第16話 90と91

 クオンとナイアは、物心ついた時にはもう《終末を招く者フィンブルヴェート》の養成施設の中にいた。

 二人は、親の名前はおろか自身の名前すら知らなかった。

 出自について教えてもらえたことは、自分たちが双子の姉妹だという、ことのみで、それ以上の情報は不要だとばかりに、日常的に死人が出る地獄の訓練に放り込まれた。


 そんな二人が、名前の代わりに与えられたのが『90』と『91』。

 養成施設に放り込まれた個体を識別するためだけに付けられた、味も素っ気もないただの番号だった。


 番号は、訓練中や任務中に死ぬか、七至徒になるなどして名前を得た者が番号を捨てることで欠番となり、新たに養成施設に放り込まれた子供に割り振られる。

 ゆえに番号には序列のような意図はなく、双子のクオンとナイアが連番になったのは全く偶然にすぎず、だからこそ、二人は互いに姉妹としての結びつきを強く感じていた。

 親に売られたのか、それとも親が死んだところを拾われたのかは知らないが、他の子供と違って、すぐ傍に家族がいることを幸運とさえ思った。


 幸いクオンは〝武〟の才に恵まれ、ナイアは魔法の才に恵まれていたおかげで、死人が絶えない過酷な訓練も二人揃って乗り切ることができた。

 そんな二人の才能を、家族がいることを妬み、ちょっかいをかけてくる輩が増えてきたので、クオンはナイアを護るために〝仮面〟をかぶって狂気を振り撒き、養成施設にいる全ての番号から恐れられるようになった。

 その結果、二人だけでいられる時間が増え、二人の間だけで呼び合う名前を考える時間ができた。


『90』をなぞらえて『クオン』。


『91』をなぞらえて『ナイア』。


 ファミリーネームは緋い瞳にちなんで『スカーレット』。


 それらの名前を思いついた時は、あまりの安直さに二人して笑ってしまったものだが、クオンもナイアも、互いが互いに思いついた名前を気に入り、いつか大手を振って名乗れる日がくることを夢見た。


 身を置く環境は地獄そのものだが、二人は幸せだった。

 隣に〝クオン〟が、〝ナイア〟がいる。

 ただそれだけで幸せだった。



 四年前の、あの時までは……。



「ハァ……ハァ……ハァ……!」


終末を招く者フィンブルヴェート》の養成施設として設けられた、山中に掘られた迷路のような洞窟を、クオンは息を切らせながら駆け抜けていく。


 その日クオンとナイアは、正式に《終末を招く者フィンブルヴェート》の構成員になるための最終試験を受けていた。


 養成施設が鍛えるのは一二歳までの子供のみ。

 一三歳になった者――といっても、養成施設に放り込まれた子供の多くは誕生日はおろか正確な年齢も不明なため、それらに関しては養成施設の人間が勝手に決めたものが基準になっているが――には前述の最終試験を課し、《終末を招く者フィンブルヴェート》として使かどうかを判断する。

 

 試験内容は、訓練教官との一対一の戦闘。

 時間は三分。ただ生き延びれば合格となり、死ねば不合格となる、地獄の終わりにふさわしい試験だった。


 訓練教官を任される者の多くが一線を退いているが、教える立場に立つだけあって実力は並みの構成員を大きく凌駕している。

 中には、七至徒候補に迫るほどの実力者も混じっていた。


 いくら過酷な訓練を積んだといっても一三歳の子供が勝てる相手ではなく、生き延びるだけで合格となるのも当然の内容だった。

 


 結果だけを言えば、クオンとナイアは最終試験に合格した。

 クオンは、相手を務めた訓練教官を嗤いながら半殺しにするという鮮烈な形で。

 ナイアは、激闘の末、熾烈な形で。


「ハァ……ハァ……ハァ……!」


 クオンは、ナイアが運ばれた医務室を目指して、決して広くはない洞窟の通路を駆け抜けていく。


 聞いた話によると、ナイアは大怪我を負い、相手を務めた訓練教官は死亡したとのことだった。

 訓練教官を殺してしまったことは、どうでもいい。

 そもそも弱肉強食を是とする《終末を招く者フィンブルヴェート》において、試験による戦闘で訓練教官を殺してしまっても、そうそう咎められることはない。

 むしろ、殺されてしまった訓練教官の方が悪いとさえ言われるだろう。


 問題は、ナイアが大怪我を負ったことにあった。

 もし、仮に、ナイアの怪我が再起不能なまでに重かった場合、《終末を招く者フィンブルヴェート》はナイアを使と判断し、処分するだろう。ナイアを殺す形で。


 ナイアが怪我をしたと聞いただけでもこの身を引き裂かれるような想いなのに、その上怪我の具合次第ではナイアが処分されるかもしれないこの状況……一三歳のクオンには耐えがたいほどに重く、未熟な〝仮面〟は悲痛に歪んでいた。


