第11話 悲劇

 玉座の間唯一の出入り口である両開きの大扉を締め切り、外にいる近衛兵たちが己と敵の血を流して奮戦する最中さなか、セルヌント公は、戦々恐々としている大臣たちとは大違いの落ち着いた声音でザック将軍に訊ねる。


「戦況はわかるか?」


 ザック将軍は戦況の確認に向かおうとする側近の兵士を制し、締め切られた大扉を凝視する。

 玉座の間の外から感じる気配と、怒号、悲鳴、戦闘音から戦況を分析し、十秒経たずに返答した。


「五分五分といったところですね。もっとも、敵味方関係なく増援次第であっさりと移ろうような状況ではありますが」

「予断は許さぬ、ということか」

「ええ」


 と、答えた瞬間、ザック将軍の表情が強張る。


「いかん……! 退けッ! お前たちッ!!」

「ぐあああああああああああああああッ!!」


 大扉の向こうにいる近衛兵に向かって叫ぶのと、耳を塞ぎたくなるような断末魔の叫びが聞こえてきたのは全く同時のことだった。


 続けて、また続けて、断末魔の叫びが上がり、ますます大臣たちが恐れおののく中、セルヌント公は先よりも落ち着いた声音でザック将軍に訊ねる。


「何があった?」

「……化け物が、扉の向こうにいます」


 付き合いの長いセルヌント公でさえも初めて見る、驚愕と焦燥がぜになった表情でザック将軍は答えた。

 ほぼ同時に、断続的に聞こえていた断末魔の叫びが止む。


「来ます」


 ザック将軍がそう断言した直後、大扉がゆっくりと開き、今やブリック公国軍にとっては悪夢の象徴となった、古拙アルカイックな仮面とフード付きの外套に身を包んだ者が一人、玉座の間に足を踏み入れてくる。

 その後ろに、同じ格好をした者たちが数人控えているのが見えて、大臣たちは引きつるような悲鳴を上げて後ずさった。


「あの者たちには、玉座の間に入らないよう言い含んでいる。ゆえに、どうか安心なさるがいい」


 欠片ほどの感情も感じられない、どこか超然とした男の声だった。


 男はフードを脱ぎ、仮面を外して、セルヌント公に向かって跪拝きはいする。


 真白い髪。

 氷よりも冷たい白眼はくがん

 彫像を思わせる程に整った、見た目二十代後半と思われる彫りの深い容貌。

 声音に負けず劣らず超然とした雰囲気を醸し出す男の出で立ちに、大臣たちはおろか、ザック将軍の側近さえも言葉を失ってしまう。

 跪拝するその姿すら、一種の芸術品のように見えてしまう。


 男は慇懃な態度をそのままに、セルヌント公に宣言する。


「私は《終末を招く者フィンブルヴェート七至徒しちしとが第二位、シエット・ラグナと申します。誠に勝手で恐縮ですが、セルヌント公……貴方の命、頂戴させていただきます」


 戴冠式の式辞を述べるように粛々と口上を切った後、シエットは、ゆっくりと立ち上がる。

 大臣や兵士たちがシエットの超然とした雰囲気に呑まれる中、ザック将軍は一人セルヌント公の前に立ち、その手に持った棒状の武装媒体ミーディアムを起動する。


 棒の先端から伸びる槍型の光刃。

 そのすぐ下に拡がる斧型の光刃。

 斧槍媒体ハルバード――それがザック将軍の武装媒体ミーディアムだった。


「そのような暴挙、このザック・ドナーが許すと思っているのか?」


 ザック将軍が斧槍媒体ハルバードを構えた瞬間、目に見えない圧が大臣たちを後ずさらせ、気後れしていた側近の兵士たちに活を入れる。


「そうだ! 俺たちには将軍がいる!」

「この程度で怯んでいては側近の名折れ!」

「我々も加勢します! 将軍!」


 己を鼓舞するように口々に叫びながら、三人の側近は長剣型の武装媒体ミーディアムを起動し、光刃を携えてザック将軍の脇を固めた。

 

「よく聞け。今我々の目の前にいる男は、レグロをもはるかに凌駕する化け物だ。加減はいらん。全力で、全員で仕留めるぞ」


 ザック将軍を信じて疑わない側近たちは、「レグロをもはるかに凌駕する化け物」という言葉を微塵も戸惑うことなく、揃って応を返す。

 その様を見て、シエットは感心したような吐息をついた。


「その佇まいもさることながら、彼我の実力差を見切る目に、部下たちを心酔させるその器量……なるほど。どうやら貴方は、なかなかの強者つわもののようだ。どの国にも一人か二人はいる、飽きるほど屠ってきた者たちと同じ、な」


