第714話 2021/9/27 リアルとか

 本日は4時半起き。まだ外は真っ暗だが、晴れているらしい。気温は低いが寒くはなく、まことに良い気候。ワクチンの副反応はいまのところない。注射した腕が痛む訳でもなく、発熱・悪寒も特に感じない。このまま行くのだろうか。ちょっと拍子抜けなのだが、まあ油断は禁物である。この1日2日は様子を見よう。2回目の接種の後の副反応は強いらしいから、準備は無駄にはならないだろうし。


 日常会話や創作の中で、普段何気なく使っているものの、意味をあまり深く考えない言葉の1つに「リアル」がある。本来的な意味を言えば「本物の」「実在の」「現実の」といった意味なのだが、我々は「現実的な」「現実に即した」「現実を感じさせる」という意味で使う事が多いのではないか。

 物語を批判するのに「リアルじゃない」と言う者がいる。だが、これは批判になっていない。物語におけるリアルさは1つの要素でしかない。リアルだから良い物語である訳ではないし、リアルさは物語に不可分の要素ではない。「あった方が面白い物語もある」程度のものであり、正義ではないのだ。だいたい、こんな批判をしているヤツは、たいてい「何をもってリアルと言うのか」という基準を持っておらず、その場の感覚を言葉にしているに過ぎない。

 とは言え、リアルという要素がキッチリ組み込まれた物語は、確かに面白いモノが多い。だがそこで語られるリアルは、あくまで「現実的」かどうかである。本来的な「本物」という意味ではない。

 たとえば物語の中に実在の武器を登場させたとする。スペックを並べるだけではなく、その武器を使ったときの様子や破壊力などを事細かに実在のデータを元に物語を描くのだ。さて、それではこの物語はリアルだろうか。回答としては、リアルだと感じる人もいるだろう、としか言えない。

 どれほど精細な「本物」「現実」を持ち込んだとしても、それが物語世界の中で浮いてしまって未消化感があれば、読者や視聴者は「リアルだ」とは感じてくれない。そして、これは逆もまた真であり、物語の中で消化され溶け込んでいれば、「現実的に考えて有り得ないはずの事」に読者視聴者は「リアルさ」を感じる事もあるのだ。

 実例を上げてみよう。アニメ「機動戦士ガンダム」第一話の冒頭で、ジオン公国のモビルスーツ「ザク」がスペースコロニー「サイド7」に侵入する。メンテナンススペースから入って、コロニー内の大気エリアの搬入口だろう扉を開けるのだが、このメンテナンススペースに入るとき、ザクは入り口のダイヤル式開閉スイッチのつまみを持って回転させるのである。

 これは「リアルかリアルでないか」を考えればリアルである。ガンダムの世界ではモビルスーツの他にもマニピュレータを持った作業機械は多いだろうし、そもそもザクのマニピュレータにしても、おそらくは当時の工業規格に則ったサイズと構造をしているはずだ。ならマニピュレータを装備した種々の機械が使えるダイヤル式の開閉スイッチが入口に付いていても何の不思議もない。

 だが、「現実」にそんな事が起こるだろうか。この物語の世界は戦争中であり、サイド7には連邦軍の秘密研究所がある。なら当然、ザクが侵入できる要素は早い段階で潰されるのが当たり前であろう。ダイヤル式スイッチでなければ扉が開閉できないなどというはずもないし、こういう部分は真っ先に対処されて当然である。つまり文明レベル的にはリアルでも、社会システム的にはリアルではない。

 しかしこの場合、見ている人間に理解しやすいのは文明レベルの方である。これは見たままを理解すればいいからな。社会システムを理解しようとすると、画面の中に描かれていない事を想像しなくてはならない。次々と変化して行く画面を追いながらそんなところまで意識を向けるのは、非常に難しいはずだ。だからそこは意識されない。つまり視聴者は文明レベルだけを見つめ、「リアルだ」と感じるのだ。

