第18話 コークス王国
ミドガルド大陸西部最大の国にして、大陸西部最強と名高い《グラム騎士団》を擁するコークス王国は、実に二年もの間ヘルモーズ帝国の侵攻を凌いでいた。
ヘルモーズ帝国軍の主力が、大陸東部の攻略にかかりきりになっていたという理由もあるが、それを差し引いても、二年もの間帝国の侵攻を防いでいた事実は、帝国軍にとっても、その周辺諸国にとっても驚嘆に値する出来事だった。
しかし、二年と明言したことからもわかるとおり、コークス王国の奮闘はそこで潰えた。
奇しくも、ブリック公国の公都陥落と同じ日に、コークス王国の王都は陥落した。
王都を押さえられたことにより、コークス王国は事実上ヘルモーズ帝国の占領下に置かれたが、いまだ帝国の手が及んでいない地方の領主がそれを良しとするはずもなく、コークス王国内では反乱の種がそこかしこに燻っていた。
そして、その筆頭が《グラム騎士団》だった。
王都での決戦に敗れ、主君を失った《グラム騎士団》は、殉死の名誉よりも、帝国から王都を奪還するために生き恥を晒すことを選択した。
反乱軍となった《グラム騎士団》は地方領主に協力を仰ぎ、散り散りになった騎士団員を集めると同時に、新たに同志となってくれる者たちをもかき集めた。
王都の決戦で敗れはしたものの、《グラム騎士団》の勇名はいまだ衰えておらず、コークス王国内はおろか、周辺諸国からも同志となる者が続々と集まった。
その結果《グラム騎士団》は反乱軍となってからわずか一ヶ月足らずで、大陸西部はおろか南西部をも含めた、反帝国の旗頭になるほどにまで力を取り戻した。
その存在を軽視できなくなった帝国が《
ヨハンは今、荒れ果てた街道を一人歩いていた。
銀色の髪を風に棚引かせ、今や抜き身の刃のように鋭くなった碧眼で前方を見据えながら、一人歩いていた。
着ていた軍服は、主君や仲間たちの血と
汚れた軍服はどうしても捨てることができず、血と煤に汚れた状態のまま、肩にかけた雑嚢の中に入れていた。
現在ヨハンは《グラム騎士団》に接触するために、コークス王国を訪れていた。
ヘルモーズ帝国が事実上コークス王国を占領下に置いたといっても、いまだ制圧できていない町村や砦、水面下で動く《グラム騎士団》を含めた反乱軍を抑えるまでには至っていない。
それらの対応にかかりきりになっている帝国が国境の警備にまで手が回るわけもなく、ヨハンはたいした労もなくコークス王国の地に足を踏み入れることができた。
(コークス王国の状況に比べたら、ブリック公国の状況はまだマシ……か)
ブリック公国、公都ヌアークが陥落してから一ヶ月。
国の中枢を失ったブリック公国は、国としては機能不全も同然の状態に陥っているものの、村や町単位ではなんとか秩序が保たれていた。
瀬戸際ながらも瓦解せずに済んでいるのは、ひとえにセルヌント公の治世のおかげだと、ヨハンは思う。
とはいえ、故国が危機的状況にあることに変わりはない。
故国のためにも、復讐のためにも、《
必要とあらば、帝国そのものも潰す。
そして、
(クオンは……あの裏切り者だけは……絶対にこの手で殺す……! だが、そのためには――)
〝力〟がいる――ヨハンはそう思った。
クオンをこの手で殺すために。
《
決意を胸にしばらく歩いていると、前方から微かに悲鳴と怒号が聞こえ、もう少し歩いたところで、
僕には関係ない――そう切り捨てようとするも、ヨハンの根底にある、ブリック公国軍兵士としての矜持が即座に異を唱えてくる。
弱きを護るのは兵士の務めだと、強く強く訴えかけてくる。
舌打ちを漏らし、実感する。
憎悪の炎は確かに自分の心を灼いたが、その心奥までは灼き尽くせていなかったことを。
「バラバラになるな! 集まって互いの背中をカバーしながら戦うんだ!」
集団のリーダー格と思しき青年が声を張り上げる。
栗毛色の髪と金色の瞳をした、鎧を身に纏った青年だった。
ヨハンよりも上背で、そこそこに体格もよく、いかにも荒事に慣れている風情だが、
(素人の域は出ていない、か)
ますます見過ごせない理由を見つけてしまったと、嘆息する。
それに、青年の一声で集団が一つところに集まっている今が、彼らを無傷のまま助ける最大の好機でもある。
その瞬間も、見過ごすわけにはいかなかった。
ヨハンは諦めたように、青年たちを見据え、
「安らぎの大地よ――〝ブラウンサンクタス〟」
彼らの周囲に、岩でできた防御結界を地面からせり上がらせる。と同時に、せり上がる勢いを利用して、青年たちに襲いかかろうとしていた
目標が岩の結界に閉じ込められてしまったせいか、あるいは、ヨハンが魔法を発動した際に生じたい〝
岩の猪が二、氷の鳥が三、風の猿が三……敵戦力を瞬時に把握したヨハンは、まずは地上の五体を片づけることを選択する。
「汝を貫きしは、絶死の墓標――〝アルバセメタリー〟」
詠唱が終了すると同時に、岩でできた無数の槍が地面から突き上がり、岩猪と、風猿をまとめて串刺しにする。中空を飛ぶ氷鳥どもは難を逃れていたが、間の抜けた馬鹿がいるのは人間も
