第10話 圧倒

「レグロ!」


 自分でもちょっと恥ずかしくなるほどに声を弾ませながら、カルセルはこちらに歩み寄ってきたレグロの名前を呼ぶ。

 レグロは、両脚だけとなったマイクを、壁に磔にされたオリビアを、血に染まるカルセルの左肩と左太股を一瞥した後、いつもどおりの堅い物言いで謝ってくる。


「すまん。遅くなった」

「レグロが謝ることなんて何一つないよ……でも、どうしてこっちに? レグロなら、中央の階段を強行突破することもできたんじゃ?」

「戦闘の影響か敵の仕業かは知らんが、中央の階段は瓦礫で塞がっていた。だから俺は階段前にいた敵を他の兵士ものたちに任せ、一人先行させてもらった。階段前の戦闘が落ち着き次第、右翼はもちろん、この左翼にも増援が来るだろう」


 内容が内容だからか、レグロは、二人の魔法士に聞かれないよう囁くような声で応じる。

 当の魔法士たちはというと、レグロのことを品定めするように、こちらの出方を窺っていた。


「気をつけて。あの二人、魔法陣で呪文を省略して魔法を発動してくるから」

「知っている。ここに来るまでに叩き斬った魔法士どもも、そうだったからな。特段問題はない」


 特段問題はない――その言葉を聞いて、女の魔法士が仮面の下から笑い声を漏らす。


「あなた、情報にあった公国軍一の剣士と外見的特徴が一致していたから警戒しちゃったけど、どうやらに回されるような雑魚を倒しただけで対魔法士戦をわかった気になっている、おバカさんのようね」

「だな。俺たちはの連中とは格が違う。それに、あんたわかってないだろ? 剣士が魔法士相手に、これだけの距離をとられることの意味を」


 壮年の魔法士もまた、仮面の下で「くくく」と笑みを零す。


 二人の魔法士は、見た目に反して瞬発力が凄まじいカルセルを確実に仕留めるために、たっぷりと距離を離している。

 レグロといえど、一度も魔法を使わせずに仕留めるのは困難な距離だった。


 己の実力に自信があるのか、それとも魔法士にとって有利な距離を確保できているからか、余裕たっぷりにクスクスと笑う二人を前に、レグロはこれ見よがしにため息をつく。


「わかっていないのは貴様らの方だ。貴様らからは〝武〟の気配が、まるで感じない。貴様らが、毛ほども武術を囓っていないのが丸わかりなほどにな。〝武〟を疎かにする三流が、この俺に勝てると本気で思っているのか?」


 レグロは軍服の下から大剣型の武装媒体ミーディアムを取り出し、青白い光刃を具象。

 切っ先とともに向けた鋭い視線が魔法士たちの心胆を射抜き、気圧された二人は揃って一歩後ずさる。


「ふ、ふん。魔法士に向かって武術がどうとか、わけわかんないこと言ってんじゃないわよ……!」


 気圧されたことを恥じるように、女魔法士は苛立った声を漏らしながら掌の魔法陣を前方に掲げる。


 転瞬、


「〝アイシクルピアス〟!」


 レグロは床を蹴り、女魔法士は掌から無数の氷柱を発射した。

 刹那にも満たぬ間に、レグロと〝アイシクルピアス〟がぶつかり合うも、


「ぬるい」


 青白い剣閃がまたたいたのも束の間、レグロは、自身とその背後にいるカルセルに当たる氷柱のみを正確に斬り落とし、足を止めることなく〝アイシクルピアス〟を凌ぎきる。


 このままではまずいと思ったのか、壮年魔法士が掌――当然詠唱省略の魔法陣が描かれている――をレグロに向けようとするも、


「ぬんッ!」


 レグロはその手に持った大剣媒体クレイモアをぶん投げ、魔名はおろか悲鳴すらあげる暇すら与えずに、壮年魔法士の胸板を刺し貫いた。


「嘘っ!?」


 剣士が剣をぶん投げてくるとは思わなかったのか、それとも、もうすでに眼前まで迫っていたレグロにおののいたのか、女魔法士は仮面の下で狼狽えた声を上げる。

 たとえ女でも、公都に仇なす輩を微塵も許すつもりはなかったレグロは、女魔法士の細首を掴み、膂力に物を言わせて一片の容赦もなくへし折る。

 レグロが手を離すと、女魔法士はズルリと床に倒れ伏した。


「大陸最高の魔法士と謳われたダルニス殿は、武人としても一流だった。結果は伴っていないが、ヨハンも決して〝武〟を軽んじたりはしなかった。味方がいる状況では広域攻撃タイプの魔法が使えない以上、相手に狙いを定めて放つタイプの魔法を当てる技術と、相手の動きを見切る目を鍛えることが肝要であり、その鍛錬の一環として武術を修めるのは必定だとダルニス殿は言っていた。剣士の俺ですら知っているようなことを知らない貴様らは三流ですらない。四流だ。俺たちの街を焼き、我々の仲間を殺した報い、冥府でたっぷりと受けてくるがいい」


