第6話 帝王切開

先日、情報誌で帝王切開の特集を見た。

帝王切開で出産したことに悩む母親についての内容だった。


「陣痛が無くていいなら楽だね」とか、「母親になる産みの苦労を知らないなんて」とか、言う人は言う。


言葉って怖い。

言ってる本人にそのつもりはなくても、心は簡単にえぐられる。

目に見えない傷は、いつまでも残る。何かをきっかけに再び血を流す。

言った当の本人は、とうに忘れているのに。


私はこどもを帝王切開で産んだ。

息子は最初から逆児で、逆児直しのお灸に通い、毎晩逆児体操とセルフお灸に励んでも、頑として直らなかった。

予定帝王切開になると告げられた時、私は落ち込んだ。

「陣痛って、どうなるんだろう?」という不安はあったものの、「赤ちゃんと一緒に頑張って産むんだ」という、思い描いていたお産が叶わないと思ったから。


その時、助産師さんが言った。

「赤ちゃんは、自分にとって一番いい方法で産まれてくるの。この子にとっては、これが一番だったのよ」


その言葉に、私はずいぶん救われた。


帝王切開の術後の痛みは想像以上で、一晩中「寝れない痛み」か「まだ寝れる痛み」かを味わった。痛み止めの注射後、急に血圧が下がって気絶した。それからは注射ではなく痛み止めの服薬となり、次の薬が飲めるまでひたすら時計を眺め、耐えた。

しばらくは笑っただけでお腹に激痛が走り、「こんなんで退院後、赤ちゃんの世話とかできるのか…?」と思っていた。


こういっちゃなんだが、私の人生で2度とやりたくないことワースト1の経験だ。


でも、私は帝王切開で産んだこと自体をマイナスには捉えなかった。あの助産師さんの言葉のおかげだと思う。


出産後、抱っこ続きで腰痛が悪化し、別の助産院で骨盤ケアを受けた時のこと。

私のからだを診た助産師さんから、「昔、ひどい尻餅をついたことない?尾てい骨が折れて、そのままくっついてる」と言われた。

驚く私に、助産師さんは言った。


「あなたは、自然分娩だったら大変な難産だったと思う。赤ちゃんは分かってて、帝王切開にしてくれたんだね」


本当に、そうだったのかもしれない。

それぞれの親子にとっての、ベストがある。

皆と違っても。遠回りに見えても。

産まれる前の胎児であっても、「こっちだ!」って本能的に感じた何かがあったのかも。


帝王切開に限らず、周りはいろいろ言う。

母乳じゃないとダメだとか、三歳までは家庭保育だとか、ひとりっ子は可哀想だとか。


まるで呪縛だ。


本当は、目指すべき共通のゴールなんて無くて、理想的なモデルコースも無くて、

皆それぞれの道を進んで、それぞれの場所にたどり着いていくものなんじゃないかな…


惑わされそうになるけれど。


解き放たれて、自由になりたい。


子育てを始めて驚いたのは、相談するとみんな違う答を言うことだった。同じ産院のスタッフでも、授乳のやり方を相談すると、見事に違うアドバイスをする。

子育て中の友人に言われた。


「この先、ずっとそうだよ。結局、何が自分達に合うかを選んでいくしかないんだよ」


本当にそうだ。


息子が産まれて五年経つ。子育てにまだまだ謎は尽きず、悩みも尽きない。


息子は誰に似たのか、頑固だ。言い出したら聞かない。

この頑固さで、自分が思う「こっちだ!」に突き進んでほしい。

周りが何を言っても。時には、私の制止を振りきっても。


それが、彼にとってのベストだと思うから。



なんとなく、息子ならできそうな気がする。生まれもって、どころか、産まれる前からそうだったのだから。










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