第918話 2022/4/19 指摘とか

 本日は8時起き。晴天。体が軽い。昨日は休養日にしたら頭が少し楽になった。今日も休んだらもっと楽になるのだろうか。しかしあんまり休むと本格的に書けなくなりそうだからな。何とかバランスを取りたいところ。


 ネットではよくこんな言説を目にする「ネットに作品を上げるヤツは批判を受け入れろ」「批判されるのがイヤなら作品を公共の場に出すな」と。一見正しいようにも思える理屈だが、その「批判」をしている当人が誰かに反論されると、「言論の自由を否定するのか」など、やたらデカい主語を振り回したりするケースが散見される。他人を批判するのが正しいと思うのなら、自分が批判されるのを嫌がるなよ。

 そもそも批判に何の意味がある。たとえば飲食店を考えてみよう。鶏の唐揚げ定食を頼んだら唐揚げに十分に火が通っていなかった。あるいは、応対した店員の態度が極めて悪く不快感を覚えた。こういう声がクレームとして上がってきた場合、店側は対処に迫られる。対処しなくては店の経営が立ち行かなくなることも考えられるし、逆に言えばキチンと対処することで店の評判が上がる可能性がある。そういう意味でも「お客様の声」は非常に大切だ。ただし、これは「批判」ではない。あくまで「指摘」なのだ。

 一方、こんな声が上がってきたら飲食店はどうするべきか。「俺ならこの唐揚げ定食はあと30円安くする」「赤だしの味噌は安物を使っているに違いない」。こういったクレームに対する正しい対処は1つしかない。「無視をする」である。何故ならこれは改善点の指摘ではないからだ。根拠も定かではない個人の考えであり、経営に好影響を与える要素は何もない。何なら二度と来店してくれなくとも店側は一向に構わないのだ。だがこういう連中に限って「向上心がないのか!」とか吼えたりする。おまえの趣味に合わせることを「向上」とは呼ばないのだという事実が理解できないのかも知れない。

 そもそも相手に好影響を与えられる「批判」ができるくらいの知識と技術を持っているなら、プロの評論家にでもなれるだろう。現実としてなれていないのは何故か考えてみた方がいい。プロの指摘ならありがたく拝聴するが、ド素人の批判に耳を貸す意味も価値も理由もない。「おまえらは素人相手にモノを書いてるんだろう!」と言うかも知れないが、創作者が対象としているのは、面白ければ何も言わずに読んでくれて、面白くなければ何も言わずに去って行く大多数の人々だ。作家に影響を与えて自己満足に浸ってやろうなどという下衆な考えを持った者に頼み込んでまで読んでもらう意味はない。

 無論、この主張も何の根拠もない虫けら個人の考えである。よって誰一人として気に病む必要はない。腹を立てる理由も反論する価値もないのだ。批判とは所詮その程度のものである。

 さて、どんな仕事であれ業務改善のための指摘は必要とされるところだが、組織の外側からならともかく、内側から指摘を受けるのはイロイロと難しい問題がある。下手に内部告発などしたら、追い出し部屋に送り込まれて辞職を強要されるとかあり得るからな。ましてや組織の上の方の人間ともなれば、指摘されるどころか周囲がイエスマン化して感覚が狂ってしまうこともあるだろう。

 18日、牛丼チェーンの吉野家が公式に謝罪した。前々日の16日に早稲田大学の社会人向けマーケティング講座において、講師として招かれた吉野家の常務取締役企画本部長が自社の若年女性向けマーケティングに関し、

「生娘をシャブ漬け戦略」

「田舎から出てきた右も左も分からない若い女の子を無垢・生娘な内に牛丼中毒にする。男に高い飯を奢って貰えるようになれば、絶対に食べない」(以上J-CASTニュース)

 などと発言した模様。

 何と言うかな、真顔で「それ面白いの?」とたずねたくなるような言葉である。この発言がSNSに流出して騒ぎとなった吉野家はJ-CASTニュースの取材に対し、

「一度利用したお客様の利用の継続を図りたいという考え方の元発言しましたが、講座内で用いた言葉・表現の選択は極めて不適切でした」

 と返答し、あくまでも個人の考えであり会社としての方針ではないと述べたのだそうな。同じく早稲田大学も広報課がJ-CASTニュースに、

「登壇した講師の発言の一部に性差別・人権侵害にあたる不適切な発言がございました」

「講座主催者として深くお詫び申し上げます」

 と述べている。まあ大学側はとんだとばっちりである。まさか東証1部上場企業の常務取締役が、ここまでの間抜けだとは思いもよらなかったのだろう。人間ぬるま湯に浸かり続けると腐るものなのだ。どうせ周囲にイエスマンしかいなかったのではなかろうか。この取締役が吉野家を追い出されるのかどうかは知らんが、一度クレーム対応でもやってみたらどうかと思うところ。


 19日、日本政府はウクライナに対し化学兵器対応の防護服や防護マスク、そして民生品のドローンを提供することを閣議決定した。ドローンは民生品と言っても民間人が風景写真を撮ったりする用途に使われるはずもない。まず間違いなく軍事用途に使用されるのだから、事実上兵器の提供である。提供そのものに、虫けらはまったく反対するものではない。と言うより、いまの日本にできるギリギリの線を狙ってよくここまでやれたものだと感心している。

 ただし、今後ロシアが「日本が武器を輸出した」「日本のドローンでロシア人が殺された」と言い出すのはほぼ間違いなく、日本政府はそれに対して毅然とした態度を貫かねばならない。ロシアの主張に中国は同調する可能性が高いし、韓国や北朝鮮もギャーギャー騒ぐやも知れないが、「だから何?」くらいの態度を見せなくてはなるまい。いちいち「誠意を持って説明する」とかしなくていいのだ。そんなことにリソースを使ってはならない。岸田首相にはニコニコ笑顔で突っぱねていただきたいと思う次第。


 本日はこんなところで。ネタがない。昨日は休養日にしたので小説はまったく書いていない。まだ脳のパンパン感は消えていないのだが。今日はいったいどうしたものやら、さて。

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