 挑発じみた言葉を聞いて先走ろうとする側近を、ザック将軍は片手だけで制し、


「お前さんのような化け物に強者扱いされるとは、光栄だな」

「ならば、その栄誉を胸に天上に旅立つがいい」

「生憎まだ天上あの世には興味がなくてな。代わりと言ってはなんだが、お前さんに旅立ってもらうとしよう」


 ザック将軍が空いた手を横に振ると、三人の側近が音もなく、シエットの左右後に回り込んでいく。


「四方からの同時攻撃……いくらお前さんが化け物でも、そう容易くは防げまい」

「そう思うなら、試してみるといい」

「言われずとも」


 ザック将軍は不敵な笑みを浮かべた後、大臣たちに視線を巡らし、


「方々……『この場は戦場となります。ゆえに、もう少しだけ下がられた方がよろしいかと』」


 大臣たちは緊張で顔を強張らせながら、言われたとおりに壁際まで引き下がる。

 


 ザック将軍は、シエットに見せつけるように斧槍媒体ハルバードを掲げると、


「『いまだ!』」


 思い切り振り下ろし、勢いをそのまま床に伏せ、合図に従った側近の兵士もザック将軍に倣って床に伏せる。

 全く同時に、大臣たちが一斉に懐から小剣型の武装媒体ミーディアムを取り出し、光刃を具象。シエットに向かって投擲すると同時に、床に伏せた。

 

 城の門兵が殺され、襲撃を受けたという報を聞いた後すぐに、ザック将軍は仕込んでいたのだ。

 戦闘能力が皆無の大臣たち全員に小剣媒体ナイフを持たせ、隠語を合図に一斉に投擲させるという仕込みを。

 標的の肩より上を狙うことを意識して投げるように言い含み、投擲と同時に床に伏せさせることで、向かい側にいる味方が投げた小剣媒体ナイフに当たらないようにするという配慮も含めて。

 あれだけ恐れ戦いていた大臣たちが一人として欠けることなく一斉投擲を敢行できたのは、ひとえにザック将軍への信頼と、セルヌント公への忠誠の為せる業だった。


(これであの化け物を倒せるとは思っていない。だが、一斉投擲を捌いた直後を我々が襲えば……!)


 あるいは倒せるかもしれない――そんなザック将軍の淡い期待を、シエットは文字どおりの意味で焼き払った。


 突然、シエットの両手が炎に包まれる。

 呪文はおろか、魔名すら唱えることなく魔法じみた現象が発現したことにザック将軍が瞠目する中、シエットは舞うように両手を振るって炎波を放ち、四方から迫っていた無数の小剣媒体ナイフを、その向こうにいる大臣たちをまとめて焼き払った。


「ぎゃあああああああああああああああああッ!!」

「熱いッ!! 熱いぃぃいいぃいいいぃッ!!」


 全身を炎まみれにされた大臣たちが絶叫し、のたうち回る中、ザック将軍と三人の側近は立ち上がる勢いを利用して一斉に突貫。

 内心の動揺を置き去りにし、手筈どおり四方から同時にシエットに襲いかかる。


 不意に、シエットの両手を包んでいた炎が消え失せ、代わりに翠風の刃が両手を包み込む。

 直後、目にも止まらぬ手刀が閃き、シエットに斬りかかろうとしていた側近たちの内、一人は首を刎ね飛ばされ、二人は胴を斬り裂かれ、即死する。

 かろうじて反応していたザック将軍だけが、手刀を斧槍媒体ハルバードで受け止め、即死を免れていた。


 ザック将軍はシエットに視線を固定したままジリジリと下がった後、穂先を前に突き出す形で斧槍媒体ハルバードを構え、劣勢に立たせているとは思えぬほどの落ち着いた声音で訊ねる。


「さっきの炎といい、今手に纏ってる風の刃それといい……呪文はおろか魔名も唱えず発動するとは、いったいどういうカラクリだ?」

「答える義理はない」

「そいつはごもっともだが、今から死に行く人間にサービスの一つや二つしてくれても罰は当たらんだろう?」


 今から死に行く人間――その言葉を聞いて何か感づいたのか、ザック将軍のはるか後方で戦闘を見守っていたセルヌント公が、こちらに歩み寄り、会話に混じってくる。


「確かに、それは我も気になっていたところだな」

「貴方まで……まったく……」


 このシエットという男、殺しの対象であっても、やんごとなき身分の者には相応に敬意を払う性格タチらしく、諦めたようにため息をついてから先の質問に答えた。


「外法さえも生温い、著しく人の道から外れた所業の産物……とだけ答えておきましょう」

「口に出すのも憚られるような、そういう類の代物といったところか」

「仰るとおりです。セルヌント公」


 シエットは、独りごちるように「ところで」と呟き、


「貴方はいったい何を企んでいる。ザック・ドナー」

「企んでいるとは人聞きが悪いな」

「飽きるほど屠ってきたとは言ったが、強者つわものが強者である事実に変わりはない。おまけに、先の手並みを拝見した限り、貴方は搦め手も得意の様子。そんな貴方が、無為に長話をするとは思えない」

