追加短編 後日談として

いつか良い実が育つまで


 雲雀が高らかに鳴き交わす、麗らかな天頂草原の遥か下。


 吹けば飛ぶような梯子がかかる断崖絶壁を頭上に見上げ、その山麓を、小さな人影が歩いていた。

 数は二つ。前を行くのは、羊毛打ちの外套をはおり、頭には藍染めの布を巻いた十代の少年。その後ろに続くのは、外套姿は同じながら、華やかな黄色と赤に染め分けられた布で頭髪をまとめた娘だった。


 彼らが行く道の先にあるのは、河岸に営まれる小さな村だ。途上にある畑のそばで、少年は見知った村人との再会を果たし、喜んで村へと招かれた。





「墓参り?」


 少年――虎昴がその言葉を口にしたのは、ミイルが目覚めた数日後。骨折による発熱から立ち直ったチェダが自分の村へと帰り、サククニャ村に、平穏な春の日常が戻ってきた矢先のことだった。

 しばし村外の家を留守にすると報告しに来た少年に、ラゴ・ピモは、意外なことを聞いたというように目を瞬いた。


「墓が、あるのか? そんな状況ではなかったと思っていたんだが」

「初めの頃は、まだそれくらいのことはできていたんです。その後も……おれが村を出た後で、近隣の人たちが埋葬だけはしてくれていたそうですし」


 村ひとつが壊滅だ。最初こそ流行病が疑われただろうし、そうでなくとも、春先の気温が上がり始める時期だった。遺体を放置して起こる厄介の方が多いことを、周囲の村人たちもよくよく理解していたのだろう。

 小藍から言われるまで、ああして村に帰るまで、思うことすら恐ろしかった虎昴ではあったけれど。


「先祖や親兄弟を弔い祀るのも、ピモとしての役目です。それをちゃんと、果たしてこようと思います」

「……そうか」

「それじゃあ、あたしも一緒に行くわ」


 突然に割り込んだ朗らかな声に、虎昴とラゴは寸の間、固まり、それから横で糸紡ぎをしていた娘を見た。

 娘――ミイルは、回していたつむを手早くまとめ、腰を上げてにこりと笑う。


「下の村に、あたしを助けるのに協力してくれた人がいるんでしょ? だったらちゃんと、お礼しないと」

「待ちなさい、ミイル。歩いて何日もかかるんだぞ。嫁入り前の娘をそんな……」

「あら、大丈夫よ。あたしだって大凌の娘だもの。何日だって歩けるわ」

「そういう話じゃなくてだな……」

「あら、じゃあどういう話?」


 父の心配は娘には届かず、結局、折れたのはラゴの方だった。

 出発の朝。アユ家に向かった虎昴を迎えたのは、隙なく旅装を整えたミイルと、彼女が倒れた時以上の険しい顔をしたラゴだった。他の仕事もあるだろうに、二人が天梯に手足をかけるその時まで、彼は見送りと称する小言並べを続けていた。


「まったく、お父さんも心配し過ぎよね。あたしとフーマオが、そんなに信用ならないのかしら」

「……ラゴ・ピモの気持ちも、わかりますよ」


 梯子の中継ぎ、狭い岩棚で休みながら、虎昴は力なく笑って返す。

 信用されるのは嬉しいことだが、まったく警戒されないというのも、それはそれで落ち込むものだ。


(……結局おれは、立派な大凌ののままなんだろう)


 あれだけの苦労してきたのにと思うと、悔しい気持ちもあるものの、それが怒りにまで育つことはない。

 なぜなら虎昴は、重々承知しているからだ。そんな気持ちを抱けるのも、針先に片足で立つような、危うい奇跡が叶ったからだと。こうして春の光の下、何気ない言葉と笑顔を交わし合えるのは、この上なく尊いことなのだと。

 だから。


「さあ、そろそろ出発しましょ。今晩は野宿になるとしても、せめて眠るのは広い地面がいいものね」


 傾く太陽を見上げる横顔に、虎昴は、万感の思いとともに頷くのだ。





 前回と同じ場所での野営を挟み、ふもとの村に着いたのは、やはり二日目の朝だった。出会った村人に再び昼食に招かれて、その席で、虎昴は小藍と再会した。

 初対面のミイルにも紹介すると、彼女は「ああ」と顔を輝かせた。


「あなたがシャオランなのね」


 ミイルは向かい合った小藍の両手を握り、額にあてて跪く。


「あなたの助けがあって、あたしは、命を長らえることができました。本当にありがとう。あなたはあたしの〝チョプジュムの末子〟。あたしは老いたアガザクのように、あなたに感謝を示します」


