第17話 七至徒候補

 楽しい夕食の時間――お土産の存在を失念していたことを散々からかい倒されたことはさておき――を終え、姉妹二人で一緒にお風呂に入った後、クオンはナイアを部屋に連れて行き、眠るのを確認してから部屋を後にする。

 そして、


「やれやれ。本当にこの首都まちは、ヌアークに比べてとことん情緒に欠けていますねぇ」


〝仮面〟のみを浮かべ、独りごちた。

 家の外に、無数の無粋な気配を感じたがゆえに。


 音もなく、妙齢のメイド――イレーヌが傍に寄ってくる。


「どうやら、招かれざるお客様がいらっしゃっているようですが」

「招かれざるお客様という言い回しは、ちょっとおかしくないですか?」

「そうでしょうか? それよりも、いかがいたします? ワタクシ個人といたしましては、この場はワタクシに任せて、クオン様には引き続き、一年ぶりのナイア様との逢瀬を楽しんでいただきたいところですが」

「姉妹で逢瀬という言い回しも、ちょっとおかしくないですか?」

「それに関しましては異を唱えさせていただきます。先のワタクシの言い回しにおかしな点は一つもございません。誰がなんと言おうと逢瀬です」


 無表情のまま、淡々と力説する。

 シエット以上に感情の起伏が乏しく、シエット以上に超然とした雰囲気を醸し出している割りには、相当愉快な性格をしているイレーヌを前に、クオンの〝仮面〟が自然と崩れ、〝素〟の笑みが顔を覗かせる。


「逢瀬云々はともかく、今日のところはナイアも寝てしまいましたし、お客さんの応対はわたしがします。どのみち、狙いはわたしでしょうし」

「かしこまりました。シエット様の後ろ盾がある以上、この首都まちでナイア様に手を出す愚か者はそういないとは思いますが、念のためワタクシは、ナイア様の傍にいさせていただきます」

「助かります」


 迷うことなく、大事な〝妹〟をイレーヌに預ける。

 それほどまでに、クオンはイレーヌを信頼していた。

 一年という長い期間ナイアの傍を離れることができたのも、ひとえにイレーヌの存在があってのことだった。


 イレーヌがどこからともなく用意したケープを受け取り、羽織りながら玄関へ向かう。


「まったく……いくら《終末を招く者フィンブルヴェート》が弱肉強食を是としているとはいっても、シエットさんの後ろ盾が、わたしに対してはスカスカなのはどうにかしてほしいところですね」


 七至徒候補は基本、七至徒の推薦によって選ばれる。

 そして、七至徒候補に選ばれた者は、推薦してくれた七至徒の後ろ盾を受けられるようになる。が、今クオンが言ったとおり、《終末を招く者フィンブルヴェート》は弱肉強食を是としており、その構成員であるクオン本人の身の安全に関しては、七至徒の後ろ盾は機能しない。

終末を招く者フィンブルヴェート》という組織が、構成員同士の喰い合いを是としているがゆえに。


 もっとも組織である以上、無秩序に喰い合うことまでは是としておらず、最高幹部である七至徒を狙った場合や、喰い合いが原因で任務に支障をきたした場合は、死よりもおぞましい厳罰が下される。


 クオンは今、任務を終えて帰還した直後。ブリック公国の公都を落とした功績により、クオンの七至徒入りは確実視――といってもヨハンを見逃したため多少揺らいだ〝確実〟ではいるが――されているが、内定するまでの間は、七至徒候補という肩書きを持った一介の構成員にすぎない。


 クオンとイレーヌが〝客〟と称した者たちは、まさしく七至徒候補クオンの命を狙い、あわよくばその座を奪おうと企む、同じ組織フィンブルヴェートの人間だった。


 玄関にたどり着き、扉を開けたクオンは、これみよがしにため息をつく。


「やっぱり、あなたでしたか」


 玄関前には、痩せぎすの男が一人立っていた。

 高官用の居住区にいても不自然ではない程度に身なりを整えているが、色素の薄い茶髪には手をつけた様子はなく、ぼさついていた。

 切れ長の黒瞳には陰鬱とした鈍い輝きが沈殿しており、クオンに向ける視線は鬱屈とした敵意で濁っていた。


 男の名は、ラガル・ゴースティン。七至徒第四位ルナリア・シャンリーに推薦された、クオンと同じ七至徒候補の一人。


 名前を持っていることからもわかるとおり、クオンとは違って訓練施設上がりの人間ではなく、元は帝国軍の兵士を務めていたところを《終末を招く者フィンブルヴェート》にスカウトされた人間だった。