 いよいよ医務室にたどり着いたクオンは、ベッドの上に寝かされていたナイアのもとに駆け寄り、縋りつく。

 普段のクオンならば、ベッドの傍にいた医師が、自分たちに向かってやけに冷ややか視線を送っていることに気づけただろうが、今のクオンにはそんな余裕など欠片ほどもなかった。


「ナイア! ナイア!」


 悲痛な声音で呼びかけてくる〝姉〟に応じ、ナイアは苦笑を浮かべながら上体を起こす。

 思いの外元気そうな〝妹〟を見て、クオンは内心少しだけ安堵


「ごめん、お姉ちゃん。ドジ踏んじゃった」

「ドジとか……そんなこと気にしなくていいんです。ナイアさえ無事なら、それでいいんです」


 不意に、ナイアの苦笑が弱々しくなる。


「お姉ちゃんには言いにくいんだけど……どうもあたし、無事じゃないっぽい……」

「……え?」


 この世の終わりでも見たかのように愕然とするクオンを見て、ナイアは心底言いにくそうに言葉をつぐ。


「ちょっと……背骨をやっちゃって……あたしの脚……動かなくなっちゃった……」

「そん……な……」


 クオンの体が、目に見えない衝撃を受けたようによろめく。

 顔色は死相を思わせるほどに真っ青になり、目尻には涙が滲み始めていた。


 脚が動かなくなった人間が、《終末を招く者フィンブルヴェート》の構成員になれるわけがない。

終末を招く者フィンブルヴェート》に必要な人間だと、思われるわけがない。

 それはつまり、


「お別れに、なっちゃうね……」

「そんなこと……そんなこと言わないでくださいっ!!」


 たまらず、クオンはナイアを抱き締めた。

 双子ゆえにクオンの気持ちが痛いほど理解しているのか、ナイアはこれから自分に下る死の運命よりも、一人残されることになった〝姉〟の悲しみと孤独を気遣うように抱き返した。


 そんな姉妹の様子を冷ややかに眺めていた医師だったが、医務室に二人の訓練教官がやってくるのを見るや否や、「これは面白い見世物が見られそうだ」と言わんばかりに下卑た笑みを浮かべ、訓練教官たちにナイアが下半身不随になった旨を伝えた。


「そうか」

「最早、論ずるまでもないな」


 医師からの話を聞き終えた二人の訓練教官が、こちらに歩み寄り、クオンのすぐ後ろで足を止める。


「ナンバー91を処分する。そこをどけ、ナンバー90」

「邪魔をすれば、貴様も処分の対象になると心得よ」


 事務的な物言いで、クオンの逆鱗を踏みにじる。

〝妹〟の手前、怒気も殺気も抑えたクオンは、最後にナイアの頭を一撫でした後、ゆっくりと体を離し、聖母を思わせるほどに優しくほほえみかける。


「ごめんなさいね、ナイア」

「お姉ちゃん……それって、どういう意――」


 ナイアが言葉を紡ぎきる前に、クオンはナイアの延髄に手刀を落とし、一撃で気絶させた。

 それだけで察した二人の訓練教官は、片や武装媒体ミーディアムを、片や詠唱省略の魔法陣を描いた掌を構え、クオンに最後通告を言い渡す。


「二度は言わん。やめておけ」

が最後、《終末を招く者フィンブルヴェート》を裏切ったとみなし、ナンバー91もろとも処分させてもらうぞ」


 無慈悲な言葉を前に、クオンは

 つい先程まで抑えていた、怒気を、殺気を、狂気を振りまくように、嗤った。


「教官方は面白いことを言いますねぇ。わたしにとって、味方は〝ナイア〟ただ一人。一度たりとも味方だなんて認めたことがないあなたたち相手に、裏切るも何もないんですよぉ……!」


