第12話 真の災厄

 これは夢だ。


 それも悪夢に類するものだ。


 きっと……いや、絶対にそうだ。


 そうに違いない。


 そうでないと、おかしい。


 ヨハンは駄々をこねる子供のように、目の前の現実をひたすら否定した。

 しかし、それを良しとしない理性が、混乱の坩堝るつぼに陥った心とは裏腹に、冷静に、冷徹に、目の前の現実を分析し、


「じゃ、じゃあ……レグロを殺したのも……」


 心の中で、自分に向かって「やめろ!」と叫びながら、訊ねてしまう。

 

「もちろん、わたしが殺しましたよぉ。その証拠に――」


 クオンは心底楽しげにクスクスと嗤い、数ある首なし死体の一つを指さした。


「これだけ死体があっても、どれがレグロさんの片割れか一発でわかりますもん」


 クオンが指さした死体に視線を向けると、首がなくても確かにレグロだとわかる巨躯が床に仰臥していた。


 そして、探してしまう。


 レグロ以外の死体を。

 壁に磔にされたオリビア以外の、自分と同じ小隊だったマイクを、カルセルを、屍山しざんに視線を巡らせ、探してしまう。


 ……マイクの死体は、どれになるのかわからなかった。


 だが、


「違……違う……! そんなはずがない……!」


 カルセルの背格好によく似た、小太りの首なし死体を見つけてしまい、ヨハンは声で、心で否定する。


 この死体はカルセルによく似た体型をした、別の誰かだと。

 現に、カルセルの首は見当たらないと。

 きっと屍山を漁っても、カルセルの首は出てこないだろうと。

 ただただ自分に言い聞かせ、否定する。

 首を探す勇気はおろか、クオンに訊いて確かめる勇気すら絞り出せないまま。


「大丈夫ですか、ヨハン? 顔が真っ青ですよぉ?」


 クオンが楽しげに訊ねてくる。

 どの口で言っている――などと思えるわけもなく、縋るように、一縷の望みに賭けるように訊ね返す。


「もしかして、クオン……操られているのか? 魔法で誰かに操られているのか?」


 その言葉に、クオンはキョトンとした顔をする。


「操られている? わたしが? そんな魔法がこの世に存在しないことは、ヨハンが一番よくわかってますよね?」


 う、その通りだった。


 魔法とは、自身の魔力を、地、水、氷、火、風、雷、いずれかの属性に変容させ、発動する術法。

 六属性とはまるで関係のない、人間の精神に作用する魔法など存在しない。

 何かを操るにしても、それは人間ではなく、六属性に密接に関係している澱魔エレメントにちょっとした制約を課して、部分的に行動を制限するのがせいぜいだ。


「ならば、お前は誰だ? お前は、俺の知っているクオンじゃない。クオンに化けて何を企んでいるッ!」

「も~う、こんな状況でふざけちゃダメですよ、ヨハン。今、あなたの目の前にいるわたしは、この身も、この心も、紛うことなくあなたのよく知るクオン・スカーレットですよ。それこそ、先の質問以上にヨハンが一番よくわかってることじゃないですか」


 胸に手を当て、嗤う。

 ヨハンのよく知る顔で。

 ヨハンの知らない顔で。


「…………答えろ」


 これ以上ない程にまで擦り切れた心が、ヨハンの意志とは関係なく、憎悪に満ちた言葉を吐き出す。


「答えろッ!! クオン・スカーレットッ!! 君が何者なのかをッ!!」


 真っ正面から怒号を受け止めたクオンは、艶然と微笑みながら答える。


「ヘルモーズ帝国の忠実なるしもべ――《終末を招く者フィンブルヴェート》。そこから遣わされたスパイ。それが本当のわたしです」


 大方予想したとおりの答えであり、聞きたくない答えでもあった。

 なぜなら、それだけでわかってしまったから。

 自分とクオンの関係が、出会いからしてまやかしであったということが。


「セルヌント公は、ここ一、二年、傘下に入れというヘルモーズ帝国からの密書がいくつも届いていたと言っていた。そして、君が公都の募兵に応募し、僕に近づいてきたのが一年前……。魔法士だった父の影響で魔法が大好きになったという話は、僕に近づくための嘘だったんだな?」

「そうですよぉ。そもそも、わたしは両親の顔すら知りませんから」

「僕に近づいたのは、魔法士としての僕の力量を計るためか?」

「そのとおり。さすがヨハン。さといですね」


 両手を打ち鳴らし、どこか馬鹿にするような声音で褒めちぎる。

 そんな仕草を見る度に、そんな声音を聞く度に、クオンと築いてきた宝石のような思い出が、ひび割れ、砕け散っていく。


「わたしたち《終末を招く者フィンブルヴェート》は、ただ国を崩すためだけに、こんなことをしているわけじゃありません。そして、その目的の一環として、ディザスター級澱魔エレメントの召喚が組み込まれています。過去に、優秀な魔法士を抱える国の首都にディザスター級を召喚しようとした際、召喚の前準備の段階で阻止され、やむなく要人の暗殺だけに留めたことがありました。だから――」

