第732話 2021/10/15 面白いとか

 本日は11時起き。晴天。気持ちの良い秋晴れだが家の外に出る予定は一切ない。もうクタクタなので夜まで寝転んでいる事にする。不健全だが脆弱なのでやむを得ない。昨夜は必死こいて小説書いていたら午前0時を大幅に過ぎていた。そこから眠るまでまあ時間のかかること。神経がギンギンになっていたからな。おかげで今日はこんな感じである。いっそ夜型に転向しようかと思う事もあるのだが、買い物に行くのも役所に行くのも病院に行くのも夜中じゃ無理だしな。何ともかんとも。


 面白いとは何か。創作活動をしている者なら一度はぶつかる壁である。自分なりの答はあるのだが、これを言語化するのは難しい。方法論と様々なパターンの組み合わせが渾然一体となっているからな。自分には理解できても他人に説明しろと言われると大変に困る。

 そもそも「面白い」はザックリ分けて2つある。「面白おかしい」と「興味深い」だ。このうち比較的簡単に説明できるのは「興味深い」の方だろう。小説を書く上でなら、「詳細な現実世界の情報」「精緻でリアルな描写」「独特の世界設定とクセのあるキャラクター」などが興味深さを呼ぶ。つまりは読者の頭の中に情報を洪水のように流し込めば、圧倒された読者の脳はその流れの中に飲み込まれ、次々にページをめくってくれる訳だ。その体験を読者は「面白い」と感じてくれる。極端な例を挙げるなら「ドグラ・マグラ」や「黒死館殺人事件」などである。ストーリーを追いたい人間からすれば必ずしも面白い作品ではないが、読書体験的には圧倒的であろう。

 ではもう一つの面白さ、「面白おかしい」はどうなのか。これはいまは亡き落語家桂枝雀氏の言葉を借りれば「緊張と緩和」である。緊張の後に緩和を持ってくれば人間は笑ってしまう。言葉で書けば非常に単純である。しかし実際にこれを実践しようとすると、なかなかさじ加減が難しい。単に緊張と緩和だけを繰り返してしまうと、どんどんエスカレートする。緊張と緩和がインフレーションを起こしてしまう訳だ。これをすると読者は面白いと思う前に飽きてしまう。では、どうすればいいのか。

 フィクションの世界以外でこの「緊張と緩和」を体験できる場といえば、典型的なのは葬式だ。葬式とは悲しい場であり厳かな場である。つまり緊張する場面だ。ここで何か悲しくも厳かでもない事が起こったとする。たとえば3歳くらいの子供が読経中の僧侶を指さして「ハゲ」と大声で叫んだりしたらどうなるか。出席者は笑いを堪えて悶絶しなくてはならない。これが緩和の威力である。

 しかし、これが葬式以外ならどうだろう。この子供が親と公園にいるときに、子供が僧侶を指さして「ハゲ」とか言おうものなら、誰も笑いはしない。親は真っ青になって謝り倒すしかない。やっている事は同じでも、緊張がなければ緩和は発生しないのだ。

 グラフで表すとわかりやすい。公園にいるときのグラフは平坦である。平坦な場では笑いは起きにくい。しかし葬式になるとグラフはどんどん右肩上がりになる。これが緊張だ。このグラフがぐーっと持ち上がったところで子供が「ハゲ」と言うと、グラフはストンと真下に落ちる。この落差が大きいほど笑いにつながるのである。すなわち、「緊張と緩和」を語る際には、その前後にある平坦な部分を意識しなくてはならない。小説にこれを取り込むなら、平坦な部分を、いかに平坦にキッチリ描いているかで「緊張と緩和」の爆発力が変わってくる訳だ。最初から最後までギャグばかりぶっ通しで小説を書いても、楽しいのは書いている人間だけ、という例は少なくなかろう。