 嘲笑混じりに振り返る。

 訓練教官をして、無意識に一歩後ずさるほどの凶相を浮かべながら。

 クオンの迫力に気圧されたのか、つい先程まで下卑た笑みを浮かべていた医師が、腰を抜かしたように尻餅をつく。


 転瞬、クオンは二本の軽刃媒体ブレードを抜き、訓練教官たちに飛びかかった。



 ◇ ◇ ◇



 そこから先のことは、あまりよく憶えていない。

 身を灼くような激情だけが、朧気ながら記憶の端に残っていた。

 気がつけば、ナイアの眠るベッドに背を預け、床にへたり込んでいた。

 もう二度と動かなくなった二人の訓練教官が、血溜まりに沈んでいた。


 どれほど才に溢れていようが、一三歳のクオンが二人の訓練教官を相手取って無傷で済むはずもなく、体のそこかしこに刻まれた、切創と刺創、火傷と凍傷が激痛を訴えてくる。

 自分の身など心底どうでもよかったクオンは、激甚な痛みに顔をしかめながらも背後を振り返り、ナイアの様子を窺う。


 健やかな寝息を立てるナイアには、戦いの余波はおろか、一滴の返り血も及んでいなかった。

 我を忘れるほどの激情に駆られながらも、しっかりと〝妹〟を護りきれたことに心底安堵する。


「そういえば……」


 いつの間にか、医師の姿が消えていることに気づき、眉をひそめる。

 それに、周囲がやけに静かなのも気になる。


 訓練教官二人を相手に死闘を演じたのだ。

 騒ぎを聞きつけた〝番号〟や、他の訓練教官が医務室ここに駆けつけても何ら不思議はない。

 むしろ、誰一人駆けつけていないことの方がおかしいくらいだった。


 思考を巡らせていると、に気づき、言いようのない戦慄を覚える。足音の主は、おそらく意識して足音を殺しているわけではない。ごく自然に、ごく当たり前に、足音を殺してしまっているのだ。

 十中八九、訓練教官よりも強い人間だと、たとえ無傷の状態で戦ったとしても絶対に勝てない人間だと、勘だけで悟ってしまう。


 足音の主が医務室にたどり着き、姿を現した瞬間、クオンは自身の勘が正しかったことを、いや、ある意味では勘が外れていたことを嫌というほど思い知る。

 自分一人が勝てないどころの騒ぎではなかった。

 今目の前に現れた、真白い髪と氷よりも冷たい白眼を持つ男。

 この男がその気になれば、半日とかけずに訓練施設にいる全ての人間を皆殺しにできることを本能的に理解してしまう。


「こいつです! こいつが教官二人を殺したんです!」


 男の背後、医務室の入口付近に身を隠していたくだんの医師が、震えの止まらない指でこちらをさしてくる。


「ほう、この少女が」


 一方、男は感情のこもらない吐息をついた後、ほんのわずかではあるが、興味深げな視線をクオンに投げかけた。

 男にしてはかなり珍しい反応だったが、初対面のクオンがそれを知るはずもなく、〝仮面〟をかぶってなお震えてしまいそうな声音を押し殺しながら、男に訊ねた。


「あなた、何者ですか?」

「シエット・ラグナ。七至徒と言えば、貴様も納得できるのではないか?」

「確かに、納得できますね。あなたが《終末を招く者フィンブルヴェート》で最も強い七人の一人であることも。あなたが人外の化け物であることも」

「最も強い七人という言葉には少々語弊があるな。七至徒に選ばれた者は相応の実力を求められるのは確かだが、魔法研究に明け暮れている〝翁〟のような、後方の人間がいるのも確かだ。七至徒候補に選ばれた者の中には、〝翁〟と渡り合える者も一人か二人はいる」

「後方の人間でそれですか。どうやら七至徒は人外の巣窟のようですね」


 激痛を無視して肩をすくめた後、クオンは一度だけ息をつき、肝心要の質問を単刀直入にぶつける。


「シエットさん……あなたが医務室ここに来たのは、わたしと〝妹〟を処分するためですか?」

「そうだと言ったら?」

「戦うだけですよ。〝妹〟を護るために」

「勝ち目がないとわかっているのにか?」


 その問いに、クオンは嗤って答えた。

〝仮面〟の狂気と、〝素〟の狂気をぜにして。


「勝ち目がない程度で、〝妹〟の命を諦めるわけないじゃないですか」

「……なるほど。〝妹〟のためならば、どこまでも狂えるというわけか」


 無感情に独りごちたシエットは、背後にいる医師を片目で見やる。


「この二人の命は私が預かる。養成施設ここの責任者には、そう伝えておけ」

「なぁッ!? ちょちょちょっと待ってくださいッ!! ナンバー90は我々の決定に逆らった挙句、教官を二人も殺してるんですよッ!?」

「だからこそだ。一線に立ってすらいないにもかかわらず、一対二で訓練教官を退けた実力は本物。さらに言えば、最終試験の際に相手となった者を嗤いながら半殺しにしたという話が本当なら、今日一日で三人の訓練教官を退けたことになる。それに――」