「僕に接触したと?」


 言おうとした台詞を奪われたにもかかわらず、クオンはニッコリと嗤って首肯する。


「《終末を招く者フィンブルヴェート》はその失敗以降、標的にした国の中で最も優れた魔法士の知識と魔力感知力を確かめるために、スパイを送り込むようになったんです。魔導経脈の集約点スポットを特定したり、国の内情を調べたりとか、それ以外の諜報も勿論やってますけどね」


 おかげで丸一年かかりましたよ――と、愚痴るように言うクオンを睨みながら、ヨハンは嫌というほど得心してしまう。


 クオンが魔法について根掘り葉掘り訊いてきたのは、ミドガルド大陸最高の魔法士を父に持つ自分の知識と、その父が残した手記の内容を確かめるためだったのだ。

 ディザスター級召喚の妨げになるかどうかの判断材料にする以外にも、魔法の禁を無視する《終末を招く者こいつら》なら、まだ見ぬ魔法の知識を蒐集しゅうしゅうするという目的もあったに違いないとヨハンは思う。

 そのためにクオンは自分に近づき、取り入り、恋人になったのだと、ヨハンは思う。


 嫌でも、思い出してしまう。


 思い切って、勇気を振り絞ってこちらから告白したあの時、クオンはキョトンとした顔をした後、嬉しそうに恥ずかしそうに笑ってオーケーしてくれた。

 それが嘘で、心の中ではこちらのことを嗤っていたのかと思うと、腸が煮えくり返りそうになる。


 結局、キスの一つもさせてもらえなかったが、今にして思えば腑に落ちる。

 好きでもなんでもなく、ただ利用しようとしていただけの相手にキスを迫られるなど、さぞかし不快なことだったろう。

 毎度毎度見せていた生娘じみた反応は、ああ、なるほど。確かに見事だった。

 一、二時間ほど前、ディザスター級のもとに向かおうとしていた自分を引き止めた時の言葉や仕草は、特に完璧だった。

 舞台役者にでもなれば、さぞかし人気を集められるだろうと思えるほどに。


 そういえば、三日前に地下水路で仮面の魔法士を追い詰めた際、クオンが出てきたタイミングは拍手を送りたくなる程に完璧だった。

 完璧にこちらの注意を逸らし、仮面の魔法士おなかまが逃げる隙をつくった。


 つくづく、完璧だと思う。


 完璧すぎる程に、自分の〝敵〟だと思う。


 自分が愛した恋人クオンは死んだ。

 今目の前にいるのは、公都に仇なし、仲間を戮殺りくさつした紛うことなき〝敵〟!


 微塵の躊躇もなく魔法を放つことを決意したヨハンは、怒り狂う心とは裏腹に、半端な魔法ではクオンは捉えられないと冷静に分析。

 心の中で仲間の亡骸に謝りながらも、広範囲の敵を凍てつき殺す〝ブリザードグリム〟の使用を選択する。

 そして、呪文を唱えるべく、すぐさま口を開――


「ダメですよぉ、ヨハン」


 ヨハンの口が、一語も発することなく硬直する。


 いつの間にか、目の前にクオンがいた。

 いつの間にか、光刃を具象させたクオンが、二本の武装媒体ミーディアムを「×」の字に交差させ、ヨハンの喉に突きつけていた。

 クオンから一度も目を離していなかったのに、気がつけば目の前にクオンがいた。


 何が起きたのかわからない。

 有り得ない。

 魔法もなしに、こんな魔法じみたことが出来るはずがない。

 そう自分に言い聞かせながらヨハンは床を蹴り、〝シルフィーロンド〟の力を最大限に利用して、瞬時に、大きく、クオンから飛び離れた。はずだった。


 着地した時にはもう、クオンの姿は視界からかき消えており、


「だから、ダメだって言ったじゃないですかぁ」


 すぐ後ろからクオンの声が聞こえ、いよいよ絶句する。

 クオンの機動力は、〝シルフィーロンド〟で劇的に向上したヨハンの機動力を、はるかに上回っていた。

 自然、冷たい汗が背筋を伝っていく。


「まだ話が終わっていないのに、勝手に暴れようとしちゃ」


 実感する。

 今背後にいる〝奴〟が、本当に、何もかも、自分の知っているクオンとは別物であることを。


 人間離れした機動力。

 軽刃型と思しき二本の武装媒体ミーディアム

 レグロを含めた十人以上の兵士を相手にしても、かすり傷一つ負わない異常な戦闘力。

 本当に、何もかも、自分の知っているクオンとは別物だった。


「あ、別に振り返っても構わないですよ? わたし、ヨハンと戦う気は全くありませんから」


 言われたとおりに振り返る気にはなれず、背中越しで訊ねる。


「どういう……意味だ?」

「言葉どおりの意味ですよ。今さら信じられないかもしれませんけど、わたし、本当にヨハンのことを気に入ってるんですよ? そうでなければ、任務のためとはいえ告白をオーケーしたりなんかしませんから」


