左胸のあたりの布地を大きく斬り裂かれていく。

 肌には届いていなかったため、かすり傷すら負っていない。が、ことに動揺してしまったテストは、思わず、逃げるように、クオンから飛び離れてしまう。


 その行動を不審の思ったクオンが訝しげに目を細めていることを気にも留めずに、テストは斬り裂かれた箇所を片目で見やり、安堵の吐息をつく。


(大丈夫……肌着までは斬り裂かれていない。これなら胸は見えない。ボクが女だとバレることはない)


 この時、テストは失念していた。

 異常なまでの洞察力と演繹えんえき力を誇るクオンの前で、こうも過剰な反応を見せることは、自ら〝告白〟していることと同義であること。


 不意に、クオンから醸し出されていた凶気が霧散していく。

 今度はテストの方が訝しげな目でクオンを見やるも、次の瞬間に彼女の口から出てきた言葉に、その目をこれ以上ないほどにまで見開かせてしまう。


「テストさん……


 ドクンッ――と、心臓が強く脈打つ。

 ここでようやくテストは、自分が致命的な失態をおかしたことに気づく。


(バカかボクは! あの女の前であんな露骨な反応を見せたら、バレるに決まってるじゃないか!)


 自分を罵らずにはいられなかった。

 よりにもよって敵に、《終末を招く者フィンブルヴェート》に、女であることがバレてしまった。


 この戦いに《グラム騎士団》が勝利した場合、こちらを攪乱するために《終末をフィンブル招く者ヴェート》がこの情報を喜々として活用するのは想像に難くない。

 その結果《グラム騎士団》にも、自分が女であることがバレてしまうことも、想像に難くない。


 女であることを隠そうとしすぎるあまり、過剰な反応をとってしまうのはある程度仕方がないと言えなくもないが、クオン・スカーレットという怪物の前で過剰な反応それを見せてしまったことは、やはり、失態と言わざるを得なかった。


「そうですか……あなたのようなひとが……ヨハンと一緒にいて……ヨハンを護って……ヨハンのために怒って…………」


 うわ言のような呟きが聞こえ、テストは自己嫌悪を中断する。


 クオンの様子は、明らかにおかしかった。

 凶気が霧散したことも含め、このまま戦闘を続けていいものかと迷ってしまうほどに。


「ふ……ふふふ……」


 不意に、クオンの口から嗤い声が――いや、が漏れ始める。

 そして、


「あはははははははははははっ! あはははははははははははっ!」


 とうとう声を上げて笑い出した。

 見ているこちらの胸が締めつけられるような、痛々しい笑い声だった。


 クオンはひとしきり笑った後〝素顔〟でも隠すように掌を顔に当て、諦めたように、諦め切れないように、独りごちる。


「ヨハンにとっては……その方がいいのかもしれませんね……」


 なぜかテストには、彼女が泣いているように見えた。

 怪物だと思っていた〝女〟が、今は、傷心しているただの〝女の子〟にしか見えなかった。


 だからだろうか。

 いつの間にか、胸を焦がしていた怒りの炎が消えていた。

 代わりに、一つの疑問が湧き始めていた。


(あの女は……いや……彼女は……もしかして本当にヨハンのことを……)


 なぜか、ズキリと、胸が痛む。

 無傷だとわかりきっていても、先程騎士服を斬り裂かされた際に、胸に軽刃媒体ブレードの切っ先がかすめていたのではないかと思ってしまう。

 わけもわからず、言い訳を求めてしまう。


 胸の痛みはともかく、一つだけ、どうしても聞いておきたいことがあったテストは、


「どうしてキミは、ヨハンに復讐の重荷を背負わせるような真似を?」


 クオンとの戦いが始まってすぐに、怒りとともにぶつけた言葉を、純然たる疑問を添えてぶつけた。


 テストの疑問を前に、クオンはクスリと

 誤魔化すように、寂しげに、


「そういえばテストさん……あなたと初めて会った時、グランデル老の名前を出していましたよね? いったいどういう関係なんですか?」


 露骨なまでに話題を変えてくる、クオン。

 だが、仇であるグランデルの名を出されては無視するわけにもいかず、やむなくテストは話に乗ることにする。


「〝借り〟があるだけだよ。グランデルの命を以てでしか償えない〝借り〟が」


 だから、グランデルの居場所を教えろ――そんな視線をぶつけ、クオンは「仕方ありませんね」と言わんばかりに応じる。


「首都にいる可能性が高い――としか答えようがないですね。すぐ一人で勝手にフラフラとどっかに行っちゃうような人だから、皇帝陛下ですら正確な居場所は把握してないんですよ」


 なんとなくだが、クオンは嘘を言っていないと思った。

 どれだけ〝視〟ても底が見えなかったのに、今だけはなぜか、彼女が嘘を言っていないと確信することができた。


「ただ、一つだけ忠告させてもらいますけど、グランデル老の命を狙っているのならやめておいた方がいいですよ。、間違いなく返り討ちにあいますからね」


 衝撃的で屈辱的な情報だが、それ以上に有益な情報でもあった。

 だからテストは、礼こそ言わなかったものの、素直にクオンに応じた。


「一応、心に留めておくよ」

「そうしてもらえると助かります。場合によっては、あなたにヨハンを預けるつもりでいましたから」

「ヨハンを、預ける?」


 言葉の意味がわからず、オウムのように聞き返してしまう。


「そうです。預けるんです。だから、あなたの〝秘密〟については黙っておいてあげます。あなたの足元がグラグラだと、安心してヨハンを預けることができませんから」


 望外の提案だが、だからこそ「イエス」以外の返事を封じられた気がしてならなかった。


「ヨハンのこと、大事に……大事にしてあげてくださいね。なにせヨハンは――」


 クオンは笑みを消し、を浮かべる。

〝仮面〟をかぶるように、本心を隠すように嗤みを浮かべ、婀娜あだっぽい声音で言葉をつぐ。


「――わたしの、最高の玩具ですからぁ」


 クオンはテストに視線を固定したまま、ゆっくりと後退し、木陰に身を隠したところで、気配もろとも消え失せた。


 テストはしばしの間、呆けたようにその場に立ち尽す。

 クオンの素顔を垣間見た。ような気がした。

 クオンの本心に触れた。ような気がした。

 けれど、


(このことは、ヨハンに伝えるべきか?)


 自問した瞬間、自分でも驚くほどに心が〝いな〟と叫び始め、戸惑ってしまう。

 自分の内にある何がそこまで必死に異を唱えているのか、テスト自身にもわからなかった。


(クオンの本心といっても、ボクの憶測にすぎない。下手に伝えても、ヨハンが混乱するだけだ。だからボクは、伝えるべきではないと思ってる……うん、きっとそうだ。そうに違いない)


 無理矢理自分を納得させた後、山の向こう側――戦場の方角に視線を向ける。


 クオンとの死闘の最中さなかずっと耳朶に触れていた、狂騒にも似た戦の音はいまだ止んでいない。


(ボクにできることなんて、もうほとんど残っていないかもしれない。けど……)


 このまま、じっとしてもいられなかったテストは、戦場を目指して走り出した。

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