 それゆえか、あるいはラガル本人の気性ゆえか、同じ七至徒候補であるクオンのことを、ラガルは露骨に見下していた。

 今この時のように。


「やっぱりだぁ? 相変わらず調子乗ったこと、ほざきやがって。今すぐここで、おっ始めてもいいんだぜ?」

「今のどこに調子に乗ってる要素があるんですか。少しだけなら付き合ってあげますから、屋根の上にいる人たちに降りてくるよう言ってください」

「『付き合ってあげます』だぁ? やっぱ調子乗ってんじゃねぇか……!」


 露骨に殺気をぶつけてくるラガルに、クオンは嘲るような嗤顔えがおで応じる。


「本当に、今ここで始めるつもりですか? 帝国のまつりごとに携わる方たちが住んでいる高官用居住区このばしょで?」


 ラガルは忌々しげに舌打ちする。

 クオンの言うとおり、ここは帝国政府の高官が住まう居住区。

 こんなところで戦闘を行えば、《終末を招く者フィンブルヴェート》どころか、帝国そのものから厳罰を下されるのは必至。


 殺気全開のラガルも、高官用居住区ここで戦闘を行うほど非常識ではなく、舌打ちという形でその意志がないことを示すしかなかった。

 しかし、


「まぁ、わたしは全然構いませんけどね」


 クオンの内から、ラガルのそれとは比べものにならないほどに禍々しい殺気が迸る。半ば反射的にラガルは飛び下がり、ほぼ同時に、クオンが言っていた〝屋根の上にいる人たち〟が四人、音もなくラガルの傍に飛び降りてくる。

 ラガル同様、四人ともそれなりに整った身なりをしていた。


 ラガルたちは臨戦態勢のままクオンを睨みつける。が、視界の内にいたはずのクオンが忽然と消え失せていることに気づき、唯一動きを追えていたラガル一人を除いた全員が揃って戦慄する。