「おやおや、そこまでわかっていながら付き合ってくれたってのかい」

「こちらにはこちらの思惑がある。ただそれだけの――」


 シエットが話していた最中さなかのことだった。

 穂先を前に突き出した構えをそのままに、ザック将軍はシエットに突貫する。

 最短最速で、シエットの心臓目がけて刺突を繰り出すも、


「ガハッ……!」


 心臓を貫かれたのは、ザック将軍の方だった。

 シエットは不意打ちに動じることなく、半身を引くだけで刺突をかわし、同時に、翠風の刃を纏った貫手でザック将軍の心臓を刺し貫いていた。


「攻撃を仕掛ける際の〝起こり〟を完全に消し去った、見事な不意打ちだが、私に届かせるには速さが足りな――」


 またしても、シエットが話していた最中のことだった。

 心臓を貫かれ、今まさに息絶えようとしていたザック将軍が、斧槍媒体ハルバードを手放し、己が心臓を貫いたシエットの腕を掴む。

 死相に不敵な笑みを貼り付けて。


 続けて、セルヌント公が王衣の下から長剣型の武装媒体ミーディアムを取り出し、光刃を具象させて突撃する。

 大臣はともかく、国の主君まで武装媒体ミーディアムを隠し持っているとは思っていなかったシエットの白眼が、微かに見開いた。


 セルヌント公と、ザック将軍の付き合いは長い。

 だからこそ「今から死に行く人間」という言葉を聞いただけで、ザック将軍が命を捨ててシエットの動きを封じる気でいることを、シエットごと刺し貫かれるのを望んでいることを、


 セルヌント公は砕けんばかりに歯を噛み締めながら、ザック将軍の背中に向かって、その向こうにいるシエットに向かって刺突を繰り出そうとする。

 これまでの犠牲を、将軍ともの覚悟を無駄にしないために。


 だが、そこまでしてなおシエットには届かなかった。


 シエットは空いた手を振るい、ザック将軍の腕を斬り落として掴まれていた片腕を解放する。

 続けて、自由になった両手を振るってザック将軍を三つに斬り裂き、舞い散った肉塊と血飛沫で、セルヌント公の視界を覆った。


 屈強な兵士すら悲鳴を上げかねない凄惨極まる目隠しブラインドを前にしても、セルヌント公は微塵も揺らぐことなく、決死の覚悟で刺突を繰り出した。が、両手の自由を取り戻したシエットに届くはずもなく、逆に武装媒体ミーディアムを持った手首を斬り落とされてしまう。


 ザック将軍肉塊と血飛沫が降り止み、セルヌント公は全身血塗れになってしまうも、最も将軍の近くにいたはずのシエットは、真白い髪はおろか外套にさえも一滴の血も付着させていなかった。

 ザック将軍と兵士を斬り裂いた両手だけが、見るもおぞましい血の赤に濡れていた。


「なるほど……化け物とはよく言ったものだな」


 利き腕の手首を失い、そこから流れる血を失う中、床に片膝をついたセルヌント公が苦しげに得心する。

 その表情は、多くの犠牲を払ってなおシエットを仕留められなかった悔しさと、失った手首から迸る激甚な痛みで歪んでいた。


 そんなセルヌント公を、シエットは氷よりも冷たい白眼で見下ろす。


「何か言い残すことは?」

「無念……以外に残せる言葉などあるまい」

「そう言い切れるのは、貴方の心がどこまでも気高いからですよ」


 シエットは翠風の刃を纏った右手をゆっくりと掲げ、一片の躊躇も慈悲もなく振り下ろす。

 そして、今宵玉座の間に流れる最後の血が、赤く、赤く、床を染めていった。



 ◇ ◇ ◇



 翠風――〝シルフィーロンド〟を纏い、飛ぶような勢いで城に戻ってきたヨハンは、城の入口に転がる、門兵と思しき複数の焼死体を、中央の階段前を埋め尽くす仲間と敵の屍を見て、歯噛みする。


 セルヌント公とザック将軍は無事なのか?


 カルセル、マイク、オリビアは?


 レグロに他の兵士は?


 そしてなにより、恋人クオンは無事でいてくれているのか?