 何か小難しい事を書いているような印象を持つ人もいるかも知れないが、ここに書いてあるのは「面白さ」の基本でしかない。面白さは多様だ。小説の世界以外にも、マンガにはマンガなりの、映画には映画なりの、あるいは演劇や音楽にもそれぞれそれなりの「面白さ」があり、それらはたいていパターン化している。そのパターンを多く知っていれば知っているほど、表現の幅は広がるのだ。漫画家の手塚治虫氏は生前、「マンガを見てマンガを描くな」と何度も言っていたが、これはそういう意味なのである。まあ、そんな事を言いながら、虫けらは他人の作品をあまり見ないのだけれどな。

 さて14日の午前1時40分頃、九州自動車道の下り線の通行車から警察に、「高速道路で人が歩いている」と110番通報があった。高速隊が現場に駆けつけたところ、山口県在住の51歳の男を確認、覆面パトカーに乗せた。どうやらこの男、家に帰るために軽自動車で高速に乗ったのだが、ガソリンが切れたのでそれを放置し、高速道路を歩いていた模様。

 男を乗せた覆面パトカーは高速道路を2キロほど戻ってみると、確かに男の言う通り、高速道路上に燃料切れの軽自動車が放置されている。言うまでもなく、これは非常に危険である。そこで隊員2人は男を覆面パトカーの後部座席に残し、現場で軽自動車の移動手段の検討に入った。このとき覆面パトカーは回転灯を点けたままであったという。まあ、回転灯が点いていれば遠くからでも認識できるからな、当然の対処であろう。だがここで想定外の事態となった。

 後部座席にいたはずの男が突然運転席に移動したかと思うと、回転灯を点けたまま覆面パトカーを発進させたのだ。そして高速道路を走り去ってしまった。とは言っても、現場には覆面パトカー以外に福岡県警の車両もいたそうで、追跡された覆面パトカーは20キロほど先で捕まり、男は無事逮捕されたらしい。男は調べに対し「家に帰りたかった」と述べているそうだ。

 まあ当たり前だがこれは犯罪行為である。肯定的に見てはいけない。否定されねばならない。ならないのだが……現場のあたふたっぷりを想像するとちょっと面白い。不謹慎ではあるが、これも緊張と緩和の一例であるな。


 昨日14日の午後5時頃、NTTドコモの通信障害が発生していたらしい。これについてドコモは、今日午前5時過ぎに5Gと4Gの回線は復旧したと発表したが、3Gについては引き続き復旧に努めるとの事。通信ネットワークの工事中に大量の信号が送出されるトラブルがあったことが原因だとしている。反ワクチン派が大喜びしそうなネタであるな。

「ドコモの通信障害を引き起こした大量の信号はどこから発せられたのか!」

 みたいなのを近々見かけるのではないかとワクワクしている。


 反ワクチンといえばブラジルのボルソナロ大統領であるが、彼はつい先日まで「最後のブラジル国民がワクチン投与を受けた後、自らも接種に応じる」という考えを示していたはずなのだが、このたびワクチン接種を金輪際受けないと宣言した。

「ワクチンをなぜ打たなければならないのか?」

「2米ドル(約228円)の当選のため10ドルの宝くじを買うようなものだ。問題外だ」(以上CNN)

 ご存じの通りボルソナロ氏は一度新型コロナにかかり回復している。それをして「だからワクチンは不要だ!」と支持する者もあるようだが、ワクチンの追加接種って何のために行われているのか考えた事があるのだろうか。

 そもそも国家の象徴たる大統領がワクチンを否定して、国民のワクチン接種が増えるはずもない。ブラジルで新型コロナが収まらなければ、世界はブラジルと交易も観光もできないという話になるし、ブラジルで延々と感染者が増え続ければパンデミックの終息もない。ボルソナロ氏がワクチンを信用しないのは勝手だが、打つ打たないは自由だと主張するなら責任ある立場を退き、ただの一般国民に戻るべきだと思う。外国人がとやかく言う問題ではないというのなら、ブラジルから感染者を1人も国外に出すな。話はそれからだろう。


 本日はこんなところで。そんな訳で小説は11万4000文字を何とか超えた。あと6000文字かあ。キツいなあ。でも頑張るしかないか。とにかく今日も知恵を絞ろう。

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