 大凌の言葉で紡がれたその感謝を、小藍は戸惑うことなく聞いていた。

 それに面食らったのはむしろ周囲の村人たちで、虎昴が間に入って漢訳してなお、とても信じられないような顔を見合わせる。なんだか少し、嫌な感じだった。


 山を下りた理由を告げ、墓への案内を頼むと、小藍は二つ返事で頷いた。

 昼食を終えた後、早速にも三人で村を出ながら、虎昴は小藍に問いかける。


「頼んでおいてなんだけど……小藍は、家の手伝いとか大丈夫なのか?」


 春のこの時期は、漁に出るにしろ山に入るにしろ作物を育てるにしろ、忙しさの増す頃合いのはずである。前回に続いて何日も村を留守にさせるのは、申し訳ない気ももちろんあった。

 しかし小藍は、こくりと頷く。


「おれ、孤児だから。仕事もあるけど、村の用事の方が先」

「えっ……そう、なのか」


 気まずく口を閉ざした虎昴だったが、それをこじ開けさせたのはミイルだった。

 虎昴から漢人の子どもの事情を聞いて、彼女がしたのはその詳細を知ろうとすることだった。圧し負けて彼女の代わりに問う虎昴に、当の小藍は特に気にした風もなく、ぽつりぽつりと答えを返す。


 小藍の両親が亡くなったのは二年前。

 大雨によって増水した河が岸を削り、水辺に立っていた彼の生家を、中にいた両親ごと押し流した。偶然にもその時、山際の廟へと使いに出ていた小藍だけが助かって、以来、その廟を寝床に村全体で養われているそうだ。


「廟にはじいさんがいて、そのじいさんに、おれはいろいろ教わった」

「もしかして、あの唱え事を教えてくれたって言っていた?」

「そう」


 頷いた小藍は、しばらく無言で先を進む。

 そして、ぽつりと呟いた。


「じいさん、あんたの村のこと、ずっと悔やんでた。自分に脚が揃ってたら、もっと早くに知っていたらって……ずっと、最期まで」

「……その、おじいさんは」

「死んだ。病気で、冬を越せなかった」


 幼い少年の無感動な答えに、虎昴もミイルも声が出ない。

 真っ直ぐに前だけ向いたまま、小藍は淡々と言葉を続ける。


「今は、おれが廟の仕事をしてる。だから、食うあてだけはあるんだ」





 青龍瀑の近くで野営をとり、翌日、三人は龍潭村跡に辿り着いた。

 村へと下りる道を、しかし小藍は一瞥もせず、反対の上り坂へと足を向ける。


「こっち」


 虎昴たちが導かれたのは、山の手にある畑地だった。斜面を耕して葉物や粟稗を作っていた場所で、記憶の中では、なだらかな草原のようになっていた。

 そこに、大きな塚ができていた。

 丘のような土饅頭だ。墓標も石碑もなにもなく、ただ春の若草に覆われて、脇に咲いた山桃の花に彩られている。墓とはとうてい思えない墓。


「まとめて焼いて、そのまま埋めた。それ以上のことは、できなかったって」

「……ああ。それだけで十分だ」


 野晒しで朽ちるよりよほどいい。龍神の呪いで、たとえ獣に食い荒らされることはないとしても、親しかった村人の骸がそのまま残っていてはつらかった。


 塚の前に、虎昴は膝をつく。


 ――三年前。半月にも満たない間に滅びた村。恐怖と絶望に呑み込まれたまま、苦しみ死に絶えていった村人たち。もがりも満足にできないまま、送る読経もないままに、昨日の死者の隣で息絶えていったその無念。


(みんな……)


 家族を心配して死んだ父。見送れなかった祖父と兄。最期も知らない幼い弟妹。泣き顔の別れとなった母。背中を押してくれた祖母。そして――


「……桃花」


 懐に入れてきた小さな荷を、虎昴はその場に取り出した。四角く蓋のついた竹籠だ。布敷のそれを開ければ、灰茶けた骨が姿を現す。

 妹には馴染みないままだった天上の土に埋めることもできず、ずっと、家の祭壇に祀っていた。あるいは虎昴自身、未だその存在に縋っていたのかもしれない。何者にもなり切れずにいた自分を、谷底からともに上がってきたこの小さな遺骨が、繋ぎとめてくれるような気がして。


