第一話:縫

 かん、かん、とシャー芯で紙をつついた後、わたしは諦めてペンを机の上に置いた。

 机の上のアンケートには、まだ96の白い空欄が残っている。が、これ以上埋められる気がしなかった。紙の隅々まで顔を近づけて見たが、やはり、それ以上はどうにも埋められそうにない。


 全てに「特に無し」と書くのは簡単だが、それは手が疲れそうなのでやめよう、と思う。



「うっす!字ちっさ!」

 やることもなく、頬杖をついてぼんやりと時計の秒針を追っていたわたしの目は、そんな言葉と共に現れた生白い腕を捉えた。毛の一本も生えていないその腕は、机の上に置いてあったわたしの紙をぱっと奪っていく。

 その腕の持ち主が誰なのかは、顔を見なくても分かっていた。


「…佐藤は、今日もよく喋るね」

「いやまだ僕8文字しか喋ってないよ?あと佐藤って誰?」

「貴方」

「僕は縫だよ!!3年一緒にいるのに忘れるな!」


 ばん、と大袈裟に机を叩きながら、縫はそうツッコミを決めた。そういえば、そんな名前だった。


「君、いまそういえばそんな名前だった、って思ったろ」

 口を動かすのが疲れたので首で肯定を示すと、縫は分かりやすいため息をついた。縫の幸せが一つ、どこかへと飛んでいったので、可哀想だな、と思う。あとでわたしが捕まえておこう。



 わたしがぼんやりとそんなことを考えていると、縫はなにを思ったのか、机の上にあった彼のアンケート用紙をわたしに突きつけてきた。

 紙には、HBの濃さで書かれた綺麗な文字がびっしりと整列している。


「…縫のアンケートに興味ない」

「違うよ。48!君に書いてもらいたいんだ」

 生白く綺麗な形の細い指がすっと伸びてきて、とんとん、と48の問いの場所を指差した。そこには、「友人から見たあなたの長所と短所を書いてもらってください」と印字されている。文字を右端まで読んだわたしの頭に、クエスチョンマークが1つ浮かんだ。





「ゆうじん……?」

「ちょっと、生まれて初めて聞いたみたいな言い方しないでよ。僕とこびんは友達だろ?」

「……」

「君ってほんとにひどい奴だよ…」



 縫はぼんやりとしたまま動かないわたしを見て、焦れたように無理やり紙とシャーペンを持たせた。10分以内に書いてくれなかったら、給食にでる餃子の皮を全て剥ぐという暴言を添えて。こいつ…。


 わたしは仕方なく冷たくなったシャーペンを握り直して、机の上の縫のアンケートと向き合った。

 …縫の長所と短所。頭の中で縫の顔を思い浮かべる。長所……、はわかんないから、とりあえず書きやすい方から書こう。短所、か。


…まず、とにかくうるさい。あと一人称が僕。それから、他人から見た自分が一番かわいい角度で顔を傾けて話しかけてくる。好きな食べ物は特に無いくせに苺の練乳がけと周りに言っている。すっぴんが不細工なのにアイプチしてカラコンしたら可愛い。何か食べてたらすぐちょっとちょーだいといってくる。毎日お風呂上がりに顔パックしている。



「ねえ君僕のこと嫌いだろ!!」

 枠からはみ出さん勢いで一生懸命に書いていたら、いつのまにか覗き込んていたらしい縫が顔を傾けてそう言ってきた。わたしはカメラじゃないんだから、自撮りで盛れる角度に顔を傾けなくていいのに。そういうとこだぞ。


「ごめんね」

「なんで本気トーンであやまるの!?否定して!」


 小うるさく言ってくる縫に煩わしくなって、わたしは縫の顔の前に鏡を突き出した。メデューサ退治の為ではない。こうすると縫は自分の前髪を確認する為に静かになるのだ。


 縫が己の前髪チェックに勤しんでいる間に、さっさと書き終えてしまおう。



 正直、短所の部分はまだ書き足りなかったが、これ以上は枠に収まりきらないので、しぶしぶわたしは書くのを諦めた。あとは長所だ。



…長所。ちょうしょ。いいところ。縫の、いいところ。


 書き始めようとしたわたしの右手は、しかし宙に浮いたままだった。全く思いつかなかったのだ。


 そもそも、人間に長所なんてあるのか?いいところってなんだ?優しい、とか、コミュニケーション能力がある、とか、リーダーシップがある、とか…。それって、そんなにいいところなのか?それがない人間は、悪い人間ってこと?そんなの、だれがきめたの?




 そのあと5分考えたが、結局思いついたのは1つだけだった。名前が短いところ、だ。我ながら、とてもいい長所を思いついたと思う。わたしは心の中で小さく胸を張りながら、シャーペンをゆっくりと動かした。



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