人柱
バイト先にこの喫茶店を選んだ理由は時給が良かったから。まかないも食べさせてもらえるし、貧乏学生には最高の条件だ。
問題は店内に影柱がある事。
とはいえ俺自身には何事もなく半年が過ぎた。影柱から妖怪が出て来るとか色々な噂があるけれど、可笑しなモノには出会っていない。
大学の考古学の授業で習った事によると、およそ二万年前には既に柱は存在したらしいが、それは光を放っていたという。あの授業からずっと考えている。あれは何だ? と。
「すみません。これはどこに片付けるんでしたっけ?」
「あぁ、そこの棚にお願いします」
同じシフトに入る事の多いタツさんというオジサンだ。この人は人当たりも良く物知りで、どうしてバイトなのか不思議な人だ。
閉店後に裏口の鍵を閉めて、帰り道はいつもタツさんと二人で駅まで歩く。
ふと振り返ると、店の屋根から影柱が突き出てずっと高く夜空まで続いている。
「気になりますか?」
タツさんが聞く。
「はい。あれは何処まで続いているのかと」
「ずっとですよ。あれは宇宙ですからね」
「宇宙?」
タツさんは、あの木は檜だという程度の知識を披露する手軽さで言う。
「黒さが違うでしょう? あれは真闇ですから」
「あの、俺この前の授業で昔は影柱が光を放っていたって聞いたんですけど、本当ですか?」
「ほぅ。そんな事を知っているのですか」
タツさんの目が大きく開かれ、俺を見る。何故か首の辺りがヒヤッとした。
「あとは、どんな事を習いましたか?」
「えっと……少しずつ大きくなっている、とか」
「そうですか。ところで、あなたは何か悩み事はありますか?」
「え? 急にどうしたんですか?」
「ただの世間話ですよ」
俺がびくついている間にタツさんは缶珈琲を買い、俺に差し出す。影柱を目の前に、俺たちは駐車場の車止めに腰を下ろした。その時にはいつもの人当たりのいい雰囲気に戻っていて、さっきびくついた自分を恥ずかしく思う。
「ありがとうございます。今は一人暮らしなので問題ないんですけど、前はありましたね」
「というとご実家の事で?」
「はい。母のヒステリーと虚言癖、父の酒乱でずっと悩んでいました」
「そうでしたか。女性のヒステリーは多いですね。それに虚言癖も酒乱も、あれは本人の持つ性質なので治りませんからね。さぞお困りでしょう」
治らないと言われて、俺はあからさまに沈んだ。
「卒業後が悩ましいでしょうね? 逃げられそうですか? 難しいようなら私を頼って下さいね。精神科などは行かれましたか? 被害者の心の傷は深いですからねぇ」
「はい」
タツさんは心配そうにのぞき込む。
何故だか、大学へ入学して一人暮らしを始めた事で落ち着いていた傷口がジュクジュクとし始めるのを感じた。
俺は目の前の影柱を呆然と見上げる。
『あれは真闇』
そう思うと、なんだかこの世界を象徴しているように思えた。
「いつか、また柱が光を放つ時代が訪れます。その為には負の感情を柱に吸わせるといいですよ」
「柱が、負の感情を吸うんですか?」
「はい。とめどなく溢れる負の感情を吸ってくれますよ」
タツさんは光の手前は真っ暗なものだから心配しないようにと言った。
俺はあれからタツさんの話を友達にも話し、何となくそうするだけだけれど、嫌な話をする時は柱の近くでする事にしている。
タツさんはいつの間にか辞めていた。
なんだか胸がジュクジュクする。
それでも大丈夫だ。いつか柱が光を放つまで。
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