(……でも、それも、ここまでだ)


 塚のふもとを掘り下げる。雨で多少の土が流れても、安らかな眠りが続くよう、深く、深く――。できた穴の底に、蓋をした竹籠を置いてしばし見つめる。過ぎったさまざまな思いをすべて込め、土をかぶせるその途中、見守ってくれていたミイルがふと「フーマオ」と声を上げた。

 顔を上げると、そこに妹がいた。


「桃花……」


 先日、龍潭村跡で見たのと同じ、四歳児の姿そのままの妹だ。その薄い肩に大きな猛禽を乗せて、この世のものではない妹が佇んでいた。

 その妹が、小さな両手を差し出して無邪気に言う。


『ただいま、にぃに。おかえり、にぃに。――おやすみなさい、にぃに』

「……ああ。おやすみ、桃花」


 その手を握って答えてやると、にっこりと笑った妹の肩から、霊体の猛禽――タオホアが大きく羽ばたいた。思わずそちらに目がいって、再び目線を戻した時には、もはやそこには、誰の姿もなくなっていた。


(戻るべき場所に、戻る魂……)


 それが真に叶ったのならば、これ以上のことはない。

 僅かに瞑目した虎昴は、妹の塚を作り上げ、その前に小藍にもらった香を立てた。彼の廟で使っている香だ。山上のものより、村人たちには馴染み深いだろう。


「……おやすみ。みんな」


 両手を合わせて言葉をかけ、それで墓参りは終了だ。ラゴ・ピモにはああ言ったものの、大凌山の儀礼は修めても、河岸の村人たちを慰められる法は知らない。

 せめて龍神の浄めで安息を得たことを祈り、虎昴は、彼らへの手向けとした。





 坂を下りた三人は、ミイルの願いにより龍潭村跡へと向かった。

 虎昴にとっては数日ぶりの故郷の村。しかしそこは、たった数日で、驚くほどに変わってしまっていた。


「これは……」


 倒れた柱。落ちた屋根。崩れた土壁の成れの果て――それらの上すべて、まるで村を丸ごと覆うかのように、青々とした草木が繁茂していた。花が咲いている箇所まである。それはどう見ても、七日や十日の変化ではない。数ヶ月、あるいは数年の月日が、そこに横たわっていた。

 唖然と立ち尽くしていると、ミイルが「どうしたの?」と覗き込んでくる。


「村の様子が、この前来た時とまったく違うんです。前はもっと、村の形を留めていて……こんな風に、草に覆われてはいなかったのに」

「へぇえ。龍神さまのおかげかしら。きっと、ずっと動けずにいたものが、ようやく動けるようになったのね。不思議だけど、いいことよ」


 明るく肯定するミイルに、虎昴もそうか、と肩の力が抜ける。言われてみれば、おかしなことなど確かにない。ただようやく、あるべき姿に戻っただけだ。

 きっとこれから、ここは野山へと還っていくのだろう。雷電の悪霊に滅ぼされた山向こうの村のように、人々の記憶にだけ残る場所になる。――それでいいのだ、と虎昴は思った。


 一度の休憩と野営を挟み、虎昴たちは小藍の村まで帰ってきた。

 岸辺にしがみついて立つ木組みの家々。畑仕事をする村人たちを遠目に見つつ、虎昴は「……なあ、小藍」と案内役の子どもに声をかけた。

 振り仰いだその顔に、ずっと考えていたことを言う。


「もしよかったら、お前も一緒に、上で暮らさないか?」


 そんなことを考えたのは、小藍の村での立場を知ってしまったからだった。

 孤児だから、というだけではない――ミイルの感謝に顔を見合わせる村人たち。あれは侮りの表情だった。こんな子どもにそんなことができるものか、と嘲りすら含んだものだった。それだけで、彼らが普段、小藍のことをどう扱っているかわかる気がした。

 それくらいなら、と思うのだ。


「いろいろ違うところもあるけど、別に難しいことじゃない。冬は厳しいけど、ちゃんと働けば食っていける。おれの家に住めばいいし、ミイルだって力になってくれると思う。その……おれも一人だったから、なにかできるなら、力を貸したいんだ」

「……ありがとう」


 ぽつり、と礼を述べた小藍はしかし「でも、いい」ときっぱり首を振った。


「おれ、じいさんと約束したから。あの廟を、守っていくんだって」

「……そう、か」


 うん、と頷く小藍。その眼差しにふと思い出したのは、村での暮らしをタイ・ピモに勧められた、いつかの自分のことだった。――苦しいこともある。悔しいこともある。それでも、留まるだけの理由があることもある。

