第51話 最後の一手
「これ見よがしに馬に乗っている阿呆がアルトランだ!
ストレイトスの号令のもと、グラムの騎士と同志の混成部隊が、アルトラン目がけて魔力の矢を一斉に撃ち放つ。
「小癪な……!」
アルトランはその手に持った
帝国軍将軍たるアルトランの実力は、《
もっとも、この場にはもう一人、七至徒級の実力者が敵方にいるわけだが。
「!?」
どこからともなく飛んできた
愛馬が崩れるように倒れる中、アルトランは横に飛びながら下馬し、前方を睨みつける。
アルトランの視線の先には、グラムの騎士と帝国兵の乱戦の
「やれやれ、動物を殺すのは胸が痛むな」
と、ボヤきながらも、アルトランの愛馬に刺さっていた
足を止めることなく、単独でアルトランを強襲する。
「やらせるか!」
「アルトラン様が戦うまでもない!」
「ここで終わらせてやる!」
アルトランの傍にいた精兵たちが、意気軒昂にストレイトスを迎え撃つ。
間合いに入る否や、精兵たちは一斉にストレイトスに斬りかかった。
一見バラバラに攻撃しているようで、その実、見る者が見れば思わず唸り声を上げるほどに洗練された連携。
グラムの騎士であっても、この連係攻撃を真っ向から受けては、ひとたまりもないだろう。
だがしかし、ストレイトスは、
洗練を
「悪くなかったよ、あんたら」
一人一閃。
無駄も慈悲もない剣技を以て、精兵たちを斬り捨てた。
「ストレイトスッ!!」
アルトランは怒号を吐きながら、首を刎ね飛ばさんばかりの勢いで
攻撃直後の隙を突かれたにもかかわらず、ストレイトスは悠々と身を反らして斬撃を回避し、「危ない危ない」とおどけながら
「まさか、騎士団長自ら私を討ちにくるとはな!」
「
「戯れ言を……! ヨハン・ヴァルナスの魔法で戦場をかき乱し、私を前線まで引っ張り上げるよう仕向けた抜け目のない男が、気まぐれだけでこんな真似をするはずがない。
「違う――と言いたいところだが……やれやれ。やはり厄介な男だよ、あんたは」
「厄介極まりない男が何を言う!」
転瞬、二人は全く同時に地を蹴り、互いの
◇ ◇ ◇
ヨハンの魔法によって生じた混乱のドサクサに紛れ、第二陣を抜け出して先陣に出てきたカルセルは、その手に持った
「ヨハン……」
遠目から見ても、ヨハンの魔法は凄絶極まりなかった。
それこそ、まだミドガルド大陸で魔法が禁止される前に見た、ヨハンの父――ダルニスの魔法と比べても見劣りしないほどに。
だけど、カルセルは知っている。
どれほど凄い魔法を使えようが、雰囲気や物言いが変わろうが、ヨハンがどこまでもいってもヨハンであることを。
変わることのない、大切な友人であることを。
自分程度の力では、魔法士ヨハンの助けにはならないかもしれない。
でも、それでも、カルセルはヨハンのもとを目指して前に進んだ。
友の力になりたい――この気持ちに、小難しい理屈なんて必要ない。
◇ ◇ ◇
詠唱の隙をつくるためにヨハンが逃げ、ジスファーが追う。
最後の攻防は、最初の攻防と同じ様相を呈していた。
もっとも、最初と最後とでは、両者の状態は著しく変わっているが。
ヨハンは、ジスファーの攻撃で肋が折れたことで、明らかに動きが鈍くなっていた。
さらに、回収し損ねた
対するジスファーは、ヨハンとは違って怪我らしい怪我は負っていない。
だが、大盾が破壊されたことで防御力が大幅に低下し、同時に、大盾に内蔵されていた
弱体化という点においては、ヨハンよりもジスファーの方がはるかに深刻だった。
肋から迸る激痛に耐えながら、ヨハンは眼前まで迫っていた刺突を身を反らしてかわし、
「〝レッドボム〟!」
火球を
しかし、ジスファーは爆発を物ともせずに間合いを詰め、脇腹目がけて暴風のような横薙ぎを繰り出してくる。
左から迫る暴威。
回避が間に合わないと判断したヨハンはあえて前に飛び、左腕と左足をたたんで防御姿勢をとる。直後、横薙ぎがヨハンに直撃し、吹き飛ばされるも、遠心力の恩恵の少ない
だが、
(利き腕をやられなかっただけマシだが、これで詠唱を省略した〝グレイシアファランクス〟は使えなくなった……いや!)
