第761話 2021/11/13 その気とか

 本日は8時起き。珍しい時間に起きたな。世間的には早くもない時間帯だが、虫けら的には結構早めの土曜の朝である。外は少し曇っているか。まあ今日は出かけなくてもいいので、仮にゲリラ豪雨がやって来ても何の問題もない。

 それはさておき、新作のファンタジーの公開を始めた。

「老い花の姫」

https://kakuyomu.jp/works/16816700428823788676/episodes/16816700428824087476

 だいたい1話これくらいの文字数で行ければ、しばらくは毎日更新できるだろう。1ヶ月も経たないうちに追いつくかも知れないが、とにかく誰かに見てもらわないことには始まらない。何とかボチボチ頑張ろう。


 デジタル大辞泉によれば「こそあど」とは「現代語の、代名詞・形容動詞・副詞・連体詞の中で、指し示す働きをもつ語をまとめた呼び方」であるのだそうな。すぐ近くのものを指す近称のコ系、少し離れたところのものを指す中称のソ系、遠くのものを指す遠称のア系、そして対象の位置がハッキリしない場合の不定称のド系に整理される。

 具体例を挙げるなら、場所の代名詞である「ここ・そこ・あそこ・どこ」、状態を表す形容動詞の「こんな・そんな・あんな・どんな」、同じく状態を表す副詞の「こう・そう・ああ・どう」、指示をする際の連体詞「この・その・あの・どの」などである。

 小説を書く上で避けられない「こそあど」ではあるが、こいつがまたややこしい。いま「こいつ」と書いたが、これは本来、人や物を表す代名詞である。しかしことほど左様に、本来的な使い方以外にも「こそあど」は用いられるのだ。しかも明確な使い分けの基準がある訳ではない。

 たとえば主人公の前にタイミング良く誰かが現われたとしよう。さて、どう書くべきか。「このとき主人公の前に」か、「そのとき主人公の前に」なのか。まあ「あのとき」「どのとき」の2つは関係ないことは間違いないが、「この」と「その」の使い分けの基準は極めて曖昧で感覚的である。正解かどうかだけを考えるなら、両方とも正解であろう。あとは前後の文章の組み合わせ方で、美しいかどうかを考えるしかない訳だ。

 また、「この・その・あの・どの」の後ろに「き」をつけると趣深い。「このき」といえば「何の木気になる木」と続く。「あのき」は「あの木」だし、「どのき」も「どの木」である。どれもたいてい「木」につながる。しかし「そのき」だけは「その気」になるのだ。ニホンゴ、ムズカシイデスネ。

 さて話は大きく変わるが、いまだ国際社会から新政権として承認されていないアフガニスタンのタリバンのムッタキ外相代行が12日、隣国パキスタンで講演した。ムッタキ氏はこれに先立つ11日、アメリカ・ロシア・中国・パキスタンの代表とパキスタンの首都イスラマバードで会談しているのだが、この会談の際に思うところがあったのだろう、講演では各国大使を前にこのように述べたという。

「われわれはアフガニスタンの人たちのための政権を作る。国際社会の要求に応えるためだけの見せかけの政権を作るつもりはない」

「崩壊した政権の政治家を入れるというのが包括的な政権というのであれば、どこにそうした例があるのか教えてほしい。われわれは、アメリカのバイデン大統領にトランプ前大統領の側近を政権に入れるよう求めたことはない」(以上NHK)

 日本には「盗人にも三分の理」ということわざがあるが、なるほどタリバンの言い分にもいくばくかの理はある。国際社会が無責任にああしろこうしろと言ったところで、アフガニスタンにはアフガニスタンの事情があるのだ、丸呑みする訳にも行くまい。それに崩壊した前政権の政治家を新生アフガニスタンにおいても権力者として受け入れよというのも、なかなかに厳しい注文と言える。それでは武力で前政権を倒した意味がない。

 ただおそらくムッタキ氏はわざと触れなかったのだろうが、1つ大事なことに言及されていない。アメリカでは政権の交代が起こっても前政権に任命された人物が権力者としての立場を維持することは珍しくないし、民主党のバイデン政権が共和党議員から大臣を選ぼうと思えば、システム的には可能なのだ。現在それがなされていないのは、単にその必要がないことと、バイデン大統領に「その気」がないだけだ。

 現状のタリバンに、前政権の実力者を権力構造の内側に入れることが可能なシステムが存在するのかどうか。最高指導者の鶴の一声で可能になったり不可能になったりするのなら、それは国とは言えない。ほとんど野盗の集団に等しい。最高指導者が何を言ってもシステムの存在そのものは基本的に変えられない、変えるためには国民の合意が必要だ、というルールがあって初めて近代国家であろう。

 まあタリバンは民主的なシステムの導入を否定しているし、近代国家になどなるつもりはないのだろう。しかし現代の世界は近代国家、少なくともその仮面をかぶる程度はしないと仲間には入れてもらえない。近代国家になるフリすら放棄して、国際社会に支援を要請するのは無理である。つまりは「その気」を見せねば見返りはないのだ。国を維持したいのなら、何とかすべきだと思うところ。


 11日、中国共産党の第19期中央委員会第6回全体会議は、1945年の中国建国の父である毛沢東、1981年の鄧小平に続く3度目の、40年ぶりとなる「歴史決議」を採択し、習近平国家主席に彼らと並ぶ絶対的な地位を確固たるものとした。うん、カルトだな。

 要するに習近平氏を現人神に祀り上げた訳である。今後そのご威光が中国国内は元より、その国境の外にまでバンバン吹き荒れることだろう。これで戦前の日本を批判するのだからな、気持ち悪いとしか言いようがない。中国国民が日本を嫌うのは自由だが、いまの中国共産党政府がかつての大日本帝国の真似事をしていると、外からは見えているのだと知っておく必要はあるだろう。まあ、そんな意見はいずれ日本国内でも言えなくなるのかも知れないが。


 昨日12日の夜、岸田首相はオンライン形式で行われたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に出席し、TPPについてこのように述べた。

「不公正な貿易慣行や経済的威圧とは相いれない、21世紀型のルールを規定する協定だ」(時事通信)

 先般TPPへの加盟申請をした中国を念頭に置いた発言のようだが、うん、まあこの程度で精一杯なのかも知れない。国内の成長戦略が描けない首相であると現時点では評価せざるを得ない人物だしな、過度な期待はしない方が良い気がする。

 中国の脅威に対抗しようと思うのなら、まず内需拡大から始めるべきだろう。内需が拡大しなければ軍事予算の拡大も難しい。財務省や公明党に振り回されていては対中国政策もへったくれもなかろう。

 内需が拡大して国内の景気が良くなれば国民からの支持率も上がるし、憲法改正だって少しは容易になる。それとも岸田首相は憲法も改正せず、軍事予算も拡大せずに中国に対抗し得ると本気で考えているのだろうか。いったい何をどう考えているのだろう。任期内の憲法改正を目指すとは言ったようだが、目指すだけなら誰だってできるのだ。そろそろ明確な、これから日本の進むべき道を示すときではないかと考える次第。


 本日はこんなところで。天気はいいが体調は上がらないなあ。「老い花の姫」はとりあえず1日2000文字ペースで書けている。今日も何とか頑張りたいところ。ミステリーは物語の方向性は決まっているのに、それ以外がどうにも進まない。はてさて、どうなることやら。

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