第382話 2020/10/30 ほんでまた休業

 本日は4時半起き。体調はホドホド。病院に行かねばならんので早起きしてくれたのは有り難いのだが、家を出るのは昼からだからな。それまでの空いた時間、何をするべきか。ここを更新するというのはまず考えたのだが、後ろに予定が詰まっているとやる気の起きない不思議よ。そもそもネタがない。フランスのニースでまたイスラム教徒にフランス人が殺されたという話ならあるが、できればしばらくこの話題には触れたくない。人の死を悼む気持ちくらいは虫けらにだってあるのだ。


 さあそうなると何を書こうか。困ったな。困ったと言えば、別に困る必要はないのだが少々頭を抱えた事があった。先日ニコニコニュースを流し読みしていたとき、中国国内の話題が目に付いたので読んでみたところ、日本のアニメは何故面白いのかという事を分析している記事で、結論としては「キャラクターが確立されているから」とのこと。なるほど、中国もようやくこのレベルまで来たのだなあ、といささか複雑な感情を抱きながら記事の下にあるコメント欄も読んでみると、こんな声があった。

「キャラクターよりストーリーだろ」

「ストーリーさえできていれば、キャラなんてどうにでもなる」

「登場人物なんてどこにでもいる地味なやつらの話も多いし」

 おいおいおい、マジか。これだけ身の周りに、あるいはネットの中に物語が溢れかえってる世界に暮らしていながらこの認識なのか。登場人物が地味で特徴がないのとキャラクターが確立されているかどうかは、まったく別の話だ。キャラクターで魅せるかストーリーで魅せるかの塩梅は作品や作者によって異なるが、ストーリーさえできていればキャラクターが確立できていなくても何とかなる、なんて事があり得るはずがない。

 確立されたキャラクターとは変化しないキャラクターを言うのではない。物語に対して自己を主張する存在を言うのである。作者に向かって何の主張もしないキャラクターなど何人居ようと、そこにどんなストーリーを用意しようと、そんなものが作品として成立するわけがなかろう。何でそれがわからないんだろう。

「アニヲタ」なんて言葉が普通に使われるようになって久しいが、オタク的傾向を持たないアニヲタが珍しくないのだろうか。アニメがどうやって作られるのかに興味がない人が多いのだろうか。作画が崩壊しているかどうかくらいしか見ていないのかも知れない。

 アニメを作るのは金も時間もかかりすぎる。漫画を描くのもいささかハードルが高い。だが小説なら、誰でもいますぐほぼタダで書けるぞ。書いてみればいいと思うのだけどな。自分で物語を創ってみればいい。そうすれば簡単に理解できる事なのに。ニコニコニュースのコメントが世の大半の意見という訳ではないのだろうが、まさかこの分野でも中国に追い抜かれる事を心配しなくてはならないとは、ちょっと頭の痛い話である。


 上毛新聞の会員サイトから個人情報が流出したという話題があるのだが、上毛って「じょうもう」って読むのだな。群馬県の人には当たり前なのだろうが、虫けらは知らなかった。と言うか、上毛と書く地名は「じょうもう」か「こうげ」としか読まないらしい。上毛野で「かみつけの」と読むそうだが、上毛だけでは上記2つの読み方しか見つからなかった。「かみげ」とか「うわげ」ってありそうな気がするのに、日本にはないようだ。架空の地名を小説に登場させるときに使えるかも知れない。


 今日はこんなところか。本当に何も書くことがない。そらこんな頻繁に休んでたら書く事もなくなるわな。明日はハロウィン、10月も終わりだ。来月はもうちょっと書けるといいのだが。

 昨日は700文字書けている。今日も何とか頑張ろう。

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