老い花の姫
柚緒駆
第1話 三流貧乏貴族の三男坊
俺はただ平穏に生きたいだけなんだが。はあ。他に望みなんてないのになあ。
いやいやいや、勘弁してくれよ。そりゃあ三流貧乏貴族の三男坊だ、贅沢を言える身分じゃないことくらい理解してる。
けど、まだ十五歳だぞ、俺。それが結婚て。
しかも相手がさ、いくら金持ちだとは言え、分家の末端の王族の姫だとは言えだ、今年四十歳だぞ。姫じゃねえじゃん。普通の貴族なら孫がいても不思議じゃない歳じゃん。ちょっと勘弁してくんないかなあ。
「言いたいことが全部顔に出ていますね」
移動する馬車の中、向かい合う席に座ったバレアナ姫は平然と言った。その声は厳格さで有名だった学校の教師を思い出す。
「人間、正直なのは美点と言えますが、他人が不快になるほど心の内を見せるものではありません」
「はあ、すみません」
「素直でよろしい。あと言っておきますが、心配は無用です。私と結婚したからといって、跡継ぎを求められるようなことはありませんから。我が家の後継者には親戚から養子を取ると既に決まっております。あなたと私は、我がリルデバルデ家の家格を維持するために結婚という形式を取るだけでいいのです」
ピンと背筋を伸ばしながら、バレアナ・リルデバルデは静かに、シワの刻まれた浅黒い顔に笑みさえ浮かべずに話す。黒に近い濃い紫色のドレスには装飾もなく、これから教会に向かう花嫁には見えない。まるで喪服のようだ。
「しかし、ですね」
俺は相手を怒らせないよう笑みを浮かべて、慎重に言葉を選んだ。
「僕みたいな三流貧乏貴族の三男坊で、かえって迷惑になったりしませんかね」
「嫁にも行けない傷物の一人娘です。結婚してくれるなら、相手は犬でも構わないと私の両親は思っていることでしょう」
うわあ、犬扱いかよ、俺。
「顔に出ていますよ」
「あはは、すみません」
「あなたに一つだけ忠告をしておきます。これからあなたが踏み入れる世界では、他人の足を引っ張り、弱みにつけ込むのが当たり前、正直者は馬鹿を見るのです。もっと卑怯に姑息な生き方をなさい」
「はあ、なるべく頑張ります」
俺が頭を掻いたとき、窓の外を見たバレアナ姫の顔に微妙な変化が生まれた。そして窓の脇にぶら下がった紐を素早く引く。紐は御者の足下に繋がり、ベルを鳴らすのだ。馬車が止まると、御者を待たずに自らドアを押し開け、姫は外へと飛び出した。
朝方まで降っていた雨の痕跡があちこちに残る、ぬかるんだ泥道を、ドレスをたくし上げながら姫は走る。その先には、ボロを身にまとった裸足の少女が目を見開いて立ち尽くしていた。
「あなた、こんなところで何をしているの」
真正面に立ったバレアナ姫に少女は顔面蒼白となり、命乞いをするかのように両手を合わせ、ぬかるみに膝をついた。
「ひ、姫様、申し訳ありません。お許しを」
「そんなことは聞いていません。何故こんな何もない道を一人で歩いているのかと聞いているのです」
本当に教師みたいだ。少女はすっかり怯えきっている。
「あの、あの、母さんが病気で、お医者様に薬をもらいに」
「医者をたずねるなら町に行かねばならないでしょう。方向が逆ではありませんか」
「いえ、もう行って来たのです。でも、お金がないので薬は出せないと」
その瞬間、バレアナ姫は少女の手をつかみ立ち上がらせた。
「こちらに来なさい!」
「お、お許しを」
「いいから来るのです!」
たくし上げていた手を放したせいで、ドレスの裾が泥まみれになっている。しかしそんなことは気にならないのか、バレアナ姫は馬車まで戻ってくると御者に命じた。
「ターベル! 町へ向かいなさい」
「し、しかし姫様、教会に急ぎませんと」
「あんな連中、待たせておけばいいのです」
慌てる御者に目もくれず、姫は少女を馬車に引っ張り込もうとした。だが何が起こっているのかわからず混乱する少女は、首を振って手足を突っ張り逃げようとする。
「何をしているのですか、早く乗りなさい」
「お許しを、お許しを!」
ああもう、しゃあねえなあ。
「大丈夫だぞ、お嬢ちゃん」
少女の怯える目が俺に向いた。
「取って食ったりしねえから。怖くねえから。安心して乗りな」
俺がそう言うと、少女は突っ張っていた手足から力を抜き、しかしそれでも困惑した顔で、俺とバレアナ姫を見比べる。
「でも、私、汚くて」
「いいっていいって。姫様がいいって言ってんだから。ね、姫様」
バレアナ姫は少し驚いたような顔で俺を見ていたが、少女に向かってうなずいた。
「構いません。お母様が苦しんでいるのでしょう、急ぎましょう」
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