第179話 壊れいく日常

 

 朝のクラーク邸。


「わふわふ」


 巨犬シヴァへ俺の皿から貢物をして、紅茶をひとくちふくむ。


 学校が封鎖されてから1週間。


 あの時の記憶は、いまも鮮烈に頭のなかに映る。


 お昼休み、大廊下が生徒たちで賑わうなか、突然とひとりの女生徒に悲劇がふりかかった。


 壮絶たる魔力の波動と、悲痛な叫びに現場は混乱。

 蒼い花の噂が生徒間に広まっていたのも、騒動の炎上におおきな拍車をかけた。


 キャンパスはその日のうちに閉鎖。


 学院の若き魔術師たちは、恐怖にかられ、皆が自宅にこもっていることだろう。

 それもそのはずだ。どうしてあの蒼花の威が自分に向かわないと安心できようか。


 これで被害者は実質的にふたり目だ。


 あの朝のイタズラと一蹴された事件も、きっと恐ろしい魔術の被害者に違いないからだ。


 この事態は段層都市すべてに広がり、今、街を歩けば、どこもかしこも蒼い花の話題でいっぱいだ。


 この1週間で状況はさらに悪くなった。最悪だ。


 なぜなら、ドラゴンクランの学生たちへの迫害がにわかに行われはじめたからだ。


「……コートニーさん、その目の具合は大丈夫ですか?」


 恐る恐る顔をあげ、パンをもぐもぐするコートニーを見やる。


「ああ、平気だ。わざわざ治癒ポーションを使うまでもない」

「……でも、傷が残ったら大変ですよ?」

「残ったら、残っただ。それは、私に刻まれた記憶となる。どのみち値の張るポーションをこんな些事に使う理由にはならない」


 コートニーはそう言い切り、パンの最後のひときれつまみあげ、物欲しそうにするシヴァへ放る。


「流石だな、シヴァ公」

「わふわふ」


 造作もなくぺろりとたいらげるシヴァをひと撫でし、コートニーは向こうへ行ってしまった。


 ドラゴンクランの学校封鎖は、学院内だけでは到底済まないおおきな波紋を呼んでいる。


 ヨルプウィスト人間国とならび、もっとも古く、もっとも権威ある魔術の王国。


 その最高学府には国中から、そして都市中から、はたまたレトレシア魔術大学のようにイストジパングから来たミヤモト家の勇者ミヤモト・サムラや、ゲオニエス帝国の貴族ポール・ダ・ロブノールのように、大陸中から次世代の有力者たちがつどっている。


 今、ドラゴンクラン大魔術学院とアーケストレス王政府は、押し寄せる攻撃を、それがより大きな被害とならないように丁寧に対応している真っ最中なのだ。


 魔法の腕前が支配する国。


 そして、魔法によって今の安寧を手にいれた人の世界において、アーケストレス魔術王国は


 普段ならば、『魔術王』の二つ名を冠す、アーケストレス国王率いる魔術の秘奥を知る王家や、魔法王国の好好爺とならんで、『現代魔術の最高峰』とうたわれる竜学院の校長率いるドラゴンクラン大魔術学院に、ケチをつけられる者などいるはずもない。


 だからこそ、こんな致命的な隙は、望む者たちにとって、垂涎すいぜんものの好機となってしまったのだ。


 コートニーさんの瞼の傷は、市街地での暴徒の脅威から、居合わせたドラゴンクランの生徒を守るために受けた傷だ。


 現場にいた、俺は思いしった。


 この国の恐ろしさを。

 通りを歩く人間たちは、非常時には、皆が魔術でもって、状況への適応をはかれるという練度の高さを。


 誰かひとりが魔術をつかえば、もう魔感覚が焼ききれんばかりに、皆が魔術をやたらめったに行使する。


 外はマジで危険。


 それが、この1週間で得た学生たちの共通認識だろう。


「わふわふ」

「うむ、お前も尻尾のさきちょっと焦げて帰ってきたもんな。かわいそうに」


 シヴァの頭をなでくり、なでくり、のどをかく。


 ーーカチッ


 時刻は9時10分。


 さて、それでは、そろそろ向かおうか。

 古代竜との約束の時間がせまっている。


 皿をさげて、コートニーを呼びいく。


「私はまだ反対しているけどな。なぜかって、危険だからだ。この状況でドラゴンクランに行くなんて正気ではない」

「でも、ついてくるんでしょう? コートニーさんは優しいですもんね」


 冒険者稼業用に買った灰色のローブを着込む。


「はあ……行くしかあるまい。そら、ゲートヘヴェン卿が言ったのだろう、『』って」


 コートニーは肩をすくめて言った。


 そう、それは、学校封鎖が行われて、混乱のただなかで起こったこと。


 話は2日前にさかのぼる。

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