第2話 2019/10/16 不公平とか

 本日も8時起き。寒い。鳥部屋には夜間、すでに暖房を入れている。人間や犬はこの程度の涼しさは平気なのだが、小鳥はそうも行かないのだ。ああ、電気代が気になる。

 しかし、あと2ヶ月半で今年も終わりか。時間の経つのが早い。書かねば。もっと書かねば。いつ書けなくなる日がやって来るか知れないのだから。


 表現の自由は難しい。『自由』という言葉の捉え方が複数あるからな、あちらを立てればこちらが立たず、という状況になりがちだ。正解は1つではない。たとえば人を不快にする表現というのは、虫けらはあって良いと思うが、それを自由とは言わないという人も居る。そしてその言葉には一定の説得力がある。

 なので理想として表現は自由であるべきだが、現実の社会にその表現を公開するためには、ある程度の制限が課せられるのが一般的である。先般あいちトリエンナーレの『表現の不自由展』の問題があったが、あれを擁護して「表現は自由だから一切の制限を受けるべきではない」と主張した人たちには、ちょっと前に話題になった「中国人三千人斬り」のラノベについてどう思うのか聞いてみたい。て言うか、これを表現の不自由展に出してみようとは思わなかったのだろうか。

 虫けらの個人的意見としては、右であろうと左であろうと、故意に他人を傷つける(侮蔑する、嘲笑する、犯罪行為を励起させる等々)意図をもって生み出された表現については、何らかの制限を受けるべきだと考える。逆を言うなら、そうでないものは自由にすべきだ。

 もっとも、ならば人は何に傷つくのかと言えば、これがまた一様ではない。たとえば、物凄く限られた、スイートスポットの極端に狭い人々の心をズタズタにせんがために作られた、指向性の高い表現による攻撃を、制限すべきかどうかは判断が難しいところがある。これは一部の人以外には、向けられた敵意を意識することが出来ないので、世の大多数には単なる物、単なる映像、単なる文章でしかない。しかし少数の傷つく人は、それでも大層傷つくのだ。これを規制して良いものかどうか。

 とは言え、これを規制しないのは、ごく一部の人々を、ただ数が少ないからという理由で尊重しなくても良いという事である。それは不公平であろう。すべての人には『表現から守られる権利』があるはずだ。いかに表現の自由が認められているからといって、他人に苦痛を与えて良いはずはない。

 ただ、ここに政治が絡むと厄介な事になる。苦痛を感じる人が居るか居ないかなど調べもせずに、「居るはずだ」という前提で結論を持ってこられてしまう。それがアニメ映画の1シーンに描かれた、たった1本の線だとしても。

 15日、ベトナム最大の映画館チェーン「CGVシネマズ」は、中国とアメリカの共同制作アニメ『アボミナブル』の上映を中止すると発表した。作中に描かれた中国の地図に、中国が南シナ海において領海を主張するライン、いわゆる『九段線』が描かれていたためだ。

 ベトナム政府は九段線を承認していないし、国際司法裁判所でも中国の主張は認められていない。だが中国にはこれを取り下げるつもりはまったくなく、このアニメの中でもそれを描かせた訳だ。仮に九段線を描かなかったら、この映画の公開に圧力がかかったのやも知れない。もしくは製作者側が中国に忖度した可能性もある。

 何にせよ、そこにあるのは中国の「政治的正しさ」だけだ。これにベトナムが、自分たちなりの「政治的正しさ」で対抗したとしても、それはある意味当然かも知れないが、どちらであれ観客には選ぶ事すら許されないというのは、表現の自由からはほど遠い。

 気持ち的にはベトナムを応援したいのだけれど、検閲を賞賛したくはない。しかし中国の勝手な『常識』が世界に広まる事には反対したい。どうしたら良いのだろうな。まさかアニメ製作者にすべての国に配慮して、公開する国の数だけローカルバージョンを作れとも言えまい。あちらを立てればこちらが立たず。何とも難しい問題である。


 他人を死傷させた犯人が、精神の状態を理由に――たとえば精神科への通院歴などを根拠に――責任能力なしとして無罪認定されたりする事はたまにある。自身、精神科に通院している虫けらであっても、さすがに無罪はないだろうと思うのだが、法律ではそうなっているようだ。

 しかし統合失調症や双極性障害が理由で罪なしとされるのなら、ロリコンだって罪なしではないのか。小児性愛も病気だと思うのだけれど。まあ本人達はその病気について苦悩しない傾向があるようにも感じるが、ロリコンだけ厳罰に処せられるのは不公平な気がする。ことに欧米ではロリコン嫌悪が激しい。強迫観念に近いものを感じる事がある。

 13日、イギリスの刑務所で受刑者が殺された。どうやら刺殺されたらしい。この受刑者はマレーシアの貧困地域で6ヶ月~12歳の子供約200人に性的虐待を加えて児童ポルノを撮影、ネットで公開したとして、2016年に22回の終身刑を言い渡されていた。

 個人的には可哀想とは思わない。自業自得である。しかし同時にイギリスの抱える闇も垣間見えるような気がする。犯罪者にも精神病患者にも基本的人権はあるが、ロリコンに人権はない。ロリコンが精神病だとは絶対に認めたくない、そんな声が聞こえてくるようだ。

 誤解のないように書いておくが、虫けらは別にロリコン無罪を訴えているわけではない。ただロリコンが終身刑を受けるのなら、他の精神病患者も終身刑を受けるべきだと言いたいのだ。どちらも社会的脅威である事は変わらないのだから。


 ある日オランダ北部ドレンテ州のパブに、1人の男がやって来た。立て続けにビールを5杯飲んだ後、男は助けを求めた。9年前から家の外に出ていなかったのだと。

 彼の住んでいたのは人里離れた一軒の農家。その地下室に、寝たきりの父親と18歳から26歳の6人の子供、そして58歳の男が居た。58歳の男は警察の捜査に協力しなかったために拘束されたが、一家との関係は不明。

 地元テレビ局の報道によれば、一家は『終末』を待ちながら、数年間ここで自給自足の生活を送っていたという。うーむ、カルト臭い。確かに「終末恐怖症」とも言うべき人々は世界中に居て、そのほとんどは一般的なキリスト教徒でカルトとは無縁だったりするのだが、そういう人たちはラジオくらい用意しているものである。

 今回の一家の子供の中には「ほかに人々が存在することをまったく知らなかった」(AFP)と話している者が居るようなので、文明の利器を放棄した、アーミッシュのような生活でもしていた可能性がある。ただアーミッシュは自分たちの生活域の外に文明社会が存在している事を知っているし、受け入れているからな。文明社会の存在を隠して、そこから切り離そうとしていたのだとすれば、カルト的な思想がそこにあったのはまず間違いなかろう。その中心に居たのが父親なのか、58歳の男なのかは不明だが。

 こういうのはたいてい土地の広いアメリカで起こりがちな先入観があるが、オランダで起こったというのが特徴的と言える。まあ日本もこれから人口が減るから、もしかしたら地方の過疎の村の外れあたりで同様の事件が起こる可能性もあるやも知れない。もっとも、『カルト村』ならすでに存在しているのだけれど。


 本日は好天の故か体調が良いので、読書が進んでくれると有り難いのだが。

 ところで、昼飯は何を食べようか。何かもう食べるのが面倒臭い。別に1日くらい何も食わなくても死なないのだけどな。それでもまあ、どうせ何かは食べるのだろうけれど。面倒臭い体である。

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