 公都に澱魔エレメントを放ち、仲間と民を殺した魔法士たちのことを余程腹に据えかねていたのだろう。

 レグロは、すでに事切れた死体に向かって、長々と説教じみた言葉をぶつけた。


 そして、一つ息をつくと、カルセルの方を振り返り、


「まだ、戦えるか?」


 左肩と左太股の傷のことを言っていることに気づいたカルセルは、力強く首肯を返した。


「大丈夫。片手だけでも戦斧媒体アックスを振るう訓練は積んできたし、左足もかすり傷だからまだ充分動ける」

「そうか。ならば急ぐぞ。予断を許さぬこの状況……セルヌント公の傍にはザック将軍がおられるとはいえ――」


 突然、レグロは弾かれたように階段を見やる。

 ほぼ同時に、何者かが、ゆっくりと、階段を下りてくる音が聞こえてくる。


「味方が、下りてきたのかな?」


 カルセルの口から漏れた淡い期待を裏切るように、フード付きの外套と仮面を身につけた〝奴〟が、ゆっくりと姿を現した。


「また魔法士か……!」


 苦々しく呻くカルセルの言葉を、レグロは「いや……」と否定し、


「こうもこれ見よがしに〝武〟の気配を撒き散らす輩が、魔法士であるはずがない!」


 直後の出来事に、カルセルは瞠目してしまう。階段を下りていたはずの〝奴〟が、気がつけばレグロの眼前まで迫っていたのだ。


 硬質の絶叫が回廊に轟く。


 いつの間にか〝奴〟が手にしていた剣型と思しき武装媒体ミーディアムと、レグロの大剣媒体クレイモアがぶつかり合った音だった。


 カルセルの目では追うことすらできなかった動きに、しっかりと反応していたレグロはさすがだが、それ以上に、レグロよりも頭二つ小さい〝奴〟のことが、先の三人の仮面とは何もかもが違いすぎる〝奴〟のことが、不気味で不気味で仕方なかった。

 嫌な予感と呼ぶにはあまりにもドス黒い何かが、カルセルの心の奥底でとぐろを巻き始めるほどに。


 そんなカルセルの不安をよそに、レグロと〝奴〟は光刃と光刃をり合わせる。

 武装媒体ミーディアムは使用者の意思一つで光刃を消し去ることができるため、武装媒体ミーディアム同士での迫り合いは、実剣同士でのそれとはまた違った読み合いが発生する。

 とはいえ、力が強い方が有利なのは間違いなく、それを承知しているかのように〝奴〟は、さっさと迫り合いを放棄して飛び下がった。

 圧倒的な体格差があるうえ、〝奴〟の武装媒体ミーディアム自体が力勝負に向いていないため迫り合いを放棄したのだろうと、カルセルは思う。


〝奴〟の武装媒体ミーディアム――それは、長剣と呼ぶには短く、小剣と呼ぶには長い、光刃に反りの入った軽刃媒体ブレードだった。


 武装媒体ミーディアムによって具象した光刃は、その見た目とは裏腹に、鉱石をもとに造られた刃の半分から三分の一程度の重量を有している。

 それゆえに武装媒体ミーディアムであっても武器ごとの特色に大きな変わりはなく、大剣相手に軽刃で力勝負を挑む行為が愚かだという事実にも変わりはない。

 瞬発力に自信のあるカルセルから見ても、〝奴〟の踏み込みの速さは異常としか言いようがなく、〝奴〟は確実に、その速さを活かして攻めてくるだろうとカルセルは推測する。


 転瞬、その推測が正しかったことを証明するように、〝奴〟の姿がカルセルの視界からかき消えた。

 再び硬質の絶叫が轟き、それを聞いてようやく、〝奴〟がレグロの背後に回り込んで斬りかかっていたことを、レグロが振り返ることなく大剣媒体クレイモアで斬撃を受け止めていたことを把握する。