すぐさま地を蹴って迫って来るジスファーから距離を取り、激痛に耐えながらも折れた左手を天に掲げる。
へし折られたばかりの左腕を酷使するとは思ってなかった分、過敏に反応してしまったのか、ジスファーが思わずといった風情で足を止めた。ヨハンの狙いどおりに。
「〝グレイシアファランクス〟!」
その隙に澱みなく魔名を唱え、周囲に百を超える氷の
「~~~~っけ……!」
激痛のあまり「いけ」とは言い切れず、苦悶を吐き出しながら左手を振り下ろし、攻城矢の
過去二回〝グレイシアファランクス〟を凌いだ時のように、足を止めたまま攻城矢を凌いでいては、さらなる詠唱の隙を与えると判断したのか、ジスファーは百を超える攻城矢に向かって突貫。
己に当たる攻城矢のみを
これでは呪文の詠唱が間に合わない。が、それでも問題はなかった。
ヨハンが稼ぎたかった時間が、詠唱のための時間ではなく、ありったけの力で跳躍するための、ほんのわずかな〝溜め〟の時間であったがゆえに。
ジスファーが〝グレイシアファランクス〟を突破し切る前に、まさしくありったけの力で跳躍したヨハンは、〝シルフィーロンド〟の力を借りて空高く飛翔する。
それが、最後の攻防を開始した直後からずっとヨハンが狙っていた一手だった。
はるか下の地上に見える、小人ほどの大きさのジスファーに向かって右掌をかざし、
「煉獄の業火よ、
〝クリムゾントルネード〟と〝インフェルノレイ〟を掛け合わせ、さらに
ジスファーの足元から巻き上がった業火の旋風がヨハンの眼前を突き抜け、ついには天をも突き抜けていく。
ヨハンは
残っている全ての魔力を、業火の旋風に注ぎ始めた。
(頼む……これで決まってくれ!)
◇ ◇ ◇
業火の旋風に呑まれたジスファーは、その激烈な風圧に巻き上げられないよう、地面に突き刺した
業火は、生身ならばあっという間に炭化していただろうと思わせるほどの熱量を帯びているが、魔力光の硬度を最高にまで高めているため、熱さはさほど感じることはなかった。
物理的にも魔法的にも防御の薄い、間接部や視界確保用の隙間から入り込んでくる熱が少し気になる程度だった。
業火と旋風の組み合わせによって身動きをとるのは難しいが、それだけだった。
〝クリムゾントルネード〟の比ではない威力と暴威は驚嘆に値するが、このジスファー・ラウンドの守りを突破するには物足りない。
この魔法が止むまで耐えれば済む話だった。
(だからこそ解せん。ヨハン・ヴァルナスが満を持して使った魔法が、この程度で済むものなのか?)
答えは、否。
最後の一手にこんな温い魔法を選ぶような相手だったら、この戦い、ここまでの〝熱〟を抱くことはできなかったとジスファーは断言する。
(この魔法……〝インフェルノトルネード〟だったか。とにかく、これを足止めに使って、さらに強力な魔法をぶつける魂胆か?)
業火の旋風の向こう側――ヨハンの気配を感じる方角を睨み、身構えるも、追撃の魔法が飛んでくる気配はなかった。
そして、〝インフェルノトルネード〟が止まる気配も、なかった。
(これだけの威力を保ったまま効果を持続させる攻撃魔法など、見たことも聞いたこともない。改編した魔法と見てまず間違いないだろう。だとしたら、ヨハン・ヴァルナスはいったい何を狙って――……)
不意に、気づく。
いつの間にか、息苦しさを覚え始めている自分に。
(まさか……! ヨハン・ヴァルナスの狙いは
業火の旋風の中に閉じ込めることで、その中の酸素を焼き尽くし、窒息させる。
それが、ヨハン・ヴァルナスの最後の一手だったのだ。
そうとわかれば、業火の旋風から脱出すればいいだけの話だが、少しでも気を抜くと風圧に体が持って行かれそうになるため、その場に踏ん張ることしかできず、脱出はおろか動くすらままならないことを、あらためて思い知る。
(やってくれる……!)
小狡い。小賢しい。大いに結構。
戦いとは、武力と魔力といった単純な力だけではなく、智力に精神力、誇りに忠誠心……その人間が持ちうる全てを以て臨むもの。
まさしく、その全てを以て勝利を掴もうとするヨハンに、ジスファーは好ましさすら覚えていた。
(だが、勝利をくれてやるつもりはない)
戦いそのものは己に捧げ、勝利の全ては忠誠を誓った主――ヴィクター陛下に捧げる。
どれほど戦いの〝熱〟に興じても、勝利という一点だけは絶対に譲らない。
いつ、いかなる戦いにおいても帝国に勝利をもたらす。
それこそが、ヴィクター陛下に忠誠を誓った我の使命!
(これほどの魔法、持続するだけでも相当な魔力を消費するのは明らか。それこそ、我の甲冑の最高硬度を維持することすら児戯に思えるほどに)
勝負は単純。
ヨハンの魔力が尽きるまで、窒息せずに立っていればジスファーの勝ち。
ジスファーが窒息するまで、魔力が尽きなければヨハンの勝ち。
ここから先は精も根も含めた、ジスファー・ラウンドとヨハン・ヴァルナスという二人の人間の全てを絞り尽くす戦い。
(死力を尽くすとは、まさしくこのことだな!)
