第2話

 京紫の色をした紙袋を提げ、太一は二日連続で「はしもと古書店」を訪れた。薄暗い店先が、太一の大柄な体がつくる影によっていっそう陰鬱さを増すようだった。しかし太一はそんなことをかけらも感じていないらしく、のしのしと店内に入って、大声を響かせた。

「おーい、まどか! モナカ、買ってきてやったぞ」

 店の奥、居住空間になっている座敷の、さらに奥から、ガタガタという音がした。橋本家の座敷の突き当りの窓からは、庭へ出られるようになっている。どうやらまどかは庭にいたものらしかった。

「馬鹿デカイ声を出すな、近所迷惑だ」

「いや、デカイ声で呼ばなきゃ聞こえないだろう。店ほっぽり出しといていいのか、不用心だな」

「こんな天気のいい日に古書店に来るやつなどいないさ」

 まどかの開いているのか閉じているのかわからないほど細い目は、不機嫌なのか御機嫌なのかもわからなくさせていたが、太一の手にある紙袋を見ると少し、笑ったようだった。

「へえ。不朽園の最中を買ってきてくれたということは、俺の言う通りになったのか」

「まあ、だいたい、な」

「だいたい?」

 差し出した紙袋を受け取ったまどかから、かすかに煙のにおいがしたように感じたが、太一は気がつかないふりをすることにした。

「弁当箱は返ってきたし、中も空じゃなかったが、入っていたのは弁当じゃなかった」

「ふうん?」

 まどかは急須に湯を注ぎながら太一の話を促した。太一は椅子代わりの木箱に腰をおろす。

「弁当箱には、クッキーと手紙が入っていた」

「それはそれは。よかったじゃないか、ちょっと女子にモテた気分が味わえただろう?」

「なんで女子からだってわかる?」

「なんで、って。その弁当箱、拾ってくれたのはお前が昨日階段で助けた女性だったんじゃないのか?」

 まどかは呆れたように言いながら、太一に背を向けて最中の箱を開ける。

「そうだけど……、え、なんで? お前、エスパーか?」

 まどかの背中が、一瞬、強張った。先程よりもさらに呆れたような声で、あのな、と言う。

「んなわけがあるか」

「まあ、そうなんだけどさ。え、で、なんでわかったんだよ?」

「わかった、というのは正しくないんだがな、実は」

 まどかは淹れたての緑茶と最中を差し出し、太一は湯呑の温度を指先で確かめてから受け取った。

「まず、お前が弁当箱を落としたのが、ジーパンの尻を破いたときだということが間違いなかったとして」

「その言い方やめろ」

「うるさい、話が進まないからしばらく黙っていろ」

 太一は素直に押し黙って、最中を齧った。

「さらにそれを誰かが拾ってくれた、とする。この場合、拾った可能性が高いのは、ジャージを貸してくれた先輩か、お前が助けた女性の二名だ。だが、先輩であったなら、お前は昨日のうちに弁当箱を受け取れていたはずだから、それはない」

「え、なんで?」

「ジャージを借りたんだろう? 返す時の為に、連絡先を訊いたんじゃないのか」

「あ、うん、訊いた」

「初対面の後輩にジャージを貸してくれるほど親切な人なら、弁当箱を拾った時点でお前に連絡をくれるはずだと考えて自然じゃないか。何か、連絡、あったか?」

 太一は茶をすすり、首を横に振った。

「と、いうことは、その女性である可能性が高い。中身が詰まった状態で、と言ったのは、その女性がおそらく学食で働く人だろうと思ったからだ」

「あ、そう! そうだったんだよ! え、なんでわかった? 俺言ったか? ……言ったわけねえな、俺だって今日知ったんだ。わざわざ俺が取ってる授業調べて、持ってきてくれたんだ。……え、で、なんでわかった?」

 まどかは涼しい顔で最中を食べきり、ふたつめに手を伸ばしながら肩をそびやかした。

「白い三角巾をしていた、と言ったろう。お前の大学に家政学科も教育学科もないから調理実習的な授業を受けていた学生ということはないはずだ。ということは、その人は学食の職員だと考えるのが自然だ。だから中身が詰まって戻ってくる、と言ったんだ。何か作ってくれるんじゃないか、ってな。残念ながら、それはちょっと読み過ぎだったようだが」

「はー、なるほどなー」

 太一は空になった湯呑を両手で弄んで何度も頷いた。

「すごいな、お前の推理。これ、安楽椅子探偵、ってやつか?」

「馬鹿言え」

 まどかは吐き捨てた。

「こんなのは推理と呼ばない。ただの憶測による賭けだよ。実際、中身が詰まって、という部分は外しているしな」

「でも、クッキーが詰まっていたんだからほぼ正解だろ」

 太一はそう笑って、弄んでいた湯呑をまどかに突き出した。茶のおかわりを要求しているのである。

「……まったく。だいたい、古書店と探偵という組み合わせはもう出尽くしているんだ。今更、目新しくもなんともない。こんな恥ずかしい役回りは御免だ」

「は? 組み合わせ? 役回り?」

「なんでもない、ひとりごとだ」

 まどかは太一の手から湯呑を毟り取るようにして、奥の座敷へ入ってゆく。その背中に、太一はおそるおそる声をかけた。

「あのさ、まどか。モナカの代わりに、ってわけでもねえんだけど……、これ、一緒に行ってくれねえかな」

「は?」

 怪訝そうに振り返ったまどかに、太一が細長い用紙を見せる。何かの、チケットらしかった。

「映画か何かか? お前、そういうのはそれこそ女子を……」

「いや、野球なんだ。……兄貴の、試合」

「……」

 まどかは一瞬の沈黙ののち、太一からチケットを受け取った。

「俺は野球のルール、知らないぞ」

「……心配するな、俺も知らん」

「いやお前は知っとけ」

 ハハッ、と短く笑い合った太一とまどかを、はしもと古書店の書架が、ぐるりと見下ろしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次男ふたり ~弁当の話~ 紺堂 カヤ @kaya-kon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