第808話 2021/12/30 厳罰とか

 本日は9時半起き。北風がキツい。もうホント風の音を聞くだけで気が滅入る。今年の冬は例年以上に風が強い印象があるのだが気のせいか。はあああ、頭が回らん。金属疲労でも起こしたかのように脳内がキーキー異音を立てている。もちろん、マジで脳から音が出たらそれだけでYouTuberになれるのだが、生憎そうではない。世の中ままならんものである。


 グチグチと不平不満を言ったり抗議したりすることを「文句を言う」というが、本来的には「文句」とは「文言、語句」のことである。なので「お経に出て来る文句」であるとか「歌舞伎のセリフの文句」などと使っても問題はない。ただし現代の読者に意図が正確に伝わるかどうかは話が別である。

 常套句のことを「決まり文句」と言ったりする。「決め台詞」とは少し違うらしい。決め台詞には体裁が必要だ。つまりそのセリフが発せられる状況が整わなくてはならない。「あんたバカぁ?」は決まり文句だが「日本じゃあ2番目だ」は決め台詞である。なかなか微妙であるな。

 さて決まり文句にはイロイロあるが、人権派弁護士の決まり文句といえば「厳罰化は犯罪抑止につながらない」だろうか。確かにそうなのかも知れない。だがそれがどうした、とこれを聞くたびいつも思う。

 たとえば、仮に罰が1つしかない国があったとしよう。10円のガムを万引きしても、人を10人殺しても、どちらも死刑なのだ。それは酷いと思わないだろうか。普通は思うものではないか。では何故酷いのか。人を10人殺して死刑はそんなに酷くはないが、10円のガムを万引きしただけで死刑は酷すぎる、たいていはそう思うような気がする。つまり罰の大きさが不相応なのだ。

 犯した罪に対して相応した罰を与える。それが刑事罰の基本ではないか。10円の万引きなら店側への謝罪と慰謝料として10万円も払わせれば十分だ。だがこれに対して、10人殺したヤツに被害者への謝罪と罰金100万円で許す、なんてことになればこれも不相応ではないか。あまりにも罰が軽すぎる。

 成人の犯罪であれ未成年の犯罪であれ、重すぎる罰、軽すぎる罰はあるべきではない。現状であまりにも軽すぎる罰があるのなら、厳罰化するのは当たり前の話であろう。それが犯罪の抑止に繋がるかどうかは、あくまで「ついで」「プラスアルファ」「枝葉末節」の話である。

 もちろん、何をもって罰が重いとするか軽いとするかの判断は慎重に行なわねばならない。国民的な合意も必要だろう。だが犯罪抑止になるかならないかの話ばかりを持ち出して、否定の一点張りというのは主張の正当性が疑われる。まあ日本は資本主義社会であるから、自分たちの商売に都合のいいように社会を変えたいという気持ちは理解できないではないが、我欲のみを追求するのはさすがに浅ましい。

 死刑制度廃止を求める主張も同様のことが言える。冤罪を発生させないようにするための警察の取り調べの透明化など、理解できる主張もあるが、それと制度を廃止するかどうかはまったく別の話だ。罪には相応の罰が与えられるべきである。

 さて日本で死刑が執行されると真っ先に批判してくることで有名な「人権先進国」であり、人権派の皆様が出羽守として例に挙げることも多いフランスであるが、この国では現在学校でのいじめを厳罰化する動きが進んでいる。

 現行法では、

◇加害者が13~17歳の場合、最大で、

・禁錮2年6月

・7500ユーロ(約100万円)の罰金

◇加害者が18歳以上の成年の場合、最大で、

・禁錮5年

・7万5000ユーロ(約1000万円)の罰金

 と定められている(13歳未満は刑事罰の対象とならない)。

 だが11月、フランス国民議会(下院)は、いじめの被害者が自殺または自殺未遂した場合、加害者に対し最大で、

・禁錮10年

・15万ユーロ(約2000万円)の罰金

 を科すことなどを定めた法案を可決した。来年1月には上院での審議が始まる模様。

 現行法でも日本に比べればかなりの厳罰であると言える。これをさらに厳罰化しようというのだ。日本の人権派の皆様はどう反応するのだろうな。

 そもそも誰かを自殺に追い込むというのは、事実上殺人であり相応の罪として裁かれるべきことだ。子供がやったことだから、で済ませて良い話ではない。抑止力があろうがなかろうが、本来相応する罰が与えられねばならないのである。

 日本も是非この動きに同調していただきたい。人権派の皆様は、文句があるならフランスに言え。言えるものならば、であるが。


 コピ・ルアクは世界でも最高級のコーヒーである。ジャコウネコの糞でできている、と紹介する者もいるが、これはいささか不正確な表現であるように思う。

 ジャコウネコはコーヒーの実を食べると、皮と果肉だけを消化し、その中にある豆はパーチメントとシルバースキンと呼ばれる二重の殻に覆われたまま、まったく消化されずに糞として出て来る。その糞を洗い流し、残ったコーヒーの実の中身から、さらにパーチメントとシルバースキンを取り除いたものがコピ・ルアクである。皮や果肉が取り除かれているため豆に雑味がないらしい。そんなことを思い出した。

 愛知県犬山市にある日本モンキーセンターで、「奇跡のミカン」が収穫されたという。ミカンといってもハッサクらしいが。これはゴリラの飼育施設のすぐそばに生えているのだが、ここに暮らすゴリラのハナコは綺麗好きで、糞を檻の外に放り出すのだそうな。当然飼育員がそれを片付けるのだが、その処分しきれなかった糞の中にあったハッサクの種が芽を出し、実をつけるまでに育ったのだという。

 年末につみ取った「奇跡のみかん」は正月の縁起物として、年始の来園者に配られるそうだ。美味しいのだろうが、受け取った方はイロイロ複雑な思いに駆られるのやも知れない。まあ使い古された言葉ではあるが、初春から「運がつく」のではあるまいか。


 少ないが本日はこんなところで。ああ風がやまない。もうウンザリ。昨日は1000文字も書けていない。ダメだ、全然ダメだ。まあ焦っても仕方ないのだけれど、とにかく今日も頭をひねろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る