 その後の攻防は、カルセルにとっては魔法よりも余程超常的なものだった。


〝奴〟は文字どおり目にも止まらぬ速さで、前後左右からレグロに斬りかかり、レグロはその悉くを、大剣媒体クレイモアという取り回しの悪い得物で防ぎきってみせる。

 加勢しようにも、〝奴〟の動きを目で追うことすらできないカルセルでは足を引っ張るのが目に見えており、固唾を呑んで戦いを見守ることしかできなかった。


(なんなんだよ、あいつ……! あんなの、いくらレグロでも――)


「見切った」


 不安に満ちたカルセルの独白を断ち切るように、レグロが短く断言する。

 見切れるもの見切ってみろと言わんばかりに、〝奴〟はレグロの背後を――


「!?」


 まるで未来でも見えていたかのように、レグロは、〝奴〟が軽刃媒体ブレードを振るうよりも早くに振り向きざまの斬撃を放つ。

 さすがと言うべきか、〝奴〟は即座に軽刃媒体ブレードを振るう手を止め、飛び下がることで斬撃を回避する。が、


「あ……」


 外套の胸の辺りに一筋ひとすじ、剣閃が刻まれていることに気づき、カルセルは思わず声を漏らす。

 斬撃は〝奴〟の身には届かなかったが、レグロなら次こそは届かせるだろうと思わせてくれる、一筋以上の光明が〝奴〟の外套に刻まれていた。


「次は捉える」


 淡々と宣言し、味方であるカルセルが息を呑むほどの凄みを醸し出しながら、レグロは大剣媒体クレイモアを構える。

 そんなレグロを前に、〝奴〟の仮面の下からため息にも似た、あるかなきかの吐息が聞こえたような気がして、カルセルは眉をひそめる。


 その直後、不意に、唐突に、〝奴〟の雰囲気が変わる。


 殺気を放ったわけではない。

 怒気を放ったわけではない。

〝奴〟を見ているだけで心がざわつき、震え上がるような……言い知れぬ不気味さが空間全体に充ち満ちるような、そんな雰囲気だった。


〝奴〟はユラリと、左手を外套の下に入れる。

 ほどなくして姿を現した左手には、右手の軽刃媒体ブレードと全く同じ造形をした、剣の柄が握られていた。


「もう一本同じ武装媒体ミーディアムを!?」


 と、驚くカルセルに応じるように、〝奴〟は左手に持った剣の柄から光刃を具象する。


「双剣……どうやらハッタリではなさそうだな」


 レグロの言うとおり、二本の軽刃媒体ブレードを構える〝奴〟の姿は堂に入っていた。

 カルセルの心の奥底でとぐろを巻くドス黒い何かが、より黒く、より大きくなっていくほどに。


「先にいけ、カルセル。こいつは俺が――」


 レグロが言い切る前に、〝奴〟は刹那に間合いを潰し、肉薄する。

 この程度で不意を突かれるようなレグロではなく、すぐさま大剣媒体クレイモアで応戦しようとするも、


「ぬぅ……ッ!」


 二本の軽刃媒体ブレードが踊り狂い、一瞬の内に閃いた十の剣閃がレグロを圧倒。

 防御に専念してなお捌ききれなかった光刃が、頑強な肉体を浅く斬り裂いた。


 当然〝奴〟の攻撃が十閃程度で終わるわけがなく、尋常ならざる斬撃速度で描かれた青白い軌跡が、空間を塗り潰すように無数に刻まれていく。

 それと同じ数だけ、浅く裂かれたレグロの肉体から赤い滴が舞い散っていく。

 

 今はかすり傷程度で済んでいるが、〝奴〟がレグロを捉えるのは時間の問題だということは、〝奴〟の動きがほとんど追えていないカルセルでもわかることだった。


 足を引っ張るとか言っていられる状況ではない。

 カルセルは、すぐさまレグロの加勢に向かおうとするも、


「先にいけと言ったぞ! カルセル!」


 レグロの大喝に、カルセルは思わず足を止める。

 直後、カルセルに意識を向けた瞬間を狙って〝奴〟が首を狙ってくるも、その程度のことで隙を晒すレグロではなく、身を反らして〝奴〟の右刃を回避。

 左刃による追撃の横薙ぎを、下向きにした大剣媒体クレイモアを縦に構えることで受け止め――


「ッ!?」


 左刃が大剣媒体クレイモアに触れる寸前、〝奴〟は武装媒体ミーディアムを解除して光刃を消し去り、大剣媒体クレイモアを通り過ぎたところで再び光刃を具象。その間、斬撃は微塵も速度を緩めておらず、勢いをそのままにレグロの脇腹を斬り裂く。


