第582話 2021/5/18 古典とか

 本日は5時起き。曇天。体調はさほど悪くはない。腰はアホほど痛いが。とりあえず今日は雨の降らない日らしいが、明日から3日ほど雨が続く。うがー。考えただけで陰鬱になる。ああやだやだ。


 古典には様々な動物が登場するが、あまり明確な記述は見られない。まあ昔は動物学者などという職業はなかったし、まして文学者は動物の分類になど興味はなかったろう。したがって我々には古典の中の動物に接するとき、「これは何だろう」と考える余地がある。それは面倒臭いとも言えるが、面倒臭い事はたいてい面白いものでもある。

 たとえば百人一首のこの歌、

「奥山に 紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞くときぞ秋は悲しき(猿丸太夫)」

 に登場する鹿の種類がわかるだろうか。答は極めて簡単である。日本に鹿の仲間はニホンジカしか棲息していないからだ。厳密には外来種としてキョンがいるものの、百人一首の時代の都にはニホンジカしかいなかった。ただし、ニホンジカは7つの亜種に分ける事ができる。

・北海道のエゾシカ

・本州のホンシュウジカ

・四国、九州のキュウシュウジカ

・対馬などのツシマジカ

・鹿児島馬毛島のマゲジカ

・屋久島のヤクジカ

・沖縄県慶良間諸島のケラマジカ

 この中で都にいたのは、言うまでもなくホンシュウジカである。猿丸太夫の聞いたのがホンシュウジカの声なのは間違いない。

 では万葉集のこの歌、

あかときと 夜烏よがらす鳴けどこの岡の 木末こぬれの上はいまだ静けし(詠み人知らず)」

 ここに登場するカラスの種類がわかるだろうか。カラスはカラスだろう、という声が聞こえてきそうだが、カラスにも種類がある。日本では時折ワタリガラスやコクマルガラス、ホシガラスなどが見られる事もあるとは言え、基本的に日本で見られるカラスと言えば、おそらくハシボソガラスかハシブトガラスで間違いなかろう。

 ヒントになるのは「この岡の木末」という言葉だ。つまりこの歌を詠んだ人は、都市部に暮らしているのではない。少し山の中に入った丘の近く、周囲に木々が茂っているところに暮らしている。ならば、そんな場所に暮らすカラスはハシブトガラスの可能性が非常に高い。本来ハシブトガラスは森の鳥であり、ハシボソガラスは平野部の鳥である。夜明けに「カー、カー」と澄んだ声のハシブトガラスの声が聞こえていたに違いない。

 時代は下って江戸時代、小林一茶の句にはこれがある。

「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」

 このやせ蛙、どんな蛙かわかるだろうか。日本にはアマガエルやアオガエル、トノサマガエルにツチガエルなど様々な蛙が棲息しているが、おそらくこの句に詠まれているのはヒキガエルである。

 ヒキガエルには「蛙相撲」という習性がある。と言っても本当に相撲を取る訳ではない。これは繁殖期に大群で山から池や田圃に下りて来たヒキガエルのオスが、メスに抱きついて交尾を迫る事を言う。ただこのときオスは見境がなくなっている。つまりメスはもちろん、他のオスに抱きついたり、近くを泳いでいる魚に抱きついたりするのだ。その乱痴気騒ぎを俗に蛙相撲と呼ぶ。

 おそらくは一茶の見ている前で、体の細い小さなヒキガエルが大柄なヒキガエルに抱きつかれていたのだろう。それを見て一茶は思わず応援してしまったのだ。この時期、一茶の息子は病に伏せっていたというから、頭の中で重ねていたのかも知れない。

 さて江戸時代にはカルタが流行った。江戸カルタ、京カルタ、大坂カルタなどがあったらしいが、江戸カルタにはこんな言葉がある。

「泣きっ面に蜂」

 この蜂は、どんな蜂だ。これがわからない。イロイロとググったりはしてみたのだが、明確に由来となる出来事に行き当たらなかった。まあ、泣きっ面でいるところに蜂に刺されたのであるから、別にどんな種類の蜂でも問題はない。ミツバチでもクマバチでもアシナガバチでも言葉の意味が変わる訳ではないのだ。さすがにオオスズメバチは多少ニュアンスが変わってくるようにも思うが。