 もう1つガンダム1話から。侵入したザクは発見した連邦のモビルスーツを破壊せんと攻撃を開始する。このときザクはマシンガンを使用し、使用済みの巨大な薬莢が排莢されて落下するというシーンがある。これもリアルさを感じさせる演出である。だが現実に即して考えたとき、果たしてこの巨大人型兵器の取り扱う巨大な火器に、排莢システムを持った火薬式兵器が使用されるかどうかは疑問であろう。劇中のザクマシンガンの薬莢は自動車を押し潰すほどの大きさだ。現代の戦車砲の砲弾の薬莢は人間が手で持てる大きさである。

 実在兵器で大きな砲弾を撃つと言えば軍艦であるが、たとえば第二次世界大戦中の戦艦大和の46センチ砲の砲弾は、薬莢式ではない。1.3トンから1.4トンほどの巨大な砲弾を最大射程42キロも飛ばすような火薬を薬莢に詰めたら、射撃による衝撃で薬莢が破裂して、次弾装填までの間に取り除くのが大変だったろう。それを防ぐためには薬莢の壁を分厚くするしかないが、そうすれば当然、火薬の量は減らさねばならない。火薬の量が減れば射程は短くなり破壊力も小さくなる。デメリットだらけだ。

 もちろん砲弾を薬莢式にする事で携帯や装弾に便利となるメリットはあるものの、そもそもそんな巨大な砲弾を機関銃のようにバラ撒く兵器が実用化されるとは思えない。技術的に可能であっても、砲弾の大量生産には恐ろしい規模の工業力が必要となるはずだし、莫大な予算が要求される。いかに驚異の技術力を持つジオン公国と言えど、砲弾ばっかり作っている訳にも行くまい。モビルスーツも生産しなきゃならないし、軍艦だって建造する必要があるのだ。火薬式の砲は枯れた技術で安定しているから使い勝手はいいのだろうが、作中でビーム兵器が実用化されている状況を考えれば、薬莢を使った火薬式兵器の選択は非合理的である。遠い未来に巨大二足歩行兵器による戦争が起こったとしても、現実はガンダムの世界のようにはなるまい。

 だが、それでもガンダムはリアルなのだ。リアルさとは結局、いかに現実に即しているかではない。見た人読んだ人が「こんな事が現実にありそうだな」と感じられれば、いかに不正確であってもそれこそがリアルであり、どれだけ正確に現実世界の情報を持ってこようとも、ただそれだけではリアルにはならないのである。従って現実世界の武器・兵器のスペックのみを根拠として「この表現はリアルではない」という批判は、まったく何の意味も持たない。ただの難癖だ。

 さて、アメリカのオハイオ州クリーブランド郊外にあるお化け屋敷のアトラクションに、11歳の男の子が母親に連れられてやって来た。中に入ると、当然脅かし役のモンスターが現われた訳だが、もちろん中身はここで働く従業員である。この11歳の男の子はそれを知っていた。ナイフを振り回すモンスターに向かって、

「偽物だ。怖くない」(CNN)

 と言い返したらしい。するとこのモンスター、突然ナイフを地面に突き立てたのだという。このとき刃が男の子のサンダルに刺さり、足の親指に8ミリほどの傷がついた。そう、このモンスターの持っていたナイフは本物だったのだ。しかし幸い、モンスター自体は本物ではなく、男の子は救護室に運ばれ手当てを受けたものの、アトラクションを最後まですべて楽しんだという。

 従業員もオモチャのナイフでは迫力に欠けると思ったのかも知れないな。リアル指向だったのだろう。だが世の中、リアルでさえあればそれでいい訳ではないのだ。リアルさが意味を持つかどうかはケースバイケースであると思う次第。


 中国でウルトラマンティガの配信が停止されたのだそうだ。24日、監督官庁の国家放送総局が、暴力的な内容を含むアニメなどの配信停止を求める幹部の発言を公表したのだそうで、配信サイトが同日中に自主的に配信を取りやめたらしい。

 まあ仕方ないのではないか。国によって暴力の定義も異なるのだろうしな。日本では言葉にも暴力があるし、権力の濫用も暴力であるが、おそらく中国は違うのだろう。そうやってドンドン締め付けて行けば良いように思うところ。

 

 少ないが、本日はこんなところで。日が昇ったら外は快晴だ。気持ちの良い秋晴れなのだが、とりあえず今日一日はおとなしく安静にしていよう。まあ、何もないとは思うのだが。

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