②弟


 薄暗い部屋の中、僕はスタンドミラーに映る制服姿の姉さんを見つめていた。


「嗚呼、みのり姉さん」


 僕は姉さんをこの世の誰より愛している。


 何時も慌ただしく何かをしている要領の悪い母さんにも、寡黙で僕に興味を示さない仕事一筋な父さんにも、僕は差して何かを思うことは無い。けれどそんな二人から血を継いで生まれ、僕と同じだけの時を刻んだ姉さんのことは好きで仕方がないんだ。


「姉さん、あのね――」


 目の前に居る姉さんにそっと触れながら、僕は姉さんにゆっくりと話しかける。


 今何気なく思った事。今日見た夢の事。テレビで見たニュースの事。そんな他愛もない事柄を語れば、鏡の中に居る姉さんはにっこりとやわらかな微笑みを浮かべてくれた。


 嗚呼、嗚呼。姉さんが此処に居てくれるから、僕は何処にも行かなくていい。姉さんが居ない外の世界なんて、僕には必要ないんだ。


 今までは姉さんが居たから学校に行っていただけであり、部活動も部内でいい成績を取れば姉さんが褒めてくれたから。そして勉強も、姉さんの弟として恥じない点数を取るようにしていただけ。


 でも、もう姉さんは学校には行かないから。


 姉さんとはもう、此処でしか会えないから。


 だから、僕が学校へ行く意味など無いのだ。


 けれどクラスメイトや教員はそんな単純なことも分からなかった。否、分かろうとさえしなかった。何せ彼らは幾度となく「早く学校に来なよ」などと無意味な言葉を送ってきたり、姉さんの存在を脅かしでもするかのように自宅へと押しかけて来たりしたのだから。


「姉さん……みのり、ねえさん」


 僕のその呼びかけに答えるようにして、鏡に映る姉さんが頬を染め、濡れた瞳で僕を見つめてくる。


 そんな姉さんの視線に焼かれながら、「あぁ、」と声を震わせれば、おもむろに鏡に映る姉さんが着ていた制服を脱はじめ――あっという間に可愛らしいピンクと黒の下着姿へとその様を変えた。


 白い肢体を惜しげも無く晒しながら、まっすぐ僕を見つめてくる姉さん。素朴とも称せる平らな胸から視線を逸らし、下に目線を向ければ指でなぞりたくなるほど蠱惑的な脚が伸びていて、彼女の弟であるのにも関わらず僕は姉さんが欲しいと思ってしまう。


「嗚呼、姉さん……」


 下着姿の姉さんの身体をなぞるように、冷たい鏡に手を触れる。


 姉さんが映るのは、この鏡だけ。


 姉さんはもう、閉ざされた僕の部屋に在るこのスタンドミラーの内側でしか存在することが出来ないから。


 けれど、そのおかげで姉さんは誰にも奪われず、僕だけが独り占めできている。


「姉さん、姉さん、姉さん、ねえさん……!」


 みのり姉さんと供に在れる今、僕は喜びに満ちている。けれどもし、姉さんが居なくなってしまったなら。もし、誰かに奪われてしまったなら。きっと僕はどうかなってしまうに違いない。


 けれど、今は姉さんが居るからそれで良い。何ひとつとして、恐れなくていい。


「姉さん――」


 愛してる。


 そう何度も呟いて、下着姿の姉さんとキスをする。そうすれば触れ合ったそこから姉さんの温もりと唾液の感触が、優しさと言葉が、じんわりと僕に伝わってくる。


「まこと。私も、愛してる」


 響く小さな囁き声の中、幾度となく姉さんとキスをした後、僕は姉さんを見ながらごろりと身体を寝そべらせる。そうすれば僕に倣うようにして姉さんもまた寝そべり、その蠱惑的な肢体を僕に見せつけてくれた。それこそ、「わたしを食べて」と囁く砂糖菓子のようにして。


「きれいだよ、みのり姉さん」


 僕にとって姉さんは、決して犯すことの許されない領分に居る人。けれどそれを知らない姉さんはその領分を軽々と踏み越えて、僕を試すような事ばかりをする。


「大好きだよ」

「愛してる」

「私を、まことのものにして」


 そんな言葉を繰り返し僕に囁いて、繰り返し僕を求めてくる。


「嗚呼、嗚呼……」


 愛している。どちらの声なのか最早分からないけれど。僕はゆっくりと鏡に映る姉さんに、自身の白い手を伸ばした。


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