「ふふふ。冗談ですよ、じょ~だん」


 背後からクオンの声が聞こえ、ラガルたちは振り返りながらも再び飛び下がる。

 いよいよ身の危険を感じた、ラガルを除いた四人が懐から武装媒体ミーディアムを取り出そうとするも、


「なにッ!?」

「馬鹿なッ!?」

「お前たちもかッ!?」


 内三人が愕然とした声をあげ、内一人が懐に手を突っ込んだままガタガタと身を震えさせていた。


「お探し物は、これですかぁ?」


 クオンはケープの下から取り出した、武装媒体ミーディアムと思しき円筒状の物体をポロポロと落とし、ニンマリと嗤う。

 そこでようやく、クオンが背後をとるついでに自分たちの武装媒体ミーディアムを抜き取っていた事に四人は気づく。

 同時に、自分たちでは、逆立ちしても目の前の少女に勝てないことにも。


「お、俺は降りるぞ!」


 一人がそう言うと、残りの三人もそれに便乗し、脱兎さながらにこの場から逃げ去っていった。


「アレアレ~? あっという間にラガルさん一人になってしまいましたね~?」


 わざとらしく手でひさしをつくって周囲を見回しながら、心底ラガルを馬鹿にした声音で挑発する。

 律儀に挑発に応じたラガルは、こめかみに青筋を浮かべながら、余裕に満ちた言葉を無理矢理ひねり出した。


「はんッ。あいつらにはハナから期待しちゃいねぇよ。まぁ、盾としてですら使えねぇクソ雑魚だったのは計算外だったがな」


 そんなラガルの態度を見て、クオンはふと思い出す。

 ブリック公国の国崩しに参加していた、地下水路でヨハンに追い詰められ、クオンが間接的に助けた構成員のことを。

 言葉遣いにしろ気性にしろ、その構成員とラガルが妙に似ていることに気づてしまい、思わずクスリと嗤ってしまう。


「何がおかしい?」


 例によって、律儀にクオンのみに反応する、ラガル。

 意図せずして挑発してしまったクオンは、心の中で苦笑いするも、続けてラガルの口から出てきた言葉は、苦笑いでは済まされなかった。


「そうかそうか。そんなに俺様のことをナメてるってわけか。あぁ……今決めたぞ。今ここでてめぇを殺した後、てめぇの妹を俺様の魔法でなぶって――……」


 不意に、ラガルの言葉が途切れる。

 気づいてしまったのだ。

 クオンの表情からはみが消え、困ったようなを浮かべていることに。

 そんな表情とは裏腹に、狂気を超えた凶気が華奢な体から滲み出ていることに。

 竜の逆鱗や虎の尾とは比較にならない、おぞましい〝何か〟に触れてしまったことに。

 気づいてしまったのだ。


 ラガルの意志とは関係なく、全身から冷たい汗が噴き出し、手足が小刻みに震え出す。


 おかしい。


 あの女と俺様は同じ七至徒候補のはず。


 こんなにも格の違いを感じるなんてありえない。


 そう自分に言い聞かせるも、冷汗も、四肢の震えも、止まってはくれなかった。


「すみません、ラガルさん。今日のところはお引き取り願えないでしょうか? わたしとしても、近所迷惑になるような事態は避けたいですし」


 穏やかに、あくまでも穏やかに、クオンは言う。

 穏やかさとは裏腹に、有無を言わさぬ強制力を秘めた声音で。


「どうしてもと言うなら、場所を変えて相手をしてあげてもいいですけど、その場合は覚悟してくださいね? 今のわたしは――」

 

 クオンの目が据わり、爆発的に膨れ上がった凶気がラガルを圧する。


、優しくありませんから」


 この瞬間、ラガルは本能的に理解する。

 目の前にいる女は、人間の皮をかぶった化け物だと。

 実力どうこうの問題ではなく、在り方そのものが根源的な恐怖を誘う、それこそ七至徒に匹敵する化け物だと。

 自分はあくまでも、七至徒にすぎなかったことを。


 ラガルは悔しげに歯噛みした後、絞り出すような声音で答える。


「わかった……言うとおりにする……」


 その言葉一つで凶気が霧散し、クオンはニッコリと〝仮面〟のみを浮かべた。


「わかってくれたらいいんです」

「……クソッ」


 そう吐き捨てると、ラガルは今にも走って逃げ出そうとする両脚を意地と矜持で押し止め、ドッシリと足取りで、クオンの前から立ち去っていった。


 ラガルの気配が完全に消えたところで、クオンは疲れたようにため息をつく。

終末を招く者フィンブルヴェート》内で喰い合いが認められていると言っても、下手にラガルを殺してしまうと、ラガルを推薦した七至徒――ルナリアの不興を買う恐れがある。

 七至徒の肩書きを手に入れても、同じ七至徒を敵に回しては意味がない。


 だからクオンは同じ組織フィンブルヴェートの人間に命を狙われて、極力殺さないよう努めていた。〝仮面〟の狂気を遺憾なく発揮し、もう二度と自分を狙わないよう恐怖を刻みつけるだけに留めていた。

 全ては、ナイアに累が及ばないようにするために。


(先程は、ラガルさんがナイアに手を出すようなことをほのめかしたから、つい脅しすぎてしまいましたけど……まぁ、大丈夫でしょう。ラガルさんが面倒を起こす頃には、わたしは七至徒に内定しているでしょうし)


 その読み通り、ラガルが面倒を起こす前、一週間後にクオンは七至徒第七位に任ぜられた。

 クオンに向かって、手足はおろか口先さえも出せなくなったラガルは、金輪際クオンの前に姿を見せることはなかった。


 だが、クオンは知る由もなかった。


 先の〝脅しすぎ〟が原因で、ラガルの暴走を招いてしまうことを。

 クオンが七至徒になったことにより、ラガルの矛先がヨハンに向いてしまうこと。

 そして、ラガルの凶行により、ヨハンがさらなる絶望に見舞われることを……。

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