 不要な気遣いだったな、と反省していると、小藍が小首を傾けた。


「それに、あんたはおれより、自分の嫁さんを気にかけた方がいい」

「…………え? 嫁?」

「そう。嫁」


 頷いた小藍が示すのは、漢語は知らないながら興味津々に二人のやり取りを見ていたミイルだった。理解した瞬間、かあっと耳まで熱くなる。


「ちっ、違う違う! おれたちは全然、そういうのじゃなくて!」

「違う? あんな危ない目に遭って助けたのに?」

「そりゃ、それはおれのせいだったから! ずっと世話になってた人だし! 恩返しとか罪滅ぼしとかそういうやつで……!」


 ふうん、と小藍は納得したか定かでない反応で、それでも口を閉じてくれる。

 それなのに今度は横合いから、不審そうな追究が飛んできた。


「なに? どうしたの、フーマオ」

「な、なんでもないです! なんでも!」

「なんでもないって様子じゃないわよ。顔、真っ赤じゃない。ほらもう、隠したってしょうがないんだから、白状しなさい」


 ほらほら、と昔から変わらない押しの強さで迫られて、堪えようという努力も束の間、あえなく陥落して口を割ってしまう。

 そして会話内容を聞いたミイルは、あっけらかんと目を瞬いた。


「あら、あたしはそのつもりだったけど」

「へ?」

「歌垣の時に、妻問いの品をくれたじゃない。あたしもちゃんと受け取ったでしょ。そりゃあ、本当に結婚するにはまだ早いかもしれないけど、あたしはそのつもりだったのよ。――フーマオは違うの?」


 初めて不安げに揺れた瞳に、ぐっと胸が締め付けられる。


「お、おれは……でも、おれじゃ」


 誰かに取られるのは嫌だと思った。自分が守りたいと強く思った。

 恩返しも罪滅ぼしもあるけれど、決してそれだけではないことくらい、ちゃんと自分でもわかっていた。けれど。


「……おれには、なんにもないんです。土地も家畜もないし、そもそも大凌の人間でもない。苦労させるに決まってるのに、嫁に来てほしいなんて」

「じゃあこれはなんだったの」


 そう言ってミイルが見せたのは、歌垣で虎昴が渡した帯飾りだ。銀と瑪瑙が連なるその品を、手ずから作った時のことが思い出される。

 妹の遺品となった銀飾り。精緻な刺繍に織り込まれ自分の手に戻ってきたそれを、再び外して彼女への贈り物に仕立てるのは、虎昴にとって故郷を贈るにも等しいものだった。漢人世界で作られた、天頂にはない意匠。それを見るたび、少しでも自分のことを思ってくれればと。そして――


「……少しだけでも、振り向いてくれれば、と」


 茹で釜の中にいるような気分で相手を見ると、銅色に焼けた頬をさらに赤くして、ミイルは虎昴を睨み上げていた。


「じゃあ! 振り向いた! あたしを! フーマオはどうするつもりなの!」

「ふ、振り向いてくれるんですか?」

「振り向いてるわよ! もうずっと……待ってたのに、全然、追いかけてきてもくれなかったから」


 ――だから、すごく、うれしかったのに。


 俯いて呟くその姿に、たまらなくなって手を伸ばす。柔らかく温かい両肩を掴まえて、黒く踊るような、この世の何より美しい瞳を覗き込む。


「おれ、頑張って結納金を稼ぎます。何年先になるかわかりませんけど……だから、待っててもらって、いいですか?」

「ううん、待たない」


 まさかの即答に驚く間もなく、ミイルは当然のように笑って付け足す。


「あたしも身一つで行けばいいだけでしょ」


 その言い草に彼女の弟を思い出し、虎昴も思わず笑ってしまう。そして間近で見つめ合い、そっと、どちらからともなく額を触れさせ合う。

 かけがえのない温もりを、その確かさを、刻みつけるように。


「…………おれ、帰ってもいいかな」


 ぼそりと呟いたのは漢人の少年。すぐ隣にいたその存在をすっかり忘れ去っていた虎昴とミイルは、二人して大きく飛び上がった。


 そんな様子を、淡く輝く鳥が見下ろす。

 高く澄んだその長鳴きが、天地の間にあたたかく響いた。







                                    了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

龍鱗のピモ かがち史 @kkym-3373

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