死を予感させられる。
だからこそ、胸が躍る。
今この瞬間のように、生涯の内に何度経験できるかわからない胸躍る死闘を味わい尽くすことが、ジスファーが戦いを求め、戦いに狂う、最たる理由。
ヨハン・ヴァルナスという男に巡り会えたことに感謝しながらも、業火の旋風の向こう側にいる好敵手を決然と睨みつける。
もはや周囲に酸素は残っておらず、肺腑がどれだけ求めても、ただただ我慢するしかなかった。
いよいよ、呼吸が苦しくなる。
呆としてきた意識に活を入れるため、血が滴るほどに唇を噛み締める。
業火の旋風が一瞬の気の緩みにつけ込み、この体を攫っていこうとする。
苦しい。
ただひたすらに苦しい。
苦しくて苦しくて……
ここまで追い詰められた経験は、過去の戦いでも一度か二度あるかないかくらいだった。
今まさに、我は死闘に身を投じている。
苦しくて苦しくてたまらないが、この瞬間が永遠に続けばいいと心の底から願っている。
だが、戦いには必ず終わりがくる。
長らく酸素を取り込めていない脳が、心臓が、悲鳴を上げる力すらも失い始める。
あぁ……。
終わるな。
もっと。
もっとだ。
もっとこの戦いを…………………………………………………………………………
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「カハ……ッ」
いつの間にか、周囲に吹き荒んでいた業火の旋風が消えていた。
空と、大地と、その間にいるヨハン・ヴァルナスの姿が視界に映じられていた。
状況を確認する余裕などあるはずもなく、肺腑が求めるがままに空気を吸い込む。落ち着いて取り込むことなどできるはずもなく、この期に及んでしかと握り締めていた
ある程度肺腑が満足したところで、ジスファーはようやくヨハンを注視する。
ヨハンは地面に片膝を突き、こちら以上に呼吸に喘いでいる様子だった。
顔色は紫がかっており、酸素欠乏に類する症状を引き起こしているのは明らかだった。
(典型的な魔力枯渇の症状……そうか。我が勝ったのか)
その言葉に一切の誇張はなかった。
戦場において、魔力の枯渇は死を意味している。
兵士といえども、魔力がなければ
魔法士といえども、魔力がなければ魔法は使えない。
それ以前に、酸素欠乏に似た症状があらわれるせいで、満足に身動きもとれない。
武器もなければ攻撃に転じる力もない、紛うことなき死に体。
だが、ジスファーはその身に纏った魔力光の硬度を下げようとは思わなかった。
最後の最後まで手を抜かず、全力で屠る。
それが、この素晴らしき死闘を演じてくれたヨハンへの最大限の礼だった。
ジスファーは胸中に芽生えた一抹の寂しさを振り払い、地面から
そして、呼吸に喘ぎながらもこちらを睨みつけてくる
◇ ◇ ◇
ヨハンは息も絶え絶えになりながら、
気を抜けば今にも意識を手放そうとする己を叱咤し、かろうじて膝立ちの体勢を保ちながら、今まさに地を蹴り砕かんとするジスファーを睨みつける。
改編魔法〝インフェルノトルネード〟でジスファーを閉じ込め、周囲の酸素を燃やし尽くして窒息させるという一手は、不発に終わった。
ジスファーを窒息させるために、持てる魔力を全て
(なんとなく……わかっていた……僕の力では……ジスファー・ラウンドに勝てないことは……)
どれだけ呼吸を繰り返しても肺腑は一向に満足してくれず、息苦しさだけが増していく。
今楽にしてやる――そんな幻聴とともに、ジスファーが地を蹴り砕き、瞬く間に眼前まで迫ってくる。
(僕一人では……ジスファーに敵わない……)
ジスファーが刺突を繰り出そうとした瞬間、悲鳴を上げる肺腑を、動くなと叫ぶ体を無視し、体を捻って
当然、まともに動かない体ではジスファーの刺突を完全にかわし切ることはできず、
(だから――)
脇腹か夥しい量の血が噴き出したが、結果としては上出来だった。
(――僕に力を貸してくれ――)
ヨハンは脇腹が吹き飛んだと錯覚するほどの激痛に耐えながら、懐から〝ある物〟を取り出し、ジスファーに突きつける。
〝ある物〟を目の当たりにした瞬間、ジスファーが視界確保用の隙間から目を見開かせているのが見て取れた。
(――
〝ある物〟――それは、レティアの
最後の攻防を始める前、ヨハンは着衣越しから
そして、
〝インフェルノトルネード〟で魔力の全てを出し切った後でも、引き金を引くだけで弾丸が発射できる状態になっている。
ヨハンの
最後の力を振り絞り、腕の震えを気力だけでねじ伏せ、ジスファーの兜――視界確保用の隙間に狙いを定める。
反撃を想定していなかったせいか、常よりも遅れて、ジスファーが
弾丸が兜の隙間に吸い込まれ、ジスファーの
「見事だ」
そんな言葉が、かすれた声音で聞こえたような気がした。
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