第733話 2021/10/16 学問とか

 本日は7時半起き。快晴。でも家の外には出たくないのでネットスーパーで買い物をした。行楽日和の週末なんて、虫けらの体には合わないのだ。

 ああ、買い物と言えば、昨日の夜中にFire TV Stickを買ってしまった。深夜のハイな気分に勝てなかった。でもまあポイントを使って2000円である。オモチャならこんなものか。


「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤きせん上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物をり、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。(福沢諭吉「学問のすすめ」:青空文庫)

 ◇ ◇ ◇

 現代文に慣れた我々には決して読みやすい文章ではないが、意味がわからない訳でもない。意味が理解できるのは我々の中に学問が根付いているからである。福沢諭吉に勧められるまでもなく、学問は重要であり、その学問に触れる学校という場は、人間形成に大きな影響を与える。中でも生まれて初めて本格的な学問に触れる者が集まっている義務教育の小学校中学校ともなれば、ここで日本の未来が決まると言っても過言ではないほどの重要性を持つ。はずなのだが。

 現代における小学校中学校は学問のための、日本の未来を背負う人材を生み出すための機関して成立していると言えるだろうか。教師のブラックな労働環境と、それを容認するどころか強要までする管理職や教育委員会。その結果、優秀な人材は教育界を敬遠し、他に行くところの見つからなかった掃きだめに集まるような人材が、「先生」として子供たちを指導する。教師の能力水準は下がり教育レベルは低下する。低能な教師は低俗な問題を引き起こすが、それをすべて排除してしまうと教師の頭数が確保できないため、教師の犯罪行為は「学校の中の問題」として隠蔽され子供たちは心に傷を負い学校を信頼しなくなる。悪循環の最たるものだ。

 いまでも優秀な教師はいるのだろう。熱意をもって子供たちに学問を与える人材もたくさん存在しているのだろう。だが、そんな先生が100人いても、どうしようもないクズが1人いればその悪影響は全体に及ぶ。学校は教育機関どころか、ただ子供を日中預かるだけの「子守り組織」としてすら役に立たなくなってしまう。政府はこの日本という国をこの先も存続させたいと真剣に考えるのなら、教育改革、いや、教師改革を根本的なところから始める必要があるのではないだろうか。まずは労働環境と給料を見直すべきである。

 さて神奈川県横浜市の市立小学校の教師が、自らが担任するクラスの子供複数に対していじめを行っていた事が明らかになっている。この教師、特定の児童に配布物を配らなかったり、テストを受けさせなかったりしたらしい。村八分的な事を学校内でやった訳だ。レベルが低い。びっくりするほど人間的にレベルが低い。よくこれで先生などと自称できるな。立派な大人でござい、社会人でござい、みたいな顔がよくできるものだ。恥ずかしいという感覚が欠落しているのだろうか。

 しかし教師が教師なら学校も学校である。3月に児童の1人が被害を訴え、問題が発覚したのだが、学校はこの児童1人が被害者だと結論付け、6月に保護者会で説明している。ところが被害を受けた児童が複数に上る事が後に判明、学校は9月に第三者委員会を立ち上げた。カナロコの記事には立ち上げた、と書いてあるが、立ち上げざるを得なかったのではないかと邪推してしまう。

 これまでも何度も書いているが、虫けらは学校というモノが大嫌いであり、まったく信用していない。教師という職業は虫けらの敵であるという認識だ。それは上記のような教師が実在しているが故である。「教師だって人間だ」と開き直るヤツもいるが、普通の社会人はみな自らの人間性をある程度抑えて他者と折り合いをつけて生活している。それが大人というものだ。教師だけが自らを律しなくても良いなどという理屈はないし、相手が子供なら折り合いを付けなくても良いという理屈もない。「子供相手は特殊なのだ」とか屁理屈をつけるのなら、その職業には向いていないのだ。辞めろ。辞めてしまえ。そして日本中から教師がいなくなれば、政府も慌てて教育現場の有り様を見直すだろう。実際、それくらいのショック療法が必要ではないかと思う次第。


 今年の6月26日、有名な自転車レースツール・ド・フランスにおいて、プラカードを持った馬鹿がコース上に飛び出し、大クラッシュを引き起こした事件があった。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054891680650/episodes/16816452221192583500

 この31歳のフランス人の女に対する裁判が14日、フランス西部ブレストの裁判所で開かれ、検察は執行猶予付きの禁錮4月を求刑した。人命を危険にさらした罪と過失傷害罪の容疑で、最高1万5000ユーロ(約200万円)の罰金と禁錮1年が言い渡される可能性があったものの、深い反省を見せているためにこの求刑に落ち着いた模様。

 これもアレだな。学問が足りない。自分の軽はずみな行動がどれほどの危険を招くか想像力が人並みにあればわかりそうなものなのだが、まったく馬鹿な事をしたものである。フランスは自転車熱の高いところらしいから、これから先も叩かれ続けるのだろうが、まあ自業自得なのではないか。


 一般的な日本人にはカルロス・ゴーンの逃亡先としか認識されていないであろう中東の国レバノンであるが、首都ベイルートにおいて14日、昨年8月に港で起きた大爆発の調査をめぐり、担当判事の解任を求めるイスラム教シーア派武装組織ヒズボラの支持者らのデモに何者かが発砲し、衝突に発展した。ヒズボラは対立するキリスト教勢力の犯行を示唆している。この衝突で5人が死亡、30人が負傷したらしい。

 ヒズボラは単なる武装勢力ではなく、レバノンでは国政に関わる政党でもあるのだが、その武力を背景に絶大な影響力を誇っている。そのヒズボラの支持者に銃をぶっ放す連中がいまのレバノンにいるのも驚きだが、首相が平静を呼びかけるしかできないというのも何ともはや。宗教に権力を与えるとこういう事になるという見本のような国である。


 シーア派と言えばアフガニスタン北部クンドゥズのシーア派モスクで8日自爆テロがあったが、15日には南部カンダハルのシーア派モスクでも自爆テロがあった。少なくとも41人が死亡したらしい。どちらもISが犯行声明を出しているのだが、2週連続で金曜礼拝が狙われている。今回のテロは戦闘員2人がモスクの門番を銃撃し殺害した上で内部に侵入し、自爆したとのISの主張。普通の国家なら警戒を厳重にするところなのだろうが、国を手に入れたばかりのタリバンではまだそこまで手が回らないのだろう。

 今回テロのあったカンダハルは、長らくタリバンが本拠地にしていた地域にある。いまのタリバンにはカンダハルすら守れない、というのは非常に象徴的と言える。タリバンは躍起になってISを封じ込めようとするだろうが、簡単には行くまい。また内戦へと進むのだろうか。


 テロと言えばイギリスでは15日、与党保守党の下院議員が地元有権者との集会に出席していたところ、ソマリア出身の男に刺されて死亡した模様。警察はテロ事件として捜査しているそうだ。

 移民や難民には同情するし支援も必要だと思うが、国内に入れるのは慎重であるべきだ。テロリストをわざわざ招き入れる事になる可能性は小さくないのだから。


 本日はこんなところで。昨日で11万5000文字。数字的にはあと一歩まで来ているのだが、この5000文字は遠い。いままであの手この手で文字数を増やしてきたものの、そろそろネタ切れだ。使える手札がもうほとんどない。さあ、どうしようか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る