 泣きっ面に蜂とは「弱り目に祟り目」、「踏んだり蹴ったり」と同様の意味である。人生あるあるとも言える。

 そんなあるあるが、現在インドに襲いかかっている。ご承知の通り、いま新型コロナの死亡者数が毎日4000人を超えているインドなのだが、その西部グジャラート州に17日、大型のサイクロンが上陸した。最大瞬間風速は52メートルに達し、沿岸地域では最大4メートルの高潮が発生する恐れがあるのだそうな。

 インドでは病院がパンクして、テントで治療が行われていたりする場所もあったはずだ。また送電網も貧弱であるから、サイクロンの上陸で大規模停電も発生するだろう。かなり酷い状況になる事が予想される。日本政府は早い段階で支援の申し出をするべきだと思う。実際にどれほどの事が可能かはまだ不明だが、姿勢は見せた方が良い。

 京カルタにはこの有名な言葉がある。

「雀百まで踊り忘れず」

 もし大人は忘れても、若い世代は日本の支援をいつまでも覚えていてくれるだろう。そのためにも少しでも早く手を差し伸べる事が肝要だ。それが未来の日本を救う事になるかも知れないのだから。


 そんなインドでは昨今、新型コロナへの対応を巡ってモディ政権が批判されているらしい。いまのこの惨状を見れば当然とも言えるが、もし仮にインドの被害が日本と同レベルであったとしても、やはり批判はされただろうなと思うところ。これについては「そういうものなのだ」としか言えない。

 しかしその批判に対抗するかのように、モディ政権を擁護する報道が一部メディアに現れ、これを政権に近い政治家がSNSでシェアするという動きが活発になっているらしい。似たような事は日本でも多少見られるような気がするが、インドはかなり露骨なようだ。そもそも政権を擁護しているメディアがかなり胡散臭い模様。

 まあ現実として、国会で怒鳴り合うだけが政治ではないからな。メディアを駆使したイメージ戦略も政治のうちである。正直国民の目線からすれば、あまり清廉潔白な印象はないものの、インドでも悪名は無名に勝るのではないか。日本の立場からすればモディ政権は続いてもらった方が都合が良いのだろうが、さてどうなる事やら。


 インドと言えば紅茶の産地というイメージがあったのだが、いま世界最大の茶葉の産地はケニアなのだそうな。しかしそのケニアでは、気候変動や虫害などの要因で茶葉産業が壊滅の危機に直面しているらしい。今後20年で300万人の雇用が失われるおそれがあるという。

 正直、虫けらは紅茶をまったく飲まないのでピンと来ないのだが、たぶん大変な事なのだろう。アフリカはただでさえ干ばつと虫害の規模がデカいので、農業立国は難しいイメージがある。ケニアの人々の苦労は並々ならぬものがあったのではないか。それが無にならないよう、国際社会は支援をすべきだろう。アフリカ大陸の国がみなケニアのようになれば、世界が変わるはずだから。


 茂木外相は17日、戦闘が続くパレスチナのガザ地区とその周辺地区について、

「滞在している邦人の方々には速やかに退避をお願いするとともに、同地区への渡航、入域は中止していただくよう強く求めたい」

「今後、情勢が不測の事態に発展する恐れがある」

「引き続き現地情勢を注視し、在外邦人の安全確保に万全を期す」(以上産経新聞)

 と記者団に語った。

 これは16日に外務省が、ガザ地区と周辺地区の危険情報を最高度の「レベル4」(退避勧告)に引き上げた事を受けての発言なのだが、正直「今頃言うのか」と思った次第。ガザ地区近辺はそもそも外国人が物見遊山で行って良い場所ではなかったろう。ずっと以前の段階で退避勧告を出しておくべきだったのではないか。誰に気を遣っているのやら。


「NHKから国民を守る党」が名前を変えた「NHK受信料を支払わない方法を教える党」は17日、政党名を「古い政党から国民を守る党」へと変更した。略称は「古い党」だそうだ。

 まあ確かに名前をアホみたいに変え続ける事で耳目を集めるという手法は、センスが古い。まさに「古い党」である。国民が望んでいるのは古い政党から守ってもらう事ではなくて、古い政党を破壊してくれる事ではないかという気がするのだが、その辺については興味がないのだろう。泡沫政党として、せいぜい頑張っていただきたいところ。


 本日はこんなところで。腰の痛みが洒落にならない。軽く死を意識するレベル。気分的にはとてもじゃないが創作どころではない。と言いつつ書いてはいるのだがな。ちょっとずつ、ほんの少しずつではあるのだけれど。

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