 シエットはクオンを一瞥した後、再び医師を片目で見やり、言葉をつぐ。


、七至徒に選ばれるに足る器だと私は見ている」

「ままままさか!? ナンバー90を七至徒候補に取り立てるおつもりですか!?」

「そのまさかだ」


 これ以上の問答は無用だと言わんばかりに、シエットは医師に背を向け、真っ正面からクオンを見据える。

 負けじと、というわけではないが、クオンはシエットを見据え返した。


「わたしたちの命を預かるということは、〝妹〟の処分は保留になったと思っていいんですか?」

「ああ。七至徒候補になるという話を貴様が引き受けるなら、保留どころか、私の権限で処分そのものを取り消しにしてやろう」

「……なるほど」


 と、先程のシエットのように独りごち、


「どうやら七至徒という立場は、わたしが思っている以上に好き勝手ができる〝力〟があるようですね」

「そう思われるのは心外だが、そう思われても仕方がない程度の権限を有しているのは確かだな」

「それなら、七至徒候補の権限は?」

「権限自体はそこまで大きくない。養成施設上がりの貴様らが番号で呼ばれることにも変わりはない。が、待遇に関しては、候補というだけあって七至徒に次ぐほどに厚い。それこそ、下半身不随になった〝妹〟を楽に養える程度にはな」


 その言葉を聞いて、クオンは今日一番の嗤顔えがおを浮かべた。


「どうやらシエットさんは、交渉がお上手のようですねぇ」

「引き受ける、ということでいいんだな?」

「それ以外に〝妹〟が助かる道はなさそうですしね」

「あくまでも優先するのは〝妹〟。我が身は二の次というわけか」

「それはもう。〝妹〟の存在そのものが、わたしの生きる理由そのものですから」


 そして、クオンは七至徒候補になった。


 下半身不随になり、《終末を招く者フィンブルヴェート》としてやっていくことができなくなったナイアは、〝姉〟にばかり苦労はかけられないと言って、魔法研究員として働くことを決めた。

 しかし、《終末を招く者フィンブルヴェート》の養成施設上がりのナイアが、魔法研究所で働くことは許されなかったので、七至徒にしてヘルモーズ帝国魔法研究の第一人者でもある、〝翁〟が統轄する魔法研究所で働くことになった。


〝翁〟が統轄する魔法研究所は非人道的な研究を行っているものがほとんどだったこと、そんなところで大事な〝妹〟を働かせたくないというクオンの意向もあって、ナイアは比較的まともな部署に配属されることになった。

 もっとも〝翁〟は自身の魔法研究以外のことに関しては、とことんいい加減かつ無頓着なため、クオンとナイアの意向どおりの部署につけたのは、シエットの口利きによるところが大きかった。

 当の〝翁〟は、そういう話があったことすら把握していないだろう。


 何はともあれ、クオンとナイアは再び、二人一緒にいられる幸せを手に入れた。

 だがその幸せも、養成施設の最終試験の時のように、唐突に、理不尽に、崩れる恐れがある。

 加えて、養成施設から上がってすぐに七至徒候補に選ばれたがために、クオンを妬む者の数は養成施設にいた時は比べものにならないほどに増加している。

 シエットがクオンの後ろ盾になったことにより、ナイアに手を出す輩はいなくなったが、裏を返せば、ナイアの身の安全はシエット次第で容易く移ろうことを意味している。


〝力〟がいる――クオンはそう思った。


 誰一人として〝妹〟に手を出させないようにするために。

 ずっと姉妹二人でいられるようにするために。


 クオンが本気で七至徒入りを目指したのも、丸一年も〝妹〟の傍を離れたのも、全てはそのためだった。

 そのためだけに、ブリック公国に潜入し、ヨハン・ヴァルナスに接触した。

〝妹〟とともにいる時と同じくらいの、あるいはそれ以上の幸せが待っていることも知らずに。

 その幸せのせいで、身を引き裂かれた方がマシだと思えるほどの苦しみを味わうことになるとも知らずに……。

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