 迫り合っている状況ならいざ知らず、斬撃を放っている途中で相手の動きを見切り、刹那の内に武装媒体ミーディアムの解除と再起動を行うことで相手の防御をすり抜ける……神業という言葉すら生ぬるい絶技を前に、さすがのレグロも驚きを隠せなかった。


 もっとも、次に驚かされるのは〝奴〟の番ではあるが。


「!?」


 左刃が内臓に達しようとしたところで、〝奴〟の斬撃が止まる。

 極限まで鍛え抜いた腹筋を締めることで、致命の斬撃を重傷にとどめたのだ。


 この結果を招いた要因は、レグロの鍛え方が尋常ではなかったこと、一度光刃を消したせいで斬撃に充分な〝振り〟が得られなかったことなどがあるが、最大の要因が、レグロよりも頭二つ小さい矮躯と軽刃媒体ブレードの軽さにあることは、速さに特化しているがゆえの〝奴〟の非力さにあることは火を見るよりも明らかだった。

 事実〝奴〟は、レグロの脇腹にめり込んだ軽刃媒体ブレードを、振り切ることはおろか引き抜くことすらできていない。

 

 絶体絶命の危機を乗り越えたがゆえに手にした、千載一遇の好機。

 だが、零距離ゆえに大剣媒体クレイモアの光刃を振るえるだけの隙間はない。

 ゆえにレグロは、当たれば岩をも砕くほどの力を込めて柄頭を振るった。

 腹筋の力で軽刃媒体ブレードを封じた、〝奴〟の左手側の側頭部目がけて。

 捉えた――と、カルセルはおろか、レグロさえも思った瞬間、


 大剣媒体クレイモアを握るレグロの手首が宙を舞った。


 先の斬撃と同じだった。

〝奴〟は、レグロの脇腹にめり込んでいた光刃を消し去り、軽刃媒体ブレードが自由になったところで再び光刃を具象し、柄頭で殴打しようとするレグロの手首を刎ね飛ばしたのだ。


 今度こそカルセルは、レグロに加勢すべく床を蹴る。が、左太股に痛みが走り、前のめりになって転倒してしまう。

 すぐさま戦斧媒体アックスを握り締め、立ち上がろうとしていたカルセルの目の前で、


〝奴〟の双剣が交差するように閃き、レグロの首を刎ね飛ばした。


 首から上を失ったレグロの体は、切り口から血を撒き散らしながら後ずさり、仰臥する。

 レグロの首は床を転がり、カルセルの目の前で動きを止める。

 レグロの双眸は、死という現実を拒否するように、見開いたままになっていた。


「あ……あ……ああ……」


 同じ人間とは思えないほどに強かったレグロが、一方的に惨殺された。

 その事実がカルセルの体を震え上がらせ、立ち上がる気力さえも奪い去っていく。床に這いつくばったまま、身動き一つとることができなかった。


「バ、バカな……」


 不意に、愕然とした男の声が聞こえ、首だけをそちらに向ける。

 視線の先――回廊の曲がり角には、仲間の兵士が十人、先の声音以上に愕然とした表情を浮かべながら、床に転がるレグロの首に視線を集中させていた。


 生前のレグロが言っていたとおり、中央の階段前にいる敵を打ち倒して増援に駆けつけてくれたようだが、


(ダメだ……ダメだ……!)


〝奴〟の前では、たとえこの十倍の数がいても増援たり得ない。

〝奴〟に狩られる、哀れな獲物が増えただけにすぎない。


 逃げろ――と、声を上げようとするも、カルセルの喉に巻きついた恐怖という名の鎖が呻き声一つ上げることも許さなかった。


「レグロの仇だ! 一斉にかかるぞ!」

「おおッ!!」

「ぶっ殺してやるッ!!」


 猛々しい号令とともに、十人の兵士が〝奴〟に突貫する。


 次の瞬間に響いたのは、断末魔の叫びと、おぞましいほどの悲鳴。


〝奴〟が右の軽刃媒体ブレードを振るえば血が舞い散り、左の軽刃媒体ブレードを振るえば首が舞い飛ぶ。


 戦いですらない虐殺はもの数秒で終わり、死屍累々と横たわる仲間と、床に拡がる血だまりが、カルセルの視界と心を絶望で染め上げていく。


 最早カルセルには一欠片ほどの戦意も残っておらず、床に這いつくばったまま、カツ、カツ、と音を立てて歩み寄ってくる〝奴〟を見上げることしかできなかった……。

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