猪と猿と一緒に、無数の粒子となって霧散した。
その直後に〝ブラウンサンクタス〟の効果が切れ、岩の防御結界が地面に沈んでいく。
戦闘に集中するためにも、もう一度防御結界を展開すべきかどうか逡巡した瞬間、残った二羽の氷鳥が、ヨハン目がけて同時に突貫してくる。
逡巡により一手遅れたヨハンは、二羽同時に仕留めることを諦め、
「〝レッドボム〟」
掌の魔法陣から火球が発射され、直撃と同時に起きた小規模な爆発が、氷鳥を木っ端微塵に吹き飛ばす。
だが、その時にはもう左手側の氷鳥がすぐそこまで迫っており、迎撃は間に合わないと判断したヨハンは、微塵の躊躇もなく左前腕を氷鳥に差し出した。
氷鳥は突貫の勢いをそのままに、ヨハンの左腕に嘴を突き立てる。
腕を刺されたヨハンは表情一つ変えることなく、むしろ楽に動きを止めることができたとさえ思いながら右手で氷鳥の首を鷲掴むと、左腕から嘴ごと引き抜いて〝レッドボム〟を直にお見舞い。氷鳥を跡形もなく吹き飛ばした。
氷の嘴に刺され、激痛を訴えてくる左前腕が支障なく動かせること、そこまでの出血量ではないことを確認した後、ヨハンは自嘲めいた笑みを浮かべる。
今まで自分は戦闘の際、怪我をすることを恐れて防御も回避も大袈裟になる傾向にあった。
そのことが、今のヨハンにはおかしくておかしくて仕方なかった。
(今まで僕は、こんな取るに足りない痛みを恐れていたのか。
故郷を、主君を、仲間を……恋人を……失った痛みに比べたら、肉体的な痛みなど些事もいいところだ。
どれだけ怪我を負おうが、体がちゃんと動きさえすれば問題はない。
クオンを、《
むしろ問題は、負傷したことよりも、左右二方向からの同時攻撃
魔法の力を凌駕するクオンの機動力に対抗するために、魔名が短い〝レッドボム〟の詠唱省略の魔法陣を右掌に描き、先程試験的に運用してみた。
その結果が、このザマである。
魔名はおろか、呪文の一語すら言わせないクオンに通じる道理はない。
(相討ち覚悟なら……いや、
歯噛み混じりに結論を下したところで、思索を打ち切り、つい今し方助けた青年たちに視線を移す。
数は四。
内、男は三人。
女――というよりも少女が一人。
見た目一五歳くらいのその少女は、女性向けの旅装に身を包んでおり、髪と瞳の色は、リーダー格の青年と同じ色彩――栗毛色の髪と金色の瞳――をしていた。
十中八九、二人は兄妹だろうとヨハンは推測する。
四人の表情は、揃って呆然としていた。
(まあ、当然の反応だな)
ミドガルド大陸全土で使用が禁止されている魔法を、こうも堂々と使ってみせたのだ。
呆然となるのは当然の反応であり、礼の言葉が返ってこないこともまた当然の反応だった。
(むしろ、帝国の魔法士と勘違いされて罵声を浴びせられないだけマシだな)
長居は無用とばかりに、この場から立ち去ろうとしたその時だった。
「ちょちょちょっ! 待つッス待つッス!」
少女が慌てた声をあげ、ヨハンは思わずを足を止めてしまう。
それを見て、少女は人形のように愛らしい容貌を笑みの形に変えながら駆け出そうとするも、
「待つのはお前の方だ! レティア!」
リーダー格の青年に腕を掴まれ、引き止められてしまう。
「ラスパーの言うとおり待つんだ、レティアちゃん!」
「あんな当たり前のように魔法をぶっ放す奴とは関わらない方がいいって!」
「そ、そうだ! 帝国の連中とは違うみたいだけど、絶対にやばい奴だって!」
次々と呼び止めてくる男たちを前に、少女――レティアのクリッとした金眼が、みるみる怒りに染まっていく。
「わたしたちを助けてくれた人に、なんてこと言うんスかっ!! そりゃ、わたしだっていきなり魔法を使われたもんだからビックリしたッスけどっ!! あの人は、わたしたちを助けるために魔法を使ってくれたんスよっ!! お礼の一つも言わなくてどうすんスかっ!!」
レティアの剣幕に圧される形で、リーダー格の青年――ラスパーが彼女の腕から手を離し、残り二人も後ずさる。
その様子を見て、レティアはフンスと鼻を鳴らすと、背中まで届く栗毛色の髪を棚引かせながらヨハンのもとに駆け寄った。
必要以上に恩義を感じられても面倒なので、
「助けてくれて、ありがとうッス! わたしはレティア・ベル! あなたは――って、わわわわわっ!? よく見たらその腕、血塗れじゃないッスか!! ラスパー兄ちゃん! 包帯か何か持ってないッスか!?」
「落ち着け、レティア! 包帯はお前の鞄に入ってるだろうが!」
ラスパーが叫ぶと、レティアは「そうだった!」と、慌てふためきながら腰に巻いていた鞄をまさぐり始める。
あしらう以前に、言葉を挟む隙間すらないレティアの勢いに内心圧倒されながら、ヨハンはため息まじりに悟る。
待てと言われて、素直に足を止めてしまったのが運の尽きだったことを。
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