第587話 2021/5/23 俗謡とか

 本日は2時半起き。3時間ほどしか眠っていないぞ、やれやれ。外の様子はわからないが、雨音は聞こえない。天気予報は晴天。こないだ見たときは雨だったような気がするのだが、まあいいや。晴れて困る事はない。気分も落ち込む様子はなく、いささか眠い事を除けばさして悪くはない。

 こういうとき、問題は朝食を摂った後なのだがな。朝食を摂ると全身が泥になったかのような感覚になって爆睡してしまう場合が多々あるのだ。そして目が覚めると気分は落ち込み、やる気など雲散霧消している。毎度恒例のパターンではあるが、何とも厄介。


 江戸時代に民間で歌われた歌謡、すなわち小唄、端唄はうたあるいは都々逸、もしくは民謡に流行歌などをまとめて「俗謡」という。この俗謡のうち職業的な歌唱者によらない歌ばかりを全国からまとめた江戸時代の本に、「山家鳥虫歌さんかちょうちゅうか」がある。

 いま虫けらが暮らしているのは大阪府の泉州地域だが、江戸時代の令制国名では「和泉国」となる。この山家鳥虫歌には和泉国の歌も採集されている。こんな歌だ。

「声はすれども姿は見えぬ 君は深山みやまのきりぎりす」

 ちなみに「きりぎりす」は現在のあの緑色のキリギリスではなく、当時はコオロギを意味した模様。この歌は全国に広まり、吉原などでも歌詞を少し変えて歌われたそうだ。また、夏目漱石氏の小説『吾輩は猫である』にも登場するらしい。

 やがて時代は下って昭和の後半となり、テレビアニメからこのフレーズが流れてくる事になる。

「声はすれども姿は見えず ほんにあなたは屁のような」

 タイムボカンシリーズ第2作、『ヤッターマン』の登場人物ボヤッキーの台詞である。当時虫けらも見ていたが、まさかあのフレーズの源流が自分の暮らす地域から出ていたとは知らなかった。まあ知っていたところで、学校で俗謡など教えてはくれなかっただろうけれど。

 この歌がそもそもいつ、誰によって創られたものかは不明である。しかし、まさか何百年も時を超えて歌い継がれるとは創った本人も思っていなかったろう。このカクヨムにある作品の中にも、もしかしたら数百年後の世界でも読まれ続けるのものがあるかも知れない。そう考えると夢のある話だなと思うところ。

 さて、先般日本の新型コロナ感染者数は「さざ波」であるとツイートして顰蹙を買った高橋洋一内閣参与であるが、今度は21日に緊急事態宣言は「屁みたいなもの」とツイートし、物議を醸しているようだ。

 いやまあ、欧米のロックダウンと比較するならほとんど意味がないと言っていいほどの「屁みたいな」対処だとは虫けらも思うが、いまこのタイミングで内閣参与が言葉にして、マスコミと野党に餌をくれてやる以上の意味を持つと本気で思ったのだろうか。言葉の内容が正しいかどうかの問題ではなく、いま発言する値打ちがあるかどうか、何故考えられないのだろう。

 ただでさえ言葉を放つには時と状況を考える必要がある。曲がりなりにも責任ある立場ならなおさらだ。いわゆる空気を読むというヤツが必要なのではないか。

「緊急事態宣言と言ったところで、世界的に見ればこの程度、軽い軽い」

 と国民を鼓舞するような意味合いの発言だったのだろうとは思う。ただ現実には、その軽い軽い緊急事態宣言のおかげで収入がなくなったり仕事を失った人々が山のようにいる訳で、中には自殺した人もいるだろう。その視点に立てば、彼の発言はいささか軽佻浮薄に過ぎるのではないか。

 この世の中「間違っていない事」が、いつも「正しい」訳ではないのだ。世界がそんな簡単ではない事実は大人ならみんな知っている。高橋氏だけが知らなかったは通じない。もしや菅政権に何か恨みでもあって、足を引っ張ろうとしているのかと勘ぐってしまうレベルである。