 クオンや仲間のことが心配心配で堪らない焦りと、仲間を殺されたことへの怒りがぜになり、ヨハンの心をジリジリと焦がしていく。


「中央階段は……駄目だな」


 玉座の間への最短ルートとなる、中央階段が瓦礫に埋もれているのを見て、さらに歯噛みする。


 魔法を使えば瓦礫を吹き飛ばすことも可能だが、瓦礫の向こうにいるであろう仲間を巻き込む恐れがある。

 いくらセルヌント公のためといえども、仲間を巻き込む可能性を無視してまで強行突破を行うなど、ヨハンにはできない。


「進むなら、左翼側だな」


 城に入る前、左翼側の外壁に大きな円形の穴が空いているのを確認した。

 穴の形と、穴の縁が焦げていた――おそらく断面もだろう――ことを鑑みるに、壁の穴は〝インフェルノレイ〟の仕業である可能性が高い。


〝インフェルノレイ〟は威力と貫通力に優れた、炎属性でもとりわけ危険な魔法の一つだ。

 誰かが倒してくれているのならともかく、〝インフェルノレイ〟の使い手がいまだ健在だった場合、味方にとってはかなりの脅威となりうる。

 念のため左翼へ向かい、健在だった場合は自分が仕留めた方が被害を最小限に抑えられるだろうと考えたヨハンは、すぐさま左翼側の階段を目指して走り出した。


 敵と出くわした時に備えて〝シルフィーロンド〟を解除するわけにはいかないが、城内で無闇矢鱈に高速移動するのは危険なので、普段の走力と同じ程度の速度で大回廊を駆けていく。


 この時、ヨハンは夢にも思っていなかった。


 事態が、想像よりもはるかに早く進行していることを。


 最悪という言葉では全く足りないほどの絶望が、待ち受けていることを。


 しばらく走り、回廊の曲がり角にたどり着く。

 クオンやザック将軍のように人の気配を読むことなどできないヨハンは、足音を殺して曲がり角に近づき、息を潜めて角の向こうの様子を確かめる。


「…………え?」


 思わず、呆けた声を漏らしてしまう。

 曲がり角の向こう、左翼側の階段に通じる回廊の床には、仮面の魔法士と思われる三体の死体と、十を超える仲間の死体が転がっていた。

 そしてその中には、こいつだけは絶対に死ぬはずがないと心の中で思っていた者の死体が、転がっていた。


「レグ……ロ……?」


 首だけとなり、目を見開いたまま絶命しているレグロを発見してしまい、ヨハンは呆然となる。


 魔法を使っても勝つのは難しいんじゃないかと思わされるほどに強かったレグロが、ほんの一、二時間前に、二人でこの公都まちを護ると誓ったレグロが……死んでいる。まるで現実感を伴わない現実に、ヨハンは虚ろな衝撃を受け、よろめいてしまう。


 さらに、両脚だけとなった仲間の死体を見て、壁に磔にされたオリビアの死体を見て……その向こうにいる、フード付きの外套と仮面を身につけた〝奴〟に目を向けた瞬間、かつてないほどの怒りがヨハンの心を灼いた。


「お前か……?」


 ユラリと、曲がり角から身を曝け出し、仲間の血で濡れた床をゆっくりと進み、〝奴〟に近づいていく。


「全部……お前がやったのか……?」


 ユラリ、ユラリと歩き、仲間の屍山しざんを挟んで〝奴〟と対峙する。

 そして、視線だけで人を殺せそうな凶眼で〝奴〟を睨み、


「僕の仲間を殺したのは、おま――――…………」


 息をすることも忘れ、硬直する。


〝奴〟が、自分のよく知る人物であることに気づいてしまったから。


 外套で体を覆っていようが、仮面で顔を隠していようが、見間違えるわけがなかった。

 気配など欠片ほども読めないが、の気配を読み間違えるわけがなかった。

 今、自分の目の前にいる〝奴〟は――


「クオン……なのか……?」


 わずかな沈黙を挟み、〝奴〟は仮面の下から声を漏らす。


「ふふふ、さすがですね」


 耳を塞ぎたくなるほどに聞き慣れた声が、初めて聞く嘲笑を混じえながら応じ、ゆっくりとフードを脱ぎ、ゆっくりと仮面を外す。


 肩には届かないほどに短い、濡れ羽のように黒い髪。


 情熱的な色合いとは裏腹に、見る者を落ち着かせるほどに穏やかな緋い瞳。


 幼さの残る、美しくも可憐な容貌。


 その全てが、ヨハンのよく知るクオン・スカーレットそのものだった。


 クオンは、ヨハンのよく知るその顔で、ヨハンの知らない婀娜あだっぽい表情を浮かべながら告げる。


「その通りですよ」


 そして、クオンの口から最も聞きたくなかった言葉を、恍惚混じりに吐き出した。


「ここにいる人たちは、このわたし――クオン・スカーレットが、みぃんな殺しましたぁ」

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