 形容しがたい衝撃がヨハンの心に食い込み、血を滲ませる。

 そんなヨハンの苦しみを知ってか知らずか、クオンは楽しげに嬉しげに、ますますヨハンの心に血を滲ませるような提案をしてくる。


「ヨハン、《終末を招く者フィンブルヴェート》の一員になって、わたしと一緒にヘルモーズ帝国に尽くしませんか?」

「そんなこと……出来るわけないだろ……!」

「出来ますよ。ヨハンはたった一人で、ディザスター級の澱魔エレメントを見事撃退してみせました。そんなことができる人間なんて《終末を招く者フィンブルヴェート》はおろか、帝国中を探してもそうはいません。ヨハンにその気があるなら、わたしの口添えで――」


「そんなことを言ってるんじゃないッ!!」


 ヨハンの大喝が響き渡り、さしものクオンも口をつぐんでしまう。


公都まちを無茶苦茶にしてッ!! 城に攻め込んでッ!! 仲間を殺しまくったお前らの一員になるなんて出来るわけがないだろッ!! そうするくらいなら死んだ方がマシだッ!!」


 クオンは諦めたように、ため息をつき、


「やっぱり、そう答えましたか。わたしに命を握られてるような状況なのに。けど――」


 なぜか嬉しそうに、記憶の中にあるクオンそのものの声音で、こう付け加えた。


「ヨハンのそういうところ、大好きですよ」

「…………やめてくれ」


 血を吐くように、懇願するように、今にも泣き出しそうな声で、ヨハンは呟く。

 まだ、自分の心の中にいる恋人クオンが生きていると思えてしまうから。

 背後にいる〝クオン〟を、憎みきれなくなってしまいそうだから。


 不意に、優しく、クオンが背中を押してくる。


「いつまでも、わたし相手に油を売ってていいんですか? わたしの役目はあくまでも露払い。セルヌント公のもとには、わたしなんかよりもよっぽど恐い人が向かってますよぉ。でもまぁ、そうとわかっていて、わたしと戯れることを選んでくれているのなら、それはそれで悪い気はしませんけど」


 後半の戯言を無視し、半顔だけ振り返らせる。


「俺を見逃すのか?」

「だから言ったじゃないですかぁ。わたしはヨハンに《終末を招く者フィンブルヴェート》の一員になってもらいたいんです。ですが、今はどうにも説得には不向きな状況なので、返事はまた今度会った時にでもお願いしようかな~って思いまして」

「……死ぬ気で抵抗して、〝また今度〟をなくしたっていいんだぞ」

「無理ですよ。わたしに勝てないことを悟った時点で、多少は頭が冷えてきたでしょう? 頭が回り始めたヨハンが、セルヌント公の危機を無視して無駄死にを選ぶなんて出来るわけがないってことは、わたしが一番よくわかっていますから」


 図星を突かれ、ほんの数瞬口ごもる。


「……絶対に後悔させてやる。ここで僕を見逃したことを」

「ふふ、それはそれで楽しみにさせてもらいますね」


 ヨハンはギリッと音が漏れるほどに歯噛みした後、すぐさま走り出し、階段へ向かう。

 急いで、セルヌント公のもとへ向かうために。

 急いで、ここから逃げるように。


「色よい返事、期待してますからぁ」


 背後から聞こえてくる声を振り切り、階段を駆け上がる。

 上階にたどり着き、味方と敵の死体が転がる回廊を駆け抜け、一人の生者ともすれ違わなかったヨハンはいよいよ玉座の間にたどり着き、愕然とする。


「そんな……嘘だ……」


 黒焦げになった大臣の死体が、斬り殺された兵士の死体が、バラバラになったザック将軍の死体が、血の赤に染まった床が、ヨハンを出迎える。


 そして、


「セルヌント公……」


 胴をはすに斬られ、王衣を血の赤に染めたセルヌント公が、床に仰臥していた。


 無駄だとわかっていてなお、ヨハンはセルヌント公の亡骸に縋りつき、首筋の脈に指を当てる。

 もしかしたら、かろうじて生きているかもしれない。

 敵が、セルヌント公を仕留めたと勘違いしてくれているかもしれない。そんな砂の城よりも脆い期待を、指先から伝わる冷たい感触が踏みにじってくる。


 脈一つ打たない首筋から指を離したヨハンは、ヨロヨロと後ずさり、尻餅をつく。いまだ乾ききっていない血だまりが、ヨハンの心を、下衣を、赤く染め上げていく。


 絶望がヨハンの心を真っ赤に塗り潰した瞬間、獣の断末魔にも似た慟哭が、玉座の間に響き渡った……。

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