 内閣参与として呼ばれるくらいであるから、彼は優秀な人物なのだろう、きっと。だが高性能な機械が常に便利であるとは限らないように、優秀な人材を集めたからといって組織の能力が上がると決まっている訳ではない。まずは優秀な人材にキチンと能力を発揮させられるだけの指導力がリーダーに求められるのだ。もしかしたら彼はいまの政府にとって、宝の持ち腐れなのかも知れない。


 フランスでは新型コロナの陽性者をニオイで嗅ぎ分ける探知犬の研究が進んでいるのだそうな。97%の正確性で探知できるらしい。屁みたいなニオイがするのだろうか。


 今月6日に神奈川県横浜市のアパートから脱走したアミメニシキヘビは、神奈川県警の警察官のべ約270人を投入して周囲を捜索したものの発見に至らず、21日に捜査が打ち切られた。そしてその翌日の22日、日本爬虫類両生類協会の白輪剛史理事長らによって、アパートの屋根裏から発見された。

 典型的な「灯台もと暗し」案件である。「牛刀割鶏」の最たるものと言っていい。報道によれば事件発生当初から専門家はアパートの屋根裏を徹底的に捜索すべきと主張していたはずなのだが、何故神奈川県警はそれを無視したのだろう。部外者に主導権を握られるのは面子が許さなかったのだろうか。しかし、その結果がこれである。何とも滑稽な。

 大切な治安組織の時間と労力を無駄遣いした責任は誰か取るのか。どうせなあなあでなかった事にされるのだろうが、どうにもみっともない。まあ虫けらは神奈川県民ではないので、別に要求する事はなにもないのだけれど。横目で見て笑うだけで。


 ミャンマーの選挙管理委員会は21日、アウン・サン・スー・チー氏が率いる国民民主連盟(NLD)について、昨年11月の総選挙で違法行為があったとし、

「党を解党すべきか、それとも党員を国家の裏切り者として告発すべきか、分析した上で今後の対応について検討する」(AFP)

 と選管委員長が語った。

 国軍の主張をそのままコピペしたような発言である。ミャンマーの選管はもはや公正な第三者機関とは言えないのだろう。まあ、誰でも自分の命は大事だからな。

 国軍が選挙からNLDを排除する可能性はクーデター当初からささやかれていた。もっとも今回の選管委員長の発言は「解党する」と言い切ってはいないので、もしかしたらNLDの内部分裂を狙っているのではないかという観測もある。

 何にせよ、軍は次の選挙で勝つつもりである。言い換えれば100%勝てる段取りを組んでから選挙を行うのだ。ミン・アウン・フライン司令官は軍の内規で定年が近かったのだが、どうやらクーデター後に定年制を撤廃したらしい。軍で権力を握ったまま、大統領となるつもりなのではないかと噂されている。独裁者としては非常にシンプルでありがちと言える。凡庸でオリジナリティに欠けるとも言えるが、その辺は最初から意識していないのだろう。

 軍からの支持を権力の背景とした独裁政権といえば、ASEANでは比較的タイに近い政治体制となるのか。ミャンマーに王様はいないがな。アフリカ大陸にはいくつもありそうな気がする。南米ならベネズエラか。何にせよ、碌な国にはならない。

 あるいは「上手くすれば中国のような形で発展できる」と思っているのやも知れないが、中国が肥大化できたのは日本や欧米が手を貸したからであり、そこには安い人件費という経済的なメリットがあった。しかしミャンマーのような小国にそこまでのメリットはない。どれだけ人件費を安くしたところで、「世界の工場」になるには人口が少なすぎる(まだ5500万人を超えていないのではないか)。

 今回のクーデターでインフラも教育も、軒並み後退しただろう。少数民族問題など不安定要因も多い。この先、軍が選挙で大勝しても、工場を建ててくれるのは中国くらいしかないのではないか。つまり中国の属国になるしか生き残る道はないという事だ。軍事独裁も傀儡かいらい政権となるしかあるまい。権力ってそこまでして欲しい物かね。虫けらにはよくわからない世界である。


 本日はこんなところで。昨日も少しだけ書けた。まあ少しずつ少しずつ積み重ねて行くしかない。何とか今日も頑張るか。

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